グルノーブル

ノストラダムス wiki : ノストラダムスの大事典内検索 / 「グルノーブル」で検索した結果

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  • グルノーブル
     グルノーブル (Grenoble) はフランス南東部、イゼール県の県庁所在地で、イゼール川とドラック川の合流点付近に発達した。 概要  クラロ (Cularo) あるいはグラティアノポリス (Gratianopolis) という古称を持つ。旧市街は3世紀末のディオクレティアヌス帝時代に起源を持ち、市内現存最古の建造物であるサン=ローラン教会(11世紀以降)が残る。近世・近代には手袋製造業が栄え、18世紀には機械技師ヴォーカンソン、作家スタンダールを輩出した。  旧市庁舎がスタンダール記念館となっているほか、稀覯書の所蔵で知られる市立図書館にはスタンダールの草稿も残る。  1968年には冬季オリンピック開催都市となった(*1)。 ノストラダムス関連  南仏の主要都市のひとつなので、当然ノストラダムスは立ち寄ったことがあったろうが、直接的な記録はないようである...
  • ピエール・マルニオル
    ...し、1621年からはグルノーブルでも活動した。1623年以降はグルノーブルでの活動に一本化した。手がけた出版物は、事件ものが多かった(*1)。 ノストラダムス関連書  エチエンヌ・タンチヨンと共同で『予言集』を出版した。 名前 コメント
  • Epistre de Prophetie de paix qui doit venir au Royaume de France
    ...の財宝の陳述ならびにグルノーブルの山々で目撃された驚くべき彗星(の陳述)とともに。 この予言書簡はフランスの帝王に送られた。 その王、サヴォワの妃殿下、この王国の提督閣下らのお抱えの博士、医師、顧問、占星術師にしてオートヴィルの領主たるクレスパン・アルキダムス師による。 アンヴィル元帥閣下とキリスト教徒の国に捧げられた版。 リヨンにて、ジャン・パトラソンによる。 国王の特認とともに。1574年 内容  八つ折版でノンブルのない24ページの文献である。  扉の裏面が特認の抜粋になっており、本編は「フランスの帝王シャルル9世あての書簡」(Epistre au Roy Empereur de France Charles IX)となっており、ラングドックの鉱山の話が添えられている。その奥付は1573年12月24日グルノーブルとなっている。最後に、様々な有力者に宛てた短いメッセージが載...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ガリガン兄弟、1791年)
    ...館、ポー市立図書館、グルノーブル市立図書館 ミシェル・ショマラはリヨン市立図書館も挙げていたが、ジャック・ガリガン版と混同したものである。 名前 コメント
  • 詩百篇第9巻69番
    ...丘とラルブレルで グルノーブルの尊大な者たちが隠されるだろう。 リヨンとヴィエンヌの向こうで、彼らにあまりにもひどい雹が。 大地にはイナゴ。(作物は)三分の一しか残らないだろう。 訳について  1行目の地名をそのまま読めば、ブレル (Bresle) は北フランスのブレル川、バイイ (Bailly) はその河岸にある町バイイ=アン=リヴィエールとなるが、他の地名と離れすぎている。そこで、様々な読みが提案されている。  エドガー・レオニは Bailly をサン=ベル (Sain-Bel)、la Bresle をラルブレル (L Arbresle) と読み替えた。これらはいずれもローヌ県 (県都リヨン) のラルブレル小郡に属する町で近い距離にある。この読み方はリチャード・シーバースが踏襲した。  ピーター・ラメジャラーもラルブレルについては同じだが、 Bailly ...
  • 地名一覧
    ...巻20番 グラナダ グルノーブル ケルン コリントス コルシカ島 コルドバ コンスタンティノポリス* → イスタンブル さ ザダル サバ* → シェバ ザーラ → ザダル サラゴサ サルデーニャ島 サレルノ サロン=ド=プロヴァンス サン=レミ=ド=プロヴァンス ジェヴォーダン シエーナ シェバ* シチリア島 シバ* → シェバ シャルトル シャロン(シャロン=シュル=ソーヌ) ジュネーヴ(ジュネーブ) ジュネーヴ湖 → レマン湖 シュパイアー シリア ストエカデス* → イエール諸島 スラヴォーニヤ セヴェンヌ た タホ川 → テージョ川 タラスコン(未作成) ダルマチア ティキヌム* → パヴィーア ティチーノ川(未作成) テヴェレ川 テージョ川 テッサリア テムズ川(未作成) トゥスキア* トゥリノ トゥールーズ トスカーナ トラキア* トラブゾン トリノ ドール トレビゾ...
  • La Concordance des Prophéties de Nostradamus
    ...ボルドー市立図書館、グルノーブル市立図書館、リヨン市立図書館ミシェル・ショマラ文庫、フランス国立図書館、トゥールーズ市立図書館、ルーアン市立図書館、バイエルン州立図書館 1712年版アルボー博物館、カルパントラ市立図書館、大英図書館、リヨン市立図書館、マルセイユ市立図書館、フランス国立図書館、アミアン市立図書館、シャロン=アン=シャンパーニュ市立図書館、コルマール市立図書館、エヴルー市立図書館、RAMKAT 1718年版リール市立図書館 名前 コメント
  • ミシェル・ノストラダムスの予言集 (マルシャン・ド・ヌヴォテ、1804年)
    ...ている。  グルノーブル市立図書館のオンライン検索では、疑問符つきで出版社名の記載なしとされている1804年版 『予言集』 がヒットする。1804年に刊行された予言集はほかに知られていないので、同じものの可能性がある。 名前 コメント
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ジャン・ヴィレ、1697年)
    ...る。 所蔵先 グルノーブル市立図書館、リヨン市立図書館、リヨン市立図書館ミシェル・ショマラ文庫、モンペリエ市立図書館、ニーム市立図書館、オータン市立図書館、ディーニュ=レ=バン市立図書館、サンテチエンヌ市立図書館、ヴァランシエンヌ市立図書館、ポール・アルボー博物館、RAMKAT パスツール図書館(ヌーシャテル)、パドヴァ市民博物館、カザナテンセ図書館、アンブロジャーナ図書館、マルチャーナ図書館(ヴェネツィア)、イタリア国立図書館(ローマ)、大英図書館、スペイン国立図書館、ポーランド国立図書館、アメリカ議会図書館、オタワ大学、ジョンズ・ホプキンス大学、カリフォルニア大学 マリオ・グレゴリオも私蔵している。 名前 ...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (1605年)
    ...、サンス市立図書館、グルノーブル市立図書館、ル・ピュイ市立図書館、リブルヌ市立図書館、ニオール市立図書館、リヨン市立図書館ショマラ文庫、アルスナル図書館、マザラン図書館、サントジュヌヴィエーヴ図書館、ポール・アルボー博物館 大英図書館、オックスフォード大学ボドレー図書館、ウェルカム医学史研究所、オーストリア国立図書館、デンマーク王立図書館、ポルトガル国立図書館、スペイン国立図書館、チェコ国立図書館、スウェーデン王立図書館、アールガウ州立図書館(スイス)、ゾロトゥルン中央図書館(スイス) 私蔵している人物としてマリオ・グレゴリオ(未作成)がいる。かつてはダニエル・ルソ、ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌの蔵書にも含まれていた。 当「大事典」管理者も1冊私蔵している。  これらは全く同じ時期・工房で出版されたわけではないのだろう。実際、ブナズラはニオールとグルノーブルの蔵書では、六...
  • アルノー・ラランヌ
     アルノー・ラランヌ(Arnaut Lalanne, 1646年頃 - 1701年4月2日)は、ボルドーの出版業者。ボルドーの書肆ジョゼフ・ド・ラランヌの子として生まれた。1670年に出版業者として活動を始め、没年である1701年まで事業を続けた。  名前の綴りが非常にルーズで、アルノー以外にアルマン(Armand)と綴られることもある。また、姓についてもラランヌ以外にドラランヌ(Delalanne)などとも綴られる(*1)。 ノストラダムス関連  『予言集』1689年ボルドー版の異本を手がけた。業者名は n が1つ少ないアルノー・ララヌ(Arnault Lalane)と印刷されている。 名前 ...
  • ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集 (アントワーヌ・ベソン)
    ...ボルドー市立図書館、グルノーブル市立図書館、リヨン市立図書館、リヨン市立図書館ミシェル・ショマラ文庫、ポール・アルボー博物館 クレモナBG、ウェルカム医学史研究所、アンブロジャーナ図書館、ポルトガル国立図書館、ノースウェスタン大学、イリノイ大学、 シェイネ(ノストラダムス記念館)、RAMKAT 名前 コメント
  • アルノートン・ド・ヴェロルグ
     ダヴァン・ド・カルカソンヌ(Davin de Carcassonne)ないしアルノートン・ド・ヴェロルグ(Arnauton de Vélorgue, 1410年頃 - 1473年頃)は、ノストラダムスの父方の曽祖父。アヴィニョンで商業を営んでいた。  ユダヤ人ヴィタル・ド・カルカソンヌの息子で、元々の名前はダヴァン(Davin)といった。父の仕事を継いで商業を始めたが、1417年に教会大分裂が収束したのを機に人口が減少し、ペスト流行と相俟って苦労が多かったようである。  1430年頃にヴァンゲソンヌと結婚した。このヴァンゲソンヌとの間にクレカ・ド・カルカソンヌが生まれた。  父ヴィタルが死んだ翌年(1453年)頃にキリスト教に改宗し、アルノートン・ド・ヴェロルグと改名した。旧姓カルカソンヌがそうであったように、ヴェロルグも南フランスの都市名である。  この改宗に...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (1649年頃の偽版)
    ...ィジョン市立図書館、グルノーブル市立図書館、リヨン市立図書館、ストラスブール市立図書館、オセール市立図書館、ブロワ市立図書館、メス市立図書館、ルーアン市立図書館、ヴェルサイユ市立図書館、サンブリユー市立図書館、アルスナル図書館、サントジュヌヴィエーヴ図書館、カーン大学、モンペリエ大学、ジャック・プレヴェール図書館、ベルギー王立総合古文書館、コペンハーゲン王立図書館、ストックホルム王立図書館、ベルリン国立図書館、ザクセン州立図書館、エジンバラNL、ケンブリッジ大学、ゾロトゥルン中央図書館、ニューベリー図書館(シカゴ)、RAMKAT 「1611年」ベルギー王立総合古文書館、ハーヴァード大学 「1649年」ラ・ロシェル市立図書館、オルレアン市立図書館、サン=ジェルマン=アン=レー市立図書館、ポール・アルボー博物館、ボン大学 ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」...
  • Recueil des Presages Prosaiques de M. Michel de Nostredame
    ...ナエ・アロブログムはグルノーブルのラテン語名である。 内容  ノストラダムスが暦書類に発表していた1550年向けから1567年向けまでの「予兆」が全12巻にまとめなおされている。題名に「散文予兆」とあるが、予兆詩も含まれている。 第1巻  他の巻に比べて対象としている年が多いが、これは1553年向けまでの分量がかなり少ないためであろう。 1550年の予兆(Des presages de l an 1550)第2番から第11番(pp.5-6. 第1番は予兆詩第1番にあてられている)。対応する暦書は特定されていない。 1552年の予兆(Des presages de l an 1552)第12番から第37番(pp.6-9)。対応する暦書は特定されていない。クロード・ファブリの『1552年向けの新たなる真の占筮』と一致するものが含まれている。 1553年向けの予兆(De...
  • トリスタン・ド・ヴェロルグ
     トリスタン・ド・ヴェロルグ(Tristan de Vélorgue, 1464年以降 - 1528年頃)はノストラダムスの父方の大叔父。ノストラダムスの祖父ピエール・ド・ノートルダムの異母弟にあたる。  父アルノートン・ド・ヴェロルグが1464年に再婚した後、それほど離れていない時期に生まれたらしい。  マルセイユに住み、1524年8月にマルセイユがブルボン公によって包囲されたときには、防衛隊に名を連ねた。その4年ほど後にはマルセイユの理髪師として記録が残っている(*1)。 その他  五島勉は、ノストラダムスが1530年代にアヴィニョンに住む「父方の大伯父」から、予言能力を開花させるための重要な示唆を受けたとしていた(*2)。しかし、祖父ピエールの兄弟はここで扱うトリスタン以外確認されておらず、住所も生きていた時期も「大伯父」か「大叔父」かも、何ひとつ一致していな...
  • borneaux
     borneaux は詩百篇第9巻14番に一度だけ登場するが、このような語は現代語にも古語にもない (当時、o と ou が交換可能であったことを考慮して bourneaux と見なしたとしても同じである)。版によってはボルドー(Bordeaux) と綴られることもあるが、従来の論者たちは以下のような読み方を提示している。 懐疑論者や文学者らの説 エドガー・レオニは、そういう名前の村がオート=ロワール県にあるとしていた(*1)。ただし、DNLFには見当たらない。比較的似た綴りということでは、ヴァンデ県のブルノー (Bourneau)、オート=ロワール県やアルデーシュ県のボルヌ (Borne)、ピレネー=ザトランティック県のブルノ (Bournos, ブルノス) などがある(*2)。 ピエール・ブランダムールは bardeaux (屋根板) と校訂した(*3)。 ピーター・ラメジャ...
  • Vraye prognostication nouvelle, composée par maistre Claude Fabri
     『1552年向けの新たなる真の占筮』(Vraye prognostication Nouuelle,... pour l An Mil cinq cens Cinquante Deux.)は、クロード・ファブリの占筮。アジャンのアルノー・ヴィロト(未作成)が出版した。 【画像】 『1552年向けの新たなる真の占筮』の扉(*1) 正式名 Vraye prognostication Nouuelle, Composée par maistre Claude Fabri, Medecin Astrophile demourant en la noble Ville Vniuersité de Dole, natif de Prelz en Argonne pour l An Mil cinq cens Cinquante Deux.Nouuellement Impr...
  • 詩百篇第9巻
    ...丘とラルブレルで グルノーブルの尊大な者たちが隠されるだろう。 リヨンとヴィエンヌの向こうで、彼らにあまりにもひどい雹が。 大地にはイナゴ。(作物は)三分の一しか残らないだろう。 70 鋭利な武器が燭台に隠される。 秘蹟の祝日にリヨンにて、 ヴィエンヌの人々が一人残らず切り刻まれるだろう、 ラティウムの諸カントンによって。マコンは怠らない。 71 神聖な場所で毛並みの良い動物たち 〔=羊?〕 が見られる、 その日に怖気づくであろう人物とともに。 カルカソンヌではおあつらえ向きに面目を失い、 (彼は)より余裕のある滞在を設定されるだろう。 72 なおも聖なる殿堂群が汚され、 掠奪されるだろう、トゥールーズの元老院によって。 サトゥルヌスは二、三周と巡り、 四月と五月に新しいパン種の人々が。 73 空色のター...
  • サレルノ
     サレルノ (Salerno) はイタリア、カンパーニア州サレルノ県の県庁所在地となっている港町。ナポリの南東58 kmに位置する。  古くからの歴史を持ち、紀元前197年にはローマに支配された。ことに9世紀に設立されたサレルノ医学校の名声が高く、中世ヨーロッパの医学において絶大な影響力を誇った。  当時の異名「ヒポクラテスの町」は、そうした医学校の栄光に基づいたものである(*1)。 【画像】サレルノ養生訓 ノストラダムス関連  詩百篇集では第7巻6番のみに登場する。 ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
  • ピエール・アブグー
     ピエール・アブグー3世(Pierre III Abegou)は、ボルドーの出版業者。1639年ごろに出版業者ピエール・アブグー2世(活動1640年 - 1661年頃)の子として生まれ、1659年から1663年の間に出版業者としての活動を開始した。1664年から1692年に特に活動が顕著で、シャルル・ダビ、ジャン・マルテルなどの他の業者との共同出版もしばしば行った。その後、少なくとも1701年までの活動が確認できるが、さらにどの程度活動したのかは不明(*1)。 ノストラダムス関連  現存しないが、『予言集』1670年ボルドー版を出版した可能性がある。  また、『予言集』1689年ボルドー版が現存している。こちらはアルノー・ラランヌとの共同出版も行った可能性がある。 ...
  • 詩百篇第4巻
    ...によって、 そしてグルノーブルによって、モンテリマールで囚われる。 セーセルとローザンヌは詭計によって、 六十マルクの黄金で彼らを裏切るであろう。 43 空で武器の打ち合う音が聞かれるだろう。 その同じ年、神の敵たちは 聖なる教義と不正にも対決することを望むだろう。 雷と戦争とで立派な信者たちが殺されるだろう。 44 マンド、ロデーズ、ミヨー、カオール、リモージュ、カストルの 有力者たち(にとっては)、悪い一週間。 夜の入り口、ボルドーの小石、 ペリゴールで警鐘が鳴る時に。 45 紛争により、王が王国を放棄するだろう。 最も偉大な指導者は欲される時にいないだろう。 死者たち、打ち倒された者たち、それを免れる者はほとんどいないだろう。 皆殺しにされるが、一人はその証人となるだろう。 46 卓越者による事柄はよく守られる。 ...
  • コルモペード
    ...ディマンシュ・グラにグルノーブルで上演されたバレエ。1631年。「七つの惑星」には、太陽と月が含まれる。「ミルモンの主任司祭」はジャン・ブロ、「第二因」は星々(世界を動かす第一因=神に次ぐと考えられた)、「ディマンシュ・グラ」は四旬節前最後の日曜日。なお、ティコ・ブラーエは1601年没であり、この暦書の編著者であることはあり得ない。 フランス国立図書館に所蔵されており、Gallicaで公開されている。 コルモペディ  17世紀末ごろから現れた「トロワの占星術師」 ALMANACH ROYAL, POUR L’ANNE’E BISSEXTIL 1692. CONTENANT, LES FORCES DES ROYS, ET PRINCES DE L’UNIVERS. Par l’Illustre CORMOPEDY, Mathematicien de Troyes, habit...
  • サン=レミ=ド=プロヴァンス
     サン=レミ=ド=プロヴァンス(Saint-Rémy-de-Provence)は、南フランスのブーシュ=デュ=ローヌ県の都市である。ノストラダムスの生誕地として、また画家ゴッホの療養地として国際的に知られている。 概要  アルピーユ山脈のふもとに位置し、町の歴史は古代ローマの入植地だった頃に遡る。当時の遺跡はサン=レミの近郊に残っている(グラヌムの遺跡)。  10世紀には近隣にロマネスク様式のサン=ポール=ド=モゾル修道院が建造され、1810年から私営の精神病院に転用されている。その病院は画家ゴッホが療養のため滞在していたことがあるため、国際的に有名である(ゴッホが滞在していた部屋は見学可能)。この病院の背後には採石場跡であるマス・ド・ラ・ピラミッドがある。  現在の町の中心部には、町の歴史や文化にゆかりのある博物館がいくつもある。  サドの館(Hôtel de Sad...
  • 予兆詩第58番
    予兆詩第58番(旧53番) 1560年8月について 原文 Peste, faim, feu, ardeur non cessée. Foudre, grand gresle, temple du ciel1 frapé. L edict, arrest2, grieve loy casseé. Chef3 inventeur ses gens luy hapé.(*1) 異文 (1) ciel Ciel 1649Xa (2) L edict, arrest L Edict, arrest 1560LN, L Edict, Arrest 1649Ca 1650Le 1668 (3) Chef Chief 1560LN (注記)1560LN は初出である『1560年向けの暦』の原文。ベルナール・シュヴィニャールの校訂の段階では...
  • ノストラダムス一族
    父方の先祖・親類 アストリュージュ・ド・カルカソンヌ(ノストラダムスの五世祖) ヴィタル・ド・カルカソンヌ(ノストラダムスの高祖父) アルノートン・ド・ヴェロルグ(ノストラダムスの曾祖父) ヴァンゲソンヌ(ノストラダムスの曾祖母) ピエール・ド・ノートルダム(ノストラダムスの祖父) トリスタン・ド・ヴェロルグ(ノストラダムスの大叔父) ブランシュ・ド・サント=マリー(ノストラダムスの祖母) ジョーム・ド・ノートルダム(ノストラダムスの父) フランソワ・ド・ノートルダム(ノストラダムスの叔父) アルルのピエール・ド・ノートルダム(ノストラダムスの叔父) カトリーヌ・ド・ノートルダム(ノストラダムスの叔母) バルトロメ・ド・ノートルダム(ノストラダムスの叔母) マルグリット・ド・ノートルダム(ノストラダムスの叔母) 母方の先祖・親類 ジャン・ド・サン=レミ(ノストラダムスの母方の曽祖父...
  • 百詩篇第6巻46番
    百詩篇第6巻 46番 原文 Vn iuste1 sera en exil2 renuoyé3, Par pestilence aux confins de Nonseggle4 Responce5 au rouge6 le fera desuoyé7, Roy retirant à la Rane8 à l’aigle9. 異文 (1) Vn iuste Unjuste 1672 (2) exil exii 1650Le (3) renuoyé reuuoyé 1653, Anvoyé 1672 (4) Nonseggle Nonfeggle 1557B 1589PV, Nonsegle 1644 1650Le 1650Ri 1653 1665 1668 1840, Non seggle 1672 (5) Responce Respo...
  • ノストラダムスの往復書簡
     ノストラダムスの往復書簡は数十通単位で残っている。  多くはノストラダムスが受け取った手紙だが、そこで言及されている様々な情報は、生前のノストラダムスの状況をうかがい知る上で貴重な史料である。  また、数は少ないが、ノストラダムス自身が書いた手紙の数々は、直接的にノストラダムスのプライベートな言説に触れる一層貴重な史料といえる。  まとまった書簡集としてはBN ms. Lat. 8592があり、誰が転記したのか特定されていない写本とはいえ、専門家たちから内容の真正性は認められている。  もともとの手紙は息子のセザール・ド・ノートルダムが保管していたもので、その性質上、ノストラダムスが書いた手紙(10通)よりも、ノストラダムス宛の手紙(41通)の方がずっと多い。  ノストラダムス自身の手紙が手許に残っているのは不自然なようだが、彼は秘書に清書させたりしていたので、そうした過...
  • ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集 (ジャン・マルテル、1689年)
     『ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集』(Les Vraies Centuries et Prophéties de Maistre Michel Nostradamus)は、1689年にボルドーのジャン・マルテルによっても出版された。 正式名 扉 全体の扉 LES VRAYES CENTVRIES ET PROPHETIES DE MAISTRE MICHEL NOSTRADAMUS.Où se void representé tout ce qui s est passé, se passe presentement tant en France, Espagne, Italie, Allemagne, Angleterre, que autres parties du monde. Reveuës corrigées suivant les pre...
  • ノストラダムスの遺言書 全訳と訳注
     ノストラダムスの遺言書の日本語訳を示す。訳は当「大事典」でオリジナルにつけたものである。基本的に直訳を心がけたが、当時の表現に頻出する、同じような意味の言葉を重ねている箇所は、日本語として冗長になりすぎる場合にはいちいち逐語訳していない。  〔 〕は原文にない言葉を当「大事典」で補った箇所で、〔= 〕とあるのは最後に回すまでもない簡略な注記を指す。  原文はノストラダムスの遺言書 原文と語注を参照のこと。節の区切りは、ダニエル・ルソによるものを踏襲した原文の区切りに対応している。  なお、従来の唯一の日本語訳は『ノストラダムスの遺言書』 (二見書房)およびその改題版に含まれたものだった(外部サイト「ノストラダムスサロン」の「ノストラダムス遺言書」では、信頼性に注意を喚起した上で全文を引用している)。それは省略が多い上に、不適切な訳も多いから、ここでも具体的に検討したいところではある...
  • エノー
     エノー (Hainaut) はベルギーの地方名で、現在は同名の州(エノー州)がある。一帯はかつてエノー伯爵領であり、その北半分が1830年に現在のエノー州になった。  州都はモンスで、同市の石炭関連産業をはじめ、炭田と鉄鉱山を擁する重化学工業地帯となっている。  また、モンスの先史時代の火打石採石場、トゥルネーのノートルダム大聖堂、サントル運河のリフト、グラン・オルニュなどの炭鉱遺跡(以上4件は全て世界遺産)といった先史時代から近現代に至る重要な文化財が残っており、文化的にも観光的にも特筆されるべき地域である(*1)。 ノストラダムス関連  ノストラダムス自身がエノーに赴いたことがあるかどうかは分からない。  『予言集』では、詩百篇第2巻50番(未作成)と第4巻19番の2箇所に登場している。いずれでもベルギーの地方名と都市名が並列的に挙げられている。 ...
  • イスタンブル
     イスタンブル (Istanbul, イスタンブール) はトルコの首都アンカラをしのぐ同国最大の都市である。イスタンブル州の州都で、ボスポラス海峡の入り口に位置している。ビュザンティオン、ビュザンティウム、コンスタンティノポリス (コンスタンティノープル) など、時代ごとに様々な名前で呼ばれてきた。 歴史  紀元前7世紀に古代ギリシアの都市国家メガラの植民都市として建設された。メガラのビュザスが建設したことからビュザンティオンと名づけられたとも言われる。その後、スパルタ、アテネ、マケドニアなどに領有権が移った。これは交易と軍事の両面で利用価値の高い場所に位置していたためである。  2世紀にローマ帝国の領土となると、ローマ式にビュザンティウムと呼ばれるようになった。4世紀にはここに遷都した皇帝コンスタンティヌスが自らの名前を冠してコンスタンティノポリスと改名した。  ローマ帝国分...
  • 予兆詩第86番
    予兆詩第86番(旧76番) 1562年10月について 原文 Par le legat1 du terrestre marin2 La grande cape3 à tout s accommoder, Estre à l escoute tacite Lorvarin4, Qu à son advis ne voudra accorder. (*1) 異文 (1) legat Legat 1594JF (2) marin matin 1649Ca 1650Le 1668 (3) cape conj.(BC) cappe 1562LN, Cape T.A.Eds. (4) Lorvarin 1589Rec loruarin 1562LN, LORVARIN T.A.Eds. (注記)1562LN は初出である『1562年向けの新たなる暦』...
  • ピエール=ジョゼフ・ド・エーツ
     ピエール=ジョゼフ・ド・エーツ(Pierre-Joseph de Haitze, 1648年頃 - 1736年7月26日)は、フランスの作家、歴史家。主としてプロヴァンスの歴史や、プロヴァンスに縁のある人物の伝記をまとめた。  エーツは、1648年頃にカヴァイヨンで生まれた。ベアルン地方の高貴な出自であったという。彼はプロヴァンスの歴史に特に興味を持ち、様々な調査も行った。その作品は文体の丁寧さや明瞭さが評価される一方、内容が皮相的であることや、調査における批判能力の不足なども指摘されている。 彼は、親戚にあたるジャン=フランソワ・ゴフリディ家に秘書として住み込んでおり、1736年にプロヴァンス地方のトレ(Trets, 現ブーシュ=デュ=ローヌ県内)で没した。 ノストラダムス関連  エーツによるノストラダムスの伝記 『ミシェル・ノストラダムスの生涯(未作成)』(1711年...
  • 出版業者の一覧
     ノストラダムスに関連する出版業者の一覧。原則として姓をカタカナ表記した際のアルファベット順に並べている。「ド」などを姓に含むかどうかは、外国語文献の索引に準じて個別に判断している。  ノストラダムス関連書を出版したことのある業者、特に16世紀から19世紀までの業者の情報を網羅することを目指している。  出版業者の情報はさしあたり次の2点で有益と考える。  ひとつめは、刊行年の特定されていない関連書について、出版業者の活動歴から刊行年を絞り込める可能性が出てくることである。  ふたつめはノストラダムス現象を従来とは別の視点から裏付けていくことにある。 例えば、ピエール・ルーやクリストフ・プランタン(未作成)など、出版業者の中には活動し始めて間もない頃にノストラダムス関連書を出版している事例がしばしば見られる。これは単なる偶然の場合もあるだろうが、その一方で「売れるブラン...
  • ダマリー・ド・ノートルダム
     ダマリー・ド・ノートルダム(Damary de Nostredame)は、アントワーヌ・ド・ノートルダムとロワーズ・ベルル(未作成)の娘で、ノストラダムスの姪にあたる。生年未詳だが、1587年4月19日にサン=レミのブルジョワ、シモン・ナヴァリ(Simon Navarry)と結婚したことと、1604年に姪のダマリー(未作成)(Damarie)の洗礼に代母として立ち会ったことだけ分かっている (*1)。  ちなみに、「ダマリー」というフランス人名は日本ではあまり馴染みがないと思われるが、フランスでは地名にもしばしば使われている。その語源は Dame Marie(貴婦人マリア)だという(*2)。 名前 ...
  • 百詩篇第6巻97番
    原文 Cinq quarante degrés ciel bruslera, Feu1 approucher2 de la grand3 cité4 neufue, Instant grand flamme esparse saultera, Quant5 on vouldra des Normans6 faire preuue 異文 (1) Feu Peu 1627 1644 1653 1665 (2) approucher 1557U 1557B approcher T.A.Eds. (3) grand grand 1597 1605 1610 1611 1628 1649Xa 1660 (4) cité Cité 1672 (5) Quant 1557U 1557B 1568A 1568B 1568C 1772Ri Quand T....
  • ノーラ
     ノーラ(Nola)は、イタリアの都市。カンパーニア州ナポリ県にあり、ナポリからは25 km のところにある。古代ローマの植民都市として古い歴史を持つ都市で、ローマ皇帝アウグストゥスが亡くなった場所でもある(*1)。 ノストラダムス関連  ノストラダムスが直接立ち寄った記録は確認されていない。『予言集』では、百詩篇第3巻74番(未作成)で言及があり、解釈によっては百詩篇第8巻38番にも登場する。 名前 コメント
  • rubes
    rubes (名詞)rube(s) という語は現代フランス語にも16世紀フランス語にも見当たらない。rubis(ルビー)の変形と見る説と、roubles(ルーブル。ロシアの通貨単位)と見る説がある。どちらの説も韻を踏むための変形と見る点では同じ。 前者は、エドガー・レオニ、ピーター・ラメジャラー、リチャード・スモーレー(未作成)らが採っている。 後者はテオフィル・ド・ガランシエール、ミシェル・デュフレーヌらが採っている。 マリニー・ローズは両方の可能性を示している。 アナトール・ル・ペルチエ、ブリューノ・プテ=ジラールらは、何も説明していない。 登場箇所 百詩篇第6巻49番
  • リュクレース・ド・ノートルダム
     リュクレース・ド・ノートルダム(Lucrèce de Nostredame, 1554年 - 1596年以降)は、ベルトラン・ド・ノートルダムの娘で、ノストラダムスの姪にあたる。  1554年7月15日にサン=レミ=ド=プロヴァンスで、代父ピエール・ド・リスプらの立会いのもと洗礼を受けた。リスプの息子は後にリュクレースの姉カトリーヌと結婚した。  1577年2月17日にアルルのブルジョワであるジャン・ドモンド(Jean Demonde)と結婚したことがわかっているが、それ以外のことは不明である。1596年のベルトランの遺言書でも言及があるので、少なくともその時までは生きていたらしい(*1)。 名前 ...
  • アンチーブ
     アンチーブ(Antibes)は、アルプ=マリティム県南部、アンチーブ岬の東側を占める港町。コート・ダジュール沿岸の保養地で、カンヌから9 kmに位置する。日本ではアンティーブとも表記される。古代にはアンティポリスと呼ばれた。 概要  紀元前4世紀にギリシア人が築いた植民都市が起源である。古称(ギリシア語およびラテン語)のアンティポリスは「反対側の都市」の意味で、ニカエア(ニース)対岸に位置していることによるという(*1)。後期ラテン語ではアンティブレス(Antibules)やアンティボレス(Antiboles)と呼ばれ、ロマン語ではアンティボル(ス)(Antibol, Antibols)と呼ばれていた(*2)。  ローマ帝国の属州を経て、9世紀にはサラセン人による破壊を経験した。その後、プロヴァンス領、フランス王国領となった。14世紀から16世紀にかけてのグリマルディ城館...
  • アントワーヌ・ド・ブルボン
     アントワーヌ・ド・ブルボン (Antoine de Bourbon, 1518年 - 1562年) は、ヴァンドーム公、ナヴァル王(在位 1555年 - 1562年)。フランスのブルボン王朝の始祖アンリ4世の実父。  アントワーヌが生まれたブルボン家は、聖王ルイ9世の末子ロベール・ド・クレルモンの血を引いており、アントワーヌの時代には筆頭親王家として、領地はそれほどでもなかったが、家格はかなり高かった。そして、ナヴァル王家のジャンヌ・ダルブレと結婚したことで、1555年からは妻ジャンヌとともに、共同統治という形でナヴァル王となった。  アントワーヌは1550年代後半にはプロテスタントに傾倒しており、公然とそれらの運動にも加わっていた。しかし、シャルル9世の時代になってフランス王国総代官の地位についた後、プロテスタントに寛容な一月王令(1562年)が出ると、逆にカトリックへ...
  • ハンス・ローゼンベルガー
     ハンス・ローゼンベルガー(Hans Rosenberger, 1510年 - 1565年)は、アウクスブルク出身の実業家で、チロル地方で鉱山経営をしていた。1560年頃にチロル地方のフィーバーブルンに住んでいた時期には鉱山経営で失敗し、かなり厳しい状況に立たされたこともあったらしいが、その後、無事に持ち直せたらしい。  母親の名前はクララ・エヒンゲリン (Clara Ehingerin)、妻の名前はクニグンダ・ピムリン (Kunigunda Pimlin) で、息子としてカール(1534年4月24日生まれ)、ハンス(2世、1544年2月2日年生まれ)がいた(*1)。これらの家族構成は、いずれも後述のノストラダムスとの往復書簡(仲介者トゥッベの手紙を含む)に書かれている。 ノストラダムス関連  自身の運勢や事業の未来、息子たちの運勢など、折に触れてノストラダムスに相談してお...
  • ベルトラン・ド・ノートルダム
     ベルトラン・ド・ノートルダム(Bertrand de Nostredame, 1518年 - 1602年以降)は、ノストラダムスの弟の一人。ジョーム・ド・ノートルダムとレニエール・ド・サン=レミの間に生まれた。プロヴァンス州サン=レミの商人、軍人。  「ベルトラン・ド・ノストラダムス」とも名乗った。ノストラダムスの弟でノストラダムスを名乗ったのは、ジャンとベルトランだけである。 生涯  プロヴァンス州サン=レミで、1518年の6月4日から7月10日の間に洗礼を受けた(*1)。日付が曖昧なのは、現存している史料が不完全な形でしか残っていないためだという。名付け親が、代父ベルトラン・ユゴラン(Bertrand Hugolin)、代母ジョルダーヌ・ド・ラ・メール(Jordane de la Mer)ということは分かっている。  1540年頃にラマノンの領主の娘であるトミーヌ・...
  • 百詩篇第2巻31番
    百詩篇第2巻 31番 原文 En Campanie1 Cassilin2 sera3 tant Qu on4 ne verra que5 d eaux6 les champs7 couuerts8 Deuant apres la pluye de long temps9 Hors mis10 les arbres11 rien l on12 verra de vert13. 異文 (1) En Campanie En campagne 1588Rf 1589Me 1649Ca 1650Le 1668, Encampagne 1589Rg, En campaigne 1589PV, En Campagnie 1605 1649Xa 1665, En Campaine 1716 (2) Cassilin le Cassilin 1557U 1557B 1568 ...
  • ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集 (ピエール・アブグー、1689年)
     『ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集』(Les Vraies Centuries et Prophéties de Maistre Michel Nostradamus)は、1689年にボルドーのピエール・アブグーによっても出版された。 【画像】左から、1689年アブグー版の扉、第一部扉、第二部扉 (*1) 正式名 全体の扉 LES VRAYES CENTURIES ET PROPHETIES DE MAISTRE MICHEL NOSTRADAMUS.Où se void representé tout ce qui s est passé se passe presentement tant en France, Espagne, Italie, Allemagne, Angleterre, que autres parties du mo...
  • BN ms. Lat. 8592
     BN ms. Lat. 8592 つまりフランス国立図書館の手稿部門に収められたラテン語資料の8592番 (Bibliothèque Nationale. Département des manuscrits, fonds latin, no8592) は、ノストラダムスの個人的な往復書簡の写本である。転記した人物は特定されていないが、専門家たちから内容の真正性は認められている。  もともとの手紙は息子のセザール・ド・ノートルダムが保管していたもので、その性質上、ノストラダムスが書いた手紙(10通)よりも、ノストラダムス宛の手紙(41通)の方がずっと多い。ノストラダムス自身の手紙が手許に残っているのは不自然なようだが、彼は秘書に清書させたりしていたので、そうした過程でオリジナルや複写が残ったのだろう。 内容  扱われている書簡は以下の通りである。丸括弧で手紙に明記されてい...
  • バルタザール・ギノー
     バルタザール・ギノー(Baltazar Guynaud, 生没年未詳)は、17世紀末頃のフランスの作家。ノストラダムス予言の解釈書を刊行した。現在知られている範囲内で、「恐怖の大王」について初めて解釈を展開した人物である。  ギノーの生涯についてはほとんど分かっていない。彼自身の著作にある自伝的な言及から、調馬師の資格を持ち、フランス王ルイ14世附きの小姓頭を務めた時期があったとされる。この真偽は定かではないものの、彼がルイ14世に強い思い入れがあったことは著書から明らかである。  彼の唯一の著作は『アンリ2世からルイ大王までの歴史とノストラダムス予言集との一致』である。これは1693年に刊行され、1709年と1712年に再版された。  ノストラダムスの予言を熱烈に信奉したがゆえに、ピエール・ガッサンディ(未作成)やジャン・ド・スポンド(未作成)といったノストラダ...
  • アウクスブルク
     アウクスブルク(Augsburg)はドイツ、バイエルン州の都市。ドナウ川の支流にあたるレヒ川とヴェルタハ川の合流点に発達したドイツ最古のローマ植民都市のひとつである。日本では慣例的に「アウグスブルク」と表記されることもある。 概要  紀元前15年にローマ皇帝アウグストゥスの一族によって建設された都市で、当時はアウグスタ・ウィンデリコルム(Augusta Vindelicorum)といった。現在名アウクスブルクはそれが転訛したものである。のちに司教座都市となり、1276年には帝国直轄の自由都市となった。  中世を通じて商業が成長し、豪商フッガー家、ヴェルザー家の活動拠点ともなった。16世紀にはカトリック、プロテスタントの融和を目指した宗教会議の開催地となり、1555年には「アウクスブルクの宗教和議」が成立した。  三十年戦争を経て衰退したが、ドイツ産業革命期に工業が成長し...
  • すべてのジュネーブ
    「すべてのジュネーブ」は、詩百篇第9巻44番に登場するとして、日本で広く知られる語。  だが、実際にはそれは五島勉の『ノストラダムスの大予言』によって広まった誤訳に過ぎない。 目次 原文と翻訳 五島勉『ノストラダムスの大予言』の訳と解釈 訳の検証英語訳との比較 はずされていたハシゴ 象徴的な解釈は成り立つのか 世界保健機関(WHO)は予言されているのか 命令形は珍しいのか 原文と翻訳  該当する原文と、当「大事典」が提供する訳文は以下のとおりである(詳しい異文や語註などは詩百篇第9巻44番の記事を参照のこと)。  Migres migre de Genesue trestous,  Saturne d or en fer se changera,  Le contre RAYPOZ exterminera tous,  Auant l a ...
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