サッカーベルギー代表

登録日:2020/07/13 (月) 23:25:01
更新日:2025/01/01 Wed 16:33:47
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ベルギーサッカー協会により編成されるベルギー王国のサッカーナショナルチーム。
ユニフォームは国から赤をベース・黒黄を差すカラーリングで、そこから通称は「赤い悪魔」
2010年代を機に、現代サッカー界において最大級の躍進を果たした代表チームと言える存在である。

歴史

ベルギー代表は、歴史を辿れば第1回から第3回までの連続出場実績を持つ。
まあそんな古い話はすっ飛ばすとして。

多くの日本人にとって、チョコやワッフルなどのスイーツなイメージ程度の認識かもしれないベルギーだが、80~90年代においては列強クラスに次ぐ有力代表チームだった。
この時代のプレーヤーとして特に有名なのが、90年代屈指のゲームメーカーとして名高いエンツォ・シーフォ。
激戦区たる欧州において82年大会から6大会連続出場(かつ、98年以外は決勝トーナメント進出)を果たしており、特にシーフォが初めて参加した86年大会ではベスト4(第4位)の結果を残す。
準決勝相手があまりにも悪すぎた……
シーフォの引退後はマルク・ヴィルモッツが台頭し、98・02大会は彼が中心となった。*1
しかし、それを最後にヴィルモッツが引退するとそこから次代を担える選手が全然現れず、あっという間に弱体化。06年大会以降、本大会にすら駒を進められなくなる。
この世代のめぼしい選手は、06-14の長きにわたりバイエルン・ミュンヘンに在籍したDFダニエル・ファン・ブイテンが挙げられる程度だろう。

この惨状を受けてベルギーがとった対策は、ユース世代の育成改革。
そしてそれが驚くべき成果をもたらすこととなる。


黄金世代の前に

後に黄金世代と肩を並べることとなる、1つ上の世代の選手について数人紹介する。

  • ヴァンサン・コンパニ(Vincent Kompany)
コンゴ民主共和国人の父を持つ、フィジカルとリーダーシップに長けた闘将タイプのCB。86年生まれ。
2008年、当時は新体制に移行したての中堅だったマンチェスター・シティに移籍。
それから瞬く間に強豪となっていったシティにおいて10年以上にわたり戦力として貢献した。
引退後は監督としてキャリアを積み、順調に名を上げている。

  • マルアン・フェライニ(Marouane Fellaini-Bakkioui)
モロッコ系の両親を持つMF。87年生まれ。
主戦場はCMFだが、選手としての特徴は、とにかくデカい
身長194cm+アフロヘアーと驚異的なパワーによって空中戦において無類の強さを誇るという、他のポジションならともかくMFとしてはだいぶ異色な特徴を持つ。
しかし、あとは運動量が豊富なだけで足元はイマイチ。
そしてラフプレーが目立つというフィジカル系プレーヤーとしては厳しい短所もある。
かなり評価の分かれる選手だが、エヴァートンに在籍しプレミアリーグにすら通用する「戦術:フェライニ」によってその名を轟かせ、その後マンチェスター・ユナイテッドに6年在籍したという実績は確かである。2018年W杯の日本戦でも同点に追いつくヘディング弾を決めている。このW杯後アフロヘアーを卒業するとともに代表を引退して中国超級リーグへ移籍、2024年に引退した。

  • ヤン・フェルトンゲン(Jan Bert Lieve Vertonghen)
2020年7月現在、代表歴代最多キャップを有する選手。87年生まれ。
上記2人はベルギーリーグでキャリアを始めているが、彼はオランダリーグ出身。アヤックスの下部組織で育ちトップチームへと昇格した(1シーズン目はレンタル)。
コンパニ同様CBであり、同世代のベルギー代表であるトーマス・フェルマーレンやトビー・アルデルヴァイレルトと組んで活躍。
2012年からはトッテナムに渡って長くプレーし、トップレベルのクラブで安定してキャリアを築いた選手。


ここまで紛れもなく一流のタレントを持ち合わせた者たち揃いで、彼らが主力となった08年北京五輪は第4位という結果を残す。
そしてさらに経験を積み、次代の選手と合流することで、ベルギーの黄金期が始まることとなる。


黄金世代

  • エデン・アザール(Eden Michael Hazard)
91年生まれで、黄金世代の筆頭格。ポジションは主に左ウイング。なんとなく厨二病が羨みそうな名前の持ち主。
フランスのLOSCリールでプロキャリアをスタートし、2012年にチェルシーに移籍してエースとして君臨。
レアル・マドリードのファン、憧れの選手はジネディーヌ・ジダンと公言していた彼は、2019年にはジダン率いるマドリーへと移籍することとなった。
マドリーではかつてクリスティアーノ・ロナウドがつけた7番を着用しているが、怪我や調整に苦しみ、加入以来満足なプレーをできた時期がほぼなく「活躍しない高給取り」の代表格のような扱いに成り下がり、そこから再起の機会もなく引退してしまった。

得意技はとにかくドリブル。たとえばリオネル・メッシで同じことを聞いたらシュートやパスを選ぶ者もいると思うが、アザールについてなら100人中100人がドリブルと答えるだろう、純然たるドリブラーである。
トップスピードは突出していないが機敏さに長けており、緩急で抜き去るタイプ。
無論、ドリブルで持ち込んでからのシュートやラストパスの能力にも不足はなく、ゴールとアシストを量産してきた。

両親共にプロサッカー選手であり、2歳下の弟トルガン・アザールもブンデスリーガで活躍して代表招集経験のあるワールドクラスのプレーヤーである。もっと言うと下の弟2人も揃ってサッカー選手の道を選んだ完全なサッカー一家。


  • ティボー・クルトワ(Thibaut Nicolas Marc Courtois)
92年生まれのGK。
自国ヘンクからチェルシーに渡り(11-18)、一度アトレティコ・マドリードに貸し出されて(11-14)からチェルシーに戻り、そこからレアル・マドリードに移籍(18-)とトップレベルでのプレーを続ける。
見ての通り、アザールとは結構な期間にわたって同僚である。

最大の強みは、199cmというワールドクラスでも稀な長身であり、その手足の長さで「タランチュラ」と綽名される。
もちろんデカいだけで最高峰のGKになるはずもなく、技術的にも卓越したセービング力を誇り、
同時代における世界の五指に入るレベルのGKなのは間違いないだろう。
一時期、シーズン中のエリア外セーブ率100%というSGGKめいたデータを残していたこともあったり……

同国の先輩GKとして、同じくプレミアリーグで活躍してリヴァプールの正GKも務めたシモン・ミニョレがいるが、2014W杯、すなわち22歳の時点で28歳の彼をセカンドGKに追いやっている*2

ちなみに、彼はバレーボール一家の生まれで、幼少期はバレーボールをしていたそう。


  • ケヴィン・デ・ブライネ(Kevin De Bruyne)
91年生まれだがアザールやクルトワに比べると若干遅咲きで、
アザールと同じく12年にチェルシーに移籍するもすぐブレーメンにレンタル。
そちらでは活躍するが呼び戻された後は出場機会がほぼなく、出場機会を求めてヴォルフスブルクに移籍(14-15)。
再びブンデスで大活躍を見せた結果、すでに強豪となっていたマンチェスター・シティに移籍して主力として定着し、アザールにも引けを取らない(今となっては上回り)世界最高峰の選手としての評価を確かなものにした。

ポジションはOMF。フォーメーションによって一列前だったり後ろだったりサイドだったりするが、役割は基本的にOMFのそれである。
最大の武器は正確無比なクロス・ラストパス。
トップフォームでの切れ味は稀代の智将ペップ・グアルディオラを「戦術:デ・ブライネ」にしてしまうレベルであり、
プレミアリーグにおいて、リーグ史上最小試合数での50アシスト、史上初の3シーズンにわたっての15アシストという記録を持つ。
その一方で不意に炸裂する強烈なミドルシュートも持ち味であり、19-20シーズンに至っては得点まで10を超えている。
彼にミドルレンジでボールを持たせれば、パスにもシュートにも最大限の警戒を要することとなる。
また、ここまでの評価を見れば想像がつくと思うがフリーキックも結構な名手。
一方で守備のハードワークも苦にしないという良い意味で現代的なMFであり、戦術意識も高い。


恋人がクルトワに寝取られたというエピソードがある。


  • ロメル・ルカク(Romelu Menama Lukaku Bolingoli)
93年生まれで、黄金世代の中では年下。コンパニ同様、コンゴ民主共和国にルーツを持つ。

ポジションはCFであり、長所はなんと言ってもフィジカル。
身長は190cm、圧倒的なパワーに加えてスピードまで兼ね備えた、完全無欠のフィジカルモンスターである。
さすがにテクニックまでは持ち合わせないが最低限の能力は備えており、
そして彼をさらに厄介にしているのが、額面だけ見るといかにも愚直なストライカーなのに
実際にはポストプレーはもちろんサイドに流れたり味方を立てるプレーにも積極的な点。
2018年W杯の日本戦において、絶好の決定機で受けたラストパスをスルーして日本の最終ラインにとどめを刺した決勝点は日本人にとってその象徴と言えるだろう。
代表では2位以下をダブルスコアでぶっちぎる歴代最多得点を叩き出しており、この記録が覆ることは当分ないだろう。

一方でクラブキャリアにはいまいち恵まれず、2011年にチェルシーへ移籍した*3がほとんど貸し出されっぱなしで、
結局そのままレンタル先のエヴァートンに正式移籍。
2017年にはマンチェスター・ユナイテッドに渡るも、スタッツこそ高いがなぜか強敵相手にはまるで活躍できない「格下狩り」に収まってしまい、それを払拭できないまま2019年に放出。
しかし、移籍先のインテルでは「入団から3ヶ月、ひたすら195cmのDFラノッキア*4を背負ったプレーをやらされた」という甲斐あってついに覚醒。
ユヴェントスのロナウドと双璧を成すセリエA最強ストライカーの座を確固たるものとした彼は、
21年夏に古巣チェルシーへ多額の移籍金と共に移籍。かつてレンタル要員だった男が時を経てスーパーエースとして帰還することとなった。
……が、驚くほどフィットせず、本人も露骨にチェルシーでのモチベーションを失って1シーズンでインテルにレンタルで出戻りという残念な結果に終わる。
やはりセリエAの水が合っていたようで戻ると元気に活躍、経営難のインテルと流石に安売りはしたくないチェルシーという難しい事情ながら皆ハッピーな結末に向けて完全移籍が近づいていた……が、ルカクがその裏でライバルのユヴェントスとも交渉を進めていたという不義理が明らかになってインテル側が激怒、白紙に。
ユーヴェ行きも結局まとまらず宙ぶらりんとなるも、何とかローマへのレンタルに着地。築かれた悪評など意に介さずバリバリ主力として活躍している。

また、彼も兄弟サッカー選手である。
弟のジョルダン・ルカクも代表招集経験があり、ジョルダンのアシストで得点を取ったこともある。


いわゆる前線の選手に3人が固まっているが、示し合わせたようにプレースタイルがバラバラで
1チームに集まっても何ら問題ないというかむしろ完璧に役割分担して共存できたのも、代表にとって幸運であったと言える。
(世代を象徴するスター選手たちのポジションが似通っていて代表では共存がままならない、というのもよくある話である)


ここまでに挙げた4人が頭一つ抜けたトップレベルの選手だが、
欧州4大リーグで活躍するレベルの選手は他にも数多く、上の世代も含めれば他のポジションやリザーバーにも穴らしい穴はない。
量・質共にまさしく黄金期と形容するに相応しい陣容となっている。


黄金期の戦果


2014ブラジルW杯 - ベスト8

黄金世代が新進気鋭の若手として初めてA代表を戦う大舞台。
前述の通り、これまでの2大会では出場すら成らなかったことを鑑みれば大躍進である。
この時ファン・ブイテン(当時36歳)もメンバーに選ばれており、低迷期を戦ったCBは新世代の躍進を同じピッチで見届け、同年をもって現役を引退した。
また、この時代の代表監督はマルク・ヴィルモッツである。

EURO2016 - ベスト8

こちらはグループリーグ突破すら1980年以来であった。
しかしEURO初出場のウェールズ*5に敗北を喫し、ヴィルモッツは本大会をもって解任されることに。

2018ロシアW杯 - ベスト4(第3位)

黄金世代が20代後半に差し掛かり、上の世代も30歳前後の油の乗ったベテランという最高のタイミングで臨んだ本大会。
ヨーロッパ予選では中堅以下ばかりの組とはいえ9勝1分0敗、得失点差+37という圧倒的な強さで勝ち進み、
大会前の時点ですでにFIFAランキングも3位。
8年前には歯牙にもかからない存在へと落ちぶれていたベルギーは、もはや優勝候補の一角と呼ばれるまでになっていた。

グループリーグの相手はパナマ、チュニジア、イングランド
3戦目であったイングランド戦では、すでにどちらも2連勝でグループリーグ突破が決定していたため、
お互い仲良く主力を温存しての戦いになったが、勝利してグループ1位となる。
ちなみに、このベルギー代表は23人中11人がプレミアリーグに在籍しているため、メンバー次第ではほぼプレミアリーグのドリームマッチ*6という事態もありえるところであった。

ベスト16で対するは我らが日本代表。
後半開始早々に2失点して0-2というまさかの展開になるも、そこから3点を取り返した逆転劇は世界的にも話題を呼んだ。
準々決勝ではブラジルを上手く制して下すが、準決勝でフランスを崩しきれずに敗れる。
そして、3位決定戦の相手は再びイングランド。
ここに至ってはお互いあえて戦力を出し惜しむ理由もなく、今度は概ねフルメンバーで激突した末に再び勝利。
なお、この時のスタメンは19/22プレミアリーグとなった。

過去最高記録の4位を一歩上回る3位となり、タイトルこそ成らなかったとはいえ、優勝候補の呼び声に恥じないだけの結果は残したと言えるだろう。


大会後、FIFAランキングはついに1位に浮上。
ブラジル、スペイン、イタリア、ドイツ、フランス、アルゼンチン、オランダという錚々たる面々に並ぶ、史上8ヶ国目のFIFAランキング1位経験国となった。

EURO2020 - ベスト8

FIFAランキング1位という文句なしの優勝候補として臨んだこの大会、グループリーグは全勝で突破。
ベスト16の相手は前回王者のポルトガル。トルガンの決めた虎の子の1点を守り切りベスト8に進出したが、デ・ブライネとエデンが負傷。準々決勝の出場が危ぶまれる事態に。
準々決勝イタリア戦。デ・ブライネは何とか間に合わせたものの、前半で2失点。
前半終了間際に得たPKで1点差に詰め寄るも、最後までイタリアの守備陣を崩すことはできず、ここで敗退。
黄金世代も高齢化しつつあり、この辺でそろそろ一区切りとなるのかもしれない。

2022カタールW杯 - グループリーグ敗退

FIFAランキングは相変わらず上位を維持し、優勝候補の一角に推されて挑んだ今大会。
グループリーグは
  • 36年ぶりの出場で次回大会ホスト国(米、墨との共催)のカナダ
  • 前回準優勝のクロアチア
  • 24年間ワールドカップでの勝利がなく大会3ヶ月前に監督交代のモロッコ
という組み合わせ。

初戦のカナダ戦は相手の積極的な守備に手を焼き、PKを与えるなど思わぬ苦戦を強いられるも何とか1点を守り切って勝利。
続く2戦目のモロッコ戦ではフィニッシュの精度を欠き、まさかの2失点完封負けを喫し国内では暴動騒ぎに。
そして、勝利以外許されない状況で迎えた第3戦のクロアチア戦。
前半はスコアレスで折り返しとなり、大会直前に負傷して万全ではないと目されていたルカクをやむなく後半頭から投入。
しかし、やはりコンディションが祟ったか、ルカクは決定機に何度も絡む一方でその悉くを逸してしまう。
結局試合はそのままスコアレスドローで終了。
前回大会3位で優勝も期待されたチームが、まさかのグループリーグ敗退となった。

グループリーグの3試合で奪った得点はたったの「1」。
他国が羨む攻撃陣を擁し、優勝候補と目されたチームにしてはあまりにも寂しい数字となってしまった。
大会中にはデ・ブライネの発言を巡ってチームの内紛が報道されるなど、お世辞にも順調とは言い難い状況であった。

敗退後には6年に渡ってチームを指揮したロベルト・マルティネス監督が退任を表明。
長らく代表の主力であり続けた黄金世代も高齢化が指摘されて久しく、とりわけ最終ラインの世代交代は喫緊の課題といえる。

EURO2024 - ベスト16

グループEに所属。対戦相手はスロバキア、ルーマニア、ウクライナ。
初戦のスロバキア戦は序盤の7分、GKのカステールスが防ぎきれず弾いたところを押し込まれ先制を許すと、後半ルカクのゴールがオフサイドとハンドの判定で2度取り消され敗戦。
2戦目の相手は予選・グループIでは6勝4分無敗と絶好調で、グループ首位で本選出場を決めたルーマニアだったが、開始早々にティーレンマンスが決め先制。
後半もベルギーが押す展開が続いていたが、80分にはデ・ブライネが決勝点を挙げた。
このまま調子を上げていくと思われたが、ウクライナ戦ではスコアレスドロー。
これにてグループEは、3試合終わって全チーム勝ち点4で並ぶという珍事が起きたが、得失点差でベルギーは2位通過に。

ベスト16の相手はフランス。
フランスがボールを握る展開になり、ベルギーは守備からカウンターを狙う状況だったが、試合が動いたのは終盤だった。
85分、カンテの縦パスを受けたコロムアニが反転から右足を振り抜くと、フェルトンゲンに当たったボールがそのままゴールへ吸い込まれ、フランスが先制。
その後ベルギーは猛攻をかけるも実らず、ここで敗退した。


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最終更新:2025年01月01日 16:33

*1 その2002年大会ではグループリーグの初戦で日本代表と戦い、2-2の引き分けとなっている。

*2 この頃こそ彼がリヴァプールの正GKを務めていた時期であるにもかかわらず、である。

*3 つまり、チェルシーは11~12年頃にこの4人全員を獲得していた。

*4 アンドレア・ラノッキア。11-12シーズンからインテルに所属する大ベテランだが、近年は控えに甘んじていた。

*5 無論、この時代においてはガレス・ベイルという絶対的エースを擁しており、一概に格下と呼べる相手ではないが。

*6 11人中GKが2人(クルトワとミニョレ)なので、全員とまではいかない。