名人伝(小説)

登録日:2020/03/27 Fri 00:11:50
更新日:2022/02/21 Mon 18:31:04
所要時間:約 6 分で読めます





「名人伝」とは、中島敦の短編小説の1つで、本によっては彼の遺作として紹介されることもある。*1

彼の作品と聞いてこの項目を見ている人は恐らく高校現代文にて習う「山月記」を連想する人が多いかもしれないが、本作も同じく中国古典にルーツを持っている作品である。
元になっているのは「列子」。




あらすじ




紀昌、立つ。




趙の都・邯鄲(かんたん)に住む紀昌は、天下第一のの名人になろうと趙で一番の弓の名手・飛衛に入門を志願。

そんな彼に飛衛は「まずは瞬きせざることを覚えよ」と言って彼を帰す。
紀昌は自宅へと戻り、妻の機織(はたおり)台の下に入り込んで眼前を往来するまねきを見続けるという変人にしか見えない特訓を始めた。

それから2年もの月日が過ぎ、どんな事態に対しても瞬きせざることを体得した紀昌は再び飛衛のもとへ。
彼は次に「視ること」を「小を視ること大の如く、微を視ること著の如く」なるほどまでに成熟させるよう彼に告げた。
紀昌はその言葉を受け、1本抜いた自分の毛に(しらみ)を括り付けて毎日見続け、虱が死んでしまえば別の虱を探して括り付けて同じことを繰り返していった。
始めのうちはただの小さな虱だったが、月日を重ねるごとにだんだん大きく見える様になっていき、3年の後、目に映る虱の大きさがとても大きくなり、確信を持った紀昌は弓で虱目がけて矢を射る。
特訓の成果は如実に現れ、見事括り紐の髪の毛には傷一つ付けずに虱に矢が命中させることに成功。

勇んで飛衛のもとを訪ねる紀昌。弓を持つにたる資質を長年かけて体得した彼に飛衛も「出かした」と称賛の言葉をかけ、遂に自らの手で彼に弓の手ほどきを行った。
5年もの間に下積みを重ねた成果は大きく、紀昌は飛衛からの奥義を次々と体得、2か月余りで飛衛の教えを全て習得した。




野望、そして私闘。





矢の名手である飛衛の教えを全て自分のものにした紀昌。しかし彼の志は「天下第一の弓の名手」になること。飛衛からの教えで駆け上がってきた道のゴールにいるのは当然飛衛その人である。

「この男を道から除かなければ、自分は天下一の弓の名手になれない…」

邪念を浮かべながら歩く紀昌。すると向かいの道から飛衛が1人歩いてくる。野心に駆られた紀昌、危険を察した飛衛。2人の私闘は突如始まった。

教えた者と教わった者。双方の技量は互角で2人の放つ矢は同じ射線でぶつかり落ちる。ずっとその状態が続いたが戦況は突如変わった。
紀昌が1本矢を残す中で飛衛の矢が尽きたのだ。紀昌は矢を放ったが、飛衛は咄嗟に近くに生えていた野茨の枝を折り、先端の棘で矢を防いだ。

その様を見た紀昌は我に返り、飛衛も危機を脱した安堵から駆け寄り、抱き合って師弟の愛の時間が流れた。
その愛から先に醒めたのは飛衛だった。
放っておけばまた命を狙われるかもしれない。その懸念から彼に「ある男」の事を教える。




不射之射





男の名は甘蠅(かんよう)
西方の霍山に住む老師で彼の矢の技術に比べれば自分達の矢の技術は児戯である。飛衛は紀昌にそう告げた。
それを聞いて自尊心に火が付いた紀昌はすぐさま彼のもとを訪ねに向かう。

ところがそこにいたのは矢を打つ者のイメージとは遠くかけ離れた100歳は優に超えていそうな腰の曲がった老人だった。

紀昌は彼に自らの矢の腕前を見せた所、甘蠅は一通りは出来ている事を認めつつも「所詮は射之射。不射之射を知らぬと見える。」と評価。

場所を変え、絶壁の上のぐらつく石の上にて同じことをやってみて欲しいと依頼。紀昌は危険を感じつつ半ばヤケクソでやろうとするも土台の石のぐらつきと崖下の風景を見て断念。入れ替わりに甘蠅が上へ登って矢の腕前を見せようとするが、何故か彼は矢も弓も持たない。甘蠅は「不射之射には道具など不要」と言い、空を飛ぶ(とび)に向かって見えざる矢を無形の弓につがえて打ち出した。

すると飛んでいた鳶が落ちてきたのだ。

目の前で見せられた人間業とは思えない技に紀昌は感動。そのまま彼に師事したのだった。
それから9年もの間、紀昌は彼のもとで修業を続けていたがその内容を知る者は誰もいない……。




名人、帰る。





趙の都に戻ってきた紀昌の顔を見て人々は驚いた。
野心に満ちていた顔立ちは木偶の坊のようになっていたからだ。しかし飛衛はその面構えを見るや否や、彼を天下一の名人と称した。
飛衛が天下一の名人と評するのならその腕前を見てみたいと考えるのは自然な事で、人々は技を見せて欲しいとせがむが、紀昌は一向に見せてくれない。それどころかいく時に持っていった弓はどこかに捨ててしまい、新たに弓を取ろうとさえしない。彼は言う。

「至為は為す無く、至言は言を去り、至射は射ることなし」

と。
その結果彼は「弓を取らざる弓の名手」としてその名を広め、弓を取らなければ取らないほどに彼の無敵の評判が喧伝され、それに伴い彼にまつわる様々な噂が流れることとなった。


曰く、紀昌に宿る射道の神が妖魔を払うべく、夜毎に弓を鳴らして守護につとめている。
曰く、雲に乗った紀昌が、伝説の名人である羿と養由基の2人と腕比べをしていた。
曰く、ある泥棒が、紀昌の家に忍び込もうとしたところ、家から殺気を感じて思わず転げ落ちた。
以来、悪人と渡り鳥は彼の家を避けて通りようになったという。


そんな状態の中で、紀昌の木偶のような表情は年を重ねるごとにさらに表情が薄くなり、口数もくなっていき、甘蠅のもとを離れてから40年後に煙の様にこの世を去っていったのだった。

戻ってきた名人は弓矢を手にしないばかりでなく、口にすることも殆ど無かった為、弓に関する逸話をほとんど持っていなかったのだが、1つ衝撃的な話が残っている。

それは彼がこの世を去る数年前の出来事。
紀昌が知人宅に招かれた時に中にあった「ある道具」を見た。
彼はその道具に見覚えがあったものの、名前を思い出せない。そこで家の主人に道具の名と用途を尋ねた。知人は冗談だと思って適当に流そうとするが紀昌は真剣になって改めて聞く。
知人は怪訝に思いつつまた流そうとするが紀昌は三度問いかける。
主人もとうとう紀昌が冗談を言っているわけでも自分が聞き違えたわけでもない事を認めざるを得ず、半ば恐怖しながら……


「ああ、夫子が、――古今無双の射の名人たる夫子が、弓を忘れ果てられたとや? ああ、弓という名も、その使い途も!」

その後当分の間、邯鄲の都では、画家は絵筆を隠し、楽人は(しつ)の絃を断ち、工匠は規矩(きく)を手にするのを恥じたのだった。






紀昌は「名人」になったのか?


狐につままれたような気分になる話だが、この項目を見ている人はどう感じただろうか?

紀昌は1度も不射之射の実力を見せていない。
つまり腕前を調べようにも調べられないため名人である事もそうでない事も証明できない。
結末まで見ても真相は読者に任されている事が分かる。

甘蠅が実際に技を披露しているので不射之射を体得して名人になったと考える者。
あるいは甘蠅老師など始めからおらず、飛衛がでっち上げたかあるいは本当にいたが探しに行くまでに死んでいたなどの理由からでっち上げを行い、ただの阿呆になったと考える者。
そもそも飛衛が何を持って紀昌を「弓の名手」と評したかの基準が分かっていない為、作中と読者で「名人」の解釈に齟齬があるのではと考える者。

きっと解釈は人それぞれだろう。





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最終更新:2022年02月21日 18:31

*1 一般的には彼の遺作は「李陵」とされることが多い。