ヨシフ・スターリン

ヨシフ・スターリン

ヨシフ・スターリン(1878年12月18日 - 1953年3月5日)は、ソビエト連邦の第2代最高指導者であり、1924年から1953年までソ連を統治しました。
本名はヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・ジュガシヴィリで、「スターリン」という名前は「鋼鉄の人」を意味する筆名です。彼はグルジア(現在のジョージア)出身で、若い頃から革命運動に関与し、マルクス主義思想に基づく活動を展開しました。


概要

革命家としての初期活動
  • スターリンは神学校を中退後、ロシア社会民主労働党に参加し、地下活動や労働運動を組織しました
  • 逮捕や流刑を繰り返しながらも、ボリシェヴィキ派として頭角を現しました
権力の掌握
  • レーニンの死後、共産党内で権力闘争を繰り広げ、トロツキーら対立者を排除
  • 書記長として党組織を掌握し、独裁体制を確立しました
農業集団化と工業化
  • 農業集団化政策により農民を集団農場(コルホーズ)に組織化し、大量の穀物を徴収
  • これによりウクライナなどで大規模な飢饉(ホロドモール)が発生し、数百万人が餓死しました
  • 工業化を急進的に推進し、「五カ年計画」によって重工業や軍需産業を発展させました
大粛清
  • 1930年代後半には「大粛清」を実施。政敵や反体制派だけでなく、多くの無実の人々が逮捕され、処刑または強制収容所送りとなり、その数は数百万人に上ります
第二次世界大戦
  • ナチス・ドイツとの不可侵条約(独ソ不可侵条約)を結びつつも、1941年にドイツが侵攻(バルバロッサ作戦)
  • その後、ソ連は連合国側として参戦し、最終的にはベルリン陥落とナチス敗北に貢献しました
  • 戦後は東欧諸国に共産主義政権を樹立させ、「鉄のカーテン」を形成。冷戦の始まりに大きな影響を与えました
評価と影響
  • スターリンはソ連を超大国へと押し上げた一方で、その統治は恐怖政治によるものでもありました
  • 彼の政策による犠牲者は数千万人に及ぶとされています
  • 死後、1956年の「フルシチョフ秘密報告」で個人崇拝や粛清が批判され、「非スターリン化」が進められました
  • 現代ロシアではスターリンへの評価が分かれており、一部では「強力な指導者」として肯定的に語られる一方、多くの人々にとっては独裁者として記憶されています

スターリンは歴史上最も議論の多い人物の一人であり、その功罪が現在も議論されています。

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最終更新:2024年12月07日 08:44