伊藤万次郎(いとうまんじろう、1912年7月~2007年11月)は、政治家、銀行員。
来歴
政界入り
1975年4月、
自由党へ合流。合流後、旧
保守党派閥との大同合併による
「大きな派閥論」を持っていたが、出身政党意識が強い中ではうまく進まなかった。特に派閥の長老となっていた、
遠山昇の派閥独立意識のために、派閥合併は、遠い未来まで持ち越すこととなる。
1983年党首公選で、派閥ではなく官界出身者に支持を得た
浅上浩二が当選すると、派閥政治の在り方を再考するために、
玄徳会を脱会。のちに、
青洲会が結集されると、参加を依頼されるも固辞。無理やりの派閥合併に賛同できなかった無派閥議員らに意見を求め、党首公選にあっては勝手連的な活躍を見せた。
1997年党首公選では、
玄徳会時代から長らく面倒を見てきた
登米有紀子を支援するため、無派閥議員らをかき集めて戦う。派閥を飛び出す議員も現れるが、最終的に数の論理に敗れる。その後、登米有紀子を領袖とする
新構造研を設立。先鋭的新自由主義を掲げて、
日成会などの右派的
党内派閥を吸収する。2004年に任期満了での政界引退を表明。没する2007年には、
「政界の巨星沈む」という見出しで、すべての全国紙に1面を飾った。没後、
勲一等旭日菊花大綬章を下賜される。
家族・親族
千葉伊藤家
- 養父-伊藤忠正(1873年8月~1947年12月)
- 養祖父-伊藤兼正(1844年9月~1909年3月)
周防伊藤家
- 弟-伊藤藤次郎(1915年6月~1998年11月)
経歴
- 1935年4月_千葉商工銀行へ入行
- 1935年7月_本店融資部審査課
- 1937年4月_頭取室運用課長
- 1940年4月_商工部融資課長
- 1943年4月_取締役頭取室長
- 1944年10月_取締役副頭取
- 1948年2月_退職
- 1948年4月_民主党へ入党、旧千葉2区推薦候補
- 1948年6月_民主党から衆議院旧千葉2区補欠選挙で初当選、追加公認
- 1948年6月_党政策フォーラム20幹事
選挙歴
最終更新:2026年05月25日 08:19