ノストラダムスの予言絵画 は、1982年にローマの国立中央図書館で発見された80枚ないし82枚の水彩画からなる文書の通称である。正式名は『息子セザールに宛てた未来のキリストの代理者に関するミシェル・ノストラダムスの予言』(Vaticinia Michaelis Nostradami de Futuri Christi Vicarii ad Cesarem Filium)、海外では略して『ノストラダムスの予言』(Vaticinia Nostradami)とも呼ばれるが、日本語訳したときに紛らわしいので、当「大事典」では「予言絵画」としておく。
 タイトルは手書きだが元々あったものではないらしく、
オッタービオ・チェーザレ・ラモッティ によれば、奥付とは筆跡が異なり、1689年以降に書き加えられたものだという。
 
 センセーショナルに「失われた予言書」、「新たに発見された書」などと持て囃す向きも一部には見られるが、実証主義的な論者からはほとんど無視されているに等しい。これは都合が悪いので黙殺しているといったことではなく、ノストラダムス本人と結び付けるべき根拠に乏しいためであろう。
 実際、例外的に言及している
ピーター・ラメジャラー は偽作と一蹴していた。
発見 
 蔵書番号は、「ヴィットーリオ・エマヌエーレ文庫307番」(Fondo Vittorio Emanuele 307)である。
 図書館には1888年にピヴォリという人物が持ち込んだという記録があるという。
来歴 
 カルトゥジオ修道会の図書館員による写本の後書きに拠れば、この写本はキヌス・ベロアルドゥスという修道士が、枢機卿マッフェオ・バルベリーニ(後の教皇ウルバヌス8世、在位1623年 - 1644年)に献上したものである。添え書きは更に、絵画群がノストラダムスの手になるもので、息子の
セザール・ド・ノートルダム によって献上品として
ローマ に持ち込まれたことを仄めかしているという。
 絵画は80枚だが、のちに2枚加えられたという。
オッタービオ・チェーザレ・ラモッティ は、絵画の中にはノストラダムスが創作の源泉とした彼以前の時代のものも含まれているが、大半はノストラダムス自筆の水彩画だと主張している。
 また、ラモッティは絵画それぞれに対応する予言詩が添えられているとも述べており、彼の著書では各詩の解説が行われている。
 これらはウルバヌス8世から後のローマ教皇を表現しているという。
説明に対する懐疑的検討 
ノストラダムスが描いたのか 
 信奉者の側には、ノストラダムスは指示を出しただけで、実際の描き手は画家でもあった息子のセザールとする説もある。しかし、セザールによって、
ニコラ=クロード・ファブリ・ド・ペーレスク(未作成) に送られた手紙も現存しており、そこでは画家でもあったセザール自身のミニアチュール作品についてであるとか、国王ルイ13世に献上する予定の小冊子のことなどが語られているが、予言絵画との関連を窺わせるようないかなる言及も見出しえない。セザールの手紙は、写しも含めてほかにもいくつも伝わっており、中にはセザール自身や兄弟の生没年を特定する上で大きく貢献した書簡などもあるが、いずれでも、この水彩画集には触れられていない。
 また、セザールのタッチはかなり細密なものであることが専門家によって指摘されているが、水彩画のタッチはかなり雑である。
 また、テレビ番組『緊急警告!!2012年人類破滅!?ノストラダムス最後の大予言SP』(日本テレビ、2009年12月22日放送)では、ライオネル・リモセンというノストラダムスの知人の画家が描いたとしていたが、根拠は不明である。ラモッティの著書ではこの人物への言及はない。また、
エドガール・ルロワ 、
イアン・ウィルソン らの実証的な伝記の中で、リモセンという画家に触れたものは見当たらない。
 さらに、枢機卿時代のウルバヌス8世に献上された予言が、ちょうどウルバヌス8世が教皇になることから始まっているというのもできすぎだろう。
対応する予言詩は真実か 
 次にラモッティの説明が奇妙である。
ラモッティは対応する詩の1つとして百詩篇第7巻43番 を引用している。しかし、この詩の初登場はどんなに早くとも1610年代のことである。韻律も大きく崩れており、本物と見なしうる根拠に乏しい。 
彼は六行詩 も1篇引用している。しかし、六行詩は1600年代初頭に登場した偽作の疑いが極めて強い代物である。しかも、ラモッティはそれを第11巻として紹介しているが、その位置づけは1611年版『予言集』が勝手にやったことである。 
彼はまた予兆詩集 からも6篇引用しているが、予兆詩は1555年から1567年の年数が添えられたその年向けの予言なので、17世紀以降のローマ教皇と関連付けるのは無理がありすぎる。秘書シャヴィニーは予兆詩の適用範囲を「100年ほど」(つまり17世紀半ばまで)と勝手に拡大したが、ラモッティの解釈はこの時期設定からさえも逸脱しており、話にならない。 
また、ラモッティの引用している予兆詩は、どれもシャヴィニーの書き換えを踏まえたもので、オリジナルの予兆詩とは明らかに乖離した異文を含んでいる。シャヴィニーの書き換え版が世に出回ったのは、ノストラダムスの死後30年近くたってからのことである。 『全ての教皇に関する預言』との一致 
 さらに根本的な点として、デザインの問題がある。
 予言絵画には『
全ての教皇に関する預言 』の単なる模写でしかない絵画が少なからず含まれている。この点は、
エルマー・グルーバー(未作成) も研究グループのメーリングリストで指摘したことがあるらしいが、その類似性は誰の目にも明らかである。いくつか例示しておこう。
 以下で主に比較の対象とするのは、(1)『教皇預言書』の古写本(大英図書館に残るアルンデル写本)、(2)ノストラダムスの予言絵画、(3)『教皇預言書』の印刷版(
ヴェネツィア 、1589年)である。アルンデル写本や予言絵画は本来カラーだが、デザインの比較が行えれば差し支えないため、モノクロで引用する(なお、『教皇預言書』の図版名はエレーヌ・ミレのものを使わせていただいた)。これ以外の図版を引用する際には、そのように断っている。
【左】『教皇預言書』第14図「神の手」
【左】『教皇預言書』第15図「恐るべき獣」
【中央】ノストラダムスの予言絵画第18図
【右】『教皇預言書』印刷版
 ラモッティはこの怪物をピウス6世(在位1775年 - 1799年)と捉え、「怪物」はフランス革命の支持者から見たイメージとした。
 しかし、明らかに『教皇預言書』第15図「恐るべき獣」とほぼ同じである。それも、円月刀のような飾りのある写本より、帽子をかぶっている印刷版に近い。
 元々『禿頭よ登れ』全15枚の最後を飾っていた
反キリスト の図像であり、『教皇預言書』においては既に過去になっていたウルバヌス6世(在位1378年 - 1389年)を指すものとして、強引に再定義された。彼の在位期間中に教会大分裂が起こったことを象徴的に示したなどとして解釈されることがあるらしい。
【左】『教皇預言書』第19図「三本の円柱」
【左】『教皇預言書』第20図「鎌を持つ修道士」
【左】『教皇預言書』第23図「二つの軍の都市」
【左】『教皇預言書』第25図「差し延べられた手の町」
【中央】予言絵画第4図および第29図
【右】『教皇預言書』印刷版
 ラモッティは、ここに描かれている城塞をローマと解釈し、イタリア統一に際して教皇ピウス9世が篭城したのに対し、イタリア軍が力ずくで迫ったことを予言しているとした。
 しかし、『教皇預言書』第25図との一致は明らかで、教会を思わせる建物が描かれた写本よりも、城門のような建物が描かれた印刷版と強い一致を示している。また、手の向きや並び、入口の道の向きについても同じことが言えるだろう。
 この絵に添えられた文章には「7つの丘の町」という言葉があるので、ローマと解釈すること自体は妥当である。しかし、本来は前出のローマへの裁きに続く光景を描いたもので、
天使教皇(未作成) 出現に先立つ光景と位置付けられていた。
 ところで、『教皇預言書』における都市の図版は、より古い写本における「空白の玉座」(とリーヴスが呼んでいる図版)を差し替えたものである。この「空白の玉座」というモチーフは、『レオの神託』以来のモチーフでもある。これは、ラモッティが「主を欠いた冠」として紹介している予言絵画とおおまかなモチーフが近いようにみえないこともない。
【左】『教皇預言書』ドゥース写本の「空白の玉座」
【左】『教皇預言書』第26図「裸の教皇」
【左】『教皇預言書』第29図「威厳ある教皇」
【左】『教皇預言書』第30図「秣を食む獣」
【左】ノストラダムスの予言絵画第35図
 以上、仮に予言絵画が本物だったとしても、『教皇預言書』の丸写しを多く含んでいることは明らかである。特にノストラダムスの死から20年以上後に出版された印刷版と近いという事実は、ノストラダムス自身が模写した可能性にも疑問を投げかける(ただし『教皇預言書』は現存する写本だけで70を超えるので、ある程度の類似性だけで結論付けることはできない)。
 万一、これが本物の予言絵画だとして、解釈者の読み方が正しいなどとどのようにして証明できるというのだろうか。
 予言絵画には『教皇預言書』に含まれていない図柄も確かにいくつもあるが、以上見てきたように何の拘束も持たない図柄は恣意的に解釈するほかはないので、確定的な解釈は不可能だろう。
 なお、『教皇預言書』に含まれない図柄が全てオリジナルなのかはよく分からない。16世紀から17世紀は、『エンブレマタ』を嚆矢として様々なエンブレム・ブック(寓意画集)が出版されていた時期でもある。そういった本の寓意画から借用された可能性も考慮に入れるべきだろう。
【左】予言絵画第15図および第46図
 第15図および第46図に描かれた燃える塔の図は、かつてラモッティが湾岸戦争時のイラクの油井火災と解釈していたものだが、2001年以降、911の世界貿易センタービルの惨状を予言したものと、主張を変えたようである。 
 2012年を予言したとされるザリガニなどが描かれている図柄にしても、2012年を導く解釈は論者によってまちまちである。『週刊世界百不思議』では1992年から2012年に月食がくり返し起こる中で日食が三度起こることから、2012年を導き出した。
参考文献 
【画像】Nostradamus : The lost manuscript  表紙
【画像】『中世の預言とその影響』カバー表紙
Hélène Millet [2004], Les successeurs du pape aux ours : histoire d'un livre prophétique médiéval illustré , Brepols  Marjorie Reeves, “Some Popular Prophecies from the fourteenth to the seventeenth centuries”(The Prophetic Sense of History in Medieval and Renaissance Europe , 1999, VI) 
【画像】Lost Book of Nostradamus (The History Channel)[DVD][Import] 
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最終更新:2010年01月08日 23:03