ピエール・ユボー

ノストラダムス wiki : ノストラダムスの大事典内検索 / 「ピエール・ユボー」で検索した結果

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  • ピエール・ユボー
     ピエール・ユボー2世(Pierre II Hubeault)は、16世紀ルーアンの出版業者。書誌学者ジョルジュ・ルプルーは、その活動期間を1575年から1580年としていたが、ミュラーは1569年と1575年から1580年とした(*1)。ミュラーは出典をルプルーしか挙げていなかったが、1569年というのは下掲のノストラダムス2世の文献に基づいたものであろう。 ノストラダムス関連  1569年に『1583年まで歴年続く20年間の予言集・1568年版』を出版した。ルプルーは活動開始時期を特定していたわけではないので、偽年代版などを想定する必然性はないものと思われる。  実際、パリのニコラ・デュ・モンが1571年に出版した『13年間の予兆集』でも、ユボーによる1569年版への言及はあるので、1575年以降の出版と考えることはまず無理であろう。 ...
  • Predictions pour vingt ans (1568)
    ...われている木版画は、ピエール・ユボー版に似たノストラダムス2世の肖像画だという(*1)。 内容  八つ折版、ノンブルのない32ページの文献で、アランソン公あての献辞が収録されている(*2)。 所蔵先 フランス国立図書館 再版  翌年、ピエール・ユボー版が出版された。 名前 コメント
  • Predictions pour vingt ans (1569)
    ...569年にルーアンのピエール・ユボーによっても出版された。 【画像】扉(*1) 正式名 PREDICTIONS pour vingt ans, continuant d An en An, iusques en l an mil cinq cens quatre vingtz trois. Par lesquelles sont predites choses merueilleuses, de grande consideration, selon le Seigneur dominateur de l Année. Extraictes de diuers aucteurs, trouuée en la Biblioteque de nostre defunct dernier decedé (que Dieu absoule) Maistre Mic...
  • Predictions pour vingt ans (1567)
    ...エール・ブルヌゼ版とピエール・ユボー版が相次いで出版された。  名前 コメント
  • 出版業者の一覧
    ...(17世紀リヨン) ピエール・ユボー(16世紀ルーアン) ら フランソワ・ラ・ボチエール(17世紀リヨン) アルノー・ラランヌ(17世紀ボルドー) クロード・ラ・リヴィエール(17世紀リヨン) シモン・リゴー(17世紀リヨン) ピエール・リゴー(17世紀リヨン) ブノワ・リゴー(16世紀リヨン) ブノワ・リゴーの後継者たち(16世紀リヨン) ピエール・ルー(16世紀アヴィニョン) ピエール・ルーサン(未作成)(16世紀リヨン) マルタン・ル・ジューヌ(16世紀パリ) ギヨーム・ル・ノワール(16世紀パリ) アナトール・ル・ペルチエ(19世紀パリ) わ 関連するリスト ノストラダムス一族 {{書きかけ}} 名前 ...
  • ピエール・リゴー
     ピエール・リゴー(Pierre Rigaud, 1631年没)は、リヨンの印刷・出版業者。ブノワ・リゴーの長男であり、一時期「ブノワ・リゴーの後継者たち」という名義を他の兄弟たちとともに用いていた時期がある。  現在確認されている範囲では、ピエール・リゴー名義の最古の刊行物は1594年のものである。これは、クロード・ミシェル(Claude Michel)という人物との共同出版であった(*1)。この後、彼の名義の出版物は1601年まで見られない(*2)。ただし、1597年から1601年には「ブノワ・リゴーの後継者たち」名義で出版事業に関わっていた。 ノストラダムス関連  17世紀初頭にノストラダムスの『予言集』を3種類出版した。これらは、タイトルページの前置詞の違い(PAR, Par, Chez)で区別されている。これらの版は、17世紀初頭の版であることがほぼ疑いないジャン...
  • ピエール・メニエ
     ピエール・メニエ1世(Pierre I Ménier / Mesnier)は、16世紀後半から17世紀初頭に活動したパリの出版業者。1581年から1605年頃までの活動が確認でき、そのころに歿した可能性がある(*1)。  なお、1588年にリヨンでも「ピエール・メニエ」が二冊刊行しているが、同一人物かは不明である(*2)。 ノストラダムス関連  ノストラダムスの予言集を少なくとも3回出版した。1589年版、刊行年の記載されていない版、1610年版で、少なくとも最後の1点は、本人ではなく息子のピエール・メニエ2世が手がけたもののようである。  また、アントワーヌ・クレスパンの『真に最も記憶されるべき事柄を含む驚異の予言』(1590年頃)も出版した。ほかに、フロラン・ド・クローの『1586年向けの暦』はアントワーヌ・ウイックの出版だが、本文中には印刷業者としてメニエの...
  • ピエール・ブロトー
     ピエール・ブロトー(Pierre Brotot)は16世紀リヨンの出版業者。  正確な活動期間は未詳だが、1561年頃に父ジャン・ブロトーが死んだことから、出版事業を引き継いだ。 ノストラダムス関連  ノストラダムスはジャン・ブロトーと親交があったが、ジャンの死後に書かれたロレンツ・トゥッベ宛ての書簡(1561年10月15日付)で、ピエール・ブロトーが事業を継いだものの不安がある旨を述べていた(*1)。  ピエールが手がけたノストラダムスの出版物は以下の2つだけである。 『1562年向けの新たなる占筮』 『1566年向けの暦』  いずれもアントワーヌ・ヴォランとの共同出版だった。 名前 ...
  • ピエール・ブルヌゼ
     ピエール・ブルヌゼ(Pierre Brenouzet)は、16世紀ルーアンの出版業者だったらしい。ただし、当「大事典」では、この人物に関する情報を見つけられないでいる。  書誌学者ジョルジュ・ルプルーは、ルーアンのロベール・ブルヌゼ(Robert Brenouzet)、ラ・ロッシェルのジャン・ブルヌゼ(Jean Brenouzet)らを挙げているが、ピエールへの言及は全くない(*1)。ほかの書誌学者たちも、言及していないようである。 ノストラダムス関連  1568年に『1583年まで歴年続く20年間の予言集・1568年版』を出版した。 名前 ...
  • ピエール・ジョアニス
     ピエール・ジョアニスないしピエール・ド・ジョアニス(Pierre de Joannis)は、ノストラダムスの叔父。ノストラダムスの父ジョームの妹マルグリットの夫。「ピエール・ド・ジョアニ」と発音した可能性もある。  1494年12月26日にマルグリットと結婚した(*1)。  息子オノレ、孫テオドール、曾孫メルキオン=ジャック・ド・ジョアニス(Melchion-Jacques de Joannis)へと家督が受け継がれていく。  なお、このメルキオン=ジャックはマルグリット・ド・ノートルダムの兄ジョームの曾孫トミーヌ・ド・ノートルダムと再婚した。  ただし、家を継いだのは最初の妻マルグリット・ド・トゥイエ(Margueritte de Touier)との子、ガブリエルであった(*2)。 ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連...
  • ピエール・アブグー
     ピエール・アブグー3世(Pierre III Abegou)は、ボルドーの出版業者。1639年ごろに出版業者ピエール・アブグー2世(活動1640年 - 1661年頃)の子として生まれ、1659年から1663年の間に出版業者としての活動を開始した。1664年から1692年に特に活動が顕著で、シャルル・ダビ、ジャン・マルテルなどの他の業者との共同出版もしばしば行った。その後、少なくとも1701年までの活動が確認できるが、さらにどの程度活動したのかは不明(*1)。 ノストラダムス関連  現存しないが、『予言集』1670年ボルドー版を出版した可能性がある。  また、『予言集』1689年ボルドー版が現存している。こちらはアルノー・ラランヌとの共同出版も行った可能性がある。 ...
  • ピエール・ド・ノートルダム
     ピエール・ド・ノートルダム(Pierre de Nostredame, 1430年頃 - 1485年頃)は、ノストラダムスの父方の祖父。アヴィニョンで穀物商と高利貸を営んでいた。クレカ・ド・カルカソンヌ(Crescas de Carcassonne)、ギ・ガソネ(Guy Gassonnet)、ギドン・ガソネ(Guidon Gassonnet)、ヴィド・ガソメ(Vido Gassomet)、ペロ・ド・サント=マリー(Perrot / Peyrot de Sainte-Marie)など、多くの名で公文書に記録されている(*1)。  関連文献においてカルパントラのピエール・ド・ノートルダム(未作成)や、息子であるアルルのピエール・ド・ノートルダムと区別するときには、「アヴィニョンのピエール・ド・ノートルダム」と書かれることもある。 生涯  ダヴァン・ド・カルカソンヌの子供の一人...
  • ピエール・マルニオル
     ピエール・マルニオル(Pierre Marniolles)は、17世紀フランスの出版業者。リヨンで1610年から活動し、1621年からはグルノーブルでも活動した。1623年以降はグルノーブルでの活動に一本化した。手がけた出版物は、事件ものが多かった(*1)。 ノストラダムス関連書  エチエンヌ・タンチヨンと共同で『予言集』を出版した。 名前 コメント
  • ラ・ピエール・ブランシュ
     ラ・ピエール・ブランシュは、メーヌ地方に残るメンヒル(古代の巨石記念物)の通称である。  サン=チレール=デュ=メーヌ(Saint-Hilaire-du-Maine)近郊にあり、エルネの町からは6 km ほどのところにある(*1)。  当時の『フランス街道案内』(1552年、増補1553年)にも載っているランドマークである。 登場箇所 詩百篇第9巻20番 ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
  • ピエール・ラグランジュ
     ピエール・ラグランジュ(Pierre Lagrange, 1963年- )は科学社会学者(sociologue des sciences)。  「文化制度に関する人類学・歴史学研究所」(Laboratoire d Anthropologie et d Histoire sur l Institution de la Culture)の準研究員(2003年)。  いわゆる超常現象に関して社会学的なアプローチで分析をしており、著書に『ロズウェルの噂』(La rumeur de Roswell, 1996)などがある(*1)。 ノストラダムス関連  エルヴェ・ドレヴィヨンとともに『ノストラダムス 永遠回帰』(2003年)を出版した。これは『ノストラダムス ― 予言の真実』という題で日本語版も出版されている。 ...
  • ピエール・ド・ノートルダム (ノストラダムスの叔父)
     ピエール・ド・ノートルダム(Pierre de Nostredame)は、ノストラダムスの叔父。ピエール・ド・ノートルダムとブランシュ・ド・サント=マリーの間に生まれた子供の一人で、三男と推測されている(*1)。父のピエールやカルパントラのピエール・ド・ノートルダム(未作成)と区別されるときには、「アルルのピエール・ド・ノートルダム」と表記されることがある。  父親と同じく商業を営んだが、1513年以降は活動拠点を出生地アヴィニョンからアルルに移した。その商取引に関する記録がいくつも残っている。  この人物は、ノストラダムスの親族の中で唯一人「予言的」なエピソードが公証記録に残されている点で、特徴的といえるかもしれない。  それによると、1535年9月15日に、タラスコンの商人で改宗キリスト教徒であったトマ・ド・バレーム(Thomas de Barrème)と賭けをした...
  • ピエール・ブランダムール
     ピエール・ブランダムール(Pierre Brind Amour, 1941年-1995年)は、カナダ人の西洋古典学者で、オタワ大学教授として在職中、逝去した。  西洋古典学の分野で、 「イソクラテスの最後の言葉」(Les dernieres paroles d Isocrate, 1967年) 「ウェルギリウスと馬の調教」(Virgile et le Dressage des Chevaux, 1972年) 「スエトニウスの作品中におけるドミティアヌスの死の物語によって喚起された占星術的・天文学的諸問題」(Problèmes astrologiques et astronomiques soulevés par le récit de la morte de Domitien chez Suétone, 1981年) などの論文を発表した(いずれも未邦訳)。  19...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ピエール・リゴー、1650年頃)
     『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』は、1650年頃にもリヨンのピエール・リゴーの名義で出版された。 【画像】第一部の扉(左)と第二部の扉(右)(*1) 正式名 第一部 LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAMVS. Dont il y en a trois cens qui n ont encores iamais esté imprimées. Adioustees de nouueau par ledict Autheur. A LYON, Chez PIERRE RIGAVD, ruë Merciere, au coing de ruë Ferrandiere, à l ensaigne de la Fortune. AVEC PERMISSION. ミシェル・ノストラダムス師の予言集前述の著者によって新たに加えられ...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ピエール・メニエ、1610年)
     『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』は1610年にピエール・メニエ(2世)によって出版されたらしい。 伝聞  パトリス・ギナールは1740年の書籍販売目録に特殊な題名を含む1610年ピエール・メニエ版の言及があることを見つけ出した。彼はそれをもとに次のように題名を復元している(*1)。 Les Propheties de M. Michel NostradamusDont trois cens sont imprimées pour la premiere fois en cette Edition. Reveuës additionnées par l Autheur, pour l An mil cinq cens soixante un, de trente neuf articles à la derniere Centurie. Paris, Pier...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (偽ピエール・リゴー版、1716年頃)
     1566年にピエール・リゴーが出版したとされる『予言集』がある。しかし、それは1716年頃に作成された偽年代版である。 【画像】偽年代版第一部の扉(*1)  上記画像の通り、全部で3つの版の存在が知られている。便宜上、太陽が擬人化されている左端の版を A 版、渾天儀が描かれている中央の版を B 版、猪に折り重なっている人物と跪く女性が描かれている右端の版を C 版としておく(*2)。 正式名 Les Propheties de M. Michel Nostradamus, Dont il y en a trois cents qui n'ont jamais été imprimées. Ajoûtées de nouveau par l'Auteur. Imprimées par les soins du Fr. Jean Vallier...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ピエール・リゴー、17世紀初頭)
     リヨンのピエール・リゴーは、17世紀初頭に『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』を少なくとも三度出版した。それらは出版者名の直前についている前置詞 PAR, Par, Chez によって区別される。 【画像】Chez の第一部扉(左)、第二部扉(右)(*1) 正式名 第一部 LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAMVS. Dont il y en a trois cens qui n ont encores iamais esté imprimees. Adioustees de nouueau par ledict Autheur. A LYON, PAR PIERRE RIGAVD, en rue Merciere au coing de rue Ferrandiere. Auec Permission. ミシェル・ノスト...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ピエール・デュ・リュオー)
     『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』は1628年から1630年頃にトロワのピエール・デュ・リュオーによっても出版された。 【画像】左から順に第一部、第二部、付録の扉(*1) 正式名 第一部 Les Propheties de M. Michel Nostradamus. Reueues corigées sur la coppie Imprimee à Lyon par Benoist Rigaud.1568. A Troyes, Par Pierre Du Ruau, ruë nostre Dame. ミシェル・ノストラダムス師の予言集 1568年にリヨンで出されたブノワ・リゴーの版に基づき校正・改訂された版 トロワにて、ノートル・ダム通りのピエール・デュ・リュオーによる。 第二部 Les Propheties de M. Michel No...
  • ピエール・ド・ノートルダム (ノストラダムスの弟)
     ピエール・ド・ノートルダム(Pierre de Nostredame)は、ノストラダムスの弟。  父ジョーム・ド・ノートルダムが何度か執筆した遺言書の中で言及されていることから、存在が明らかになったが、生没年などの詳しいことは全く分かっていない。職業は香料商人(épicier)だったという(*1)。  1534年から1535年にかけて書かれた3通の遺言書で言及されているが、1547年の相続関連の文書では触れられていない(*2)。このことからすれば、その時点までに亡くなっていた可能性がある。ただし、その最後の文書では長男ミシェル(ノストラダムス)の名前もないが、これは執筆当時がノストラダムスの放浪期間とほぼ重なっており、消息不明だったことによるものだろう。ピエールの名前がないことも、死亡ではなく、そのような失踪の類が原因の可能性もある。 ...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ピエール・シュヴィヨ、1611年)
     『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』は1611年にトロワのピエール・シュヴィヨ(未作成)によっても出版された。 【画像】左から順に第一部、第二部、付録の扉(*1) 正式名 第一部 LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAMVS.Dont il y en à [sic.] trois cens qui n ont encores iamais esté imprimees. Adioustees de nouueau par ledict Autheur. A TROYES, Par PIERRE CHEVILLOT, l Imprimeur ordinaire du Roy. Auec Permission. ミシェル・ノストラダムス師の予言集。前述の著者によって新たに加えられた未刊の300篇を含む。 トロワにて、国王の常任印...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ピエール・シュヴィヨ、1611年頃)
     1611年版『予言集』を出版したトロワのピエール・シュヴィヨ(未作成)は、刊行年を記載しない版も出版していた。 【画像】左から順に第一部、第二部(*1) 正式名 第一部 LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAMVS.Dont il y en a trois cens qui n ont encores iamais esté imprimees, Trouuez en vne Biblioteque delaissez par l Auteur. A TROYES, Par PIERRE CHEVILLOT, l Imprimeur ordinaire du Roy. Auec Permission ミシェル・ノストラダムス師の予言集。著者の残した蔵書の中から発見された決して出版されなかった300篇を含む。 トロワにて、国王の常...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ピエール・メニエ、1589年)
     ここで紹介するピエール・メニエ版の『予言集』は、1589年にパリで出版された。 【画像】メニエ版の扉(*1) 正式名 Les Propheties de M. Michel Nostradamvs; Dont il y en a trois cens qui n ont encores esté imprimées, lesquelles sont en ceste presente edition. Reueues additionnees par l Autheur, pour l An mil cinq cens soyxante un, de trente neuf articles à la derniere Centurie.A Paris, Par Pierre Ménier, demeurant à la ruë d’Arras, pres l...
  • ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集 (ピエール・プロメ、1669年)
     『ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集』(Les Vraies Centuries et Prophéties de Maistre Michel Nostradamus)は、1669年にパリのピエール・プロメ(未作成)によっても再版された。 【画像】扉(*1) 正式名 LES VRAYES CENTVRIES ET PROPHETIES DE MAISTRE MICHEL NOSTRADAMUS.Où se void representé tout ce qui s est passé, tant en France, Espagne, Italie, Allemagne, Angleterre, qu autres parties du monde. Reveües corrigées suivant les premieres Editions ...
  • ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集 (ピエール・アブグー、1689年)
     『ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集』(Les Vraies Centuries et Prophéties de Maistre Michel Nostradamus)は、1689年にボルドーのピエール・アブグーによっても出版された。 【画像】左から、1689年アブグー版の扉、第一部扉、第二部扉 (*1) 正式名 全体の扉 LES VRAYES CENTURIES ET PROPHETIES DE MAISTRE MICHEL NOSTRADAMUS.Où se void representé tout ce qui s est passé se passe presentement tant en France, Espagne, Italie, Allemagne, Angleterre, que autres parties du mo...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ピエール・アブグー、1670年)
     1670年にボルドーのピエール・アブグーも、『予言集』を出版していたとされる。 書誌  ボルドー出版業史の専門家ルイ・デグラーヴの著書『17世紀にボルドーで印刷された書物』(1971年)(*1)において、 Les Propheties de Michel Nostradamus..., A Bordeau, P. Abegou, 1670, in-8o というごく簡略な言及があるらしい。  この情報に言及したのは、エルネスト・ラバディの『16世紀から19世紀のボルドーの暦書』(1917年)(*2)が最初だったという(*3)。  ただし、ロベール・ブナズラは実在性に疑問を呈していた(*4)。 名前 ...
  • ポール・アルボー博物館
     ポール・アルボー博物館(Musée Paul Arbaud)ないしポール・アルボー書誌学・考古学博物館(Musée bibliographique et archéologique Paul Arbaud)は、エクス=アン=プロヴァンスの18世紀の邸宅が元になっている博物館である。エクス市内のマザラン地区(le quartier Mazarin)、九月四日通り(Rue du 4-Septembre)2番地にある。  様々な美術品を収蔵しているが、わけても地元陶器のコレクションがしばしば特筆される(*1)。 ノストラダムス関連  ノストラダムス関連の稀覯書が多く収蔵されていることで国際的に有名である。  インターネット上での目録の公開などはしていないようなので、その蔵書については直接博物館に赴くか、ミシェル・ショマラやロベール・ブナズラの書誌などから間接的に知るしかないだ...
  • 予言集一覧
     『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』の初版(1555年)から現在までに出版されている版の一覧。 1815年までの版 一段下げてあるのは特定の版の復刻版 1555年初版 1555年アヴィニョン版 1556年シクスト・ドニーズ版 1557年アントワーヌ・デュ・ローヌ版Michel Nostradamus mester próféciái melyek közül háromszázat eddig még sohasem nyomtattak ki., 2004 1558年版 1561年頃バルブ・ルニョー版 1561年ニコラ・ビュフェ未亡人版 1568年ブノワ・リゴー版 1588年ニコラ・ロフェ未亡人版 1588年ラファエル・デュ・プチ・ヴァル版 1589年ピエール・メニエ版 1589年シャルル・ロジェ版 1589年ラファエル・デュ・プチ・ヴァル版 1590年ジャック・ルソー...
  • バルタザール・ギノー
     バルタザール・ギノー(Baltazar Guynaud, 生没年未詳)は、17世紀末頃のフランスの作家。ノストラダムス予言の解釈書を刊行した。現在知られている範囲内で、「恐怖の大王」について初めて解釈を展開した人物である。  ギノーの生涯についてはほとんど分かっていない。彼自身の著作にある自伝的な言及から、調馬師の資格を持ち、フランス王ルイ14世附きの小姓頭を務めた時期があったとされる。この真偽は定かではないものの、彼がルイ14世に強い思い入れがあったことは著書から明らかである。  彼の唯一の著作は『アンリ2世からルイ大王までの歴史とノストラダムス予言集との一致』である。これは1693年に刊行され、1709年と1712年に再版された。  ノストラダムスの予言を熱烈に信奉したがゆえに、ピエール・ガッサンディ(未作成)やジャン・ド・スポンド(未作成)といったノストラダ...
  • ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集 (ピエール・レファン、1650年)
     『ミシェル・ノストラダムス師の真の百詩篇集と予言集』(Les Vraies Centuries et Prophéties de Maistre Michel Nostradamus)はノストラダムスの『予言集』の版の一つで、1650年にライデンで出版された。現在のオランダ領内で出版された初の予言集である。 【画像】1650年ライデン版の扉(*1) 正式名 Les Vrayes Centuries et Propheties de Maistre Michel Nostradamvs.Où se void representé tout ce qui s est passé, tant en France, Espagne, Italie, Alemagne, Angleterre, qu autres parties du monde. Reveuës corr...
  • ピエール=ジョゼフ・ド・エーツ
     ピエール=ジョゼフ・ド・エーツ(Pierre-Joseph de Haitze, 1648年頃 - 1736年7月26日)は、フランスの作家、歴史家。主としてプロヴァンスの歴史や、プロヴァンスに縁のある人物の伝記をまとめた。  エーツは、1648年頃にカヴァイヨンで生まれた。ベアルン地方の高貴な出自であったという。彼はプロヴァンスの歴史に特に興味を持ち、様々な調査も行った。その作品は文体の丁寧さや明瞭さが評価される一方、内容が皮相的であることや、調査における批判能力の不足なども指摘されている。 彼は、親戚にあたるジャン=フランソワ・ゴフリディ家に秘書として住み込んでおり、1736年にプロヴァンス地方のトレ(Trets, 現ブーシュ=デュ=ローヌ県内)で没した。 ノストラダムス関連  エーツによるノストラダムスの伝記 『ミシェル・ノストラダムスの生涯(未作成)』(1711年...
  • L.V.
     L.V.は、予兆詩第4番にだけ登場する、意味が確定されていない略語。  当時は特に大文字の場合、V と U の使い分けはルーズだったため、L.U. の可能性もある。  アルファベット通りに発音すれば「エル・ヴェ」もしくは「エル・ユ」だが、ピエール・ブランダムールは、韻律上1音節で「リュ」(LU)と読まれるべきとしている。この読み方をとる場合、エドガー・レオニが示したルター(LUther)の略とする読み方も、一定の説得力を持つように思える(この詩の手稿は見つかっていないので、オリジナルでピリオドが打たれていたかどうかは不明である)。  他の読み方としては、ジャン=エメ・ド・シャヴィニーが手稿で示していたというカール5世(Charles Le V.)とする読み方などもある(*1)。時代的文脈には当てはまっているが、カール5世を略すときに L.V. とするというのは、少々不自...
  • アンヌ・ド・ノートルダム
     アンヌ・ド・ノートルダム(Anne de Nostredame, 1559年12月15日 - 1597年以前)は、ノストラダムスとアンヌ・ポンサルドの間に生まれた次女(第五子)。  1559年12月15日にプロヴァンス州サロン・ド・クロー(現サロン=ド=プロヴァンス)に生まれた。かつてエドガール・ルロワらの研究では1558年頃の生まれとされていたが、兄セザールの自筆らしき手稿によって正確な生年月日が特定された(*1)。  トゥーロン(未作成)の有力者ピエール・ド・スヴァ(Pierre de Seva)と結婚し、息子メルキオール・ド・スヴァ(未作成)(Melchior de Seva)を生んだ。なお、ピエール・ド・スヴァについて、イアン・ウィルソンはラングドック州ボーケールのピエール・ド・セーヴ(Pierre de Sève)として紹介している(*2)。具体的な根拠があって...
  • シャルル・ド・ノートルダム
     シャルル・ド・ノートルダム(Charles de Nostredame, 1556年 - 1629年12月頃)は、ノストラダムスとアンヌ・ポンサルドの間に生まれた次男(第三子)。軍人、詩人。  1556年にプロヴァンス州サロン・ド・クロー(現サロン=ド=プロヴァンス)に生まれた。幼いころのことはよく分かっていないが、1564年にサロンの町に国王シャルル9世(未作成)と母后カトリーヌ・ド・メディシス(未作成)が立ち寄った際には、ノストラダムスの家族全員が謁見させてもらえたとされるので(*1)、当然、シャルルもそこに居合わせたことだろう。  ノストラダムスが1566年に没した際には、遺言によって、母親、兄、弟とともに家の権利を分有した。遺言が誠実に執行されたのなら、自身が25歳になった際に100エキュを受け取ったはずだが、弟アンドレが25歳になった時点(1582年)で家の所有...
  • ブランシュ・ド・サント=マリー
     ブランシュ・ド・サント=マリー(Blanche de Sainte-Marie)は、ノストラダムスの父方の祖母。ブランシュ・ド・ノートルダムとも名乗った。 生涯  生年は未詳である。医師ピエール・ド・サント=マリー(未作成)の娘として生まれ、1464年にピエール・ド・ノートルダムと結婚したときには、エクス=アン=プロヴァンスに住んでいた(*1)。  ジョーム、フランソワ、ピエール、カトリーヌ、バルトロメ、マルグリットという6人の子供をもうけた。  没年も未詳だが、1503年2月15日に、借金取立ての権利を代理人ピエール・ジョアニスに譲った記録があるので、少なくともその頃までは生きていたことが明らかになっている(*2)。 名前 ...
  • レニエール・ド・サン=レミ
     レニエール・ド・サン=レミ(Reynière de Saint-Rémy)はノストラダムスの母。ルネ・ド・サン=レミ(Renée de Saint-Rémy)とも表記される。  父ルネ・ド・サン=レミ(René de Saint-Rémy)と母ベアトリス・トゥレルの間に生まれたが、詳しいことはわかっていない。エドガール・ルロワは、おそらくキリスト教徒だったと推測している(*1)。  生没年も不明だが、ウジェーヌ・レーは1536年以降に歿したと推測している(*2)。 名前 コメント
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (ジャン・ポワイエ、1600年頃)
     『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』は、リヨンのジャン・ポワイエ(未作成)によっても出版された。 【画像】第一部の扉(左)と第二部の扉(右)(*1) 正式名 第一部 LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAMVS.Dont il y en a trois cens qui n ont encores iamais esté imprimees. Adioustees de nouueau par ledict Autheur. A LYON, PAR IEAN POYET. ミシェル・ノストラダムス師の予言集前述の著者によって新たに加えられた未刊の300篇を含む リヨンにて、ジャン・ポワイエによる。 第二部 LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAMVS. Centuries VIII. ...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (1561年)
     1560年ないし1561年に出版された『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』は、パリの業者バルブ・ルニョーが手がけたものである。 伝聞  この版は現存しない。確認できる範囲での最も古い言及は、19世紀の書誌学者ブリュネの『書肆と愛書家の手引き・補遺』第2巻に見ることができる。 内容に関する研究  ダニエル・ルソ、ミシェル・ショマラ、ロベール・ブナズラといった代表的なノストラダムス書誌学者は、いずれもこの版が1588年から1589年に相次いでパリで出された版の元になったと推測している。  そのため、正式名はそれらと同じく Les Propheties de M. Michel Nostradamus ;Dont il y en a trois cents qui n ont encores esté imprimées, lesquelles sont en ...
  • ミシェル・ノストラダムス師の驚異の大予言 (1590年)
     『ミシェル・ノストラダムス師の驚異の大予言』1590年版は、アントウェルペン(未作成)のフランソワ・ド・サン=ジョールによって出版された。  曲がりなりにも「大予言」と訳せる題名を持つ最後の古い『予言集』の版であると同時に、アントウェルペンで出版された珍しい版である(アントウェルペンで出版された19世紀以前の『予言集』は、この1590年版のほかは1792年版しかない)。 【画像】『驚異の大予言』1590年版の扉(*1) 正式名 Les Grandes et Merveillevses Predictions de M. Michel Nostradamus, dont il en y a trois cens qui n ont encores iamais esté imprimees.Esquelles se voit representé vne partie...
  • セルジュ・ユタン
     セルジュ・ユタン(Serge Hutin, 1929年 - 1997年11月1日)は、フランスの神秘思想研究家。文学博士(docteur ès lettres)、ノストラダムス協会理事。  パリ大学、高等研究実習院を卒業し、文学博士号を取得した。一時期、フランス国立科学研究センター(CNRS)の研究員だったことがある(*1)。  他方、五島勉は「パリ大学教授」として紹介したことがあったが(*2)、そのような経歴は確認できない。  クセジュ文庫でもいくつか執筆しており、日本語訳の出された文献としては、『秘密結社』、『錬金術』、『英米哲学入門』などがある。 【画像】クセジュ文庫『錬金術』カバー表紙  クセジュ文庫以外では、大陸書房から刊行された訳書『地球の中のブラックホール』(原題『地下世界から世界の王まで』)がある。 【画像】『地球の...
  • ferré
     現代フランス語の ferré は、「鉄製品が付いている」「鉄分を含んでいる」などの意味。中期フランス語としては「鉄製の」の意味。慣用的に「巧妙な」「賢い」などの意味にも使われた(*1)。  ピエール・ブランダムールはエドモン・ユゲの辞書などによる語義として「残酷な」「頑迷な」なども挙げている(*2)。  ベルナール・シュヴィニャールやマリニー・ローズは、「武装した」「鎖につながれた」などの意味も挙げている(*3)。 登場箇所 百詩篇第4巻38番(未作成) 予兆詩第40番(旧36番) 名前 コメント
  • tremulente
     ピエール・ブランダムールは、エドモン・ユゲの辞書に依拠するものとして、イタリア語の tremolante に由来する語で、現代の tremblant(e)(震える)に対応するとしている(*1)。 登場箇所 第2巻43番 ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
  • ブノワ・リゴー
     ブノワ・リゴー(Benoist Rigaud, ? - 1597年)は、16世紀リヨンの出版業者。 生涯  ミリベル(Miribel)の出身で、リヨンの古文書での最古の言及は1553年の「書籍商」(marchand libraire)としてのものである。彼の名義での出版物が確認できるのは1555年以降だが、1558年までは甥のジャン・ソグラン(Jean Saugrain)と共同で出版を行っていた。ソグランとの決裂の理由は信仰によるもので、プロテスタントに傾倒したソグランに対し、ブノワ・リゴーは一貫して王党派カトリックの立場を貫いた。  ソグランと決別した時期に近い1559年頃には、最初の妻であった印刷業者コルネイユ・ド・セットグランジュ(Corneille de Septgranges)の娘ペルネット(Pernette de Septgranges)と死別した。その後間も...
  • 百詩篇第2巻39番
    百詩篇第2巻 39番 原文 Vn an1 deuant le conflit Italique, Germain2, Gaulois3, Hespagnols4 pour le fort5 Cherra l escolle6 maison de republique7, Ou8, hors mis9 peu, seront suffoqués10 morts11. 異文 (1) Vn an Vn en 1557B, Vn 1600 1610 1716 (2) Germain 1555 1589PV 1649Ca 1650Le 1668 1840 Germains T.A.Eds. (3) Gaulois gaulois 1557U 1557B 1590Ro (4) Hespagnols 1555 1840 hespaignolz 1557U ...
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (マルニオル、タンチヨン)
     17世紀のリヨンでは、ピエール・マルニオルとエチエンヌ・タンチヨンによっても『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』が出版された。第7巻43番、第7巻44番の初出時期を考える上で重要な版だが、研究者によって刊行年が大きくずれている。 【画像】第一部扉(左)、第二部扉(中央)、第三部扉(右)(*1) 正式名 第一部 LES PROPHETIES DE Me. MICHEL NOSTRADAMVS. Dont il y en a trois cens qui n ont encores iamais esté imprimees, Adioutees de nouueau par ledict Auteur. A LYON, PAR PIERRE MARNIOLLES. Auec permission ミシェル・ノストラダムス師の予言集前述の著者によって新たに加えら...
  • エクトール・リゴー
     エクトール・リゴー(Hector Rigaux, 1841年11月23日 - 1930年7月16日)は、フランスの司祭。ノストラダムスに関する膨大な蔵書を持っていたことで知られ、書誌研究上の重要人物として知られている。司祭であったことからリゴー師(アベ・リゴー l abbé Rigaux)とも呼ばれる。生まれたときの名はエスペランス=エクトール・カファール(Espérance-Hector Caffart)だったようだが、すぐに改名されたこともあって、現在ではこの名で呼ばれることはほとんどない。  リゴーは、1841年にソンム県のモンシー=ラガシュで生まれた。1865年にアミアンで司祭に任命され、その地で4年ほど過ごした後、ソンム県アルグーヴの主任司祭に任命され、終生その地で過ごした。  リゴーは、ノストラダムスに関して信奉者の立場からの解釈を重ねていたアンリ・トルネ=シ...
  • 人名一覧
     ノストラダムスに関連する人名や団体名の一覧。  原則として姓をカタカナ表記した際のアルファベット順に並べている。「ド」などを姓に含むかどうかは、外国語文献の索引に準じて個別に判断している。また、一部日本人のペンネームは外国人名のように見えても全体で一つと見なしている(例えば、「フェニックス・ノア」は「は行」に掲載)。  なお、ノストラダムスの一族のうち、細かすぎる項目はノストラダムス一族の方に、出版業者のうちノストラダムス本人と関連性が薄い人物は出版業者の一覧の方に、それぞれ記載しているので、そちらを参照されたい。  名前の後の括弧は大まかな職業やグループわけを示している。斜線が引かれている場合、その前が職業などを指し、後ろがノストラダムス関連の立ち位置などを指す(「その他」とあるのは、専門的な研究者や信奉者的な解釈者と分類しづらい人物を示す)。 あ 明石三世(インテリ...
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