諸世紀

 『諸世紀』(しょせいき)は、ノストラダムスの主著『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』の日本における俗称。五島勉の『ノストラダムスの大予言』によって、広く人口に膾炙した。単語の意味からただちに誤訳といえるわけではないが、本来の文脈からすれば明らかに不適切な訳である。

日本での受容の経緯

前史

 『予言集』の主要部分は各巻ごとに Centurie (サンチュリ)と名付けられた四行詩集であり、その複数形 Les Centuries(レ・サンチュリ)は、『予言集』そのものを表す通称としても用いられている。フランスの代表的な百科事典『ラルース百科事典』などでも、その意味での項目が立てられている。

 Centurie の語源はラテン語のケントゥリアで、フランス語の「サンチュリ」(Centurie)はそこから派生したものである。サンチュリの本来の意味は「百の集まり」であり、各巻に詩が百篇あることにちなんでいる。
 日本でノストラダムスがそれほど知られていなかったときには、フランス文学者の渡辺一夫澁澤龍彦(未作成)はこれを「詩百篇」「百詩篇」などと訳していた。しかし、英語圏の文献であったカート・セリグマン(未作成)の『魔法』を1961年に訳した平田寛は、英語で「世紀」を意味する Century と混同したためか、これを「諸世紀」と訳出した*1

 フランス語のサンチュリにも確かに「世紀」の意味はあるものの、本来は詩を百篇集めたことから付けられた名称であるため、これを「世紀」の意味にとるのは誤訳である*2

ノストラダムスの大予言

 五島勉は、発売3か月余りで100万部を突破した『ノストラダムスの大予言』(祥伝社、1973年)において、ノストラダムスの予言集を「諸世紀」と訳しただけでなく、その原題は Les Siècles (Siècleはフランス語で「世紀」を表す一般的な語)であるとした。

 初の仏和対訳版となった『ノストラダムス大予言原典・諸世紀』(たま出版(未作成)、1975年)でもこれが踏襲され、「諸世紀」という訳称のみでなく、Les Siècles という誤った原題までがカバーに書かれた(現在の新装版カバーには書かれていないが、本体の表紙には書かれている)。

 Les Siècles という原題までも採用した論者は非常に限定的ではあったものの、「諸世紀」という名称自体は広く用いられ、広辞苑や世界大百科事典(平凡社)などでも採用されていた。また、筑波大学教授(当時)の仏文学者竹本忠雄のように、誤りと知りつつも、人口に膾炙しているからという理由で、あえて『諸世紀』を用いる者も現れた*3

論争

 1990年代に入ると志水一夫などが、「諸世紀」は誤訳であって「百詩篇集」とでもすべきだ、またそもそも Les Siècles は五島による創作された原題であるとする論陣を張った*4

 五島はこれに対し、次のような反論を展開した*5
  • 『予言集』の原題は「ノストラダムス師の大予言」であり、そのまま訳すと、自分の著書『ノストラダムスの大予言』と区別が付けにくくなると考えた。
  • そこで百詩篇第2巻46番に Les Siècles という語が出てくることを元に、世界がいつまでも続くようにとの願いを込めて「諸世紀」という題名を、自分でつけた。
  • 「百詩篇集」自体が通称であって、そんな刊本はなかった。あるなら表紙の写真だけでも示してほしい。
  • ノストラダムス自身は『予言集』全体をあらわす名称をつけていない。それはあくまでも当時の版元がつけたものに過ぎないので、本当の題を議論することにさしたる意味はないはずだ。

 これに対しては、志水一夫や山本弘が次のような反論を寄せた*6
  • 原題は「ミシェル・ノストラダムス師の予言集」であって、混同は生じない。「大予言」という原題の刊本があったのなら、それこそ表紙の写真を見せてほしい*7
  • 過去の高橋克彦(未作成)との対談では、五島は「レ・サンチュリ」をもとに「諸世紀」という訳を黒沼健や自分が使ってきたと主張しており、原題自体を自分でつけたとは一言も言っていない。そもそも対談時の発言自体に嘘がある(黒沼は「諸世紀」とは呼ばなかった)。
  • 自著の題と混同するのを恐れたのなら自著の題を変えるべきで、断りもなしに原書の題を変えるのは、非常識である。
  • 五島は『ノストラダムスの大予言』初巻では、第2巻46番の Les Siècles を「時代」と訳しており、「諸世紀」とは訳していないため、釈明の説得力に疑問がある。

 五島はノストラダムス自身はつけていないと主張しているが、実際には『予言集』の第一序文で自著を「我が予言集」(mes Prophéties)と呼んでいる。また、秘書だったジャン=エメ・ド・シャヴィニーも、ノストラダムス自身が『予言集』(Les Prophéties)とつけたと証言している*8。海外の書誌研究などでは、Les Prophéties を版元がつけたと注記しているものはない。

 なお、日本以外での校定版の成果などを取り入れた高田勇伊藤進による抄訳ながら優れた訳書『ノストラダムス予言集』(岩波書店、1999年)では、全体を表す名称として『予言集』が採用されている。

海外の用例

 2010年に出版された『諸世紀 ― 《諸世紀》中的大預言』のように、中国でも同様の訳が当てはめられている。

 また、羽仁礼(未作成)によれば、英語からの転訳によるものか、アラビア語でも同様の誤訳をするものがいるという*9


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最終更新:2010年10月11日 14:04

*1 志水 [1998] pp.13-14

*2 高田・伊藤 [1999] p.333

*3 竹本忠雄 監訳『ノストラダムス・メッセージ II 』(ヴライク・イオネスク 著、角川書店、1993年)p.244の訳注

*4 志水 [1997] pp.151-155

*5 五島勉『ノストラダムスの大予言・最終解答編』祥伝社、1998年、pp.224-226

*6 志水 [1998] pp.21-25, 山本 [2000] p.54

*7 フランス史の専門家の中には、宮下志朗のように Les Prophétiesを「大予言」と意訳する者もいないわけではない(cf. 宮下『本の都市リヨン』)。

*8 Chavigny[1594] p.6. ただし、シャヴィニーの証言には様々な誤りが指摘されているので、これも真実かどうかは分からない。この点について実証的な検証は行われていない。

*9 メールマガジン「新★0界通信」バックナンバー「アラブの川尻徹