奇跡のバックホーム

登録日:2011/08/28(日) 16:43:20
更新日:2024/07/21 Sun 03:02:10
所要時間:約 3 分で読めます




―――ライトに大飛球が上がったとき誰もが諦めた。







奇跡のバックホームとは1996年夏の全国高等学校野球選手権大会決勝で起こった奇跡の事である。




1996年の決勝は、松山商(愛媛)対熊本工(熊本)という公立の古豪同士の戦いとなった。共に伝統があり、長い歴史を持つ両校。特に熊本工には悲願の初優勝がかかっていた。




両校の先発は松山商が新田浩貴、熊本工が園村淳一で松山商は初回、制球の定まらない園村を攻め立て、長短打と四球で三点を奪いとるが、その後は0行進。
対する熊本工は新田の低めに集める変化球の前に八回まで二点に抑えられ、迎えた九回も二者が三振に打ち取られる。



このまま終わってしまうのか…、甲子園はそんな空気に包まれていた。





しかし、勝利の女神は気まぐれだった

打席に立つ一年生沢村が放った打球はなんとレフトスタンドに。ゲームは振り出しに戻った。
10回、松山商はランナーを出すが結局、得点に結びつかない。

その裏、熊本工は先頭の星子が二塁打を打ち、送りバントを絡めて一死三塁とする。松山商はその時点で新田を諦め、ライトの渡部をマウンドに送る。そして松山商は満塁策をとり、一死満塁。
絶体絶命のピンチを迎えた。



そこで松山商はライトに入っていた新田を下げ、守備固めとして矢野勝嗣を送る。

打てる手は全て打った。





一死満塁で入る熊本工、三番の本田は初球にライトのスタンドに入るかという大飛球を飛ばす。
松山商の大体の選手はこの大飛球で負けたと思ったらしい。




しかし甲子園の浜風に押され、スタンドには入らなかったがそれでも犠牲フライには充分な距離だった。

矢野は全力で落下点に向かったが風に押し戻され、予測していた落下点より相当前までダッシュして捕球した。星子はタッチアップ。

熊本工の悲願の初優勝はすぐそこだった。








………ところが矢野がダイレクトで放った返球は浜風に押され、カットマンのセカンドの頭上を大きく飛び越し、まるで一直線のレーザーのように捕手の石丸の元に飛び込んだのだ。
やや左に逸れたとはいえ80メートルの距離を考えるととんでもない話。

球審は即座に「アウト!!」を宣告。松山商は絶体絶命のピンチをダブルプレーで切り抜けた。




11回、先頭の矢野が二塁打を放つ。その後の送りバントに長短打で三点を追加。熊本工もこの二点で力尽き、松山商は27年振り五回目の優勝を果たした。



■以下余談

◇九回に熊本工の沢村が同点ホームランを放ってホームイン直後、松山商は三塁を空過したのではないかとアピールプレーを行っている(判定は覆らず)。
その為星子がタッチアップを行う際、慎重に見極めた分スタートに若干の遅れを生じさせたのではないかと言われている。

◇勝利の立役者となったライト矢野は「もう二度と出来ない」と試合後にコメントした。
その後とある雑誌の取材であの時と同じ想定で遠投をしたが、40球やって1球も決まらなかった。このプレーが奇跡と呼ばれる所以である。

◇ここまでバックホームの事を書いてきたが、実は矢野はバックホームが大の苦手で強肩を持て余し、大暴投ばかりやっていたという。
しかしチームメイトの何人かが大飛球が飛んだとき「アイツで終わるならそれもいいか」と思ったり、捕手の石丸も「大暴投で終わってもそれもそれでアイツらしい」と思ったりする程練習熱心でもあった。

◇この大会の優勝で松山商は大正、昭和、平成で優勝を飾った事になった。無論、これは唯一の記録である。

◇当時の熊本工の監督は元阪神の秀太選手の父親。







追記修正よろしくお願いします
この項目が面白かったなら……\ポチッと/

+ タグ編集
  • タグ:
  • 奇跡
  • 高校野球
  • 漫画のような事実
  • 甲子園の魔物
  • 松山商業
  • 熊本工業
  • レーザービーム
  • イチローも真っ青な奇跡
  • 実はベスト4以上はみんな公立
  • 矢野勝嗣←現在はテレビ局勤務
  • 1996年
  • 甲子園
最終更新:2024年07月21日 03:02