トラキア

ノストラダムス wiki : ノストラダムスの大事典内検索 / 「トラキア」で検索した結果

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  • トラキア
     トラキアは古代ギリシアの地方名。古代の区分では、黒海、マルマラ海、エーゲ海、マケドニアに区切られた地方を言った。現代のトラーキ地方に対応するが、これは古代のトラキアの南部に対応する言葉になっており、マリツァ川を境界としてギリシア領(西)、トルコ領(東)に分かれている(*1)。 【画像】トラキアの歴史的区画(色が濃い部分)と現在の国境線(*2) 名前 コメント
  • Cherronnesse
    ...ソネスス・トラキカ(トラキア半島)とは、現在のトルコ北西部に位置するゲリボル半島(Gelibolu / Gallipoli)のことである(*1)。  『羅和辞典』で Chersonnesus を引くと、トラキア半島とケルソネスス・タウリカ(現在のクリミア半島)の2つが挙げられている。 登場箇所 第3巻68番(未作成) 第5巻90番  押韻と関係のない場面では Chersonnez とも綴られている(詩百篇第9巻91番)。 ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
  • ニコポリス
    ...ンティオキア近郊)、トラキアのニコポリス(現ブルガリア国境近く)なども可能性があるという。ことに、トラキアのニコポリスは中世の写本家たちが有力視していたらしい(*4)。  この叙述から、聖書信仰の立場では、パウロがテトスとともにギリシアで伝道する際の拠点にする意図だったとも推測されている(*5)。他方で、リベラル派に拠ればテトス書はパウロの名を借りて別人が作成した擬似パウロ書簡であることを疑われているので、その立場からはパウロ自身の言かどうかが疑われている(*6)。 ノストラダムス関連  『予言集』ではフランス語式に綴ったニコポル(Nicopolle)が、百詩篇第9巻91番のみに登場している。 名前 ...
  • マケドニア
    ...アの北に位置し、東をトラキア、西をイリュリアに接していた。紀元前4世紀のフィリッポス2世およびアレクサンドロス大王の時代に空前の版図を誇ったが、大王の死後は急速に衰え、紀元前2世紀にはローマに屈し、マケドニア属州となった(州都はテサロニケ)。  使徒パウロが最初に足を踏み入れたヨーロッパの土地であり、パウロ書簡の名前にもなっているテサロニケ、フィリピはマケドニアに含まれる。また、その時代にはテッサリアもマケドニアに含まれた(*1)。  現在はギリシアの北にある共和国がマケドニアを名乗っているが、この国号についてはギリシアが反対しており、国際連合加盟に際しては「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国」と名乗った(*2)(現在は「北マケドニア共和国」と改称)。 ノストラダムス関連  『予言集』では百詩篇第2巻96番(未作成)に Macedoine として登場する。  百詩篇...
  • ピロメラ
    ...の娘で、姉プロクネはトラキア王テレウスに嫁いだ。  テレウスはピロメラも見そめ、プロクネに内緒で小屋に幽閉し陵辱した。ピロメラは泣き叫び、テレウスを糾弾したことから、激昂した彼によって舌を切られてしまう。  その後、1年ほど幽閉されていたが、布に自らの苦境を表す模様(または文字)を織り込むことを思いつき、人を介してその布をプロクネに届けることに成功する。  プロクネはテレウスに気付かれないようにピロメラを助け、テレウスへの復讐として、イテュス(テレウスとプロクネの息子)を殺害し、料理にしてテレウスに食べさせた。  食後に真実を知らされたテレウスは、ピロメラとプロクネを殺害すべく追いかけるが、その途中でヘスティアの力によってプロクネは燕、ピロメラは夜鳴鶯、テレウスはヤツガシラに変身した(変身した鳥には異伝もある)。  夜鳴鶯は美しい声で鳴くが、これは舌を切られて口...
  • 地名一覧
    ...ルーズ トスカーナ トラキア* トラブゾン トリノ ドール トレビゾンド → トラブゾン な ナポリ ナルボンヌ ナント(未作成) ニコポリス* ニース(未作成) ニュルンベルク ネー(未作成) は バイヨンヌ パヴィーア バエティカ* → 詩百篇第3巻20番 バスタルニア* → 詩百篇第3巻57番 バーゼル バチカン パドヴァ バビロン(バベル)* パリ パルマ パレルモ パンノニア* パンピュリア(パンフィリア、パンフリア)* ビゴール ピサ ビュザンティオン(ビュザンティウム、ビザンティウム)* → イスタンブル ピレネー(未作成) フィエーゾレ フィレンツェ フェズ(フェス、ファス) フェッラーラ(フェラーラ) フォワ フランクフルト フランドル ブレッシャ(ブレシア) ブロワ ヘスペリア* ベネチア → ヴェネツィア ペリゴール ペリントス* ペルシア(ペルシャ)* ペ...
  • ディオニュソス
    ...起源は未詳であるが、トラキア、プリュギア、リュディア各地方との関連が想定されている。ディオニュソスの語源は一説には「天神の息子」であり、実際、ゼウスを父とするのが一般的ではあったが、古い時期のオリンポス十二神には含まれていなかった。  母親についてはいくつかの説があるが、テーバイのカドモス王の息女セメレーとされることがしばしばである。このセメレーはプリュギア語の大地母神の名から来ており、本来のディオニュソスは天と地の息子と見なされていたらしい。現在知られるテーバイ王女セメレーの話では、ゼウスの妻である嫉妬深いヘラの詭計にそそのかされたセメレー自身の軽率な申し出によって、セメレーは命を落としたものの、腹の中にいたディオニュソスは無事に生まれてきたとされている。  ギリシアにこの信仰が流入した際には各地で抵抗が見られたとされ、その祭儀には、保守的な勢力が抵抗を示すような要...
  • 予兆詩第139番
    ... 敵はひどく怯えてトラキアに後退する、 悲鳴、怒号、掠奪、荒廃を残しつつ。 海と陸で喧騒が止む。宗教は生気を失う。 ユピテル主義者は潰走させられ、宗派全体が取り乱す。 訳について  校訂されたmarcieはmarcirの過去分詞女性形と見なせる。  marcir は、古フランス語で「しおれる、しなびる、生気を失う」(se faner, se fletrir)の意味である(*3)。  4行目の mettre en route は現代フランス語の成句では「(機械を)始動させる」「(事業を)開始する」などの意味で、信奉者側には「参戦する」と訳したヴライク・イオネスクのように、それに近い読みをする者もいる。  だが、中期フランス語では「潰走させる、敗走させる」(mettre en déroute)を意味する成句だった(*4)。 信奉者側の見解  ジャン=エ...
  • 百詩篇第6巻6番
    ...タリア沿岸を荒らし、トラキア地方に退却している。また、1534年にはローマ教皇クレメンス7世が逝去しており、こうした事件の予兆として、1531年ないし1533年の彗星が位置づけられていると見るわけである(*5)。  スーザが沿岸からは離れすぎていることをはじめ、地理的な同定の仕方に疑問もあるが、ピーター・ラメジャラーやブリューノ・プテ=ジラールもこの見解を支持している。  ジャン=ポール・クレベールもおおむね同じ見解で、彼は最後の「夜が失せる」について、夜が明けることを表現しているというよりも、天体現象で昼間のように明るくなることを表現したものではないかとした(*6)。 【画像】ボイオティアは地域の名前なので、主要都市だったテーバイの位置で示している。 ...
  • リュキア
     リュキア(Lycia, Lykia)は小アジア南西部の半島状に突き出た部分を指す古い地名。紀元前14世紀から13世紀頃のリュキア人は、ヒッタイト人とギリシア人の両勢力圏に挟まれていたことが、当時の楔形文字の記録から分かる。紀元前8世紀には都市連合体としてのリュキア同盟が成立し、アケメネス朝ペルシアに屈した後も自治は認められていた。西暦43年にはローマ領となった。北部はタウロス山脈に連なる山岳地帯だが、クサントス川流域はかつて肥沃で、パタラ、ミュラなどの通商上の重要港の発展を促した(*1)。  『新約聖書』では、パウロがローマに移送される際の寄港地ミュラが所在する地名として言及されている(『使徒言行録』27章5節)。また、リュキアへの直接的言及ではないが、第3回伝道旅行の帰途の通過点の一つとしてパタラへの言及がある(『使徒言行録』21章1節)(*2)。日本語訳聖書では、岩波委員会訳...
  • トゥスキア
     トゥスキア (Tuscia) は古代イタリアの地名である。  エトルリアの異称(ローマ人たちによる呼び名)であり、現在のトスカーナ地方とおおむね重なる(*1)。トスカーナはトゥスキアが転訛したものである(*2)。 登場箇所  ノストラダムスはトゥスキアをフランス語化したチュシー (Tuscie) という語を使っている。『予言集』では以下の2篇に登場している。 詩百篇第2巻84番(未作成) 詩百篇第3巻42番  ノストラダムスがどういう基準でトスカーナとトゥスキアを使い分けていたのかはよく分からないが、上の2篇を見ての通り、初版収録分のみでしかトゥスキアを使っていない。 ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
  • アンティオキア
     アンティオキア(Antiochia)は古代シリアの都市。現在はトルコ、ハタイ州の州都アンタキヤにあたる。  アンティオキアはラテン名で、古代ギリシア名はアンティオケア(Antiochea)。当「大事典」では、日本で慣例的に多く使われるラテン名のほうを採用した。 概要  セレウコス朝シリアの首都として、セレウコス1世が紀元前300年に建設した。オロンティス川河口付近に栄えた商都で、その後、シルクロードの終着地の一つなどとして繁栄したが、紀元前64年にローマに滅ぼされ、シリア属州の州都となった。  その後も繁栄は変わらず、初期キリスト教の重要な拠点として『新約聖書』にもその名が登場する。同書の使徒行伝(使徒言行録)では、最初の異邦人(非ユダヤ人)キリスト教会が設立された都市とされ、パウロの第1回・第2回伝道旅行の出発点になった。また、マタイによる福音書のように、アンティオキ...
  • 聖マラキの予言
     聖マラキの予言、正式名「全ての教皇に関する大司教聖マラキの預言」は、1595年に公刊された予言文書。アルノルド・ヴィオンの『生命の樹』に収録されており、12世紀の聖人マラキの予言という体裁が取られていたが、実際には1590年頃に偽造されたものだろう。1590年の選挙を巡っては、マラキ以外にも聖ブリギッタなどの過去の聖人を引き合いに出した偽預言が出回っていたことが明らかになっているし、「歴代教皇の予言」 というのは、16世紀には何種類も出回っていた、ごくありふれたモチーフだった。 【画像】 『中世の預言とその影響』。高額だが、教皇予言の背景を論じた数少ない日本語文献のひとつ。  マラキの予言は短いラテン語のフレーズ111と最後の散文からなり、歴代ローマ教皇を言い当てているとされている。前教皇ベネディクト16世 (在位 2005年 - 2013年) に対応するのは 11...
  • ヒエラルキア
     ヒエラルキア (Hierarchia) はラテン語の単語。英語式にはハイアラーキ (hierarchy)、フランス語式にはイエラルシー (Hiérarchie)、ドイツ語ではヒエラルヒー (Hierarchie)で、日本語では慣例的にヒエラルキーとも呼ばれる。  現在では「階級制」「階層制」などを示す一般的な名詞であり、社会科学においてピラミッド型の権力構造を指す時には「階統制」と訳される(*1)。  しかし、ラテン語の本来の意味は「神聖なものの統治」を意味し、5世紀頃の著作と見なされるディオニュシオス偽書における「天上の位階」「地上の位階」についての使用例が初期のものとして挙げられるという。ローマ・カトリック教会においては、叙階や統治権の位階を指す用語として使われる(*2)。 登場箇所  ノストラダムス『予言集』では以下の登場例がある。 hierarchie ...
  • 詩百篇第9巻
    ...5 アンブラキアとトラキア地方からの 人々に、海からガリアの災いと救いが。 プロヴァンスには不朽の痕跡が、 彼らの慣習と法の名残とともに。 76 貪欲で血塗られた黒き者とともに、 非人間的なネロの藁布団から生まれた者。 二つの川の間、軍隊の左翼(にて) (ある者が) 若き禿頭に殺されるだろう。 77 王国が奪われ王は招くだろう、 投票する陪審員たちによって死ぬ囚われの婦人を。 王妃の息子は生命を拒まれるだろう。 そして愛妾がついには正室となる。 78 ラーイスの美しさを備えたギリシアの婦人は、 引きも切らない求婚者たちによって幸せに。 国外ではイスパニアの王国近くに移され、 幽囚の身で死ぬ。惨めな死。 79 艦隊の指導者は欺瞞と駆け引きとによって、 臆病者たちを彼らのガレー船から出てこさせるだろう。 出た者た...
  • パンピュリア
     パンピュリア(Pamphylia)は小アジア南部、西をリュキア、東をキリキア、北をピシディアに囲まれた沿岸部を指す古い地名。ピシディアやリュキアは時代によっては、パンピュリアの一部とされたこともある。パンピュリア人は紀元前1世紀には海賊行為で周囲を荒らしたが、ローマに屈し、その属領となった(*1)。  パンピュリア地方のアンタルヤ(古称アッタリア)は、現代トルコ南岸では最大の港町となっている(*2)。  『新約聖書』ではパウロの第1回伝道旅行の宣教の地として、パンピュリアのアッタリアとペルゲに言及されている(『使徒言行録』13章13節、14章24・25節)。また、ペルゲはヨハネ・マルコ(『マルコによる福音書』の著者とされる人物)がパウロと別れて帰途に着いた場所としても言及されている(*3)(『使徒言行録』13章13節。田川建三はこの別れについて、他の記述と関連付けつつ、パウロと...
  • トラブゾン
     トラブゾン (Trabzon) はトルコ、トラブゾン県の県庁所在地。トレビゾンド (Trebizond) とも呼ばれた。 概要  紀元前7世紀にシノペ(現トルコのシノプ)のギリシア人たちが植民都市を築いたのが最初で、古くはトラペズス (Trapezous / Trapezus) と呼ばれた。黒海に面した海と陸の交通の要衝として栄えた。また、後背地の山脈は海からの湿潤な風を阻み、トラブゾンに豊かな降雨をもたらし、農林業の発達にも寄与した。  第四次十字軍による東ローマ帝国の首都コンスタンティノープル陥落の際には、アンドロニクス1世の孫アレクシオスらによって亡命政権、トレビゾンド帝国(1204年 - 1461年)が築かれた。この小国はパライオゴス朝によるコンスタンティノープル奪還後も独立政権として存続したが、オスマン帝国によって滅ぼされた。  現代では海と陸に加え、空...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (1698年リヨン)
     『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』は1698年にもリヨンで出版された。リヨンでは初版以来連綿と『予言集』が再版され続けてきたが、これを最後にリヨンでの再版は1984年まで途絶えることになる。 【画像】第一部の扉(左)と第二部の扉(右)(*1) 正式名 第一部 LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAMUS,Dont il y en a trois cens qui n ont jamais esté imprimées. Ajoustées de nouveau par ledit Autheur. A LYON. M. DC. LXXXXVIII. ミシェル・ノストラダムス師の予言集。前述の著者によって新たに加えられた未刊の300篇を含む。 リヨン。 1698年 第二部 LES PROPHETIES DE M. M...
  • ノストラダムスの2023年予言
    2022年予言―2023年予言―2024年予言 この項目ではノストラダムスの2023年予言について扱う。  毎年のことではあるが、ノストラダムスの『予言集』には、2023年と明記された予言はない。  ただし、この年をひとつの画期とみなす解釈書なども過去には見られた。 目次 以前の解釈例エミール・リュイール ヴライク・イオネスク マリオ・レディング 佐藤和也 前年からこの年にかけての解釈例書籍・雑誌などでの解釈 インターネット上の解釈 以前の解釈例 エミール・リュイール  エミール・リュイールは、『ノストラダムス 予言集1948-2023』(Nostradamus. Ses Prophéties 1948-2023, 1947年)で、タイトルの通りに2023年頃をひとつの区切り目とみなしていた。  アンリ2世への手紙や詩百篇第1巻17...
  • Uticense
     ユゼス(Uzès)またはその住民の古称に由来するという点で、諸論者は一致している。ただし、その綴りを、アナトール・ル・ペルチエはウテキア(Utecia)とし、エドガー・レオニはカストゥルム・ウケキエンセ(Catrum Uceciense)とし、マリニー・ローズはウケキエンシス(Uceciennsis)とするなど、細かい点は一致していない。  なお、ノストラダムスの造語かといえば、そうではない。ローズによれば、16世紀のモンペリエ大学の学籍簿では、ユゼス出身学生について Uticenses と書かれていたという。モンペリエ大学出身のノストラダムスにとっては、見慣れた綴りだったのかもしれない。 登場箇所 百詩篇第5巻58番 名前 ...
  • ベレロポン
     ベレロポン (Bellerophon, ベレロポーン) はギリシア神話に登場する英雄。ベレロポンテス (Bellerophontes, ベレロポンテース) とも呼ばれる。コリントス出身の見目麗しい若者だが、アルゴス地方でプロイトス王のもとに逗留していた時にトラブルに巻き込まれた。  プロイトスの妻アンテイアはベレロポンに惚れ、しつこく言い寄ったが、高潔な性格のベレロポンはそんなアンテイアの誘いを断り続け、強く叱責した。これを逆恨みしたアンテイアは自らの着衣を引き裂いてプロイトスのもとへ赴き、ベレロポンが自分に言い寄っただけでなく、手ごめにしようとしたと主張した。  プロイトスは妻の讒言を信じたが、王が客人を直接殺害するわけにも行かず、アンテイアの実父に当たるリュキアのイオバテス王への使いを頼んだ。ベレロポンはこれを引き受け、イオバテス王に書状を届けたが、その手紙でひそかに依頼さ...
  • リスボン
     リスボンはポルトガルの首都。  ポルトガル名はリズボア (Lisboa) で、日本での慣例的な呼称リスボンは英語 (Lisbon) である。フランス語名はリスボンヌ (Lisbonne)。 【画像】DVD 一度は訪れたい世界の街19 リスボンの旅/ポルトガル 概要  都市名の由来はフェニキア語で良港を意味する Alis-ibbo とされる(*1)。  その由来が示すように、古代フェニキア人の植民都市から始まったとされる歴史ある都市で、古代ローマ人、モール人などに属した時期もあった。 古代ローマ時代にはオリシポ (Olisipo) と呼ばれていた。  1147年にアフォンソ1世が領土におさめ、1256年以降はポルトガル王国の首都となった。  テージョ川の河口に発達した港湾都市で、大航海時代には新大陸への玄関口として繁栄し、その頃の栄華を伝えるジェロニモ...
  • カディス
     カディス (Cádiz) はスペイン南部アンダルシア地方カディス県の県庁所在地。  フランス語ではカディクス (Cadix) で(*1)、古代ローマ時代にはガデス (Gades) といった。 歴史  その歴史は前11世紀にフェニキア人が建設した商港から始まるとされ、カディスの名はフェニキア語の「城壁、囲い」に由来するという。前501年にカルタゴ、前201年からはローマの支配を受けた。  一時期衰退を経験するが、イスラームの進出によって再び繁栄し、レコンキスタによってキリスト教徒が奪取すると、その重要な拠点として機能した。  その後、大航海時代以降は、特権を付与されたアメリカ大陸との貿易で繁栄した。  スペインのアメリカ大陸植民地の相次ぐ独立などの影響もあって衰退したが、19世紀にはいわゆるカディス憲法制定の地となるなど、歴史的に重要な役割を演じた。  いまな...
  • ジョン・ホーグ
     ジョン・ホーグ(John Hogue, 1950年代- )は、アメリカのノストラダムス解釈者。プロのオペラ歌手でもあるという(*1)。  ノストラダムス予言のほか、『最後の教皇』(The Last Pope)という聖マラキの予言に関する著書や、聖書預言に関する著書も発表している。 【画像】『最後の教皇』表紙 ノストラダムス関連  「ノストラダムス三部作」として、 『ノストラダムスと千年紀』(Nostradamus and the Millennium, 1987)青木日出夫訳 『ノストラダムスの千年記』KKベストセラーズ、1987年 『ノストラダムス:新たなる啓示』(Nostradamus The New Revelations) 『ノストラダムス:全予言集』 を発表した。  その後もノストラダムス関連書の出版は行っており、 『エッセン...
  • ノストラダムス
     ノストラダムス、本名ミシェル・ド・ノートルダム(Michel de Nostredame alias Nostradamus, 1503年12月14日 - 1566年7月2日) は、ルネサンス期フランスの人文主義者で、少なくとも薬剤師・料理研究家、詩人、翻訳者、占星術師としての著作を発表し、自らは愛星家 (Astrophile)と名乗った。また、晩年には国王シャルル9世(未作成)の常任侍医と顧問に任命された。  日本では1999年の人類滅亡を予言した人物として知られているが、そもそもその根拠となった恐怖の大王が登場する詩篇は、本物かどうかすら、実証的には十分に評価が定まっているとは言いがたい。ノストラダムスの予言がその詩篇に収斂していくかのような認識は、それ自体が通俗的なトンデモ解釈の山によって生み出された妄想である。  1980年代以降、ルネサンス期の一人の人文主義者と...
  • 千代崎秀雄
     千代崎秀雄(ちよざき ひでお、1928年- )は、東京都出身の聖書学者。東京聖書学院卒業、青山学院大学大学院文学研究科聖書神学思想専攻博士課程修了、アジア神学大学博士課程修了。牧会学博士。東京中央教会牧師、東京聖書学院教授などを経て、東京聖書学院名誉教授、東京中央教会名誉牧師(*1)。  『新聖書註解(エズラ記、ネヘミヤ記、ナホム書~マラキ書)』(いのちのことば社)等の著作がある。 ノストラダムス関連  1990年代のノストラダムスブームに合わせ、聖書学者としての立場から『世紀末的状況と終末預言 どう考える?中東情勢・ノストラダムス(未作成)』(いのちのことば社、1992年)、『聖書のシナリオ(未作成)』(いのちのことば社、1999年)を出版した。 ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
  • パレルモ
     パレルモ (Palermo) はイタリア、シチリア島シチリア自治州の州都であり、パレルモ県の県庁所在地。フランス式にはパレルム (Palerme)。 概要  シチリア島のパレルモ湾に発達した都市で、その歴史は紀元前8世紀にフェニキア人が建設した都市に遡る。その後、ローマ、ビザンティン帝国などに組み込まれ、イスラーム勢力やノルマン人の侵略も受けた。  11世紀から12世紀にかけてシチリア王国が成立すると、その後めまぐるしく支配者を変えつつも繁栄した。現在のパレルモには時代ごとの様々な様式の記念建造物群が残っている。  現在は食品工業や繊維工業も発達している(*1)。 ノストラダムス関連  ノストラダムスの予言での登場箇所は以下の通りである。 詩百篇第2巻16番(未作成) 詩百篇第7巻6番 詩百篇第8巻9番(未作成) 予兆詩第19番(旧17番) ※記事への...
  • 偽ノストラダムス
     ノストラダムスの知名度にあやかり、一族の者でないにもかかわらず、ノストラダムス姓を名乗った偽ノストラダムスというべき人物は何人もいる。  16世紀には、少なくとも ノストラダムス2世 アントワーヌ・クレスパン・ノストラダムス フィリップ・ノストラダムス の3人が現れた。関連して、ノストラダムスの甥やノストラダムスの弟子を勝手に名乗った者たちも複数いた。  17世紀以降の暦書には、ノストラダムスの名を冠したものが多かったが、それらは当然ノストラダムス本人とは何の関係もない匿名のパンフレット作家たちの著作に過ぎない。  19世紀イギリスではガブリエル・ノストラデイマス、マーリン・ノストラデイマス(未作成)という2名が登場したが、少なくともガブリエルの方はノストラダムスとの血縁関係を主張するなどはしていないため、権威付けのペンネームにすぎなかったものと思われる。  権...
  • Nostradamus Maya 2012
     『ノストラダムス・マヤ・2012』(Nostradamus Maya 2012)は、2009年にバルセロナのロビンブック出版(Ediciones Robinbook)によって刊行されたスペンサー・カーター(未作成)の著書。エルネスト・フレルス(Ernesto Frers)によってスペイン語訳された文献だが、原著に当たる英語版などはないようである。2011年にペーパーバック版が出版された。 【画像】ペーパーバック版の表紙 内容  全編カラーページで、豊富な図版が挿入された三部構成になっている。  第一部「世界終末の予言」(La profecía del fin del mundo)で、ノストラダムス、聖マラキの予言、ホピ族の予言、チラム・バラムの予言などが扱われている。  第二部「謎の起源」(Un origen enigmático)では、アトランティスなど...
  • コルシカ島
     コルシカ島 (Còrsica) はフランス南部の島であり、オート・コルス県、コルス・デュ・シュド県の2県を構成する。フランス読みはコルス (Corse)、島民のことは小文字の corse で表すのだが、日本での慣例およびノストラダムスの時代の扱いなどを踏まえて、当「大事典」では (地方行政単位としての呼称を除いて)「コルシカ」 と表記する。 【画像】『コルシカ島の美しい歌』(CD) 概要  面積8,680 km2で、広島県よりやや大きい程度の島である。ポルト湾周辺の切り立った断崖と青い海がおりなす景観は、自然美や地質学的価値が認められてユネスコの世界遺産リストに登録されている。  古代フェニキア時代からの歴史を持ち、14世紀からジェノヴァ領、1768年以降はフランス領となっているが、伝統的にイタリア文化の影響が濃い。古くから農牧畜業が盛んである。  ...
  • 1980年代の日本のノストラダムス現象
    日本のノストラダムス現象 1980年代  この項目では1980年代の日本のノストラダムス現象について扱う。 概況  田窪勇人は日本のノストラダムス現象の第二期を1979年からとしている(*1)。この区切り方は妥当なものであるが、その幕開けとして位置づけられている五島勉の『ノストラダムスの大予言II』は、1979年の年末 (奥付では12月5日) となっているので、実質的な影響力の伝播は1980年以降のことであろう。『ノストラダムスの大予言II』の公称発行部数は少なくとも90万部以上となっており、以降のシリーズも含め、一定以上の影響力を持ったことは疑いない。  別のものに関するゆがんだ受容が広まったのもこの時期であり、新興宗教での利用にもつながっていく。新興宗教ということでいえば、のちにオウム真理教にも影響を及ぼす川尻徹がデビューし、旺盛に関連書を刊行したのは1980年代半ば...
  • ノストラダムス一族
    父方の先祖・親類 アストリュージュ・ド・カルカソンヌ(ノストラダムスの五世祖) ヴィタル・ド・カルカソンヌ(ノストラダムスの高祖父) アルノートン・ド・ヴェロルグ(ノストラダムスの曾祖父) ヴァンゲソンヌ(ノストラダムスの曾祖母) ピエール・ド・ノートルダム(ノストラダムスの祖父) トリスタン・ド・ヴェロルグ(ノストラダムスの大叔父) ブランシュ・ド・サント=マリー(ノストラダムスの祖母) ジョーム・ド・ノートルダム(ノストラダムスの父) フランソワ・ド・ノートルダム(ノストラダムスの叔父) アルルのピエール・ド・ノートルダム(ノストラダムスの叔父) カトリーヌ・ド・ノートルダム(ノストラダムスの叔母) バルトロメ・ド・ノートルダム(ノストラダムスの叔母) マルグリット・ド・ノートルダム(ノストラダムスの叔母) 母方の先祖・親類 ジャン・ド・サン=レミ(ノストラダムスの母方の曽祖父...
  • オグミオス
     オグミオス(Ogmios)は、ギリシア神話のヘラクレスにあたるケルト神話の英雄。  ヘラクレスとの違いは力強さの源泉で、雄弁さで人を従えることにあると考えられていた。  紀元2世紀の作家ルキアノスによる挿画では、禿頭の老人として描かれ、その舌先には後ろに従えた人々の耳とつながっている金の鎖がついている。これは従えられている人々がオグミオスの雄弁さに魅了されていることを示すという。  オガム文字を発明したアイルランド系の英雄オグマと同一とされる(*1)。  このシンボルはルネサンス期にもよく知られていた。  ルキアノスの紹介はエラスムスによるラテン語訳やジョフロワ・トリーによるフランス語訳によって流布され、当時の大ベストセラーであるアルチャートの『エンブレマタ』にも取り込まれた。  1549年に挙行されたアンリ2世のパリ入市式にもこのシンボルは取り入れられ、文治的な...
  • ノストラダムスの甥
     ノストラダムスの甥は、ノストラダムスの弟や妹の子供(男子)のこと。史料的に裏付けられる範囲では7人が確認できるが、いずれも特筆されるような業績は残していない。  しかし、16世紀半ばから17世紀初頭の偽ノストラダムスたちは、しばしば権威付けに「ノストラダムスの甥」と名乗った。ジャン・ド・ノートルダムはこのような風潮に対し、知人宛の手紙の中で、ノストラダムスの縁者であるかのように騙る占星術師たちはいずれも偽者であると断じている。  「ノストラダムスの甥」という名称はその後途絶えていたが、19世紀になると、暦書の名義として使われるようになった。『ノストラダムスの甥による1849年向けの絵入りの有用な予言暦』(Almanach Prophétique, Pittoresque et Utile pour 1849, Publié par neveu de Nostradamus...
  • ノストラダムス現象
     ノストラダムス現象は、ノストラダムスとその作品が影響を及ぼしてきた様々な事象のことである。  ノストラダムスは、『予言集』や翌年一年間を予言した『暦書』類などの形で様々な 「予言」 を残した。  彼の (主として暦書で展開した) 予言は同時代でも様々な反応を惹き起こし、とりわけ同時代においては批判者や中傷者、さらに便乗的な偽者や模倣者を生み出した。ノストラダムスの予言は死後も大事件のたびに便乗する者や政治的意図を持つ者たちが大きく採り上げ、現代に至るまで多くの便乗本や解釈書が刊行されてきた。  これらの原動力としては、当初は暦書が主体であったが、次第に『予言集』の影響が強くなっていった。その『予言集』は、18世紀末までに130種以上の版を重ねるという成功をおさめ、2022年現在では英語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語、ドイツ語、オランダ語、フィンランド語、スウェーデン語...
  • 詩百篇第1巻74番
    詩百篇第1巻 74番* 原文 Apres seiourné vogueront1 en Epire2 Le grand3 secours viendra vers Antioche4, Le5 noir poil crespe6 tendra7 fort à l empire8 Barbe d ærain9 le10 roustira11 en broche. 異文 (1) vogueront vagueront 1606PR 1607PR 1610Po 1627Di 1627Ma 1644Hu 1650Ri 1653AB 1665Ba 1716PR(a b), vagueron 1716PRc (2) Epire Empire 1588-89 1605sn 1611B 1612Me 1628dR 1649Xa 1672Ga 1716PR 1981EB,...
  • ノストラダムス2世
     ノストラダムス2世(Michel de Nostradamus le jeune, 1574年歿?)は、ノストラダムスに便乗した同時代の占星術師の一人である。本名や生年は不明で、ノストラダムス本人との血縁関係は一切裏付けられていない。また、「ノストラダムスの弟子」と自称していたが、この点も裏付けが取れない。  なお、Nostradamus le jeune は「若者(の方の)ノストラダムス」の意味である。普通「2世」は姓でなくファースト・ネームにつくものなので、むしろ「小ピット」「小デュマ」などにならって「小ノストラダムス」とでもした方が良いのかもしれないが、先行する文献に倣って「ノストラダムス2世」としておく。 【画像】ノストラダムス2世の肖像画(『20年間の予言』扉の木版画)(*1) 活動  記録上この名前を初めて確認することができるのは1568年のことである...
  • 百詩篇断片・1番
    シャストゥイユが伝えた百詩篇 1番 原文 Par les Espaignes SILADMER1 retourner Passer les Gades et les monts Pyrénées D’Hano2 punique le culme3 destorner Guillac4, Carces5 a Toulouse6 emmenées7. 異文 (1) SILADMER SILADMCV (Ruzo) (2) Hano Arno (Ruzo) (3) culme Calpre (Ruzo) (4) Guillac Guilhac (Ruzo) (5) Carces carcas (Ruzo) (6) Toulouse Toutouse (Ruzo 1975) (7) emmenées emmenée (Rollet) ...
  • コルドバ
     コルドバ (Córdoba) はスペイン、アンダルシア地方の都市で、コルドバ州の州都。  古称はコルドゥバ (Corduba) およびコロニア・パトリキア (Colonia Patricia)。英語名はコードウヴァ (Cordova)、フランス語名はコルドゥ (Cordoue) という。 概要  古来、交通の要衝で、語源はフェニキア語で「オリーブ油製造所」の意味だという(*1)。古代ローマ時代にはアンダルシア地方にあったローマ属州バエティカの首都として栄え、哲学者のセネカらを輩出した。  5世紀にヴァンダル人の西進によってその居住地となり、さらにそれを攻め滅ぼしに侵入した西ゴート人の勢力下に入った。  その後、ウマイヤ家のアブドゥル・ラフマーン1世が逃れてきて、756年に後ウマイヤ朝 (コルドバ・カリフ国) が成立すると、その首都として栄えた。1031年に後ウマ...
  • ノストラダムス協会
     ノストラダムス協会(l Association des Amis de Michel Nostradamus)は、1983年に組織されたフランスの研究グループで、会長はノストラダムス書誌学の世界的権威であるミシェル・ショマラ。  1983年2月8日付の官報に設立が公示されている。直訳すれば「ミシェル・ノストラダムス友の会」であるが、日本では「ノストラダムス協会」と意訳されることが多い。  年1回の割合で機関誌「ミシェル・ノストラダムス研究誌」(Cahiers Michel Nostradamus(未作成))を発行した(1983年-1988年)。機関誌以外にも、1555年版予言集の影印本である『ついに再発見された初版本!「予言集」(1555年)』(La 1ère édition enfin retrouvée! Les Prophéties (lyon, 1555)(未作成)...
  • サルデーニャ島
     サルデーニャ島 (Sardegna) はシチリア島に次ぐ地中海第2位の面積を持つ島であり、イタリアのサルデーニャ自治州を構成している。フランス式にはサルデーニュ (Sardaigne)。  紀元前16世紀ごろから作られたヌラーゲの住居跡は石造の防衛機構で、ス・ヌラーゲ・ディ・バルーミニの名でユネスコの世界遺産リストに登録されている。  紀元前7世紀にはフェニキア人が入植し、のちにローマ人たちも入植した。  6世紀以降ビザンティン帝国の支配下にあったが、のちにピサ、ジェノヴァといった都市国家の支配を受けるなど、様々な国の支配を受けた。  1861年にイタリアに統一。  最高峰プンタ・ラ・マルモラ (1834 m) をはじめとする山がちな地形で、古くから農牧畜業が主産業となってきた。  特に牧畜は、料理をはじめとする郷土文化とも深く結びついている(*1)。 ...
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  • 虹とノストラダムス
     『虹とノストラダムス』は、太田忠司の小説。2012年にPHP研究所から発売された。帯の惹句は「あの頃、僕たちは世界の終わりを信じていた」「『あの予言』に触れたすべての人に贈る物語」。 【画像】カバー表紙 コメント  粕谷知世の『終わり続ける世界のなかで』のように、日本のノストラダムス現象を題材にとった小説といえるだろう。  海外の場合、ノストラダムスその人を題材にした小説や演劇は古くからあるが、ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌやパコ・ラバンヌの解釈が惹き起こしたパニックを題材にした創作の話は、当「大事典」では確認していない。ノストラダムスその人よりも、五島勉の『ノストラダムスの大予言』が与えた社会的影響の方が創作の題材になりやすいという点も、日本のノストラダムス現象の特殊な側面を示すものといえるだろう。 文庫版  2016年5月に『明日、世界が終わると...
  • ノストラダムスの墓
     現在のノストラダムスの墓はサロン=ド=プロヴァンスのサン=ローラン教会(サン=ローラン参事会聖堂)にある。  しかし、もともとノストラダムスが遺言していた場所はそれと異なっており、移転されたのは1813年のことであった。 ノストラダムスの遺言  ノストラダムスは口述した遺言書の中で、次のように埋葬場所を指定していた(当「大事典」の区分でいう3節)。 本遺言人ミシェル・ノストラダムス師はその魂が肉体から召し上げられた暁には、その亡骸が前記サロン市の聖フランチェスコの修道院の墓所に丁重に葬られることを望み、また命じる。そして、その〔修道院の〕大扉と聖マルタの祭壇の間の壁に寄り添う墓碑または記念碑が作られることを望む。  「聖フランチェスコの修道院」とはフランシスコ会修道院のことである。  実際に、当初はフランシスコ会修道院附属聖堂でこの遺言の通りに埋葬されていたといい、...
  • ノストラダムスの弟子
     「ノストラダムスの弟子」は、同時代の暦書などに見られる名義だが、実体は不明である。 【画像】ノストラダムスの弟子(『1574年向けの暦』)(*1)  ノストラダムスと直接的に接点のあった人物で弟子と位置付けうる人物はジャン=エメ・ド・シャヴィニーしかいない。ただし、ノストラダムスは1561年の知人への書簡の中で、新しく雇った秘書として紹介している。  それ以外に「弟子」と呼びうる人物は確認されていないが、1560年頃には早くも『ミシェル・ノストラダムス師の弟子によって構成された1561年向けの暦』が登場している。  著者が名前を出さずに「弟子」を名乗る著書はほかに『ノストラダムスの一番弟子による1567年向けの真の占筮』と『ノストラダムス師の弟子による1574年向けの暦(未作成)』の2点を確認することができる。いずれも実体は不明である。  名前を名乗って...
  • ジャン・パトラソン
     ジャン・パトラソン(Jean Patrasson, ? - 1621年12月29日)はリヨンの出版業者。正確な活動時期は不明だが、アンリ・ボードリエは1573年から1592年までの出版物を挙げている。その一方で、ボードリエによると、1565年の結婚契約書の中にパトラソンが「書肆」(Libraire)として証人になっているものがあるとのことなので、実際の開始時期は1573年よりも前なのかもしれない。  他方で、終了時期は大差ないと思われる。彼はカトリック同盟の熱烈な支持者で、その立場からパリで出版された政治的パンフレット類を多くリヨンでも出版したものの、アンリ4世勝利後には出版事業自体から手を引いてしまったためである(*1)。 ノストラダムス関連  ノストラダムス本人の著書を出版したことはなかったようである。  アントワーヌ・クレスパンの『フランス王国に訪れるに違いない三百年以...
  • ミュシア
     ミュシア(Mysia)は小アジア北西部の古い地名で、アイオリス、トロイ、ペルガモンなどの各地方を含む。マルマラ海とエーゲ海に面し、紀元前12世紀には移住してきたミュソス人(Mysoi)たちが居を定めた。ホメロスの作品にもその名が登場する、トロイ戦争の古戦場とされる土地である。ペルガモン王国などが成立したが、紀元前2世紀にローマのアシア属州に編入された。  『新約聖書』では、パウロの第2回伝道旅行の際にトロアスに赴く際に通過した土地として『使徒言行録』(使徒行伝)16章7・8節で言及がある(ただし、古来の地方名であるミュシアの境界は曖昧で、トロアスをミュシアに含むことがある)。トロアスは、パウロがマケドニアへの(つまりはヨーロッパへの)伝道を決意した土地である。また、『ヨハネの黙示録』で挙げられた7つの教会の一つであるペルガモンなどは、このミュシア地方に含まれる(*1)。日本語訳聖...
  • アンリ・ノストラダムス
     アンリ・ノストラダムス(Henri Nostradamus)は、ノストラダムスの甥とされる人物。  彼の名は1605年版の『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』に登場する。それによれば、アンリはノストラダムスの甥であり、1605年版で初めて『予言集』に付け加えられた「六行詩集」は、ノストラダムス本人からアンリに託されたものであったという。  しかし、現在明らかにされている範囲内では、7人いたノストラダムスの甥に「アンリ」は含まれていない(ノストラダムスの甥参照)。また、「六行詩集」は他のノストラダムス作品との文体の違いが顕著なため、「アンリ・ノストラダムス」は偽書である「六行詩集」の権威付けのために創作された人名の可能性もある。  一部の信奉者は、アンリをノストラダムスの実弟ジャンの息子と仮定しているようだが、エドガール・ルロワの実証的な研究で否定されている(*1...
  • 予兆詩集全訳
    ... 敵はひどく怯えてトラキアに後退する、 悲鳴、怒号、掠奪、荒廃を残しつつ。 海と陸で喧騒が止む。宗教は生気を失う。 ユピテル主義者は潰走させられ、宗派全体が取り乱す。 140 1566年12月について マルスが武器を置くだろう。それでも司祭たちは余り満足しない。 説教の方にもミサの方にも教会の人々には不幸が。 ミサは上にあるだろう。万能にして唯一の神が、 万民をなだめるだろう。しかし大きな悲嘆がなくもない。 141(130) 1567年について 若い娘たちに死と病、風邪は 頭から双眼へと。陸の商人たちには不幸、 海のには不運。種蒔きは凶。ワインも霧のせいで。 油は潤沢。多雨と戦争が果実を傷める。 142(131) 1567年1月について 監獄、隠れた悲嘆、近親者の内での不和。 人々は命を与えるだろう。病による様々なカタル。 ...
  • ノストラダムス関連年表
     このノストラダムス関連年表では、彼の生涯やノストラダムス現象に関わりのある主な出来事についてまとめた。  信奉者側がどのような事件を的中させたと主張しているかについては的中例として有名な予言を参照のこと。 ノストラダムスの存命中の関連年表 1503年12月14日(木曜日) - 誕生。 1518年頃? - アヴィニョン大学で自由七科を学んだとされる 1520年 - 学業を中断したと推測されている。 1521年 - 各地を遍歴し、薬草の採取や関連する知識の収集につとめる(- 1529年) 1529年10月23日 - モンペリエ大学医学部に入学。数年以内におそらく除籍。 1531年 - アジャンでアンリエット・ダンコスと最初の結婚。 1530年代後半? - 最初の妻と子どもをペスト(?)で失う。以降放浪したとされる。 1545年前後? - 手稿『オルス・アポロ』を...
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