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【彼】(仮面ライダー1971-1973)

登録日:2012/06/29 Fri 19:25:40
更新日:2026/10/22 Thu 23:07:40
所要時間:約 13 分で読めます


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GOD機関 「三つ!」 【人類】の味方だが【人間】の味方ではない 【人類】の守護者 【彼】 ある意味ディケイド もう一人の主人公 もしかして→仮面ライダーマイス イエス・キリスト キリスト ゴッドショッカー ショッカー ショッカー首領 ネタバレ項目 ラスボス 世界しか救えない王 世界征服(達成済み) 主観 仮面ライダー 仮面ライダー1971-1973 仮面ライダー(初代) 全ての元凶 全ての原点 全ての始まり 全ての頂点 名前を言ってはいけないあの人 和智正喜 大首領 悲しき過去 新人類 最初の男 本郷猛 無貌 真人類 神 神vs人類 神々との戦い 神になってしまった元人間 神人類 聖人から最も遠く、されど聖人に最も近い男 観測者 誰の力も必要としない究極の個人 超能力者 青森県 黒い幽霊団



「君は誰だ、本郷猛」


小説『仮面ライダー1971-1973』に登場する最重要人物。
彼こそ〈ショッカー〉の統括者。原作におけるショッカー首領に相当する人物である。

彼が〈ショッカー〉を使い、暗躍する理由とは?


※以下は本作最大のネタバレになります。
未読の方はプラウザバックをオススメします。




































【基本設定】

和智版ライダー3部作の世界に存在する〈ショッカー〉を含めた複数の秘密組織を統括する巨大組織の支配者。
その存在自体は物語の序盤から示唆されていたが、本格的に姿を現したのは第3部の終盤。作中では本名を名乗ることも、正体を明確に明かすこともなく、ただ〈彼〉と呼ばれ続ける謎多き人物である。
〈彼〉が何者であり、どのような人生を歩んできたのか。それを真に知っているのは、当の〈彼〉自身だけなのかもしれない。

〈ショッカー〉や〈GOD機関〉をはじめとする組織の存在意義について、〈彼〉は本郷猛にこう語っている。
「私は歴代の〈彼〉らの考えを受け継ぐ者だ。君が組織と呼ぶものは、私を含む〈彼〉らの願いを具現化するためにある」
つまり、〈彼〉が率いる組織は単なる「世界征服を企む悪の秘密結社」ではない。
その背後には、歴代の〈彼〉たちが受け継いできた、ある一貫した目的が存在している。

【姿を変える存在】

本郷の前に現れた際、〈彼〉は本郷と瓜二つの姿をしていた。
この不可解な現象について、〈彼〉は次のように説明している。
「君は私のことを、君自身の姿として見ているのか。生憎、それは手品でもないし、私の細工でもない。私をどのような姿で認識しているのか、それは君の問題だからだ。最初に断っておく。私は誰にとっても他者なのだ。だからこそ私は……〈彼〉という名前で呼ばれ続ける」
どうやら〈彼〉は、見る者の主観によって、その姿が異なって認識される存在らしい。
自ら姿を変えているわけでも、相手を欺く幻術を使っているわけでもない。相手が〈彼〉をどのような姿として認識するかは、あくまで認識する側の問題だというのである。
この性質は、後年の『仮面ライダーSPIRITS』に登場する大首領JUDOが「虚無の牢獄」において見せる性質とも共通している。

性格は善悪という概念を超越しており、〈改造人間〉を生み出す秘密組織の指導者とは思えないほど理知的。時にはユーモアさえ感じさせる言動すら見せる。
しかし、その一方で、目的のためならば他者や配下を犠牲にすることにも何のためらいも見せない。

そんな〈彼〉に課せられた目的、それは人類を守護することである。

【三つの敵】

「は?」と思うかもしれないが、作中の発言を踏まえれば、これは紛れもない事実。
〈彼〉によれば、人類は三つの敵に脅かされているという。
「過去」と「現在」と「未来」の三つ。
そして、「親」と「自分」と「子」の三つである。

このうち「現在」と「自分」が指すものは、今、生きている人類そのもの。
すなわち、人類が自らの手によって滅亡することを防ぐ、という意味である。

作中では〈アンチショッカー同盟〉が
  • 〈ショッカー〉の介入がなければ、太平洋戦争において、広島・長崎の他にもう三発の原子爆弾が日本の国土に投下されるはずだった
  • キューバ危機が起こった時、〈ショッカー〉の介入がなければ、そのまま核戦争に至っていた
といった事実をすでに掴んでいた。
文化・文明の発展は人類に力をもたらす一方で恐怖をも生み、恐怖はさらなる力への渇望を呼び起こす。その連鎖の果てに、人類は必ず自らを滅ぼす。
だからこそ〈ショッカー〉は人類に恐怖を与え続けることで、人類が破滅へと向かわないよう制御しているというのだ。

では、「過去」と「親」とは何を意味するのか。
その答えは、〈創造主〉の存在と、人類が誕生した経緯に関係している。

〈創造主〉という存在そのものが小説内に直接登場するわけではない。
しかし、〈彼〉と本郷の会話の中で、その存在が明確に示唆されている。

本郷が「『過去と親』とは何を意味する言葉か」という問いに「創造主」と答えた際、〈彼〉はそれを肯定した。
さらに、後述する〈真人類〉や〈最初の〈彼〉〉、そして「神は自分に似せてヒトを造った」という発言を総合すれば、ここで語られる「創造主」とは、アブラハムの宗教における神に近しい存在だと考えられる。

ただし、〈創造主〉と〈彼〉が同一の存在なのかどうかについては、単純に断定できない部分も残されている。

【新人類/真人類】

そもそも〈ショッカー〉(を含む〈彼〉傘下の組織)が敵視していたのは、現人類の内部から突然変異的に生まれた、神にも等しい力を振るう存在、〈新人類〉である。
〈彼〉は人類の進化について、次のように語っている。
「我々人類は生まれながらの呪われた子だ。だが、長い年月は人類に次の一歩を促した。不完全な人類を苗床とし、新たなる力を持ったヒト……」
「人類という蛹から蝶が生まれる。それこそが新人類だ。そうなったとき、人類が生き残れる道理はない。力に劣った現人類は淘汰される以外、道はない。これが未来と子に脅かされる、という意味だ」
作中で〈ショッカー〉の〈改造人間〉が殺害した人間の中には「明日の天気が100%的中する」といった、比較的ささやかな能力しか持たない者もいた。
しかし、第3部終盤に登場する〈少女結社サクラ〉の少女たちは、そうした能力者とは一線を画している。
  • 第3部時点での本郷ですら拘束されるほどの強烈な精神的圧力
  • 日本列島を縦断できるだけでなく、他者をも別の場所へ移動させられる空間跳躍能力
このように、彼女たちは既存の人間の能力という尺度では到底測れない、超常的な力を備えていた。
〈新人類〉の出現は、単なる人間の能力の向上ではない。人類という種そのものが、次の段階へ移行しつつあることを意味しているのである。

そして、その〈新人類〉に対抗するために必要とされたのが、神に近い力を持っていた原初の人類に限りなく近い存在、〈真人類〉だった。

ここで重要なのは、〈ショッカー〉が〈改造人間〉を製造する目的そのものが、必ずしも〈改造人間〉の戦力化にあるわけではないという点である。
彼らにとって〈改造人間〉とは、単なる戦闘工作員という以上に、〈真人類〉を生むための研究材料であり、その完成に向けた礎でもあったのだ。

【〈ショッカー〉とは何か】

では、そんな〈彼〉が支配する〈ショッカー〉とは、いったい何なのか?
──〈ショッカー〉。
人類の文化文明、その歴史の始まりから存在するといわれる、世界的な秘密結社である。
人類の暴走を諫め、正しい道に導くことがその理念だ。
アニミズムとも呼ぶべき、一種独特の生命信仰を持つ彼らは、その活動の先兵として、人間と多様な生物の能力を合わせ持つ、改造人間を製造する。
人工的に生み出された怪物たちは、闇の中に潜み、ある者は人口調整とうそぶき、ひとびとの命を無作為に奪い、また、ある者はその任務遂行のために世界各国の指導者の家族をさらう。
そしてまた、ある者は民族紛争の戦場に現れ、戦火を拡大するために奔走する。
すべては、人類を、正しい道に、導くために。
彼らの理念の正邪を問える者は、未来の歴史家の中にしか、存在しないのかもしれない。
だが、ひとつ確実なことは、彼らの唱える大義という名の車輪に踏み砕かれ、その命を、人生を、家族を奪われる無辜のひとびとがいるという事実である。
〈ショッカー〉に踏みつけにされる者たちの多くは、自分を虐げた存在のことすら知らず、無念をぶつける相手を見つけることもできぬまま、ただ絶望し、死ぬだけである。
〈ショッカー〉は巧みにその姿を隠し、我々の社会と一体化しているからだ。

(第2部『希望 1972』参照)
この説明だけを読めば、彼らは自らの目的を正義と信じ、非情な手段も辞さない秘密組織のように思える。
しかし〈ショッカー〉の思想を理解する上では、彼らの行動だけでなく、彼らが何を価値あるものと見なしているかにも注目する必要がある。

〈ショッカー〉の最高幹部の一人である〈大佐〉によれば、〈ショッカー〉は太古から存続してきた組織であり、その長い歴史の中で幾度も異なる名を名乗ってきた。
そして、その技術体系には、ある種の偏りが存在する。
人体改造や肉体強化だけを目的とするならば、より効率的な方法はいくらでもある。それにもかかわらず、〈ショッカー〉は人間と他の生物を融合させることにこだわり続けているのだ。
その理由は、彼らが命を愛しているからだという。
命を取り込み、その命と一体化しながら、さらなる高みへと至る──それこそが〈ショッカー〉を導く者の教えであると、少なくとも〈大佐〉は信じていた。

この生命観に立てば、〈改造人間〉の創造は、単なる戦力の開発とは異なる意味を帯びてくる。
それは、生命を操作する技術であると同時に、異なる生命をひとつに結びつけ、新たな可能性を生み出す行為でもある。

もっとも、そうした生命への執着が、個々の生命に対する慈愛を意味するわけではない。
むしろ、生命そのものを崇拝するがゆえに、個々の人間の意思や尊厳が軽視される。人間もまた生命の一形態にすぎず、より大きな目的のために改変され、利用され、時には犠牲にされることさえ正当化されるのだ。

ここに、〈ショッカー〉の思想が孕む根本的な倒錯がある。
彼らは命を愛している。しかし、その愛は、個々の人間をひとりの人間として尊重することとは異なる。

そして、〈ショッカー〉の思想をさらに不気味なものにしているのが、その支配の永続性である。
〈大佐〉は、〈仮面ライダー〉が〈ショッカー〉と戦うことについて、次のように語っている。
「君も知っているはずだ。もしも『今』の〈ショッカー〉が滅ぶことがあっても、すぐに次が出てくる。おまえとともに行動し、この基地を襲撃している〈アンチショッカー同盟〉と呼ばれる者たちが、その『次』になるだろう。これまでも、ずっと、そうだった。人類はその歴史の始まりと同時に、常に陰から支配されている。それを覆すことは不可能だ。一個の人間が世界全体を敵に回すということだ」
この言葉が示しているのは、〈ショッカー〉という組織だけの問題ではない。仮に〈ショッカー〉が滅びたとしても、すぐにその権力や思想を引き継ぐ新たな組織が現れるという、より根深い問題である。

〈ショッカー〉は、一般社会をはるかに凌駕する科学技術を保有している。
その一例として、第1部(1971年)の時点で、タブレット端末はもちろん、ナノマシン、強化細胞、量子電算機(量子コンピューター)などを完成させ、すでに実用化していた。
それだけでない。〈ショッカー〉はその科学技術を基盤としながら、政治、経済、軍事、さらには社会の制度や人間関係にまで影響力を及ぼし、文字通り、世界を陰から支配している。
だからこそ、別の誰かが絶対に〈ショッカー〉を放っておかない。
そもそも建前上は主人公側の組織である〈アンチショッカー同盟〉ですら、地の文でこう言い切られている。
その名の通り、〈ショッカー〉に対抗する組織である。
各国政府、軍部、企業が手を組み、秘密裏に組織され、ひと知れず〈ショッカー〉と戦っている。
行き掛かりから、本郷猛を支援しているが、その本来の目的は〈ショッカー〉を殲滅、その隠匿している科学技術、さまざまな利権を入手……つまりは〈ショッカー〉に成り代わることにある。

(第2部『希望 1972』参照)
〈ショッカー〉を倒すことと、人類が支配から解放されることは、必ずしも同義ではない。
組織を滅ぼしても、その支配構造が温存されるのであれば、結局は新たな〈ショッカー〉が誕生するだけなのだ。

こうした〈ショッカー〉の特異性について、本郷自身もまた、緑川ルリ子に対して次のように語っている。
「……〈ショッカー〉は謎が多い組織です。それは僕が会ったことのある最高幹部も、自分で言っていたことです。〈ショッカー〉は数十年進んだ科学技術を隠匿し、それを基盤に活動している、極めて知的レベルの高い組織です。しかし、その尺度だけで計ろうとすると、様々な齟齬が見える。彼らは少なくとも、合理的、ではない。それもその幹部の言葉ですが、彼らは命に、こだわっていると」
さらに、本郷はこう続ける。
「理不尽な殺戮をする一方で、彼らは自分たちのことを、命の守護者と言っています。そもそも、彼らの戦力である改造人間は……」
「〈ショッカー〉の高い技術力をもってすれば、もっと効率的で破壊力の高い武器、兵器はいくらでも持てるでしょう。しかし、彼らは改造人間……天然自然の動植物の力と、人間を合成して生み出すキメラに、異常な執着を見せるのです。きっとそれは、科学的合理精神などからはもっとも遠い……」
「それが彼らの組織……その上位組織の隠された理念のような気がします」
本郷の指摘は、ここまで見てきた〈ショッカー〉の思想を端的に表している。
彼らは高度な科学技術を持ちながら、その技術を合理性だけに従って運用しているわけではない。より効率的で破壊力の高い兵器を開発できるにもかかわらず、あえて人間と動植物を融合させた〈改造人間〉を生み出し続ける。
それは、単なる趣味や伝統によるものではない。彼らにとって重要なのは、兵器としての性能だけではなく、異なる生命を融合させ、新たな生命の形を生み出すという行為そのものなのだ。

〈ショッカー〉の科学技術は、生命を自在に改変するための手段であると同時に、彼らの生命信仰を具現化するものでもある。
だからこそ、彼らの行動は、合理的な軍事組織という枠組みだけでは説明できない。

人類全体を守るという大義を掲げながら、個々の人間を犠牲にすることをためらわない。
生命を愛すると称しながら、その生命を自在に改変し、支配し、利用する。
そして、仮に自らが滅びたとしても、その支配の構造は別の組織によって引き継がれかねない。

〈ショッカー〉の恐ろしさは、単に強大な力を持っていることではない。人類を守るという理念と、人類を支配するという欲望が、彼らの中では矛盾なく結びついていることにある。

彼らにとって、人類の存続と個々の人間の幸福は、同じものではない。
そして、命を守ることと、命を支配することもまた、彼らの中では分かちがたく結びついているのだ。

【マイス──本来の力を取り戻したヒト】

なぜ〈ショッカー〉は、人間と他の生物との融合という手法にこだわるのか?
そして、なぜ〈ショッカー〉の〈改造人間〉は、暗殺や秘密工作を主な任務とする組織の戦力としては必要以上とも思えるほどの性能を与えられているのか?

これらの疑問に対し、〈彼〉は明快な答えを示している。
「すべては実験であり、儀式だからだよ。〈ショッカー〉の最大の目的は改造人間の製造そのものにある。あらゆる手段を尽くし、ヒトをヒトを超える者に変える。そこで得られた結果はすべて〈GOD機関〉に集約される。……力を奪われる前……人類が本来の力を持っていた状態……つまりは、真のヒト……真人類の再生のために。〈マイス〉は、やがて訪れる新たなる人類との決戦のための切り札だ」
〈真人類〉は、厳密には〈改造人間〉ではない。
作中では詳細な原理までは明かされていないものの、何らかの方法で「人間の肉体にある『スイッチ』を押す」ことにより、潜在能力を常人では到達できない領域まで引き出した存在である。
「人間の脳が持つ能力の大部分は未使用である」という通説的なイメージを連想させる設定だが、〈彼〉の言う「スイッチ」が具体的に何を指しているのかは、必ずしも明確ではない。

本作に登場した〈真人類〉は、プロトタイプであるアポロのみだが、その能力は凄まじかった。
現人類を問答無用で屈服させるほどの超能力を備え、身体能力においても、すでに地上最強の〈改造人間〉となった本郷を上回る。

〈彼〉はアポロについて、次のように説明している。
「まだ途上の不完全なものだが、〈アポロ〉はヒトだ。君のように人工的な器官を埋め込まれ、改造されたわけではない。本来、ヒトが持っている……なんといえばいい……スイッチ……隠されたスイッチを押した……比喩、だが。我々もまだ、すべてのスイッチを探り当てたわけではない。我々の研究はまだ終わりが見えない」
〈改造人間〉を「肉体そのものに手を加えることで人間の限界を突破した存在」だとすれば、〈真人類〉は「人間という生物の内側に眠っていた可能性を解放した存在」と呼べるだろう。
ただし、その可能性がどこまで広がっているのかは、〈彼〉自身にも把握しきれていない。アポロですら、まだ完成には程遠い試作品にすぎないのである。
そして、〈彼〉が人類を守ろうとする理由も、ここにある。


現人類を、一秒でも長く生存させたい。


それが、〈彼〉の目的なのである。

【神なのか、それとも人間なのか】

〈彼〉の生い立ちや、〈彼〉となるまでの経緯は、最後まで詳しく語られなかった。
しかし、作中の発言を総合すると、〈彼〉自身が〈真人類〉の起源に深く関わる存在であることがうかがえる。

〈真人類〉について、〈彼〉は本郷猛にこう語っている。
「これはどのように理解してもらっても構わないが……神は自分に似せて、ヒトを造った。君もそんな話を聞いたことがあるだろう?」
さらに、こう続ける。
「いったい、どれほど似せて造られたんだろう? 姿形だけか? いや、ちがう。もっと近い。ほぼ同じものを造ってしまった。しかし、それは彼らにとって失敗だった。彼らはヒトを恐れた。そして、ヒトが本来持っていたあらゆる力を奪った。だからこそ、ヒトは……人類はここまで不完全なものになった。常に己の未熟さと戦う宿命に置かれた。滅びを回避するために、我々はあらゆる手を打ってきた。文化、文明、戦争の制御。恐怖による統制は常に必要なものだった」
そして最後に、こう結論づける。
「それがつまり、過去と親に脅かされている、ということだ。我々人類は生まれながらの呪われた子だ」
この発言からは、かつての人類が現在の人類とは比較にならないほどの能力を持っていたこと、そして何らかの存在によって、その力を奪われたことが読み取れる。

〈彼〉は、その失われた力を取り戻すことこそが、真の人類の再生につながると考えているのである。

では、〈彼〉自身は何者なのか。
作中の発言を素直に読むならば、〈彼〉は〈創造主〉と同じ、あるいはそれに近い存在へと至った〈原初の人間〉なのではないか──と考えられる。

ただし、ここで注意したいのは、〈彼〉が自らを〈創造主〉だと明言したわけではない、という点である。むしろ、〈彼〉は自分と〈創造主〉を別の存在であるかのように語っている。
「私は誰にとっても他者なのだ。だからこそ私は……〈彼〉という名で呼ばれ続ける」
また、〈彼〉は本郷に対しても、自らの正体を説明するどころか、そもそも人間が理解できる枠組みの外側にいる存在だと主張している。

「小説『仮面ライダー1971-1973』の完結編・第三部『流星 1973』に登場した〈彼〉の正体についてです。
「私は誰にとっても他者なのだ。だからこそ私は……〈彼〉という名前で呼ばれ続ける」と言った〈彼〉は〈創造主〉だったのですか?」
というファンからの質問に対して、作者の和智正喜は、自身のTwitterにて〈彼〉についてこう語っている。
「これは誰にとっても他者、というのが答えだと思っていて。この世界に生きている生きてきた者であれば絶対になにかの繋がりがあると思うんです。そうでないということは、この世界の外側にいる者と考えています。余計混乱させます?」
つまり、この世界に生きている生きてきた者ではない〈彼〉とは、繋がりを持たない者=この世界の外側にいる者、ということなのだろう。

さらに
「つまり、この世界に生きている者でも生きてきた者でもない〈彼〉とは、〈神〉でも〈人間〉でもない『他者』であり、繋がりを持たない者=この世界の外側にいる者、ということなのでしょうか。」
というファンからの追加の質問に対して、和智正喜はこう語っている。
「そういうことではないかと考えています」
ある意味〈彼〉とは〈神〉以上の存在なのかもしれない。
以上、『https://x.com/masakiwachiex/status/2112155449231569312』『https://x.com/masakiwachiex/status/2113195416024195368』より

原作『仮面ライダー』における一文字隼人/仮面ライダー2号に相当する人物であるハヤトは、本郷にこう語っていた。
「影の政府……いや、ヤツらの支配者はきっと、自分のことを神だと思ってるんだろうよ」
この台詞を踏まえると、作者の和智正喜は、第1部『誕生 1971』の段階から、ショッカーの支配者である〈彼〉と〈創造主(神)〉との関係を、物語の根幹に関わる謎として仕込んでいた可能性がある。

作中では、〈彼〉以外にも覚醒者が存在したらしいことが示唆されているが、その詳細は不明である。
また、〈彼〉は〈彼〉として何代目かにあたるらしく、歴代の〈彼〉たちが存在していたことも明かされている。

〈彼〉が本郷を待ち受けていた、青森県内の原生林の奥にある遺跡。そこは、歴代の〈彼〉たちが眠る墓所だった。
〈彼〉は、その場所についてこう語っている。
「確かにここは永い歴史を越えてきたものだ。その認識も決して間違いではない。もう少し具体的にいうなら、ここは『墓』だ」
世界を裏から支配する大首領が、歴代の同一の名を持つ存在たちの墓所で本郷を待ち受けていたという構図は、昭和ライダーシリーズにおける歴代組織の首領のイメージをも想起させる。

【青森の遺跡──神殿か、墓所か】

この〈墓〉について、『流星 1973』では、本郷の視点から次のように描写されている。
洞窟は長く続いていた。胎内巡りをしているような景色に大きな変化はない。
数キロを歩いて、本郷はようやく、そこ、に辿り着いた。
天井の高さは変わらなかったが、大きな円形のスペースになっていた。直径にして数十メートル。
これまでが通路とするなら、そこは部屋、だった。
そして、その『部屋』は中央部が方形に一段高くなっている。差し渡し十メートル、厚みは一メートルほど。
自然の地形ではない。明らかにひとの手によって加工されたものだ。きれいに切り出された巨大な板……石舞台だ。
そして、その開けた石舞台の中央には、地上にあったものと同じ石塔が鎮座していた。
子供ほどの背丈の捻じれた石。
それが御神体然として、本郷のことを見下ろしていた。

(……神殿か)

否、墓、なのかもしれない。
神の棲む場所であれ、仏の座であれ、つまりは、ひと、ではないものが支配する空間であることに変わりはないだろう。
ここで描かれる遺跡は、単なる秘密基地(アジト)とは明らかに異なる。
人の手によって加工された石舞台と、その中央に置かれた石塔。そこには、何らかの宗教的・儀式的な意味が込められているように見える。

しかし、それが神を祀る場所なのか、死者を葬る墓なのかは、本郷自身にも判然としない。

この曖昧さは、〈彼〉という存在そのものにも通じている。
人類を支配する者でありながら、人類の理解を超えている。
神のように崇められる存在でありながら、歴代の〈彼〉たちの墓所に眠る者でもある。
この二面性こそが、〈彼〉の正体を一筋縄ではいかないものにしている。

【最初の〈彼〉】

本郷と対峙した〈彼〉は、歴代の〈彼〉たちについてだけでなく、その最初の存在についても語っている。
その正体は明言されていないものの、作中の描写からは、イエス・キリストである可能性が強く示唆されている。
「およそ二千年前になる。最初の〈彼〉が西方よりこの小さな島国に流れ着いた。いや、ここが約束の地と知り、半死半生でようやく辿り着いたのだ。〈彼〉はここで出会うべき存在と出会い、重要な問答を行った。その後、〈彼〉はこの地で大いなる思索に耽り、そして死んだ。それ以来、世界のあらゆる場所で〈彼〉が生まれた。〈彼〉らの辿った道はそれぞれだ。だが、その最期だけは定められている。この地で眠りに就くことだ。それがつまり習わしなのだ」
確かに「二千年前」「西方から来た」「半死半生で約束の地に辿り着いた」「重要な問答を行ったのちに死んだ」という要素は、イエス・キリストの生涯や受難を連想させる。
そのため、〈最初の〈彼〉〉がイエスをモデルとしている、あるいはイエスその人である可能性は高いと考えられる。
ただし、作中では最後まで名前が明言されていない。
したがって、イエス・キリストであることが確定しているというよりも、キリスト教的な象徴性を強く帯びた人物として描かれている、と表現するのが適切だろう。

さらに興味深いのは、最初の〈彼〉が日本に流れ着いたという点である。この設定は、「青森県にイエスの墓がある」とする伝説を想起させる。
もちろん、これは史実として認められた説ではなく、伝説や俗説の類いである。しかし、作中の青森の遺跡が歴代の〈彼〉たちの墓所であることを踏まえると、現実の伝説と物語の設定が重なり合うように構成されていることは確かだろう。

【〈彼〉の能力と、その底知れなさ】

〈彼〉の具体的な能力については、作中でほとんど明かされない。
〈彼〉自身が全知全能であると明言されたわけではない。単に手の内を見せていないだけなのか、それとも〈彼〉自身にも限界があるのかは不明である。

しかし、〈彼〉が〈真人類〉の起源に関わる存在であり、歴代の〈彼〉たちの思想を受け継ぐ者であること、さらに人間の認識そのものに干渉するかのような性質を持っていることを考えれば、本郷やアポロとは比較にもならない力を備えている可能性は高い。

仮に〈彼〉が〈創造主〉と同じ、あるいはそれに限りなく近い存在へと至った人間なのだとすれば、その能力も全知全能、もしくはそれに限りなく近いものなのかもしれない。

【本郷猛と〈彼〉】

「ヒーローが敵と同質の存在である」という構図は、1971年から2026年に至るまで続く仮面ライダーシリーズを貫く重要なモチーフの一つである。

原作者・石ノ森章太郎は、この構図を『仮面ライダー』だけでなく、『サイボーグ009』『人造人間キカイダー』『ロボット刑事』『変身忍者 嵐』など、他の作品でも繰り返し描いてきた。
同じ力を持ち、同じ人間から逸脱した存在でありながら、その力を何のために使うのかという点が「善」と「悪」を分けるのである。

本郷猛もまた、〈ショッカー〉によって改造された身でありながら、踏みにじられようとする命を、善悪の区別なく救うために戦い続ける。
一方の〈彼〉も、〈新人類〉によって駆逐されようとしている現人類を、一年でも、一日でも、一秒でも長く存続させようとしている。
両者は、守ろうとしているものこそ異なるものの、滅びへと向かう人類を前にして、戦うことを選んだ存在なのである。

しかし、両者の間には決定的な違いがある。
本郷は、個々の人間の命を救うためなら、自らの身を危険にさらすことも厭わない。
対して〈彼〉は、人類という種全体を存続させるためなら、個々の人間や配下を犠牲にすることもためらわない。
本郷が目の前の命を救うことを重視するのに対し、〈彼〉は人類全体の未来を見据え、犠牲を伴う選択を合理的に実行する。
どちらも人類を守ろうとしている。しかし、そのために何を犠牲にし、何を守るのかという価値判断は、決定的に異なっているのである。

本郷と対話した〈彼〉自身も、自分の方法では現人類を救いきれないことを理解していた。
彼は、〈真人類〉の再生が間に合ったとしても、人類の趨勢を変えることはできないと断言している。
「現人類はやがて出現する新人類との戦いに敗れる。現人類は必ず滅びる」
「それはこれまでの〈彼〉が辿り着いた結論だ。真人類の再生が間に合ったところで、焼け石に水だ。趨勢は変えられない」
「だからこそ、我々は戦う道を選んだ。現人類の種としての寿命を一年、一日でも伸ばすために」
〈新人類〉が現人類を基盤として誕生する以上、その個体数が増加し続ければ、現人類が種として淘汰される可能性は避けられない。
大規模な戦争が起こらなかったとしても、〈新人類〉の覚醒が進めば、現人類は生存競争に敗れることになる。
〈彼〉が戦っているのは、勝利を確信しているからではない。敗北が避けられないと理解しながら、それでも現人類の寿命を少しでも延ばすために戦っているのである。
これは、本郷の戦いとは異なる意味で、絶望的な戦いだといえる。

本郷が目の前の人間を救うために戦い続けるように、〈彼〉もまた、自らの手段が最終的な解決にならないと知りながら、戦いをやめることができない。
そして、本郷は〈彼〉の選択を受け入れない。人類を守るために少数を切り捨てるという思想に、本郷が反発するのは当然だろう。

こうして両者は、互いに近しい存在であることを認識しながらも、決して相容れない存在として対峙することになる。
本郷の始末をアポロに任せ、〈彼〉はその場を立ち去る。

本郷と〈彼〉。〈仮面ライダー〉と〈ショッカー〉、さらには〈GOD機関〉までも操る組織の支配者。
本質を同じくしながら、異なる道を選んだ者同士の、終わりのない同族争いである。

別れ際、〈彼〉は本郷にこう告げる。
「本郷猛。私が君にどのように見えたのかが、すべての答えだ」
「戦いは続く、ということだ。それだけが答えだ」
この言葉は、単に本郷と〈彼〉の戦いが今後も続くという意味だけではないのだろう。
本郷の見た〈彼〉が本郷自身の姿をしていたこと、そして本郷が〈彼〉を自分と同じように終わりのない戦いに身を投じる存在として認識したこと──それらを踏まえると、両者が互いの本質を映し出す鏡のような関係にあることを示唆しているようにも見える。

本郷は、〈彼〉の姿に自分自身を見た。
それは、両者が同じ存在であることを意味するのか。それとも、異なる道を選びながらも、同じ宿命を背負った者同士であることを意味するのか。
答えは明確には示されない。しかし、少なくとも和智は、〈彼〉を自らの姿として本郷に見せることで、両者の関係を単純な正義と悪の対立では片づけられないものとして描き出した。

似て非なる二人が、再び対峙する日は来るのだろうか。
本郷猛と〈彼〉の戦いは、決着の見えないまま続いていく。

【余談】

  • 「見る者によって姿が変わる」イエス像
イエス・キリストほど、西洋美術の中で繰り返し描かれてきた人物も珍しい。
「長い髪と髭」「裾の長い衣」「穏やかなまなざし」「白い衣に青や赤の布をまとっている」
イエスを特徴づける以上の要素は、教会のステンドグラスや美術館の名画、漫画やテレビなどを通じて広く知られている。
そればかりか、パンケーキやトーストの焦げ目にまでイエスの顔が「顕現」したと話題になることがあるほど、このイメージは人類の文化的想像力に深く根づいている。
こうしたイエス像は、信仰の対象としての神聖さを視覚化すると同時に、人々に親しみやすさを感じさせるものでもある。
しかし、実は聖書の中にはイエスの容貌を具体的に説明した記述がほとんどない。
現代人が当然のように思い浮かべるイエスの姿は、時代や地域ごとの美術的伝統、宗教的解釈などによって形成されてきたものであり、史実に忠実な肖像だと断定できるものではない。

この点を『仮面ライダー1971-1973』の設定に重ねてみると、興味深い解釈が浮かび上がる。
仮に作中世界でも、イエスの姿が見る者や時代・地域などによって異なって認識されていたのだとすれば、それは〈彼〉の「見る者の主観によって姿が変わる」という性質と、何らかの関係があるのかもしれない。

もちろん、これは作中で明示された設定ではなく、あくまで想像の域を出ない。
しかし、〈彼〉の姿が見る者の認識に左右されるという設定は、神や聖人の姿が人間の想像力や信仰を通じて形づくられてきたという現実の現象とも、象徴的なつながりを見いだせる。

  • 〈彼〉と〈創造主〉は別の存在なのか
作中には、〈彼〉自身が〈創造主〉であるかのように受け取れる台詞がいくつも存在する。
しかし、〈彼〉が〈真人類〉について説明する際には、「〈創造主〉が自らに似せて造った人類」という構図が示されている。

さらに、〈創造主〉について語る場面では、次のように述べている。
「しかし、それは彼らにとって失敗だった。彼らはヒトを恐れた」
「我々人類は生まれながらの呪われた子だ」
これらの発言だけを読むと、〈彼〉自身も人類の一員であり、〈創造主〉とは別の立場から人類の起源を語っているように見える。

では、〈彼〉は何者なのか。〈創造主〉そのものなのか。それとも、〈創造主〉に造られた人間でありながら、何らかの理由でそれに等しい存在へと変貌した者なのか。
あるいは、〈創造主〉と一体化したことで、人間でも神でもない存在になったのだろうか。

この謎を考える上では、石ノ森章太郎が執筆した萬画版『仮面ライダーBlack』に登場する「魔王(テレビ版におけるシャドームーン/ゴルゴム創世王)」との共通点も興味深い。
両者には、主人公の前に現れた際、主人公と瓜二つの姿をしていた世界の支配者という共通点がある。
もちろん、両作品の設定が直接つながっているわけではない。しかし、主人公と敵対する支配者が主人公自身の姿を取るという構図は、単なる外見上の演出を超えた意味を持っているように思える。

また、キリスト教の三位一体論も、連想の一つとして挙げられる。
三位一体とは、父・子・聖霊という三つの位格が、唯一の神のうちに存在するとするキリスト教の教義である。父なる神(Y・H・V・H)と子なるイエス・キリストは、区別される位格でありながら、同じ神性を持つと理解されている。
この教義を踏まえると、〈創造主〉と〈最初の〈彼〉〉が、互いに区別される存在でありながら、何らかの意味で同じ神性を共有しているという解釈も考えられる。
さらに、神と人間の合一という宗教的・神秘思想的なイメージを重ねれば、半死半生の人間が神的な存在と一体化し、〈彼〉へと変貌したという仮説も成り立つかもしれない。

ただし、これはあくまで作中の謎を読み解くための仮説であり、三位一体論やカバラの教義が、そのまま作中設定として採用されていると確認できるわけではない。
そもそも、〈彼〉の発言には、自分自身を人類の一員として語る一方で、〈創造主〉を自分とは異なる存在として扱うような矛盾がある。

そのため、〈現人類〉、〈新人類〉、〈真人類〉、そして〈改造人間〉のいずれにも属さず、「誰から見ても他者である存在」として描かれる〈彼〉が、本当に〈創造主〉そのものなのかどうかは、最後まで明らかにならない。

もしかすると、〈彼〉とは別に、この世界そのものを創造した真の創造主──すなわち本当の〈神〉が存在する可能性もある。

〈彼〉は神なのか。それとも、神のような存在となった人間なのか。あるいは、そのどちらとも異なる存在なのか。
作中の情報だけでは、いずれか一つに決めることはできない。
そして、この解釈の余地こそが、〈彼〉という人物の底知れなさを支えている。

  • 本郷猛は、やがて〈彼〉と同じ存在になるのか
本郷が見た〈彼〉が本郷自身の姿をしていたこと。
〈彼〉が「私は誰にとっても他者なのだ」と語ったこと。
そして、未知の存在へと変貌しつつある本郷について、〈彼〉が次のように説明したこと。
「君の変容は過去に例がないものだ。改造された君はもうヒトではない。我々が生み出そうとしている真人類とも別の存在だ。当然、新人類でもない。君はこの世界にひとりだけだ」
これらの要素を総合すると、本郷自身が、人類の既存の分類から外れた存在へと変貌しつつあることがわかる。
〈現人類〉、〈新人類〉、〈真人類〉、そして〈改造人間〉。
そのいずれにも属さない本郷は、文字通り、この世界にただ一人の存在なのだ。

ここで注目したいのは、〈彼〉が本郷の変容を単なる肉体の強化や改造の成果として説明していないことである。
本郷は、〈ショッカー〉によって改造された人間でありながら、〈真人類〉とも〈新人類〉とも異なる存在へと変わりつつある。
その変化は、既存の人類の枠組みを超えた、まったく新しい存在への変貌なのかもしれない。
そして、本郷が〈彼〉を自分自身の姿として認識したことにも、意味があるのではないだろうか。

〈彼〉は、誰にとっても他者であると語る。
しかし、本郷の目には、自分自身と瓜二つの姿で映った。
これは、単に〈彼〉の姿が本郷の主観によって変化したというだけでなく、本郷自身が、やがて〈彼〉と同じく既存の人類の分類から外れた存在へと至る可能性を暗示しているようにも読める。

強いて言えば、本郷は〈仮面ライダー〉という、唯一無二の存在へと変貌しつつあるのではないだろうか。

ただし、これは作中で確定した未来ではない。
本郷が〈彼〉と同じ存在になるのか、それとも〈彼〉とは異なる新たな存在へと進化するのか。その答えは明示されていない。
だからこそ、本郷と〈彼〉の関係は、単なる主人公と敵の対立にとどまらない。

人類を守ろうとしながら、人類の枠組みを超えてしまった者たち。
同じように人間でなくなりながら、異なる道を選んだ者たち。
本郷猛と〈彼〉は、互いの姿を映し出す鏡でありながら、決して同じ場所にはたどり着かない存在なのかもしれない。



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最終更新:2026年10月22日 23:07