改暦以降の長きに渡る秩序を得てから、1000年。
世界には様々な星間文明が存在している。
セトルラームのような科学先進国はもちろんのこと、
独立した軍事企業や、唯一皇帝によって治められる
イドゥアム帝国。
神がかり的な技術を扱える
ラヴァンジェのような魔法文明圏も存在していた。
そんな多種多様な勢力が犇めき合う中で、なぜ争いが起こらないと断言できるのか?
それは、この世界に生きる者たちにとって最も身近に行われている娯楽の一つ、
闘争競技という名の殺し合いが国際社会の取引に大きなインセンティブを与えているからだ。
その昔、国家間の衝突が続いた旧暦の時代。人類は、その総力戦の中で多くの命を散らしたとされている。
しかし、今となってはそのような歴史を自らの問題として受け止められる人間は少ないだろう。
なぜならば、人間は繰り返す生き物だからだ。
いや、正確に言えば、変わることを許容しないのだ。
人は自らの手で進歩する力を持っているというのにもかかわらず、自らで進化することを拒絶している。
それどころか、停滞することを望む者もいるほどなのだ。
だからこそ、私たちは闘争競技による利益よりも、よりよい未来のために行動していたのだが―――
「お館様! 大変です!」
ある日のことだった。
いつものように執務室で仕事をしていると、慌てた様子の秘書が部屋に飛び込んできた。
「どうしましたか?」
「それが……」
秘書の話によると、先日行われた闘争競技において、ある国の選手が戦闘中に死亡判定を受けたらしい。
それだけならばまだ良かったものの、問題はその後に起こった。
なんとその選手は試合前の不正容疑で拘束されており、その後、ほどなくして解放に至ったのだという。
そして、その選手を殺した相手もまた、同様の理由で拘束されたそうだ。
「まさか……」
「はい。おそらく、政治的な動機によるものでしょう」
秘書の言葉を聞いて、私は確信してしまった。
独裁者として悪名高い、あの男がまた仕掛けてきたのだと。
「そうですか……それで、証拠は掴めているんですか?」
「いえ、残念ながら……。ただ、状況から見て間違いないかと」
秘書の報告を聞いた私はため息をつく。自国にとって、不利益な選手を丸め込むために適当な罪状をでっちあげる。
いわゆる、別件逮捕と呼ばれている手法で、日頃の行いに難癖をつけるなどして都合が悪い参加者の萎縮を促すわけだ。
その後、司法取引に持ち込ませるのが政治を弄ぶあの男の常套手段で、これまでにも散々指摘されてきたことである。
「困りましたね……」
「はい。いくら負けが込んでるからって、あんまりですね。このままでは、近いうちに第二第三の犠牲者が出るかもしれません」
「わかりました。担当補佐官に直接捜査させましょう。あなたは引き続き情報収集を続けてください」
「かしこまりました」
私の指示を受けた秘書が一礼して去っていく。私は深い溜息をついた。時代錯誤も甚だしい。
「まったく……どうしてこんなことが出来るのか……あの男は、本当に変わらないのね」
闘争競技―――通称、FSRとは、簡単に言ってしまえば、国家間での戦争を模した競技である。
ルールとしては、まず競技者同士が戦う。そして、負けた者はその場で死亡する。
次に、勝者だけが生き残り、次の対戦相手と戦うことになる。
最終的に生き残った者が勝利者となるわけだが、敗者を復活させることができる以上、何度でも繰り返し戦える仕組みになっている。
つまり、それだけ協賛団体の利害が絡むことになる。
これが健全なスポーツを謳った戦争ビジネスの実態であり、生命倫理を重んじる反対勢力にとっては看過できない問題であった。
しかし、当競技の主催者である
文明共立機構(アンダクストール)も一枚岩ではない。
係る事業の収益によって潤う国もあれば、そうでない国もある。
共立機構に所属する勢力は、必ずしも闘争競技に賛成しているわけではないのだ。
そのため、最高評議会による仲裁もなかなか上手くいかないことが多かった。
そんなある日のこと。
私の元に一人の女性が訪ねてくることになった。
彼女は遠く離れた
セトルラーム連邦の重要人物である。
「はじめまして。わたくしは、
リティーア・エルク・ヴィ・セトルラーム……レミソルトインフリー家に連なる者です。このたびは、レクネール家の使用人として働かせて頂くことになりましたので、ご挨拶に伺いました。よろしくお願いします」
「こちらこそ、お会いできて光栄です。
文明共立機構の最高議長を努めております、
メレザ・レクネールと申します。以後、お見知りおきくださいませ」
私が応接室に入ると、そこにはセトルラーム連邦の公女を名乗る娘がいた。
リティーアといえば、現在の
ロフィルナ社会において象徴的な存在となっている、複数の王侯貴族によって成立した名門中の名家の出身だ。
そんな人物がなぜ、レクネール家に使用人として仕えようというのか?
それなりのリスクを伴うものではあったが、単刀直入に聞いてみることにした。
「えっと、失礼な質問かもしれないのですが、セトルラーム連邦の公女様ともあろう方が、どうして当家で働こうと思ったのでしょうか?」
「はい。実は、公籍から外れたわたくしの兄が
FSRにおける利益配分を巡って諍いを起こしており、その関係で共立機構の補佐官と接触する機会があったのです」
「なるほど」
「それで、わたくしはあなた様に会ってみようと思いました。あなた様ならきっと、私どもの窮状を理解してくださると信じたからです」
公族らしく礼儀を心得ているようだが、味方と断じるにはまだ早い。更に踏み込まなければ本音は出てこないだろう。
仮にそれが演技によるもの、或いは何らかの暗示を施していたとしても、現代の検知システムをもってすれば脳波の流れから容易に判別できてしまう。
しかし、それはあくまでも一般的な心理分析における話で、こうした身分の者を相手に確実性を持たせられる代物ではない。
幸いにして、この娘に悪意はなさそうだけど。あえて挑発してみるのも良しと見て、私は彼女に問いかけた。
「そうですか……残念ながら、私はあなたの考えを理解することはできませんね。そもそも、貴国と私達の関係は良好とは言えなかったはずでは?」
「それは……」
答えようとするリティーアを制止し、私は続けた。
「セトルラーム政府が対外強硬路線に転じる原因となった事件については知っていますよ。建国記念の席上で、有力な政財界の大物がまとめて殺害された事件ですね。主犯は帝国官房と懇意にしているあなたの兄君で、大統領による隠蔽工作の疑いが持たれていますが。これもまた奇妙な話で、その日に限って
ライフサイクルシステム
に異常をきたしていた、と。連邦政府が平和維持軍の活動を疎んじるようになった主な原因であるとも聞いています。あなたは、かような言説を正当化するためにここへ遣わされたのですか?」
我ながら、随分と無礼な問いかけ方だ。それは重々承知している。
しかし、純粋な箱入り娘であれば顔を真赤にして慌てふためくであろうし、かつての私自身がそうであったように、単なる操り人形と見なせる公算が高くなる。
一定の良識を持つ者であれば、まず人の話を遮ろうとはしない。それなりの理屈をもって反撃に転じることだろう。
リティーアは、憤りの形相を演じる私の許可を得てから、話し始めた。
「……いいえ。むしろその逆です。わたくしは最高評議会との関係改善のために、そして何よりも過去長きにわたる国際社会の隔たりをなくすために働きたいと思っております。そのために、あなた様の活動に協力する機会を頂きたいのです。ですが、我が国で主戦論が高まっている現状、それを表沙汰にするわけにはいかないので。花嫁修行の一環として、ここに」
なるほど。上手に繋げてくるものだ。問題は、その話にどれほどの説得力をもたせられるのか、追求の余地はあるけれども。
そうね、身も蓋もない現実を振ってみようか?
「ふむ。しかし、あなた個人に対する評価はともかく、今のレミソルトインフリー家が一連の報道に関して発展的な議論を促せるとは思えませんね」
言葉を選びながら、含みを持たせて話を続ける。
「……」
「それに、貴国の事情も理解しています。連邦政府にとって、当評議会との対立構造は政治上の重要な要素として受け止めているのでしょうね。だからこそ、
ロフィルナ王国への内政干渉やテラソルカトルにおけるロビー活動など、様々な手段を用いて関係各国に協力を仰いでいるわけでしょう。特に連邦と帝国政府の利害関係については、戦前回帰を目論むタカ派と、民主主義の浸透を掲げる
キルマリーナとの間で神経戦が繰り広げられているという報道もあるくらいですよね。件の大統領としては、そうした国内外のナショナリズムを煽ることで自身の独裁権を取り戻したいと考えていても不思議ではないと思います」
「そうですね……そのように思われるのも致し方ないことでしょう」
ここで一旦、間を置くことにした。リティーアは、ただ黙って私の目を見据えている。
単なる嫌がらせではないことを示すためにも、少し歩み寄りの姿勢を示すべきだろうか?
「あなた方の政府が
ロフィルナ王国に対して行っている仕打ちが、本当に国際秩序の維持に必要なのか、少し疑問を感じますね。
ロフィルナ連邦共同体には、件の王国や貴国以外にも複数の加盟国が存在しています。彼らは共立主義の価値観を共有する重要な連邦構成国であると同時に、平和主義の理念も少なからず共有されてるはずでしょ?それらの国々からの信頼を失うような行動を取るのは、必ずしも得策とは言えないと思うのですが。あなたはこの情勢に関して、どのように考えておられるのですか?」
この問いかけも、聞く者の受け止め方によっては自らの首を締める格好の罠となることだろう。
あの男の性格であれば、喜び勇んで共立機構の汚点を並べ立ててくれるのでしょうけど。
「……」
この娘は一見、厳粛に受け止めているようだが、なるほど、言質を取らせる気はないのかもしれない。
私の出方次第で今後の対応を変えるのだろうか?……もう少し、探りを入れてみるか。
「まあ、いまここで論じるべきことではありませんでしたね」
ここで反撃に転じるような人間であれば、こちらもそれ相応の理屈をもって切り捨てれば良い。しかし
「いえ、そんなことはありません。貴重なご意見をありがとうございます」
思ったよりも賢明な人物であることを確認して、聞きたかった謎を紐解いていく。
「そうですか……ところで、リティーアさん。一つお聞きしたいことがあるのですけど、良ろしいでしょうか?」
「はい。何なりとお申し付けくださいませ」
「この報告書によると、貴国の闘争競技の参加者には、
非人道的兵器
の使用も認める検討がなされているとのことですね。これは事実ですか?」
そもそも、こんなことは正式な外交の場で問い質すべき事案であるのだが、リティーアは険悪な感情を微塵も見せず答えてくれた。
「それは……その、確かにそのようなことを言っている者もおりましたが、議論の俎上にはまだ載っていないのが現状でして……」
「そう。あくまでも、分別を持たぬ一人の政治家の暴論に過ぎない。そのように受け止めますけど、よろしいのですね?」
あえて高圧的な言い方をし、リティーアを試したが、やはり乗ってこないか
「仰せの通りでございます」
あっさりと私が求めていた言葉を紡いでくれる。
「わかりました。それならば良いのです。それで、本題なのですが」
「はい」
「私は当競技の存続を黙認するつもりです」
「え……?」
リティーアの表情に陰りが見えた。
「ただ、反対派の方々が抵抗している理由もよくわかるのです。当競技の参加者の中には、倫理的に問題がある者も多い。そういう意味で、当競技を廃止するというのは一つの選択肢としてあり得る話だと思います。しかし、
FSRの主催者である
共立機構とて、慈善事業で運営しているわけではないのです。私達も、スポンサー企業から得られる利益によって現行の社会保障制度を維持している。そして、その収益性の高さから考えて、今後も当競技の開催を継続することが予想されます。つまり、闘争競技を廃止すれば、当直轄領の財政基盤にも影響が出るということです」
「……」
明らかに落胆している様子を見る限り、嘘偽りを言っているわけではなさそうだ。スキャナーにも異常は見られない。
道を踏み外した兄君を救いたいとの思惑も見て取れる。
「ですから私は、反対派の意見に同調しつつも、当競技の継続を黙認するという結論を出しました。少なくとも、現時点では」
「!ッ……そうですか。それなら」
リティーアの表情が明るくなった。その喜びようが眩しくて、私は少しばかりの罪悪感を覚えてしまう。
共立機構の長ともあろう者が、こんなことではいけない。
しかし、この誠実なご息女が、あの男の毒牙に掛かる前に私の情報を共有しなければ。
「あなたの兄君ですが、おそらく、あなたと同じ考えを持っていると思われますよ」
「えっ?それは、どういうことでしょうか?」
「彼は、当競技の参加者に非人道的兵器の使用を認めるべきと主張している。これは先ほど、私が追求した通りの内容ですよね?」
「はい。確かに、そのような報道を拝見しました」
「それは、彼が件の政治家を支持しているからなのでしょうか?それとも、彼独自の考えに基づいて行動しているから?」
「……」
「利益配分を巡るFSRの諍いも、報道とは少しばかり状況が異なるようです」
「まさか……?」
「むしろ、彼が運営の主導権を握ることによって段階的な縮小を進める心算だと、本人の口から伺いました。つまり」
「兄は、お兄様は……道を、踏み外していなかった……」
公女の瞳から一筋の涙が零れ落ちる。これまで、つらい日々を過ごしてきたのだろう。
「あなたが無理をして私の腹を探る必要などないのです。ですから……」
リティーアは安堵の表情を浮かべて頷いたが、私の目をしっかりと見据えて答えてくれた。
「ありがとうございます、閣下。ですが、わたくしは花嫁修業の一環としてここに来たのです。それに、兄が大志を秘めているのであれば、なおのこと、その背中をお支えしたい。そのためにあなた様の活動に協力する意思があることに変わりはありません。いま、わたくしは確信をもって断言できます。あなた様は、公陛下……いえ、アリウスおばさまからお聞きした通りの方でした。世界の平和のために身命を賭しておられる、立派な方です」
「リティーアさん……」
「閣下、いえ、お館様。かねてから知られている通り、わたくしの本家の姓はセトルラームの名を冠します。ですが、公陛下はレミソルトの名のもとに見聞を広めるよう、わたくしに助言してくださいました」
その言葉は、所作は、あまりにも重たいもので。
アリウス・ヴィ・レミソルト―――それがレミソルトインフリー家を治める現女大公の本来の真名とされる。
私は天を仰いで祈りの言葉を紡いだ。もちろん、心の中でだが。
「あなた……それが何を意味するのか分かって……?」
それでも、リティーアの意思は揺るがない。つまり、この瞬間を堺に自らがセトルラーム公家の敵であることを名言したのだ。
「はい。ですからわたくし、実は無一文なんです」
公女が気まずそうに答える。音楽隊の軽やかな音色とともに鳥のさえずりが聞こえてきた。
「えぇ……」
窓の外から使用人達の喧騒も伝わってくる。また、例の新人が粗相をしたらしい。
暫しの沈黙のあと、私はリティーアに聞いた。
「えっと、いくらなんでも、当面の生活費くらいは支給されてるはずでしょ?ほら、レミソルトの名のもとに出てきたわけだし」
「無一文です。公陛下のお言葉に感動していたら、そのまま旅支度をしなさいって」
「そうなんだ……」
「あっでも、お館様の手を煩わせるつもりはありません。最悪、侍従官から頂いた
この壺
と、この体を売って稼げばどうとでもなりますし」
「やめなさい……」
アリウス大公は何故このようなことを?
御しやすい娘をほぼ着の身着のまま放り出した……?
いや、もしかすると私がリティーアの言を受け入れることを予想して遣わせたのかもしれないが。
いずれにせよ、私の常識を遥かに越えた出来事だった。
「あなた、ばかなの?」
「よく言われます」
頭の良い娘だと感心していただけに、そのギャップに苦笑してしまう。
こうして、私とリティーアの不思議な交流が始まった。