リオネル・メッシ

登録日:2010/04/08 Thu 21:14:55
更新日:2025/03/08 Sat 21:15:40
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リオネル・メッシ(Lionel Andrés Messi Cuccittini)とはアルゼンチン出身のプロサッカー選手である。1987年6月24日生まれ。
愛称は『レオ(レオ・メッシ)』、『プルガ(スペイン語でノミ)』。

2010年代前後のサッカー界においてクリスティアーノ・ロナウドと共に頂点の座に君臨し続けた、サッカー史上最高の選手の一人にして、
サッカー界に突如現れ、進化し続けた天才―――いや、もはや天才という言葉では到底表現出来ない。安易な表現だが、彼はもはや神だ―――といっても過言ではないだろう。
正にサッカーをするために生まれてきた男の一人である。
この偉大なプレイヤーをリアルタイムで見ることが出来ることに私達は感謝しなければならない。


クラブでの活躍


17歳の時、FCバルセロナのトップチームでデビューを果たす。
観る者を引き付けるプレーで、目の肥えた地元のファンの心をガッチリとつかんだ。
そしてそのシーズンで、17歳10ヶ月7日という当時のバルセロナにおける最年少ゴールを決める。
(その後この記録はボージャン・クルキッチが17歳51日で達成して破られているが、その時のアシストもメッシ本人)
その後も世界最優秀若手選手、リーガエスパニョーラ最優秀外国人選手等のタイトルを獲得し、着実にステップアップする。
そして08-09シーズンでは、FCバルセロナ史上最強と言われたチームの主軸として活躍。
見事チームは史上初の5冠を達成し、メッシはそれに大きく貢献。個人としてもCL得点王、バロンドール、FIFA世界最優秀選手等のタイトルを獲得。合わせて16個のタイトルを総なめにする。
09-10シーズンは2010年代の怪物クリスティアーノ・ロナウドと並ぶリーガ最高34得点を記録、これはほぼ1試合1得点という驚異的なペースである。
この活躍からシャビイニエスタを抑え2年連続バロンドール授賞となった。

……そして、何よりメッシを生ける伝説たらしめているのはその継続性。
08-09から20-21シーズンまでの{13シーズン連続リーガ20得点以上、しかもそのうち多くのシーズンで30点以上)という前人未到の記録を築いており、
11-12シーズンに至っては50得点という、リーガどころか欧州全リーグの歴代最大得点記録を叩き出した。
(また、同じ時期で括りを変えて「2012年のあらゆる出場試合」にすると年間69試合で91得点というサッカーとは思えない数字を記録している)
そのうえアシストも常に10を超え、20を上回ることもザラ、30アシストを達成したことすらある。
バロンドール受賞回数、なんと8回(09,10,11,12,15,19,21,23)。この2009~2023年の間、2位にもつけていなかったのは2018と2022年だけ*1
言っておくが、バロンドールというのは本来時代のトッププレイヤーでもキャリアハイで1つ2つ取れれば上等な代物であって、断じてそんな長期スパンで稼ぐものではない。
サッカーの歴史において数多にいる伝説的な選手たちにおいても、彼のように一度トップレベルに至ってから10年以上にわたってキャリアに一切の陰りがない者は極めて稀。
もっとも、同じ時代に生まれ2008年から2023年までバロンドールの座を2人でほぼ全て分け合っていたクリスティアーノ・ロナウドという絶対的ライバルの存在は無視できないところではあるが、一人の選手のキャリアとして彼らを超えるということは、未来永劫にわたって困難を窮めることであろう。

バルセロナとの蜜月の関係


幼い頃からその才能を見出だされ、アルゼンチン地元の名門ニューウェルズ・オールドボーイズの下部組織でプロを目指しながらプレイしていたメッシだが、11歳の彼に突如問題が降りかかる。
成長ホルモンの分泌障害が確認され、「このままでは身長が150cmぐらいまでしか伸びない」と言われてしまう。

その後3年半毎晩太ももにホルモン注射を打ち続けてなんとか病を克服し、169cmとサッカー選手として普通の「小柄」程度まで成長できたが、
その当時、クラブ側はいくら逸材とはいえ "一ユース選手" でしかない彼を特別扱いするかどうか決めかねており、
またメッシの両親にも、月10万円と高額な治療費を支払い続ける経済的余裕は無かった。
メッシは、岐路に立たされていた。

そんな彼が13歳の頃に目をつけたのがスペイン屈指の名門、FCバルセロナである。
バルセロナ側は、治療費の全額負担、家族のスペインでの職・住居の保証という破格の待遇を以て彼を獲得。バルサ自慢の下部組織「マシア」で彼を育て上げた。

当時のユース監督カルロス・レシャックは、彼の最初のボールタッチでかなりのレベルの選手だと判断し、プレーを30秒見て獲得を決断する。
レシャック監督は「紙ナプキンでもなんでもいいから直ぐ契約書を作れ」と指示。
そして紙ナプキンを差し出し、メッシに「契約書にサインしてくれ」と言った。
メッシがサインすると、彼はこう言ったという。

「君は、バルセロナの選手だ」


このエピソードからか、メッシはバルセロナに対して大変な恩義を感じており、ユニフォームを着るならバルセロナかアルゼンチン代表しか無いと語っていた。



――――が。


バルサ退団騒動


2014年にジョゼップ・マリア・バルトメウ会長が就任して以降のフロントの迷走に次ぐ迷走、
にもかかわらず「自分たちに非はない、現場の問題である」という態度を崩さないフロント。
2020年、メッシ33歳。未だに正真正銘の衰え知らずながらも、クラブのためにも「引き際」を視野に入れざるを得ない年齢。
そして19-20UEFAチャンピオンズリーグ準々決勝、この後CLを制するバイエルンに2-8の歴史的惨敗。
世代交代を打ち出す新監督ロナルド・クーマンが多くのベテランをあっけなく切り捨て、
そこにはバルサが誇るもう一人のエースストライカーでありメッシの「相棒」にして「親友」の、ルイス・スアレスも含まれた。
さらにはフロントが民間企業と結託し、選手のネガティブキャンペーンやフロント擁護論を広めるネット工作を行っていたことまで報じられる始末。

メッシもさすがにキレた。
19-20シーズン終了直後、ついに退団希望を書面で正式に通達する事態へと発展してしまう。

もっとも、バルサとの契約はあと1シーズン残っていた。
しかしメッシにはその偉大さに敬意を払い、本人の希望があれば一方的に契約を中途解消できる権利が与えられていた。
……のだが、この契約は「6月10日まで」という期日があり、この時はとっくに8月だった。
19-20シーズンが正常に進行できなかったのが原因である。要は「シーズン終了直後くらいには言ってね」という期間指定なのが、シーズン終了が後ろ倒しになったので頓珍漢な指定になってしまったのだ。
なので特例として適用が認められるべきであるとメッシ側は主張するが、バルサ側も当然却下。
蜜月の関係を象徴するはずの契約条項が、その亀裂を証明してしまった。
ただでさえ世界一のフットボーラーに相応しい年俸を有するメッシに移籍金まで設定されていては、潤沢な資金源を持つメガクラブでもさすがに手が出ない。
下手をすれば移籍ではなく退団、あるいはボイコットにより、
メッシがお家騒動で貴重な1年を棒に振るという全世界のサッカーファンにとっての最悪の事態すら危惧されたが、
結局彼は「愛するバルサと法廷で争いたくはない」と残留を選択。
少なくとも残りの1シーズンをバルサで過ごすこととなった。

後にこの騒動を「最悪の時期だった」と語り、20-21シーズン序盤はクラブ共々不調(メッシ基準)が目立つも
十分に割り切ることはできたようで、予定通り若手が台頭し、苦闘しながらも希望も見える新生バルサの中で確かに結果を残す。
ただし、いずれにせよバルサとの契約はこのシーズンで満了となるため、去就については大いに注目を集めることとなった。

だがその後も、メッシは衝撃的な行動をしてしまう。

20-21シーズンのスーペルコパ。バルセロナは前半40分にフランス代表FWアントワーヌ・グリーズマンのゴールで先制したが、直後に失点して試合は振り出しに。後半32分にグリーズマンのこの日2点目のゴールで再びリードを奪うも、タイムアップ目前に同点弾を決められ、延長戦にもつれ込んだ。そして、延長前半3分に勝ち越し点を奪われて追う形に。
延長後半アディショナルタイム。1点ビハインドのバルセロナは敵陣内で攻撃を仕掛けるなか、ビルバオFWアシエル・ビジャリブレから激しいチャージを受けてヒートアップしたメッシは、行く手を阻む相手の後頭部を目掛けて右腕を振り回し、パンチで殴り倒すような格好になった。

 結局、VAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)の介入でビデオ確認を経て、ヘスス・ヒル・マンザーノ主審はメッシを一発退場処分
メッシは過去に、アルゼンチン代表で2005年8月17日(ハンガリー戦)、2019年7月6日(チリ戦)と2度の退場処分を受けているが、バルセロナでの公式戦では753試合目にして初めてのレッドカードとなった。


クラブを含め数多くの問題を終始抱え続けたシーズンだったが、終わってみれば30ゴールで8回目のラ・リーガ得点王に輝いていた
そこだけはいつものメッシだった。


そして───


2021年夏。
今回メッシとバルサの前に立ちふさがったのは金銭的な問題であった。
バルサは度重なる失策やコロナ禍が追い打ちをかけ膨大な負債を抱えており、ラ・リーガのクラブ予算に関する厳しい制約もあって、現状のままでは手持ちの選手を抱えておくことすら不可能となってしまっていた。
当然、最大の年俸を有するメッシと契約延長するのは最も難しく、絶望的なことである。
そのあたりの事情もあって期間内の契約延長に至らず、メッシはコパ・アメリカ出場中に無所属となってしまう。
奇しくも同時期のEUROでは優勝するイタリア代表に無所属選手が発生しており、EUROとコパアメリカの両方で無所属選手が栄冠を勝ち取る珍事が発生した。

しかし今回はメッシも契約には前向きであり、年俸半減を受け入れる意向を示す。
バルサ側も春に就任した新会長ジョアン・ラポルタがメッシの慰留を最大目標に掲げており、想像以上に大きな穴となったスアレスの穴埋めとしてメッシと親しいアルゼンチンの同胞セルヒオ・アグエロを迎えるといった手も打ち、さすがになんとかなるだろう――そう思っていたのはファンだけか、あるいは関係者、本人らもだったであろうか。

メッシとバルサ間での合意は行われたが、「金銭的および構造的原因により」契約交渉は不成立。
様々な噂はあるが、とりあえず言えることは一つ。
「無所属」メッシは、戻ってくることはできなかったのだった。


結局、メッシはフランスのメガクラブ、パリ・サンジェルマンに拾い上げられる。
かつてバルサで肩を並べたブラジルの至宝ネイマール、アグエロの代わりと言ってはなんだが同胞の名脇役アンヘル・ディ・マリア、
そして奇しくも今夏マドリーとの契約を満了しパリに渡った約15年来の宿敵セルヒオ・ラモスといった面々と共に戦うことになった。
結果的に誕生してしまった、メッシとネイマール、そしてメッシ以後のサッカー界を背負うと目される次代の新星キリアン・ムバッペの「MNM」が欧州で旋風を巻き起こすのか、はたまた守備タスクがどう考えても厳しいため上手くいかないのか、良くも悪くも多大な注目を集めることとなった。

そうして迎えた21-22シーズン。故障によりデビューがやや遅れ、リーグレベルはやや劣るとはいえバルサ一筋のメッシにとって初の新天地というのもあって、
いささかフィットに苦しんだ感は否めずリーグ戦26試合出場でわずか6ゴール
リーグ戦は順当に優勝したものの肝心のCLではベスト16で宿敵マドリーで本当に最高となった男による大逆転劇の前に散ったため、期待外れとの評は強くなった。
ただし、ゴール数に関してはチーム事情からプレースタイル自体がパサー寄りになっていた面もあり、現にアシスト数は15でムバッペに次ぐリーグ2位を記録。また、CLでは7試合5ゴールと結構稼いでいた。

翌22-23シーズンは一転して好調な滑り出しを見せ、W杯後に一時失速し「もう満足して燃え尽きたのでは」と言われたが、
最終的にリーグ戦32試合16ゴール16アシスト、CLでも7試合4ゴール4アシストとパリでも文句なしのメッシぶりを発揮。

ただパリでの生活はあまり快いものではなかったらしく、22-23シーズンを終えて契約満了での退団を決定。
必然的にバルサへの帰還の話題が持ち上がるが、その蜜月の関係にとどめを刺したバルサの財政問題は2年経っても全然解決していなかった。
さらにサウジアラビアのアル・ヒラルが年初にアル・ナスルがロナウドへ出した破格のオファーをも大きく上回る意味不明の金額を出動させて「サウジがメッシロナウド両取りか」と騒がれるが…そんな中、デイビッド・ベッカムが共同オーナーを務めるアメリカのインテル・マイアミとの契約を発表。
「可能ならバルサに戻りたかったが、バルサに大きな負担を強いてまで戻りたくなかった」「大きなプレッシャーから離れ、そして家族のことをよく考える時期が来た」とメッシは言う。
インテル・マイアミの契約オファーも十分に「メッシ基準」の超高額なものの、アル・ヒラルの超超超高額オファーとは到底比べ物にならなかったが、
マイアミは単にリゾート地というだけでなく、ヒスパニック・ラテン系が主流を占める地域なのでメッシ一家にとって異邦のサウジアラビアより遥かに馴染みやすいことは明白であり、実際メッシも前からマイアミに別荘を所有していた。サッカー興行としてもサウジリーグよりはMLSに魅力を感じたそうな。
これはアメリカ・カナダ・メキシコの北米3国で開催される2026年のW杯に向けてサッカー振興を目指すアメリカにとって大きな大きな追い風となり、
発表されただけでインテル・マイアミのインスタフォロワーは4倍になり、初戦のチケットは30倍近くまで高騰したりしている。

さらには同時期にフリーでバルサを退団したセルヒオ・ブスケツとジョルディ・アルバ、また23年末には一時南米に帰っていたスアレスも加わり、マイアミスカッドはさながらバルサ同窓会と化した。ここで忘れがちな「ベッカムはマドリーのレジェンド」という事実
MLSの中でも新興かつ弱小であったマイアミだったが、加入間もなくメッシらの活躍でメキシコリーグとの合同大会であるリーグスカップを優勝し、クラブ初のタイトルを得る。
24シーズンは代表招集や負傷が重なってメッシの稼働率は半分程度だったものの、レギュラーシーズンにおいて19試合で20G10Aという相変わらず圧倒的なスタッツを残し、MLS史上最高勝ち点での優勝*2へ導いた。



代表での活躍


ユース大会での活躍は凄まじく、FIFAワールドユース選手権大会、北京オリンピックのタイトル獲得に大きく貢献した。ワールドユースでは得点王・MVPも受賞している。

そんなメッシのA代表デビューは、意外にも「開始40秒でレッドカードでの一発退場」と、涙のほろ苦いデビューとなっている。
2006年ドイツW杯には、18歳で出場しいきなり1ゴール1アシストを記録するという離れ技をやってのけ、この活躍でその名は世界中に広まった。
しかしマラドーナ監督指揮下のA代表では真価を発揮できず、得点王最有力候補として期待され挑んだ2010年南アフリカW杯ではまさかの無得点。
アルゼンチン代表も準々決勝でドイツの組織力に手も足も出ずに不本意な結果に終わった。

主将として臨んだ2014年ブラジルW杯ではグループリーグで4得点を挙げ前回の不本意な結果を晴らす活躍。その後もチームの攻撃を担い続けたが、決勝でドイツに敗れ優勝ならず。
大会MVPを受賞したが、トロフィーを逃した悔しさは隠せなかった。
コパ・アメリカ2015・2016でも決勝進出するも、2度もPK戦の末チリに破れ、またも準優勝に終わった。

このように、クラブにおける輝かしいキャリアとは裏腹に、代表ではシルバーコレクターと化した時期があった。
コパ・アメリカ2007と合わせれば、実に4度も決勝で涙を呑んできたのである
そして、国内で過激化していくバッシング……コパ・アメリカ2016の後は心が折れて代表引退まで表明していた。

その後代表引退は撤回したものの、今度はアルゼンチンサッカー協会の混乱*3に巻き込まれ、予選敗退すら危惧されるほど低迷した。
それでも何とか2018年ロシアW杯の本選出場を決め、メッシ自身はゴール・アシスト共に記録するもベスト16止まり。
特にクロアチアに0-3で敗れた後、サンパオリ監督は選手たちに見限られていることをメッシから告げられたという。
つまり当時のアルゼンチン代表は、選手と監督・スタッフとの関係が壊れた状態で戦っていたのである……



このように、代表では茨の道を歩んでいた彼だったが、2020年代に入ってその状況に変化が訪れる。
タレントの質で言えばアルゼンチン代表としてはむしろ小粒とすら言え、メッシ自身の能力も全盛期に比べれば劣る。
しかし必然的に、代表を構成するのは下はメッシに憧れて育った世代、上も現役をメッシと共に過ごしてきた世代になった。
それだけ長く世界最高の選手であり続けたというのも頭が下がる話だが、「メッシに今度こそ栄誉を」の目標の下、代表は「メッシのチーム」として結束を強める。
それが功を奏したか、コパ・アメリカ2021では4得点5アシストの活躍の末ついに優勝し、34歳にして悲願のA代表タイトルを獲得

さらに翌年、自身最後のW杯と公言した2022年カタールW杯を全試合フル出場、7ゴール3アシストの記録と共に優勝。
特に決勝戦はムバッペを擁するフランスを相手にW杯の歴史に残るほどの名勝負を演じ、それがますますドラマ性を引き立てたと言える。
『GOAT』*4たる男は唯一欠けていた国際タイトルをついに勝ち取り、全てを手にしたのだ。


ところで決勝戦の前、メッシは『TVP Sport』リポーターのソフィ・マルティネス・マテオス女史から賛辞を贈られている。




最後に、これは質問ではなく、伝えたいことがあるんです。

W杯の決勝がやってきます。もちろん、私たちみんな優勝を願っている。

けど伝えたいのは、結果以上にあなたが全てのアルゼンチン人のために成し遂げてくれたことを、誰も奪えないこと。

心の底から伝えたいんです。

あなたのシャツを持たない子はいません。

正規品でなく露店で買ったもの、模倣品や想像で作ったシャツかもしれない。

あなたは皆の人生を輝かせてます。

それはどのW杯の優勝より、私にとって偉大なことなんです。

それは誰にも奪えない事実です。心から感謝しています。

こんなにも多くの人たちを幸せにしていることを。

どうかこのことを忘れないでください。それはW杯優勝より大事だと思うんです。

あなたはすでにそれを成し遂げてくれた。ありがとうキャプテン。



この言葉通り、彼はW杯を勝ち取る前からすでに、国中にタイトルより大切なものをもたらしていた
まさに今までの積み重ねが実を結んだ場面と言える。


コパ・アメリカ2024決勝コロンビア戦では、前半に右足を痛めるもプレー続行。
だが、後半にはとうとう症状がプレー不可能なレベルにまで達してしまい、無念の途中交代。
悔しさからベンチで涙するメッシの姿は観る者に大きな衝撃を与えた……
それでもアルゼンチンは主導権を握り続けていたが、お互い無得点のまま延長戦へ。
すると112分に途中出場のラウタロ・マルティネスが冷静にGKとの一対一を制しゴールを決め、これを守りきり勝利。
こうしてアルゼンチンは大会2連覇かつ史上最多16回目となるコパ・アメリカ優勝を達成した。
たとえピッチからいなくなっても、メッシの存在はチームにとって大きな力となっていたのだ。



人物


寡黙で、ピッチの内外問わず滅多に自己主張をせず、私生活においては家族を愛する普通の青年。
言わずと知れた悪童マラドーナや、快活で奔放なクリスティアーノ・ロナウドとは真逆で、良くも悪くもスターらしからぬ人柄の持ち主である。
そのためキャプテンシーを示すタイプとは言えず、代表でこそ長くキャプテンを務めているが、バルサではイニエスタの退団までは第二主将に留まっていた。

晩年(近年)は心境の変化があったのか、比較的喋るようになってきている。


プレースタイル


ポジションは、主にセカンドトップや右WG。
およそ169cm*5と、サッカー選手としては明らかな小柄だが、決してフィジカルが弱い訳ではなく、筋肉質で体幹が強いため当たりにも強い。
そして特筆すべき点は、なんと言ってもドリブルだろう。
バルセロナでは、プレッシャーがかからない右サイドでボールを受けると、その後の選択は高確率でゴール方向に向けてドリブル開始であった。


彼はドリブル時には殆ど左足でプレーしストライドが短いため、それを生かした加速力・スピードには目を見張るものがある。限られたスペースの中での速さはトップレベル。
体の使い方が上手く、また非常に高度な足元のセンシビリティーを駆使した華麗なボールタッチによって、流れるようなドリブルを得意とする。
一般的なドリブラーが多用するような複雑なフェイントはほとんど用いず、単純な動作の素早さのみでで相手を翻弄し、ゴール前まであっという間に肉薄して見せる様は、
代表監督として彼を指導したディエゴ・マラドーナをして「6速目のギア」、ウイイレ信者のズラタン・イブラヒモビッチに「プレステの中の選手のようだ」といわしめるほど。

ドリブルで何人でも抜いてしまえる一方でパサーとしても天才的で、ゲームの流れを掌握できる視野とインテリジェンスを有し、低い位置での組み立てや相手の裏を射抜く決定的なパスも持ち味。
得点感覚、シュートセンスも並大抵では無く、シュートは右足で打っても遜色ない威力・技術を持つ。
要はドリブルもパスもシュートも最高峰最高のストライカーにして、最高のドリブラーであり、最高の司令塔でもあるという、まさしく究極のアタッカー
どれか一つに限ればメッシ以上の選手は居ないとまでは言えないが、一人でこれらを兼ね備えていることが「GOAT」たる最大の所以と言える。

メンタルも強靭であり、エル・クラシコ、CL決勝といった世界屈指のクラブビッグマッチでも臆することなくゴールを決めている。
FKについては当初こそさほどの才覚を見せなかったが、マラドーナ監督の指導*6により覚醒。08-09シーズン以降、ほぼ毎年のように直接FKを決め続けてきた。
ただ、PKだけはなぜかあまり得意ではない(成功率は人並みなのだが、これだけの能力を持ちながらなぜか人並み止まり)。PKをスアレスにパスして決めさせたこともあるけど。
W杯では2018年(アイスランド戦)・2022年(ポーランド戦)と、ファウルで与えられたPKを2度もセーブされており、「2大会連続でPKを止められた史上初の選手」となってしまった。

前線におけるあらゆる行為を任せられる代わりに守備のタスクを免除されがちであったらしく、走行距離が極端に少なく(近年では加齢も重なって尚更)、ボールを持っていない時は(周囲を見回しながら)専ら歩いている姿もある意味代名詞。
だが必要となった瞬間に温存した全速力を爆発させて役目を果たす。その瞬発力で猛追し、時には不意にカットを仕掛けたりで、守備に貢献することすらもしばしば。
メッシの全盛期と共に全員守備ともいうべきプレッシングサッカーが興隆したこともあり、メッシの守備論争はサッカー界永遠の議題の一つだが、少なくとも「守備での立ち回り」自体は賢くこなせると言えることは重要な部分だろう。


必然として絶対的なエースフォワードとして君臨し、彼のいるチームは良くも悪くも「メッシ中心の戦術」と評される。
とはいえ周囲を活かす能力も含めてのメッシであるため、「メッシ中心の戦術」には実際のところチームメイトとの折り合いも含まれる。
登録配置上はCFであることが多いが、一列下がってゲームメイクし破壊力のあるWGを切り込ませる偽9番、CFには純正9番を据えつつ自由を担保させた右WG、とバルサ内でもその役割は度々変化してきたため、
「メッシの真の適正ポジションはどこか」「別のポジションを任せるべきではないか」という話題はいつまで経っても尽きなかった。


現役当初はドリブラーとしての色が強かったところから徐々にこの万能性を覚醒させていった。
逆に晩年(20-21シーズン以降)はスピードを失い、ドリブラーとしての迫力は明らかに落ちているが、それでも複数人を容易に躱す異次元のボールタッチは健在。この状態ですら十分チート。
強行突破を連発できなくなった分だけプレーメーカーとして仲間を走らせ、最前線でボールを受ければ必殺のフィニッシャーとして牙を剥く。
かと思えば流星のように相手ボールを掠め取ってみせる場面も相変わらずたまに見られ、
最大の武器の一つを失っても何でもありのスーパーフォワードで在れるのがこの男である。


マラドーナ2世として


アルゼンチンの若手有力選手は、ドリブルやパスのスキルが高いとすぐ"マラドーナ2世"としてもてはやされ、
幾多の才能ある選手が、その通り名のプレッシャーに押し潰され、埋もれていった。
しかしその名を背負いつつもプレッシャーに見事打ち勝ち、乗り越えていたのがメッシである。

小柄な体躯、左足一本のドリブル、マラドーナとそっくりな道筋を辿った5人抜き、神の手ゴール、そしてクラブと母国代表双方でのタイトル…

彼以上に「マラドーナ2世」として相応しい者はおらず、生前のマラドーナ本人からも直々に認められた
むしろ前述のバルサで残した長い実績を鑑みれば、もはやマラドーナを超えたと言っても過言ではないであろう。
しかしアルゼンチンは、これで新たに「メッシ2世」の呪縛に捕らわれそうだ。


その他


何故か日本語版のオフィシャルブログがスペイン語版より早く開設された。
現在は残念ながら終了している。

「メッシ」の名前はイタリア・マルケ州特有のもので、アルゼンチンに渡った父方の高祖父の出身地・レカナーティ町はメッシさんだらけの町である。
実際、この町には三従兄弟に当たる遠い親戚が住んでいるらしい。
さらに2019年には在外町民資格があると認定された。つまり、勝手にイタリア人化されてしまったのである
また、2011年には元チームメイトで後にJリーグにもやってきたボージャン・ケルキッチとは遠い親戚関係にあることが判明した。
彼の曽祖父がボージャンの曽祖父と兄弟だったとのことで、前者の孫娘がアルゼンチンへと渡ったことから、国籍が明確に枝分かれしたようだ。*7



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最終更新:2025年03月08日 21:15

*1 この2回だけが、この期間においてメッシとロナウド以外(ルカ・モドリッチカリム・ベンゼマ)にバロンドールが与えられた年でもある。

*2 正確な表現をすると、MLSは野球(MLB)のように東西で2リーグに分かれて戦うが、マイアミは「東西両リーグを合わせて最高の成績」を収めたことで、「サポーターズ・シールド」というタイトルを獲得した

*3 長年に渡って会長を務めていたフリオ・グロンドーナの死後、協会は権力争いと不正の数々で迷走。FIFAが介入する事態にまで陥った

*4 Greatest of all time=史上最高の意。これに掛けてメッシがヤギ(goat)の絵文字等で表現されたりする。

*5 170cmだとか168cmだとか諸説あるが、「そのくらい」と思っておけばいいだろう。

*6 この際マラドーナは「足をそんなに速くボールから離してはいけない。それでは自分の意志をボールに伝えられない」とメッシにアドバイスしたという

*7 https://www.goal.com/jp/news/124/%E5%8D%97%E7%B1%B3/2011/10/14/2710350/%E3%83%A1%E3%83%83%E3%82%B7%E3%81%A8%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%81%AF%E8%A6%AA%E6%88%9A%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F