キレネのシモン

登録日:2014/05/11 (日) 21:12:30
更新日:2023/04/07 Fri 13:26:02
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【ルカによる福音書 23-26】


人々はイエスを引いて行く途中、田舎から出て来たシモンというキレネ人を捕まえて、十字架を背負わせ、イエスの後ろから運ばせた。




【概要】

キレネのシモンとは、新約聖書に登場する人物。一般的には『キレネ人シモン』とかいう風に呼ばれる。
名前だけ聞くと、『キレネ人』という人種なのかと思うが、彼はおそらくユダヤ人。

チョイ役なのに、地味にヨハネ福音書以外の全ての福音書に登場する。
イエスの信者や、イエスに敵対していた人間ではない一般人としては異例の扱いである。

そして特に罪人でもないのに、重い十字架を背負う羽目になった可哀そうな人である。


【経歴】

新約聖書では、彼はキレネという土地の出身だと語られている。

キレネ(キュレネ)とは、現在の北アフリカのリビアにあった都市のことである。
元々は古代ギリシャの都市として栄えており、新約聖書の時代には、ローマ帝国の支配を受けていた土地である。
この土地は、結構な数のユダヤ人が住んでいたらしい。

しかし実際イエスの処刑が行われた場所はエルサレムであり、彼の出身のキレネでは無い。
では何故そんな彼がエルサレムに滞在していたのかという疑問が出てくる。

それはイエスがエルサレムにいた時は、エルサレムではユダヤ教の祭りである過越祭の行われていた期間である。
そのため、おそらくシモンはエルサレムに巡礼で訪れていたのだろう。

そんな彼はとある男の処刑に関わることになった…


【十字架を背負う】

そんな平凡な男の彼はたまたまイエスとの関係を持つことになる。

彼がエルサレムに滞在していたとき、『ユダヤの王を名乗った』という男の裁判及び処刑が行われていた。
裁判にかけられた男、イエスは結局十字架刑による処刑をされることになる。

当時十字架刑をされる人間は処刑場まで、自分が磔刑される十字架を背負って処刑場まで歩かなければならなかった。
自分を殺す十字架を背負って、周りの視線を集めながら殺されに行くんだから、当時犯罪者とされた人間は複雑な気分だっただろう。

んなわけで、イエスは十字架を背負って歩くことになるのだが、既に彼の体は連日の尋問や鞭打ちによってボロボロだった。
その上にイエスは兵士たちによって色々と侮辱されるわ、引き回されるわで精神面も弱っていただろう。

ところでイエスはよく肖像画に書かれるあのヨーロッパ人のような白人顔で、微妙に弱そうな体ではなかったという説がある。
実際は、やや体の色が濃く、各地を歩き回る前は大工をやっていたことから屈強な男だったという話も多い。

とはいえもうイエスには十字架を運ぶ力は残されていなかった。
兵士たちは体が弱り、虫の息のイエスを見て、どうやって十字架を運ばせるか考える。


そんな中運悪く捕まってしまったのは、たまたま近くにいたこのシモンであった。


おそらくシモンが近くにいたのは、十字架を運ぶイエスの様子を見ていたのかもしれない。
しかしそれが彼の災難の始まりだった。

兵士に指名をされてしまったシモンは、罪人扱いのイエスと一緒に十字架を背負う羽目になってしまった。
しかもこの十字架、聖書の記述だと70kg以上の重さだったらしい。
当時の犯罪者が運ぶ十字架は、実は横木だけだったという話があるらしいが、どちらにしろ50kg近くある。
いくら二人の成人男性で運ぶ作業とは言え、一人はもはや機能していない状態であることを考えてほしい。

つまりシモンは、重い十字架に合わせ、死にかけの男を一緒に運んでいる状態といっても過言ではない。
それを運ばされるシモンの気持ちはいかがな物だったのだろうか。

しかも、犯罪者の処刑のため、周りの観衆の視線がおそらくイエスに集中していたと思われる。
そんな視線の中イエスとともにシモンにも視線が集中したと思われる。観衆にはシモンがイエスの手伝いをしてるようにも見えただろう。

シモンは特に犯罪もしていない。それどころか遠い北アフリカからわざわざエルサレムに巡礼に来た男である。
なんで犯罪者と一緒に十字架を背負わなければならないのだろうか。シモンは自分の運命を呪ったに違いない。

ただシモンはどの福音書を見ても、十字架を背負う際に、イエスや兵士に対して嫌味や文句は一切言っていない。
兵士に文句を言うのは危険だからしないだろうが、犯罪者であったイエスにまで嫌味の一つも言わなかったのは地味にすごい。

実は彼は、相当良い性格の男だったのかもしれない。
あるいは、さすがにボロボロのイエスを見て文句を言う気もなくなったほどに、憐れんだのだろうか…
また単純に彼はキュレネ出身だったので、イエスが犯罪者という自覚がなかったのかもしれない。

いずれにしろ、このシモンは相当出来た人間なのだろう。
またイエスと一緒に十字架を背負ったのが、イエスの弟子や、イエスが助けた人間でもなく彼だったのは何かの意味があるのだろか…


【その後】

十字架を背負った以降の彼の聖書での出番はここで終了している。

ところで気になるのが、彼が何故マタイを除いた福音書の全てに出ているのかという話である。
福音書はそれぞれ、同じシーンでも人間や言動に細かな違いが多く存在する。
しかし彼に関してはどの福音書でも正確に記されている。

また『マルコによる福音書』ではシモンについて、『アレクサンドロとルフォスの父』という記載がある。
この記載から、シモンは原始キリスト教の信者になったのでないかという説がある。

この説であれば、彼が多くの福音書で正確に記載されていることも納得がいくかもしれない。

またシモンに関してはいろいろな説や考察がネットで散らばっている。
検索して見るのもいいだろう。

【評価】

彼の評価はキリスト教徒の間では悪くない。

理由としては『文句を言わないでイエスを手伝った』ことや『原始キリスト教の信者だったかもしれない』という点があるからだろう。

また、信者でなくても聖書を読んだことのある人は、いきなり登場した彼については無駄に印象に残るという人が多い。



このように彼はイエスと十字架を運んだことにより、彼は考えもしなかっただろうが、後の世界で彼の名前は知られることになった。

単純に北アフリカからエルサレムに来ていたこの男は、イエスの弟子でもない。
しかし、イエスが彼のことを十字架を運んでいる際には、シモンに対して決して悪い印象は受けなかっただろう。
彼は脅しに近い環境だったとはいえ、イエスに対して文句を言った描写がないのだ。

こんな彼だからこそ、後の世に名前を残すことが出来たのかもしれない。



追記・修正は、救世主と一緒に十字架を運んでからお願いします。


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最終更新:2023年04月07日 13:26