日本三大怨霊
日本三大怨霊とは、日本の歴史において非業の死を遂げた後、その怨念が
災厄をもたらしたとされる3人の人物、
菅原道真、
平将門、
崇徳天皇を指します。
概要
1. 菅原道真(すがわらのみちざね)
- 背景
- 平安時代の学者であり政治家
- 右大臣まで昇進しましたが、藤原時平の陰謀により無実の罪で太宰府へ左遷されました
- 失意のうちに903年に亡くなります
- 怨霊伝説
- 道真の死後、京都では雷や疫病などの災厄が頻発し、彼を陥れた藤原時平や醍醐天皇ら関係者が次々と不幸に見舞われました
- このため、道真の怨霊を鎮めるために北野天満宮が建立されました
- 現在
- 怨霊として恐れられた一方「天神様」として祀られ、学問の神として信仰されています
2. 平将門(たいらのまさかど)
- 背景
- 平安時代中期の武将で、関東で「新皇」を名乗り独立国家を目指しましたが、940年に討たれ、その首は京都で晒されました
- 怨霊伝説
- 将門の首は夜な夜な歯ぎしりをし、関東へ飛び戻ったと伝えられています
- 首が落ちたとされる場所には「将門塚」が建てられています。関東大震災後や戦後の開発時に塚を壊そうとした際、不審死や事故が相次ぎ、祟りとして恐れられました
- 現在
- 将門塚は神聖視され、周辺開発も慎重に行われています
- また、勝負事や商売繁盛の神としても祀られています
3. 崇徳天皇(すとくてんのう)
- 背景
- 平安時代末期、第75代天皇。保元の乱で敗北し讃岐(現在の香川県)に流されました
- 朝廷への恨みから「妖怪に生まれ変わって無念を晴らす」と言い残し、1156年に亡くなります
- 怨霊伝説
- 崇徳天皇の死後、京都では飢饉や疫病、大火などが続きました
- 後白河天皇をはじめ朝廷関係者にも災厄が相次ぎ、崇徳天皇の祟りとして恐れられるようになりました
- 現在
- 崇徳天皇は「讃岐院」から「崇徳院」と呼ばれるようになり、その霊を鎮めるため廟や寺が建立されました
共通点と意義
三大怨霊には以下の共通点があります:
- 政争や陰謀に巻き込まれて不遇な死を遂げたこと
- 死後、その怨念が災厄を引き起こしたと恐れられたこと
- やがて信仰対象となり、人々から祀られる存在となったこと
これらは日本文化における怨霊信仰や鎮魂儀礼の象徴であり、歴史的にも重要な意味を持っています。
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最終更新:2024年12月08日 18:56