尾崎豊

登録日:2012/03/12(月) 23:25:10
更新日:2025/01/22 Wed 15:32:31
所要時間:約 4 分で読めます




尾崎豊(おざきゆたか)(1965~1992)とは日本のシンガーソングライターである。

代表曲は『I LOVE YOU』『15の夜』『卒業』『僕が僕であるために』『永遠の胸』等々。


1965年11月29日、東京都練馬区に生まれる。
浜田省吾やジャクソン・ブラウンに大きな影響を受け、1983年にシングル『15の夜』とアルバム『十七歳の地図』でデビューしたが、
ファーストアルバムを制作する前に青山学院高等部在学中に喫煙して停学、
更に飲酒や乱闘騒ぎを起こして無期限停学処分を受けるなど素行にかなりの問題があったいわゆる不良高校生だった。

そんな境遇からか彼の10代の頃の曲には『大人への反抗』や『反体制』を意識したような歌*1がいくつかあり、
特に15の夜の盗んだバイクで走り出す*2や卒業の窓ガラス壊して回った*3はいい意味でも悪い意味でも未だにネタにされており、*4
メディアからは『10代の教祖』と呼ばれることもあったが本人はその呼称を嫌っていたと言われているのは有名な話。


ちなみに、ライブではステージに寝転がったりギターを壊したり高い所によじ登ったり色々とフリーダムだった。
ただし、一般に知られる不良的なイメージや、ライブでのフリーダムなパフォーマンスとは対照的に、プライベートでの尾崎本人は非常に明るい好青年であった。ライブでのメイキング映像でも、尾崎は非常に明るい様子でスタッフやバンドメンバーとじゃれ合っている様子が伝わっている。吉川晃司岡村靖幸とは友人関係で、しょっちゅう3人で遊んでおり、「じゃんけんで勝った1人の言う事を聞く」というルールのもと、吉川が勝てばひたすらに飲み、岡村が勝てばひたすら踊り、尾崎が勝てばナンパ三昧という感じだったらしい*5

あと、「盗んだバイク」と言われるとAKIRAみたいにゴッツいモノをパクった様に聞こえるが実はパッソルという原付
当時安価に製造・販売され鍵穴に適当なものを突っ込んでガチャガチャやっただけでも動くものだった為10代の少年が盗むのも容易だったそう。

また、15の夜等のいわゆる不良ソングのワンフレーズが有名になりすぎて他の曲が一般に知られていない事を嘆くファンも多い。
実際、彼が歌詞に使ったフレーズで一番多かった言葉は『自由』ではなく『愛』だった。

更に言えば彼の曲で一般にも知れ渡っているのは全て10代の頃の曲で20代の曲にも名曲が多い。



10代の頃に出したセカンドアルバムの『回帰線』がオリコン1位を記録したり、10代最後の日に出したサードアルバムの『壊れた扉から』がヒットしたり、
ツアーも満員になるなどその人気は絶頂を迎えていたが、二十歳になったあるとき無期限活動休止を宣言して単身渡米する。

……その一年後に帰国したが『覚醒剤取締法違反』で逮捕されて彼の人気と精神は低迷期を迎えた。
しかし、活動復帰後にシングル『太陽の破片』をリリースし、フジテレビ系列の『夜のヒットパレード』に最初で最後のテレビ出演したり、
東京ドームで復活ライブを行うなど細々と活動を続け、その一方で1988年に一般女性と結婚し息子も誕生。
1990年にアルバム『誕生』をリリースしてオリコン1位を記録。そして翌年には全国ツアーを行うなど完全復活を果たした。


そして、全国ツアーの最後のライブの最終曲『15の夜』を歌い終えて退場した後にひょっこり現れ、
アンコールで歌った彼が16歳の時にオーディションで披露したと言われている曲『ダンスホール』の後に彼は……。


どうもありがとう。また次のツアーで会いましょう


この言葉を残してファンの前から姿を消して1992年4月25日……肺水腫による急死が報じられた。

この死には色々と不自然な点が多く他殺ではないかという説もあるが真相は不明のままである。

彼の葬儀は東京都文京区の護国寺にてファン葬が行われ、雨の中で参列者は約4万人近くに上ったという。
更に尾崎の死後、彼のアルバムが急激に売れるという現象が起こった。
同時期にシングルとして発売された『OH MY LITTLE GIRL』はミリオンセラーとなり自身最大のヒット曲となった。



このように多くのファンを残した尾崎豊だがそれと同じぐらいに多くのアンチを生み出し、ネット上で尾崎の話題が出ると高確率で荒れる。
その為か本家Wikipediaの尾崎豊の記事は、新規ユーザーの編集が禁止されている。

ファンとアンチの議論は何時までも平行線で交わることはほとんどない。

ただし、尾崎豊をよく知らない方は人の意見に左右されずに判断してほしい。

好きな歌手嫌いな歌手そんなのは人の勝手なのでファンもアンチも自分の意見を無理に押し付けないようにしたい。





支配から卒業したい皆様、追記・修正お願いします。

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最終更新:2025年01月22日 15:32

*1 卒業は「学校を体制だと考えて、それに無謀に反発してる人たちへのアンチテーゼみたいな歌だった」のを、表層的な部分のみが取り上げられ「学校にも家にも帰れない」反抗する10代を代表するかのように誤解されたことに関して「すごくつらかった」とプロデューサーが述べている。

*2 妻であった尾崎繁美は「バイクを盗んだのは尾崎の友人で、それを曲にした」と、尾崎の死後に語っている。また尾崎の同級生は、尾崎はバイクを盗んだことはないと断言しており、実際に不良少年との付き合いはあったがそこまで入れ込んでおらず、様々な体験をして自身が納得するためであったのではないかと推測している。

*3 こちらも題材となったのは尾崎の同級生であったK氏の行為であり、K氏は同級生の仲間2人と夜の校舎に忍び込み、すでに退学を決意していたことから腹いせのつもりで窓ガラスを何枚も割って回った。またK氏の家は裕福でピアノを所有していたことから、自宅にピアノがなかった尾崎は彼の家で練習していた。

*4 卒業がリリースされた当時、校舎の窓ガラスを割る行為などを行う若者が出現したことで問題とされた。また尾崎自身は後にそのような影響について「罪の意識を感じる」と述べている。

*5 吉川曰く、尾崎はあえて自分が表紙の雑誌を脇に挟んでナンパしていたらしい。