ポル・ポト
ポル・ポト(本名:サロト・サル、1925年5月19日 - 1998年4月15日)は、カンボジアの政治家であり、共産主義者、そして独裁者として知られています。
彼は急進的な毛沢東主義を掲げたクメール・ルージュ(赤色クメール)の指導者であり、1975年から1979年にかけてカンボジアを支配した民主カンプチア政権の首相を務めました。その統治期間中に実施された過激な社会改革と虐殺政策により、カンボジアの人口の約4分の1にあたる150万~200万人が犠牲となったとされています。
概要
- 生い立ち
- ポル・ポトはフランス領インドシナ(現在のカンボジア)で比較的裕福な農家に生まれました
- フランス留学中に共産主義思想に触れ、帰国後は地下活動を展開しました
- 共産党指導者へ
- 1963年にカンボジア共産党(後のクメール・ルージュ)の党書記となり、反政府ゲリラ活動を指導しました
- この間、中国や北ベトナムから支援を受けつつ、毛沢東の文化大革命に影響を受けたとされています
- 都市から農村への移住
- ポル・ポト政権は「原始的な農村社会主義」の実現を目指し、都市住民を強制的に農村へ移住させ、集団農場での労働を強制しました
- 知識人や少数民族の迫害
- 知識人や少数民族(チャム族やベトナム系住民など)が「国家の敵」とされ、多くが拷問や処刑の対象となりました
- 眼鏡をかけているだけで知識人とみなされるなど、過酷な弾圧が行われました
- キリング・フィールド
- 処刑場として知られる「キリング・フィールド」では、多数の人々が処刑され集団墓地に埋められました
- 犠牲者には飢餓や過労死も含まれます
- 政権崩壊と晩年
- 1978年、ベトナム軍がカンボジアに侵攻し、翌1979年にポル・ポト政権は崩壊しました
- その後、ポル・ポトはジャングルでゲリラ活動を続けましたが、1997年に逮捕され自宅軟禁となり、翌1998年に死去しました
- 評価と影響
- ポル・ポト政権による虐殺は「カンボジア大虐殺」として知られ、人類史上最悪の大量虐殺の一つとされています
- この時期には教育機関や宗教施設も破壊され、現在もカンボジア社会に深い傷跡を残しています
- その一方で、彼の政策は極端な平等主義や独立自立を目指したものとして一部で評価されることもありますが、その代償として膨大な犠牲が伴いました
ポル・ポトはその非人道的な政策と行動によって世界的に悪名高い人物となり、その統治期間は現代史上最も暗い時代の一つとして記憶されています。
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最終更新:2024年12月07日 08:57