パイプの置きすぎ
「パイプの置きすぎ」という概念は、脚本や物語の構成において、設定や
伏線を過剰に盛り込みすぎることを指します。
これは、ストーリーが複雑になりすぎて観客や読者が混乱したり、興味を失ったりする原因となる可能性があります。
概要
「パイプを置きすぎる」という批判は、ストーリーの導入部分や背景説明に時間をかけすぎることで、観客が退屈したり、物語のテンポが崩れる問題を指します。
この点について、トム・クルーズ主演の『マイノリティ・リポート』とロマンチック
コメディ『ポリーmy love』が例として挙げられています。
- 『マイノリティ・リポート』の問題点
- 映画の冒頭で、近未来社会の設定や犯罪予防局(プリコグによる未来予知を利用して犯罪を未然に防ぐシステム)など、ストーリーの背景説明に多くの時間を割いています
- 主人公(トム・クルーズ)が抱える個人的な問題(息子を亡くした過去や薬物依存症)や、局内での疑惑(内密な調査や信用できない上司)など、複数の要素が詰め込まれています
- 物語が本格的に動き出すのは、主人公自身が未来の殺人犯として予知されるという衝撃的な展開ですが、それが映画開始から約40分後にようやく明らかになります
- このように背景説明が長すぎるため、観客は疲れてしまい、ストーリー自体も引き締まらず散漫になっていると指摘されています
- 『ポリーmy love』の問題点
- 主人公(ベン・スティラー)が離婚するまでのエピソードに時間をかけすぎています。具体的には以下の流れです:
- 主人公が最初の妻と結婚
- ハネムーン先で妻がダイビングのインストラクターと浮気
- 離婚後、ジェニファー・アニストン演じる「おかしな美女」と恋に落ちる
- この「セットアップ」に多くの時間を費やした結果、本来描くべきラブストーリーへの到達が遅れ、観客を退屈させてしまいます
- 共通する課題
- 両作品とも「セットアップ」(物語の準備段階)に時間をかけすぎており、観客が本筋に入る前に疲弊してしまうという問題があります
- 一般的に脚本では「セットアップ」に25ページ以上(映画では約25分以上)を費やすべきではないとされており、このルールから逸脱していることが批判されています
- 結論
- 「パイプを置きすぎる」ことは観客の集中力を削ぎ、物語全体のテンポを損なうリスクがあります
- 『マイノリティ・リポート』も『ポリーmy love』も、この問題によってストーリー展開が遅れ、観客に不必要な負担を与えていると指摘されています
- 適切なバランスで背景説明と本筋への移行を行うことが重要です
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最終更新:2025年01月31日 00:18