アチラノ・リベラ(野球選手)

登録日:2010/01/20(水) 15:01:56
更新日:2024/06/04 Tue 12:07:39
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1939年に巨人で活躍した、日本プロ野球史上唯一のフィリピン人選手。背番号は20

1939年(昭和14年)の巨人軍マニラ遠征にて、マニラ税関チームの選手として親善試合に出場。
当時の大エースであるヴィクトル・スタルヒンを完膚無きまでに打ちのめし、巨人軍を驚かせた。

そしてその打撃に目を付けた巨人はリベラをスカウト。

すると同年のリーグ戦では期待通りの大活躍、8月24日には巨人球団史上初となる満塁本塁打を放つ。



…だが活躍したにもかかわらず同年でフィリピンへ帰国、以降消息不明になってしまった。


その後、太平洋戦争が勃発。

リベラは現地で日本兵の通訳として働いた後、フィリピン兵によって死刑にされたとのみ伝えられた。






しかし

1967年(昭和42年)、リベラの娘が東京で開かれたバレーボールのユニバーシアード大会に出場。

それを知ったリベラ夫人の知り合いは、喜び勇んでリベラの同期の巨人軍選手へその事を伝えたが、


リベラ?そんな選手いたかな?

アチラノ・リベラ?誰、それ?


と、ことごとく無視されてしまう。


「彼は巨人によく尽くしてくれました」
と娘に伝えたのは、川上哲治ただ一人だった。

そして川上は娘の口から衝撃的な事実を知る事となるのである。

















「父は、帰国した後は再び税関で働いていました。…ですが兵役につき、独立義勇軍として、日本兵との交戦で戦死してしまいました。」

…と。




たった一年ではあるが、日本で活躍したリベラ。

その最後も日本の因果とは、なんとも空しく、そして悲しい事である。



<生涯成績>

76試合出場
打率.257本塁打6打点42。
当時としては本塁打を6本打つのは難しく、素晴らしい成績であった



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最終更新:2024年06月04日 12:07