登録日:2024/3/13(日) 10:40:00
更新日:2025/04/21 Mon 12:24:59
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概要
モガディシュの戦闘とは、1993年10月3日から4日にかけて
ソマリアの首都モガディシュにおいて発生した戦闘の通称。「ブラック・シーの戦い」とも呼ばれるが、厳密には戦闘はブラック・シーエリアから通りをまたいだ別の区域で行われた。
説明
なぜこの作戦が行われたのかというと、もとはといえば「ソマリア内戦」によって発生した難民が国際的な問題となったことが原因。
80年代に失政とエチオピアとのオガデン紛争による混乱から
ソマリアは内戦状態に陥っていた。
しかもオガデン紛争ではエチオピアからソマリアへ難民が流入しており、そこにソマリアの内戦化で雪だるま式に難民の数は膨れ上がっていた。
国連も半ばPKOによる支援での問題解決を諦めて、平和強制活動…といえばある程度聞こえはいいが、要は
軍事的介入による平和維持を実行することを決定した。(UNOSOM)
この作戦の目的はアティティード派による包囲を軍事的に打破し、飢餓問題を解決するのが目的だったことに注意。
戦闘前
さて、国連によって軍事介入が決定されたため、国連軍が動員される。陣容は大半が米軍であり、それにパキスタン・マレーシア両陸軍が参加した。
大まかな参加兵力等は以下の通り。
【作戦コードネーム「アイリーン」】
ウィリアム・ガリソン少将
デルタフォースC中隊
第75レンジャー連隊第3大隊B中隊
第160特殊作戦航空連隊第1大隊
第10山岳師団
SEALs チーム6
空軍第24特殊戦術飛行隊
米陸軍情報支援隊
パキスタン陸軍
マレーシア陸軍
合計160名
…勝ち確じゃね?これ。
米軍軍部もこの陣容と作戦内容より、「作戦そのものは30分で終了する」と豪語していた。
事実、作戦そのものは概略すると「アティディード派の外務大臣オマール・サラッド・エルミン、最高政治顧問モハメッド・ハッサン・エワレの両名を拘束して陸路でバイバイ」だった。
このことを考慮すれば十分現実的な参加兵力と作戦所要時間である。
さらに、作戦概要はこんな感じ。
1、ナイトストーカーズが航空支援を担当し、MH-60 ブラックホーク、OH-6 カイユース、MH-6/AH-6 リトルバード(カイユースの特殊部隊向けモデル)を投入。
2、タスクフォースレンジャー(以下TFR)がブラックホークから迅速に目標ビルに降下し、建物の四隅を占拠し目標周辺の安全を確保。
デルタフォースは、リトルバードから建物内に突入、対象人物の拘束を試みる。
3、ナイトストーカーズが空から支援する中、ハンヴィー(車両の名称)部隊の車両が全員を収容して退却。
また、モガディシュ空港にTFRの本部が、空港からブラック・シーを挟んで3キロ北東のスタジアムにパキスタンのHQが設置され、作戦の現地指揮を行う。
正直、「行って帰るまでが遠足」ならぬ、「行って帰るだけの作戦」である。無論、相手はあくまでも武装市民。抵抗は考慮する必要はあるものの、決して捌ききれないとは言えない。
というわけで、無事国連軍は目標の二名を拘束することに成功しましたとさ。めでたしめでたし。
…確かに、両名を拘束するところまではよかった。
ただ、1600名以上の武装市民、米兵と比較しておよそ10倍ものアティディード派の民兵が立突入して民兵に包囲された米兵ら90人に立ちはだかる。
単純計算で実に20倍近くの敵と相対した時、いくら完全武装とはいえ90名に何ができるのか?というと…
作戦遂行
というわけで、国連軍とアティティード派の作戦参加兵力を紹介しよう。
【国連軍】
特殊部隊、情報通信部隊、ヘリ部隊、パキスタン・マレーシア両陸軍合計160名(無論この中にもヘリ操縦要員は含まれているため、陸戦隊員はさらに少ない。)
【アティティード派】
民兵1600~2000名
【1993年10月3日】
2000名程度の(比較的)軽装の民兵が国連軍の前に立ちはだかる。
されど実際問題、戦争は数=戦力に直結する世界である。
NATO式部隊規模記号と照らし合わせると、だいたい1連隊並みの規模があった。
また、防衛側という都合上、アティティード派は自分達に有利になるようバリケードを構築し、タイヤを燃やすなどして撤退に重要な車両の通行妨害を行っていた。
その挙げ句、なんとヘリを撃墜することにも成功した。
かろうじてハンヴィーの車両部隊は降下したレンジャー隊と20分にも及ぶ交戦の末合流したものの、90人というあまりにも少なすぎる陸軍は航空支援も望めず、本来は電撃的な作戦がどんどん延期されていく…
【1993年10月4日】
なんと作戦のフェーズ3が延期に延期し、夜を跨いで次の日に持ち越されてしまった。
この日の早朝には、アメリカ軍第10山岳師団やパキスタン・マレーシア陸軍の国連軍が増援に駆けつけ、ようやく退却の兆しが見えた。
そして6時30分、前述したパキスタンの現地司令部「モガディシュ・スタジアム」に退却が成功した。
戦闘終了後
【両軍の損害】
戦死19名、負傷73名、捕虜1名
MH-60撃墜3機(1機は空港に不時着)
戦死1名、負傷7名
戦死1名、負傷2名
戦死200~500名
負傷500~812名
捕虜2名
国連軍はアメリカ軍19名、マレーシア・パキスタンでそれぞれ1名の21名が死亡した。また、アティティード派民兵も200名以上の死者を出し、前述した外務大臣オマール、最高政治顧問モハメッドが米軍によって束縛されるという結末になった。
実に15時間もの間戦闘が行われ、その間レンジャー部隊は昼夜を問わず常に武器を手に取って戦っていた。すごいというか何というか…
結論
このような激しい戦いになった理由はいくつかの理由がある。
まず一つに、ヘリからの降下作戦中に一名の隊員が事故により落下し、負傷してしまったことにある。
これにより、負傷兵の護衛、救出などにより隊員たちに混乱などが発生したため、従来通りの作戦が困難になってしまった。
もう一つは、作戦内容が敵に知られていたという事である。
これは行われる作戦が漏れてしまったというわけではなく、単純に国連軍が同じような手順の作戦を幾度となく行っていたため、どのような行動で作戦が行なわれるかが筒抜けになっていたのである。
この結果、敵の抵抗が思いの外激しくなり、脱出ルートを岩や火のついたタイヤを用いてバリケードが作られ、国連軍の脱出を困難にしていたのである。
この戦闘において、ごぐまれに見かけるガリソン少将は無能という意見であるが、これには少々語弊がある。
まず、「なぜガリソン少将がヘリ撃墜時点で退却を判断しなかったのか」についてだが、そもそもこれに関しては「ヘリ撃墜云々の以前に、もともと退却のためにヘリでの航空支援を行っていた」「(負傷した)兵士を見捨てることが出来なかった」という反論ができる。つまり明らかにお門違いな意見である。
というより、仮にそれを理解しているのに「退却して作戦を中止しろ」と言うのは、包囲下に取り残された友軍を見捨てるのと同義なので冷徹というよりは「職務放棄」に近い
また、「陸戦用の人員が少なすぎる」という意見に関しては、作戦の内容が誤解を考慮しない言い方をすると「たった2名の拉致」であり、さほど大規模な動員をして市街戦を展開する意図も打算も価値も米軍にはなかったのである(というより、それをするぐらいなら両名のいる建物をピンポイントに爆破するなどほかにやりようはある)。「市街戦ではなく人物の拘束が目的」なので、わざわざ大部隊を派遣する必要はなかったし、本来30分の作戦終わる電撃作戦において、重装備や余計な弾薬、戦車を投入するのは効率重視ではなく愚行である。
少なくとも、本作戦の行動についてはガリソン少将の能力に原因があったと糾弾するのは難しい。。
また、一見「戦死者21名」は少ないように見えるが、実際のところ部隊の13%、八人に一人が死亡している。これにより打撃を負った米軍は以降ソマリアから撤退、ミサイルや航空機等を派遣する一方で陸軍の派遣はかなり渋い顔をするようになる。
余談
ちゃんと書籍化や映画化もなされている。
映画
ブラックホーク・ダウンは、ヘリが撃墜された時無線に流れた音声である。ブラックホークとは、MH-60のこと。
追記・修正は20倍もの民兵の包囲網から脱出した上でお願いします。
- 事件項目に分類される内容なので、まず相談をお願いします -- 名無しさん (2024-03-13 23:12:10)
- ハリケーンみたいな作戦名 -- 名無しさん (2024-03-14 10:16:17)
- 同じパターンの強襲作戦を何度も繰り返してた、この前にヘリがRPGで撃墜されてたのにマグレだと大して重要視していなかったが実際は直撃しなくても時限信管でダメージを与えられるようにしたり後方爆風対策などRPGでの対ヘリのノウハウを後のアルカイダから指導されてたって話を作戦に参加したTEAM6隊員の本で読んだ -- 名無しさん (2024-03-14 10:29:28)
- ところで、予想以上に抵抗が激しかった理由ってなんなん? -- 名無しさん (2024-03-14 21:17:07)
- 思い切ってヘリとVTOLだけの空中脱出作戦にした方が良かったかも案件? -- 名無しさん (2024-03-27 11:38:36)
- ↑一応、着陸が不可能なレベルで妨害を受けたかもしれない(しそもそも着陸できる場所をアティ派が塞いだだろう)から、難易度としては同等ぐらいじゃないですかね -- 名無しさん (2024-05-11 00:56:54)
- すぐ終わるからってんで防護用鉄板を外していくやつもいたみたいだな -- 名無しさん (2025-04-21 12:24:59)
最終更新:2025年04月21日 12:24