ティズナウ(競走馬)

登録日:2024/11/25 Mon 14:43:28
更新日:2024/11/26 Tue 00:43:04
所要時間:約 15 分で読めます




背に希望と夢を乗せ

ウイニングポストシリーズ 異名より


ティズナウ(Tiznow)はアメリカ合衆国の元競走馬。溢れる闘魂で歴史的偉業を成し遂げたのと同時に、世紀の大悲劇により暗く沈んだアメリカの競馬ファン達の心に希望の光を灯した英雄である。

馬名の由来は不明だが「取り乱すくらい興奮」という意味の「Tizzy」をアレンジし、「今とても興奮している」という意味になると考えられる。

アメリカ合衆国の競馬メディア『bloodhorse.com』では2023年11月2日、歴代のブリーダーズカップ勝ち馬をランキングした特集記事を掲載し、第3位に選出された*1*2


+ 目次

プロフィール

馬名 ティズナウ/Tiznow
生年月日 1997年3月12日
性別
毛色 鹿毛
シーズティジー/Cee's Tizzy
シーズソング/Cee's Song
母の父 シアトルソング/Seattle Song
生産者 セシリア・ストラウブ・ルーベンス/Cecilia Straub Rubens
生産地 アメリカ合衆国カリフォルニア州
オーナー セシリア・ストラウブ・ルーベンスとマイケル・L・クーパーの共同所有(シーズステーブル)/Michael L. Cooper & Cecilia Straub Rubens, Cee's Stable
調教師 ジェイ・M・ロビンズ/Jay M. Robbins
主戦騎手 クリス・マッキャロン(クリストファー・ジョン・"クリス"・マッキャロン/Christopher John "Chris" McCarron)
生涯戦績 15戦8勝 [8-4-2-1]
総獲得賞金 6,828,356ドル(約8億1940万円)
主な勝ち鞍(GⅠ) 2000/2001年ブリーダーズカップ・クラシック、2000年スーパーダービー、2001年サンタアニタH
タイトル 2000年エクリプス賞年度代表馬・最優秀3歳牡馬チャンピオン、2001年最優秀ダート古馬牡馬チャンピオン

誕生と血統背景

ティズナウの関係者

1997年3月12日、アメリカ・カリフォルニア州の女性ブリーダーであるセシリア・ストラウブ・ルーベンスのもとで生まれた。出生地はルーベンスの愛称“Cee”から名前を取ったシーズステーブルだ。ルーベンスとその友人マイケル・L・クーパーの共同所有馬として、カリフォルニア州のジェイ・M・ロビンズ調教師に預けられた。

ニューヨーク・タイムズ紙によると、ルーベンスは最初の夫のもと、ビール生産業を営み、1960年代にデルマーで1万ドルの財産を投じて馬小屋を作ったのが馬産の始まりだとされる。85年に再婚したロイと共に本格的にオーナーブリーダーを始めたそうだ。

ロビンス調教師は獣医師でありオークツリー競馬協会会長の父のもと、サラブレッド産業に関心を持っていた。スポーツマンで動物愛好家のロビンスだったが、図書館で血統書を読んで以来、乗馬と馬の観察に注力していった。
96歳までに2,038勝を挙げたカリフォルニアの伝説・ノーブル・スリーウィット調教師との出会いから、1969年、調教師を始めたが初勝利は1971年にケナボで挙げたハリウッドパークの名も無き競走という順風満帆ではないキャリアだった。1977年にGⅡサンフェリペHをスマッシャーで優勝し重賞初勝利、1986年には、母マギーが一部所有していたノスタルジアズスターという馬でチャールズ・H・ストラブSを制しGⅠ初勝利、この馬で重賞4勝をマークした。
観察眼の優秀なロビンスは95,000ドル前後のそれほど高くない馬でコンスタントに勝利を挙げていく。1990年にはKYダービーでサンデーサイレンスの12着だったフライングコンチネンタルでストラブS・ジョッキークラブ金杯のGⅠ2勝を挙げる。
1992年にはレインロードでGⅡグッドウッドSを制しBCクラシックで11番人気ながらエーピーインディの4着と健闘した。
翌年にはロッテリーウィナーでグッドウッドSを連覇したが、ティズナウを管理するまでの7年間はグレード競走優勝に恵まれなかった。

血統

四白流星鹿毛の仔馬の両親は共にルーベンスの所有馬だった。
ビッグレッド」ことマンノウォー系である。祖父リローンチはBCクラシック勝ち馬スカイウォーカーやBCディスタフ勝ち馬ワンドリーマーを輩出した名種牡馬である。また父シーズティジーの母父は名馬リファール、母母はチリ生まれで米国GⅠ3勝のティズナである。

シーズティジーは1987年4月21日生まれの芦毛馬で通算6戦3勝。GⅠスーパーダービーインビテーショナルS3着後に骨折し早々に引退、ルーベンスの見立てで種牡馬入りするとカリフォルニア州で大成功をおさめる。
2015年10月19日に亡くなるまでにGⅠエンシェントタイトルS勝ち馬コストオブフリーダムや2001年エクリプス賞古馬牝馬チャンピオン・グルメガールなどを輩出する。
前述の産駒たちやティズナウの活躍もあり2022年にカリフォルニア競馬殿堂入りを果たした。
その母テイズリーは日本に輸出され、ひ孫にはGⅠ7勝を飾ったキタサンブラックがいる。

シーズソングは18戦1勝、繁殖牝馬として14頭を出産しうち9頭がシーズティジーとの産駒である。近親にGⅠ馬がいる血統だけあって繁殖成績は大成功だった。
ティズソーの仔にはハスケル招待S勝ち馬ペインターがいる。種牡馬として2021年にBCクラシックを優勝し年度代表馬となったニックスゴーを輩出した。
ティズアメイジングの仔にはプリークネスSオックスボウがきる。種牡馬として2024年にドバイゴールデンシャヒーンを優勝した元ロシア調教馬タズを輩出した。

カリフォルニア最優先繁殖牝馬に輝き、2011年に25歳で亡くなっている。

母の父シアトルソングはサラマンドル賞・ワシントンDC国際Sとフランス・アメリカでGⅠを勝った馬だが、産駒GⅠ馬はカダスのみとあまり成功しなかった。

いとこには第2回中山グランドジャンプに遠征した英国調教馬セリベイトがいる。

1993年生まれの全兄バドロワイヤルが大きな結果を残す。
バドロワイヤルは騙馬として1995年から2001年まで重賞5勝した。5万ドルという安値ながら52戦17勝、284万ドルを獲得し、ボクシング映画の主人公ロッキー・バルボアになぞらえて"Rocky Balboa of racing"と愛された。99年BCクラシックではキャットシーフの2着に健闘し、8-9-12-11-5番人気決着という大波乱を起こしている。
ティズナウとは対戦することはなく引退し、29歳の大往生を遂げている。
BCクラシックの激走から、生産者のルーベンスは、1999年のカリフォルニア・ブリーダー・オブ・ザ・イヤーに選ばれている。BCクラシック後、感激したルーベンスはセンガラ・オーナーに対し、バドロワイヤルの活躍を称賛して「彼(バドロワイヤル)の弟(ティズナウ)が彼と同じくらい良いことを願っています」と声をかけたという。

全弟ティズバドは種牡馬入りし2013年牝馬GⅠロデオドライブS勝ち馬ティズフリーテイシャスを輩出した。
全妹ティズデュバイは95万ドルという高値で購入されGⅡソレントSを勝っている。
日本では半弟グラスグループが今は無き福山競馬場で49戦15勝の成績を残した。

特徴

ティズナウは170cmの身長という体格であり、温和な性格で大人しい馬なのだが…とにかく癖が強い馬だった。
  • コンクリートの上を歩くのが大嫌いであり、蹄に当たらないよう歩幅調整させるなど、厩舎スタッフを困らせた
  • 寒い季節が大嫌いであり、氷点下になるような日は厩舎内で動かない。ロビンス調教師は引き籠ったまま放って置くようにした。
  • 厩舎のドアの掛け金を外して逃走するずる賢さを持っていた。

扱いが難しいティズナウに対し、ロビンズ調教師は日頃精神安定剤を投与し、レースの少し前に安定剤の投与を中断して競走に対する闘争心を爆発させる工夫をしていた。

競走馬時代

3歳前半

恵まれた体ゆえ体重が絞れず、また父譲りの虚弱体質もあって2歳時に左前脚の軽度の骨折を経験している。デビューは遅れて3歳4月、サンタアニタパーク競馬場のダート6ハロンの未勝利戦となった。米国三冠競走のケンタッキーダービー・プリークネスS出走は到底不可能となってしまった。
10頭立ての6番人気、アレックス・ソリス騎手の好位差しでミスターワンダフルから3馬身差の6着だった*3
翌月、ハリウッドパーク競馬場の未勝利戦では1番人気になる。前走同様に好位差しとなるがスパイシースタッフを捉えきれず2着惜敗だった。
3週間後の未勝利戦では逃げ馬の2番手で攻めると2着に8馬身半差をつけて圧勝した*4

7月にハリウッドパーク競馬場で行われたGⅢアファームドHで重賞初挑戦に。重賞3勝ディキシーユニオンや重賞連勝中のパフォーミングマジックなど実績馬相手だった。3戦手綱をとったソリス騎手がディキシーユニオンを選んだためビクター・エスピノーザ騎手に乗り替わり、3番手競馬でディキシーユニオンとの叩き合いを制した。
重賞初勝利とうれしい反面、ハンデ差がある相手にクビ差というのは微妙だった*5

エスピノーザ騎手のままGⅠスワップスS*6に出走した。
56年アメリカ年度代表馬スワップスを冠したBC競走のトライアルとして価値のあるレースだ*7
1番人気のキャプテンスティーヴは既にGⅠ勝ちの勲章があるもののケンタッキーダービー8着、プリークネスS4着であり、BCクラシックに向けて立て直しが迫られていた。
5頭立ての後方策となり、キャプテンスティーヴを追い詰めるが2馬身半差の2着、ハンデ差もあり完敗だった*8

ティズナウは8月に古馬混合のGⅠパシフィッククラシックに向かった。
エスピノーザ騎手は8歳馬リヴァーキーンに騎乗するため、第8回ジャパンカップ優勝*9騎手という日本でも馴染み深いクリス・マッキャロンに乗り替わった。
以降引退する日までマッキャロンが手綱をとり続ける。

1番人気は前年の勝ち馬でGⅠ3勝2着3回の実力馬ジェネラルチャレンジ、ティズナウは3歳馬のため古馬と同じハンデということで2番人気になった。
GⅠ勝ち馬でドバイWC5着*10のエクトンパーク、3連勝中のユーカ*11、エスピノーザ騎手騎乗・GⅠ2勝のリヴァーキーンら格上揃いとなった。勝ったのは3番人気のスキミングだった。欧州育ちの4歳馬がティズナウに2馬身差逃げ切り勝ちし、翌年にパシフィッククラシックS連覇を成し遂げることとなる。
マッキャロン騎手はジェネラルチャレンジらに完勝している点を評価し、継続騎乗を決めた*12

3歳後半

9月の3歳GⅠスーパーダービーに出走し、1.8倍の1番人気となる。ベルモントS勝ち馬コメンダブルはKYダービー26馬身差17着、ハスケル招待H17馬身差ブービー負けと明らかに一発屋だった*13
古馬相手の経験がものを言い2着コメンダブルに6馬身差をつけ、1:59:84のコースレコード逃げ切りでGⅠ初勝利を飾るとともに、父シーズティジーのリベンジを果たしたのだ*14

共同所有者のクーパーは「ティズナウのキャリアの中で最も印象的なレースでした」とコメントしている。

ティズナウは10月中旬のGⅡグッドウッドBCH*15に向かい、キャプテンスティーヴとの再戦となった。ほかにGⅠ2勝の7歳サーベアがいたが2頭決着であると見られていた。
エスピノーザ騎手がキャプテンスティーヴを4コーナー前から強く追い始めると一気に2頭の世界に。キャプテンスティーヴが猛追し一度は並ぶも差は縮まらない。
永遠の半馬身差ともいうべき逃げ切り勝ちをおさめティズナウ陣営はBCクラシックの出走を決意する。

2000年BCクラシック

だが問題があった。ブリーダーズカップ競走は世界最強馬決定戦であるとともに優秀な繁殖馬の見極めの場でもある。2010年頃からシステムは変わってきて費用免除の優先出走権「BCチャレンジ」ができた。
しかし当時はまだ「ブリーダーズカップ登録」のない種牡馬の産駒は出走できないルールがあった。シーズティジーがマイナー種牡馬だったからである。
1984年には米国最多GⅠ勝利のジョンヘンリーはBCターフ登録の際にこの規制にあい、賞金の20%に相当する40万ドル*16の追加登録料を支払わなければならなかった。オーナーは「それは愚かなことだ。私は馬のために、騎手のために、調教師のためにやっているのです。それがなくてもやっていけたのに。彼が健康でレースを終えることを願っています。そう願っています。」と運営に激怒してしまう。その後脚の負傷が発覚したこともあって引退させたのだった。

ルーベンス・オーナーは、36万ドル*17の高額な追加登録料を支払いBCクラシックに無事コマを進めた。
生産馬でありティズナウの全兄バドロワイヤルの雪辱戦、種牡馬シーズティジーが認められなかったことへのオーナーブリーダーの意地があったのだろう。
なによりもルーベンスは癌に侵されていた。自分自身生きられる時間がわかっていたのだろうか、ここを最後の勝負所と定めていた。
ルーベンスの娘・ジーバルトは「追加料金は母にとって問題ではありませんでした」とコメントしている。それぐらい堂々たる態度だったのだろう。

チャーチルタウンズで開催されたブリーダーズカップは米国調教馬の活躍が良く目立った*18

トリを務めるBCクラシックは古馬層がやや手薄だったものの、ティズナウには3歳同期と欧州最強馬が立ちはだかるのだった。

1番人気は単勝オッズ2.2倍ダントツのフサイチペガサスである。ティズナウとは真反対の生まれを持ったケンタッキーダービー馬である。
父ミスタープロスペクター譲りの馬格と闘争心がサンデーサイレンスの生産者・所有者から破格の評価を受けていた。母系もダンジグとヘイローという充実っぷりから、日本ではダービー馬フサイチコンコルドのオーナーとして著名な関口房朗の目に留まり、400万ドル*19で落札された。
余談だが、アメリカ人にとっては発音し辛いフサイチ*20であった*21
米国で唯一完璧な発音ができていたエーピーインディの調教師であるドライスデール師の手腕で1979年、芦毛の怪物スペクタキュラービッド以来21年ぶりの1番人気優勝を果たした。プリークネスS2着・ベルモントSは暴れたときの怪我により回避していたが、復帰戦を勝っていること、KYダービーと同条件であることから勝利が期待されていた。

2番人気は7.2倍の古馬代表レモンドロップキッド、日本ではレモンホップの父として知られるが、ベルモントSなどGⅠ4勝の実績を持つ馬だ。しかし前走で9 1/2馬身差離された5着と調子を落としていた。

3番人気こそが欧州現役最強馬と言っていい怪物、アイアンホースことジャイアンツコーズウェイである。12戦9勝2着3回の連対率100%の3歳マイル王者である。ダート初挑戦だが10ハロンGⅠ3勝の実績と両親がダートの活躍馬*22だったこと、先行して相手を決して抜かせない根性と爆発する闘争心、GⅠ競走出走5連勝を12週で果たしたタフさは米国でも通用すると見られ、フランス調教馬アルカングが優勝した1993年以来の欧州馬優勝に可能性が感じられ、8.6倍の3番人気となった。

10.0倍の4番人気は3歳馬アルバートザグレイトだ。ティズナウ同様に三冠競走とは無縁だったが前走ジョッキークラブ金杯でレモンドロップキッド、ドバイWC2着ベーレンズ、パシフィッククラシックSでティズナウを破ったスキミング相手に6馬身差逃げ切りの圧勝と、GⅠ初勝利を飾っていた。

10.2倍僅差の5番人気はティズナウ、6番人気は前年にティズナウの半兄を破ったキャットシーフだが、前走殿負けとかなり成績を落としている。

7番人気は前年3着で今年GⅠ初勝利を飾ったエーピーインディ産駒のゴールデンミサイル、8番人気はティズナウと何度も対戦経験があるGⅠ2勝馬キャプテンスティーヴだ。

ここから単勝支持率がガクッと落ち、38.5倍の9番人気は前年のベルモントS・トラヴァースSでレモンドロップキッドの2着となったGⅡ勝ち馬ヴィジョンアンドヴァース、10番人気はリステッド競走2勝・GⅢ1勝のダストオンザボトル、11番人気は99’ニューヨーク3歳馬チャンピオンでジョッキークラブ金杯2着のギャンダー、12番人気はGⅢ1勝馬ガイディドツアー、最低人気107.7倍のパインダンスは芝ダートで重賞勝ちというラインナップだ。GⅡ馬ユーカーは出走取消となった。

初ダートに少し困惑する大外枠のジャイアンツコーズウェイがゲートに押し込まれると”There are Off !”20世紀最後のブリーダーズカップがスタートした。

アルバートザグレイトと外枠ティズナウが先頭争いを繰り広げ、観客から「ヘイヘイ!ヘイ!!ヘイ!」と声が上がる頃にはティズナウが先手を奪っていた。ジャイアンツコーズウェイは外目から先行し、レモンドロップキッドは好位置につけるもキャットシーフを割り込み危うい、1番人気フサイチペガサスは後方で手ごたえが悪かった。最内枠のキャプテンスティーヴは後方2頭目で脚をためている。

最後の直線に向く頃にはティズナウとアルバートザグレイトが競り合う中、ジャイアンツコーズウェイが加速し、後方からキャプテンスティーヴが追い込んできた。


Here comes Giant’s Causeway for Ireland on the outside!
They are coming into the final furlong! Tiznow, tough as nails!
Giant’s Causeway on the outside! Giant’s Causeway and Tiznow, battling head to head!
A heart pounding, pulsating, stretch drive!
And Tiznow prevails! !Tiznow prevails!!
Tiznow has won it by a nose, over Giant’s Causeway!


ここでアイルランドのジャイアンツ・コーズウェイが外側から上がってきた!
最後のハロンに近づいてきた!ティズナウは釘のようにタフだぞ*23
そして外側からジャイアンツ・コーズウェイだ!ジャイアンツコーズウェイとティズナウの直接対決になった!
心臓がドキドキする、あぁドキドキする、最後の大勝負だ!
そしてティズナウが優勢だ!ティズナウが優勝だ!
ティズナウがジャイアンツ・コーズウェイに鼻差で勝利しました!

欧・米の闘争心自慢が壮絶な叩き合いをゴールラインまで演じた結果、首差でティズナウが優勝し、世紀末のダート界の頂点に立ったのだ。
初ダートのジャイアンツコーズウェイは負けてなお強しの内容だった。13戦9勝2着4回の成績で引退し、カルティエ賞年度代表馬に選出された*24。そして、来年ティズナウの前に立ちはだかるのが英ダービーでシンダーの1馬身差2着だった馬となる。

マッキャロン騎手はシガー主戦等のベイリー騎手と並びBCクラシック最多4勝をマーク、開業24年目のロビンズ師は「私は彼を最初に見た日から期待していましたが、デビュー9戦目でBCクラシックに勝てるとは思いませんでした」とコメントしている。

3 1/4馬身差3着にキャプテンスティーヴ、そのアタマ差4着にアルバートザグレイト、古馬最先着は5着のレモンドロップキッドで、これがラストランとなった。
6着に敗れたフサイチペガサスは体調不良のため引退、クールモアスタッドの購入価格84億円という世界最高金額で種牡馬入りした。
前年王者キャットシーフは7着で引退、前年3着ゴールデンミサイルは殿負け、11月の次走も大敗し引退となった。

BCクラシックを回避したユーカーは日本のGⅠ第1回ジャパンカップダートにダートの本場代表として2番人気で出走したがウイングアローの大差8着に惨敗、同じく米国から参戦・見限られた馬の出るクレーミング競走でくすぶっていた重賞未勝利ロードスターリングは3着に健闘し、日本競馬ファンにショックを与えていた。

KYダービー馬フサイチペガサス、ベルモントS馬コメンダブルという三冠競走馬に加え、これにつぐハスケル招待H勝ち馬ディキシーユニオンを破ったティズナウは言うまでもなくエクリプス賞最優先3歳牡馬を受賞*25、この年のドバイWCは欧州のドバイミレニアムが優勝し古馬が不振だったため、エクリプス賞年度代表馬及び、米国内のレースで最もドラマチックな勝利を挙げた馬に贈られる「モーメント・オブ・ザ・イヤー」も受賞することとなった。
カリフォルニア州の馬が年度代表馬となったのは1956年のスワップス以来の快挙だった。

母ルーベンスの死

しかし…ルーベンス・オーナーはBCクラシック優勝から僅か3日後に84歳でこの世を去ってしまった。表彰式から2日後に癌手術のため入院し、火曜日の午後6時15分、手術中に心臓発作のため急死したのだった。
共同所有者で20年来の親友であるクーパーは「ティズナウが走ったBCクラシックの2分間は、彼女が久しぶりに感じた最高のものでした」「彼女を支えていたのはティズナウだったと思います」と語った。
ティズナウは引き続きクーパー、そしてルーベンスの子供たちシーズステーブル名義で共同所有となる。

ロビンズ師はルーベンスの入院する直前に「BCクラシックを勝ちましたから、この後はどうしましょうか」と今後の進展を聞いていた。すると「これから20年が経った後でも競馬界が失望しないようにしてください」というと「私の子(ティズナウ)をよろしく頼みます(take care of my little boy)」と言ったのが最後となった。

ロビンス師は彼女の遺言に応えるべく唯一無二のBCクラシック連覇を目指していくわけだが…年明け早々、右前脚に2ヶ所の裂蹄を抱え、治療を余儀なくされ、ティズナウはBCクラシックの反動に苦しむこととなる。

4歳前半

4歳になり、1月のサンタアニタパーク競馬場GⅡサンフェルナンドBCSで復帰する。
5頭立てトップハンデとなり、一時は差し切られそうになるが持ち前の粘り腰で2着ウォークスライクアダックに1馬身1/4馬身差つけ快勝した。
2月のGⅡストラブSでは前走3着のウッデンフォンに逃げ切りを許し2着、春の大一番GⅠサンタアニタHではウッデンフォンに5馬身差をつけ、誰が最強なのかを見せつけた。

獣医師のリック・アーサーは「死ぬほどドキドキ」しながら裂蹄のケアをしていた。ワイヤー・ネジ・パッチと強固に補強したため症状はよくなり、アーサーは「私たちの最大の懸念 ねじれた靴が彼の足を打撲したかどうかでした。もうその兆候はありません。足元はよかったですし、脈拍もありません。すべてが良さそうです」と語り、サンタアニタHに送っていたのだった。
ロビンス師は周囲の反対を押し切りながら見事に優勝させたのだが、そのツケが回ってくることとなる。

5月のピムリコスペシャルに向けて調教していた4月に、背中と腰を痛め3か月間の長期休養となった。なぜ引退させないのか?と厳しい指摘が迫る中、ロビンス師はルーベンスとの約束を守るために現役続行を決意、クーパーの理解もありBCクラシック連覇に向けてケアが行われた。

7月頃になってようやく状態は少し改善したため、調教が再開された。しかしティズナウは「努力するだけ無駄、もうやる気なんて出ない」というように不機嫌な状態だったという。
調教したマッキャロンは「クールアウトの20分後、ティズナウは後ろから押してようやく少し歩き始めました」「私たちには、彼が縛られているように見えました」と語った。

4歳後半、そしてアメリカの悲劇

9月8日にGⅠウッドワードSで復帰し2番人気で迎えられた。1番人気は重賞3勝・GⅠで2着3回の充実を見せていたアルバートザグレイトに譲ることに。レースでは今まで見せていた闘争心溢れる走りがなく、ホイットニーH勝ち馬リドパレスから1と半馬身差3着に敗れてしまった*26

リドパレスはチリ競馬でGⅠ3勝・翌年にウッドワードS連覇を果たす名馬だ。陣営はBCクラシックの追加登録費用に腹を立てたため向かわず、第2回ジャパンカップダートで2番人気に支持されたが…クロフネの2.2秒差8着に終わり、日本競馬ファンはアメリカ競馬のレベルをどう見たらいいのか困惑することとなった*27

年度代表馬の不調が嘆かれる中、牧場に帰るティズナウだったが、僅か3日後、アメリカ合衆国に絶望をもたらす大事件が発生した。

アメリカ同時多発テロ事件(9.11事件)である。
ニューヨークにあった世界貿易センター(WTC)のツインタワービルにテロリストがハイジャックした航空機が2度に渡って立て続けに衝突、ツインタワーは崩壊し3000人近くの犠牲者を出した大事件が発生したのである*28。東から西海岸に戻る途中だったティズナウ陣営は空港で足止めを食らい、そこで12マイル(およそ20km先)で凄惨なグラウンドゼロと化したWTCを目の当たりにしたのだった。
1か月後のグッドウッドBCHではサンタアニタHでちぎり捨てたフリーダムクレストに届かずまとも3着、「涙を流すほど退屈そう」という状態のティズナウにファンはガックシだった。

何の偶然か、この年のブリーダーズカップはグラウンドゼロから20kmのベルモントパーク競馬場で開催されることになった
精神安定剤を断ったロビンス師だが、ティズナウは身体が痛むのか、興奮しているのか、午前中はだるそうに・午後からはイライラしてやまないティズナウのメンタルケアのため、朝3時に起床して仕事をし、飼い葉にウォッカを混ぜたりポニーとの散歩をさせるなど対策をとっていた。
マッキャロンは最後の調教に注力するも「100%ではないことはわかっています」という手応えであった。反応の悪いティズナウに対しロビンス師は流石にイライラを覚えていたという。

厳戒態勢のBC、欧州の快進撃

惨劇から46日後の2001年10月27日、BCクラシックの日がやってきた。
アサルトライフルを携えた約600人の警備員が持ち物検査を実施し、平地には武装兵、屋上には射撃部隊、車両周辺には警察犬が密集し、厳戒態勢であった。すぐ近くでは行方不明探しが行われるなど米国競馬の祭典を行うには不似合いであった。

ニューヨーク競馬協会は開催中止を訴えたものの、BC会長D.G.ヴァン・クリーフJr.が「自分たちの計画を貫くことは非常に重要です。私たちは、それがニューヨークの人々への祝福と敬意であることを望みます」といい実現された。

競馬に人間の感情を持ち込むことはもってのほかだが、この年は青い勝負服、すなわちゴドルフィンの馬が数多くやってきた。
ドバイという地域は宗教的制約の極めて薄いのだが、どうしても同時多発テロのことを連想させるアメリカ競馬ファンはいたため、ゴドルフィンの馬に対しあまりい印象は抱かれなかった。
そして前年の米国馬優勢とは違い、欧州・ゴドルフィンの馬が良く走ってしまう。

なお、アラブ首長国連邦のシェイク・モハメドはゴドルフィンの優勝賞金全額を、9月11日の犠牲者の家族を支援するため競馬協会により設立されたヒーローズ基金に寄付することを約束し、240万ドルをもたらしており、紳士的な対応を見せていた*29

  • BCディスタは米国馬アンブライドルドエレインの優勝だが、1番人気7着、連覇がかかる2番人気スペインをアタマ差で破り初戦から波乱だった。GⅠ2勝フリートレネイは直前に取消、同じくGⅠ2勝エクソジェナスは本馬場入場で脳震盪により除外という悲しい事態であった。一部の米国競馬ファンにとっては1990年のBCディスタフで1番人気ゴーフォーワンドが予後不良となった思い出が浮かび上がったという。

  • 2歳牝馬のBCJFは6番人気テンペラの優勝、ゴドルフィン所有馬だった。逃げた5番人気シーズアストーンコールドフォックスは心配したくなるような失速で34馬身差殿負けだった。

  • BCマイルは1番人気7着、仏国から移籍した3番人気ヴァルロワイヤルの優勝。6連勝でGⅠレコード勝ちを収めていた米国ニューメラスタイムズは足首負傷のため取消だった。

  • BCスプリントは上位人気がことごとく敗れ5-9-7人気決着に。優勝したスクワートルスクワートを管理する米国フランケル調教師は39回目の挑戦にして初めてのブリーダーズカップ優勝というこれは嬉しい内容だった*30

  • 牝馬芝GⅠフィリー&メアターフは4番人気・仏国のパンクスヒルの優勝だった。米国芝牝馬のレベルが成長過程だったこともあり仕方ないのだが。2着は南アフリカ生まれの7歳馬、1番人気ブービー負けというかなり荒れたレースだった。

  • 2歳牡馬GⅠBCジュヴェナイルは無敗の1番人気オフィサーが5着、ダート初出走の愛国ヨハネスブルグが優勝する結果となった。

  • BCターフは1番人気・ゴドルフィンのファンタスティックライトが有終の美を飾るレコード勝ちであった。この年は6戦4勝2着2回の成績で欧州年度代表馬になった。スルーヴァリーが微熱と咳のため出走取消となり、フリートレネイも管理していたディキンソン調教師は出走馬全回避となってしまった。

2001年BCクラシック

欧州調教馬・欧州所有馬の7戦4勝となったBCシリーズもクラシックを残すのみとなった。ニューヨーク市警のカール・ディクソンによりとても素晴らしい国歌斉唱が行われた。

ダート路線は3歳馬の回避が痛手であった。プリークネスS・ベルモントSで二冠達成しハスケル招待H・トラヴァースSまでも制した現役最強格ポイントギヴンは屈腱炎を発症し引退、ポイントギヴンをKYダービーで破りセクレタリアト以来28年ぶりに2分を切ったモナーコスは亀裂骨折で休養中だった。
またこの年のドバイWCを優勝したキャプテンスティーヴは帰国後4戦全敗し引退してしまった。

単勝オッズ3.35倍の1番人気に押し出されるような形で支持されたのはフランケル厩舎のアプティチュードだった。
前年のKYダービー・ベルモントS2着馬で、この年はドバイWC6着から帰国後に力を見せ、3連勝で挑んだGⅠジョッキークラブ金杯を10馬身差で圧勝していた。ただ、もう1つのGⅠタイトル・ハリウッド金杯は繰り上げ優勝であり、必ずしも主役ではなかった。

4.35倍の2番人気、5.8倍の3番人気はFBI捜査官に守られて欧州からやってきた「ヨーロッパ襲撃隊」こと最強格2強であった。
2番人気クールモアのガリレオは後に欧州競馬史に残る巨大種牡馬となるのだが、現役時代に無敗で英愛ダービー、KGⅥ&QEDSを優勝、前走の愛チャンピオンSでファンタスティックライトとのマッチレースで初黒星となった。それでも12ハロン無敵の名馬は母父がBCクラシック勝ち馬ブラックタイアフェアーを輩出したミスワキということでダート適性ありと期待されていた。

3番人気はファンタスティックライトとの使い分けで出走したゴドルフィンのサキーである。3歳時は英ダービーでシンダーの2着、エクリプスSでジャイアンツコーズウェイの5着と引き立て役だったが、古馬になりリステッド競走→インターナショナルS*31→凱旋門賞と連勝し古馬最強格に。
GⅠ通算100勝目を飾った鞍上のデットーリ騎手は「ゴドルフィンが所有した馬の中でも彼は最強です」と言い切ってみせた。
また、サキーはカリフォルニア産馬として初の400万ドル獲得賞金を達成し、故郷凱旋という形でもあった。ダート調教でよく走ったが、凱旋門賞で6馬身差*32最大着差タイで優勝した不良馬場適性が米国の深いダートレースで力を発揮するだろうと考えられた。

7.9倍4番人気は近走成績が低迷しているとはいえ、前年の覇者であり実績上位のティズナウであった。
11.5倍5番人気はインクルード、ティズナウ陣営が出走を予定していたGⅠピムリコスペシャルH優勝馬で、この年は他にGⅡ2勝を挙げている。

14.0倍6番人気は重賞2勝GⅠで2着4回と善戦ホースになっていたアルバートザグレイト、本馬はこれがラストランと宣言されていた。

19.2倍7番人気は前年ブービー負け、この年GⅡ4勝を挙げ成長、結果的にラストラン*33となるガイディドツアー

20.5倍8番人気は3歳代表マッチョウノである。零細ヒムヤー系の末裔で、BCジュヴェナイルにてポイントギヴンを破り最優秀賞2歳牡馬に選出されたが、体調不良のため7月に復帰しGⅢ1勝にとどまっている(産駒のムーチョマッチョマンは2013年にBCクラシックを優勝)。

35.25倍9番人気はリステッド競走を勝ってきたオリエンテート、翌年にBCスプリントを優勝しチャンピオンスプリンターになる名馬だが、距離適性が定まらず、この時はやや場違いな出走であった。

10番人気はもう1頭の欧州馬ブラックミナルーシュである。ストームキャット産駒で欧州3歳マイルGⅠで二冠を達成したが中距離では厳しいと判断され単勝は52.0倍に。
69.5倍11番人気は前走でティズナウを破ったGⅡ2勝フリーダムクレスト、81.75倍12番人気は前年9着でこの年GⅠ3着2回・前走GⅡで重賞初勝利のギャンダー、147倍最低人気はカナダ代表・GⅢ2勝を挙げカナダの最優秀古馬牡馬に選出されるアフリーツダンサーである。

近走調子の悪かったティズナウは誘導員の服を噛んで甘えるような仕草を見せていた。マッキャロンはティズナウを落ち着かせるため、バグパイプ入場曲に送られながらスターターのボビー・ダンカンと協力し、他馬から100ヤード・約90m余分に歩かせた後ゲートに収まった。
この前にある問題が発生していた。マッキャロンのエージェントであるスコット・マクレランいわく「BCクラシックの1週間前、マッキャロンは1マイル走らせようと誘導したが、年を取るにつれてずる賢くなったティズナウは40分間も抵抗し、ゲートに入るどころか、全く動かなかった。」という。

52,987人の観客が見守る中、年度代表馬の意地とルーベンスの遺言を守るための激走を見せることになる。

最内枠オリエンテートがスプリンターとしてのスピードを発揮し快調に逃げる態勢に。アルバートザグレイトが2番手、ガイデッドツアーとティズナウがそれを追走し、ガリレオは5番手、サキーはガリレオをマークする形で6番手、マッチョウノ以下が末脚にかける形で進んでいく。
前半1000mに差し掛かった所でオリエンテートは失速し始めアルバートザグレイトが先頭に立った。ガリレオがガイデッドツアーから砂をかけられ手応えをなくす中、ティズナウめがけてサキーが上がっていった。
内のアルバートザグレート、真ん中のティズナウ、外のサキー3頭並ぶように直線を向き、場内のボルテージが上がっていった。
アルバートザグレイトが内で苦しむとサキーが一気に先頭に躍り出てティズナウを交わす。しかしマッキャロンはただでは終わらない。左鞭を入れて決勝線に2頭はもつれたのだ。


And he storms to the lead!
Sakhee a narrow lead...and Tiznow is battling on!
The AMERICAN HORSE OF THE YEAR and the Arc Winner are heads apart with a furlong to go in the Classic!
On the outside Sakhee! Tiznow fights on!!!
Here's the wire, desperately close…!
TIZNOW WINS IT FOR AMERICA !!!!!!

そしてサキーはクビ差で躍り出る!
サキーが僅差でリード…だがティズナウはまだ戦い続けている!
アメリカ年度代表馬と凱旋門賞覇者がクラシック優勝をかけて残り1ハロンで頭差だ!
外からサキー!ティズナウは戦い続けている!!!
ゴールラインは死に物狂いの接戦だ…!
ティズナウがアメリカのために勝利を収めた!!!!!!

再加速したティズナウがハナ差でサキーを破り優勝した。史上初のBCクラシック連覇である*34

敗れたものの初ダート2着のサキー陣営はドバイWCを前向きに検討することに。
1・3/4馬身差3着のアルバートザグレイトはこれで引退となる。ジート調教師は「素晴らしいレースをしてくれました。あれ以上の走りは出来ません」とねぎらった。
更に2・3/4馬身差4着に3歳代表マッチョウノ、5着にガイデッドツアー、ガリレオは6着、1番人気アプティテュードは見せ場なく8着、失速したオリエンテートはティズナウから30馬身差、殿負けはグッドウッドBCH勝ち馬フリーダムクレストだった。

関係者のコメント

サキーのデットーリ騎手は「ティズナウのそばを通ったとき、それよりも、他の馬が外で私たちの後を追ってくるのではないかと心配していました。馬のガソリンメーターが空に向かって進んでいました」「ティズナウは恐竜のような頭を持っています」「彼を確実に倒すためには、彼に1馬身半差をつけなければならないことはわかっていました」とコメントした。

レース直後には「ティズナウはタフだ」「ええ、フランキー(デットーリ)、彼は確かにそうです」「彼は本物の馬だ」とマッキャロンと言葉を交わしていた。

BCクラシック5勝をマークし、史上最多勝利を飾ったマッキャロンは素直な気持ちを語った。
「率直に言って、8番目のポールに近づいたとき、私は2着になるだろうなと思いました」「私たち3人の間ではかなりよい戦いが繰り広げられていました。私たち3人はまっすぐになりました。サキーがあんなに簡単に、そして勢いよく僕を追い抜いたとき、僕は2位になると思ったんだ」
「しかし、ティズナウは彼を上回った」「彼を鞭で叩くつもりはないと心に決めていましたが、彼を漢にしたかった。サキーがクビ差迫ったとき、私は思ったのです。『まあ、私には失うものは何もない。彼を少し叩いてみてどれだけ反応するかどうか、見てみた方がいいかもしれない」だから左で彼を一度叩いたんだけど、加速を感じたんだ」

「お前は真の男だ」とティズナウに抱き着いた後、表彰式で続けてコメントした。
彼の決意を説明するのに十分な語彙がありません」「彼は本当に素晴らしいです」「オリンピックの表彰台に立って、国歌が流れる後ろで金メダルを首にかけられるのがどんな感じか、僕は理解していると思う」「BCクラシックの日は、それだけの国際的な雰囲気が漂っていました」と語っている。
そして「彼は大半のレース後、もっと多くのものが残っていると感じています。彼は100%の力を出していないようです。彼がセクレタリアトを引き離す31馬身差で勝つ日を待ちわびています」とコメントしたが、叶うことはなかった。

Tiznow wins it for America」の名セリフは判定前にしては早すぎるものだった。しかしニューヨークをはじめ米国競馬ファンの心を照らしたトム・ダーキンの実況は“Tom Durkin's Ten Best Race Calls第1位に選出されている*35

この2001年BCクラシックは「参加したすべての人々にとって、それは誇りの日でした。それは連帯の日でした。しかし、何よりも、それは英雄の日でした」とBCクラシック記念誌に記されている。

共同所有者のクーパーは「種牡馬にはいつでもなれるからね」と3連覇の野望を一瞬ちらつかせたが、身体に限界が来ていたため、この年限りで引退となった。15戦8勝GⅠ4勝の実績以上に米国競馬ファン・関係者に光をもたらした英雄であった。獲得賞金総額642万ドルは、カリフォルニア州産馬史上最高となった。
年度代表馬の座は怪物3歳馬ポイントギヴンに譲ったものの2年連続のエクリプス賞古牡馬チャンピオン受賞となった。モーメント・オブ・ザ・イヤーも連続受賞だ。

クーパーは「レース後の5分間、歩けませんでした」と彼は言いました。「妻が『行こう』と言ったとき、私は彼女に言いました。『行けない。倒れそうだ』と。これはほとんど神秘的すぎて説明できませんでした」とレース後に卒倒していた。

奇跡の勝利の要因を聞かれた際には「もしかしたら、シー(ルーベンス)がティズナウの尻を押したのかもしれない」と言った。「彼は私の人生の馬です…ティズナウについては何も心配していません」「勝ったとき、すぐにシーのことが頭に浮かびました」「彼女はとても特別な女性であり、特別な友人でした。しかし、彼女は精神的にここにいたと思います。ティズナウがレースで戻ってきて、それを全力でやり遂げた方法は、彼女もそうだったようなものでした」
「その7カ月後、9.11後のニューヨークでのティズナウの勝利は、外国の馬がブリーダーズカップ競走3連勝するのを見てきた競馬ファンの精神を高揚させました。彼の心と戦いは、多くの人のモチベーションとインスピレーションとなりました。私にできることは、ティズナウを祝福することだけです。」
「馬の所有権について話す人にはうんざりしています。なぜなら、私の意見では、それは本当のスターである馬を損なうからです。誰でもオーナーになれることは日々証明されていますが、チャンピオンになるのはほんの一頭の馬だけです。信じてください、私とティズナウとの関係は非常に霊的で感情的なものでしたが、彼の成功に私が何の関係もなかったとは一瞬たりとも思いません。彼のそばにいられた幸運な人の一人だったんだ」

そう語ったクーパーとルーベンスの子どもたちはティズナウにささやかな祝福を送った後、ケンタッキー州ウィンスターファームで種牡馬入りさせた。

ロビンス師は「実を言うと、彼が勝ったとは思っていなかった」「ダーキンが『ティズナウがアメリカのために勝った』と言うのを聞いて、クリスの妻ジュディ・マッキャロンが私をつかんで、「彼が勝ったんだ」と言ってくれたんです。彼が経験してきたすべてのことの後、それは大きな安堵でした。」と語った。
種牡馬入り後には、「ルーベンスは言いました。『彼は物事を見ない。彼は物事を観察します。彼は自分の周りで起こっているすべてのことを観察する』と。それは非常に正確だと思いました。競走馬として、彼の粘り強さは比類のないものでした。そして、彼はそれをレースで本当に楽しんでいました。彼は一生に一度の出来事でした

そんなロビンス師はティズナウが引退した直後の管理頭数は5頭と寂しい状況だった。重賞勝ちは4年後の05’GⅢアファームドHをインディアンオーシャンと遠ざかっていた。

ロビンズの妻サンディは「ジェイはティズナウをとても恋しく思っています。彼は彼の人生において大きな存在でした」「この2年間、ジェイはベッドから飛び起きました。ジェイは週7日働いていますが、何年経ったかわかりませんが、休みの日はありません。この2年間は、納屋にティズナウがいたので、4時に起きる価値があったのですが、今は4時の彼の足取りが少ない気がします」とコメントした。

マッキャロンは「ジェイはすべての馬で素晴らしい仕事をしています。彼は非常に優れた世話人です」「彼がやる派手なことはあまりありません。彼は馬に対する彼の扱いにおいて非常に伝統的です。より具体的には、彼がティズナウで行った仕事は非の打ちどころのないものでした。絶対に非の打ちどころがありません」と手腕の良さを強調したが、どうにもティズナウがいなくなってから覇気がなくなったようだ。
07年マリブSをジョニーイブスーで制したのが最後のGⅠ勝ちとなり、2013年4月10日、67歳のロビンスは40年の調教師人生を終えた。「多くの馬と多くの人々との温かい思い出があった」と語ったロビンスは特に目標を定めることなく、ゴルフなどにいそしむようだ。3,250出走471勝であった。

マッキャロンは翌年6月に引退した。通算34,239戦7,141勝、獲得賞金約303億6,000万円、その後は映画シービスケットの撮影や北米レーシングアカデミー開設に尽力した。
引退式のインタビューで01’BCクラシックのことを「今まで乗った中で最高のレースの1つだと思っています」と語っている。

種牡馬時代

種牡馬入りしたティズナウは貴重なマンノウォー系を繋ぐ責任があったが、初年度から優秀な産駒を輩出した。
フォークロアはGⅠメイトロンS・BCジュヴェナイルフィリーズを優勝し最優秀2歳牝馬になる。一方で騙馬ウェルアームドは晩成であったが、09’ドバイWCで2着に14馬身差つける圧巻のパフォーマンスを見せた。

以降タフティズシス*36・ブルズベイ*37・カーネルジョン*38・ティズウェイ*39と3世代連続でGⅠ馬を輩出し、ダタラは三冠競走ベルモントSを優勝している。
ミスターホットスタッフは米国グランドナショナルを優勝、8世代連続でGⅠ馬を輩出し、モーニングライン*40・ティズミズシュー*41・ジェモロジスト*42・マイスイートアディクション*43・ストロングマンデート*44らである。

BC競走はモーニングラインの10’BCダートマイル2着、カーネルジョンの09’BCクラシック5着が限界であったが、ツーリストが16’BCダートマイルを優勝し待望のタイトル獲得となった。
スポーティングチャンスの17’ホープフルSが現在最後の産駒GⅠ勝利である。

BMSでも成績を残し、アメリカンペイトリオット*45・アーリーヴォーティング*46などを輩出、ティズザロー2020年ニューヨーク州産馬として138年ぶり史上4頭目のベルモントS優勝を果たした。ルーベンスの遺言「これから20年が経った後でも競馬界が失望しないようにしてください」が結実したのだった。

北米種牡馬ランキングでは上位に入り、無事出産条件で7万5千ドルの種付料ながら産駒平均価格28万ドルと馬産家にとって心強い種牡馬だった。距離不問、早仕上りの産駒が目立つ。

功労馬時代

2019年10月21日、「彼の生殖能力は、一夜にして低下しました」「どういうことなのか」というエリオット・ウォルデン牧場長の判断により種牡馬を引退した。
「彼はおそらく、私たちがここで飼った中で最も人気のある馬で、今でも訪問者のリクエストがたくさん来ます」「彼は自分の厩舎にいます。彼はいつものルーティンを持っていて、幸せで健康な馬です。私たちは牝馬を視界から遠ざけています」と種牡馬生活中、そして引退した現在もファンから愛される生活を送っている。

後継種牡馬が問題である。ウェルアームドは騙馬、GⅠ2着3回ミッドナイトバーボンは現役中に死亡している。カーネルジョン・ジェモロジスト・ティズワンダフル・アイムユアファザーは韓国へ、ティズウェイはトルコ、ケンタキアンはブラジル、ツーリストはチリ、ストロングマンデートはサウジアラビア、ブルズベイとスポーティングチャンスは米国馬産のマイナーな地域へ移っている。父系存続が厳しいにもかかわらず、種付数がゼロのケースが増えておりマンノウォー系は心配されている。ティズナウのようにマイナーな種牡馬から大物が出ることを願うばかりである

2009年にはアメリカ競馬名誉の殿堂入りを果たしている。

逸話

「精神はより頑丈で、心はより大胆で、勇気はより大きくなるだろう。私たちの力が弱まるほど」と例えられたティズナウの影響力が伝わるエピソードがある。

ナショナル・フットボール・リーグのニューイングランド・ペイトリオッツのヘッドコーチであるビル・ベリチックは、不振が続くチームの選手たちに、ティズナウが勝利したブリーダーズカップ・クラシックの映像を見せて士気を高めたという。
ティズナウの優勝翌日、5勝11敗の結果を改善すべくベリチックは、元コーチで競馬仲間のビル・パーセルズと議論を交わした。
世界で最も偉大な馬のアスリートが集まって戦うブリーダーズカップの重要性について」と「ヨーロッパの誇りであるサキーが勝利への道に現れたように、真っ向から敗北に直面しているアスリートが現れる中、ティズナウはャンピオンだけが持っている何か特別なものをで粘り強く戦い、最後のストライドで勝利をもぎ取った」ことを熱心に訴え、「自分たちの状況はティズナウと変わらない」「勇気と闘争心、そして決して諦めない態度を植え付け」たのだった。

この話は後のゼニヤッタの主戦マイク・スミス騎手を通じてロビンス調教師の耳に入った。「ベリチックはこれ以上の例を選べなかっただろう。彼がそのようにティズナウを称えるのは素晴らしいことだと思いました」というロビンス師はベリチックから「インスピレーションをありがとう」と書かれたクリスマスカードを受け取ると、年末のエクリプス賞受賞者に彼を招いたのだった。

「今年のエクリプスアワードに参加できることをとても楽しみにしています。熱心な競馬ファンであり、すべてのスポーツの偉大さを高く評価する者として、世界で最も優れた馬と所有者の表彰に関与できることは本当に光栄です」と語ったベリチックはチームを導き、2003年には15戦14勝・決勝優勝などの成果を出したのだった。

20年後の奇跡

ルーベンスの遺言「これから20年が経った後でも競馬界が失望しないようにしてください」には続きがあった。

ティズザローの快挙と同じ2020年、コロナ禍で無観客開催となった日本競馬においても奇跡が起こった。
ティズナウの初年度産駒フォークロアはノースヒルズ代表・前田幸治の代理として参加していた調教師の矢作芳人とノースヒルズゼネラルマネージャーの福田洋志の「最も欲しい馬」という判断から38万5000ドルで購入された。
産駒ロードクロサイトは未出走に終わったが…その3番仔コントレイルディープインパクトと世界初の親子での無敗クラシック三冠を達成したのだった。翌年には曾祖父ティズナウを彷彿させる勝負強さでジャパンCを優勝し、有終の美を飾ったのである。

ティズナウは日本のBMS成績も優秀であり、GⅢ鳴尾記念をレコード勝ちしたストロングタイタンやGⅢ武蔵野Sを牝馬として初めて優勝したギルデッドミラーがいる。


追記・修正をよろしくお願いします。

この項目が面白かったなら……\ポチッと/

+ タグ編集
  • タグ:
  • Tiznow
  • ティズナウ
  • 競走馬
  • サラブレッド
  • BCクラシック
  • エクリプス賞年度代表馬
  • アメリカ競馬名誉の殿堂入り
  • ブリーダーズカップ・クラシック
  • 海外馬
  • G1馬
  • TIZNOW WINS IT FOR AMERICA
  • サキー
  • ジャイアンツコーズウェイ
  • アルバートザグレイト
  • クリス・マッキャロン
  • ジェイ・M・ロビンズ
  • セシリア・ストラウブ・ルーベンス
  • マイケル・L・クーパー
  • 00年クラシック世代
  • トム・ダーキン
  • ガリレオ
  • 種牡馬
  • 競馬
  • コントレイル
  • モーメント・オブ・ザ・イヤー
  • これから20年が経った後でも競馬界が失望しないようにしてください
  • 英雄
  • 鹿毛
  • カリフォルニア州産馬
  • アメリカ同時多発テロ事件
最終更新:2024年11月26日 00:43

*1 1位は08’BCディスタフや09’BCクラシックを含むデビューから無傷の19連勝を達成した国民的アイドルホースのゼニヤッタ、2位は08’~10’のBCマイル3連覇を達成し、欧州調教馬最多となるGⅠ14勝を記録したマイル女王のゴルディコヴァ

*2 95’BCクラシックや96’ドバイワールドCなど16連勝を達成した90年代最強馬&シガー、6戦無敗で22’BCクラシック優勝を果たした世界レーティングダート馬1位フライトライン、日本近代競馬の礎を構築した89’BCクラシック勝ち馬サンデーサイレンスを抑えている。

*3 2着以下接戦のため悲観されなかった。彼のキャリアを見る限り中距離ランナーだったので1200mは短すぎたのだ。

*4 10日後に開催されるベルモントS、三冠競走とは結局無縁だった。

*5 なおディキシーユニオンはハスケル招待HでGⅠ勝利、BC競走に出ず、マリブSでGⅠ2勝目を飾って引退する実力馬だったので価値あるレースだったのだ。

*6 現GⅢロスアラミトスダービー

*7 89年に2着だったサンデーサイレンスはこの後BCクラシックを優勝し、前年には全兄バドロワイヤルをBCクラシックで破ったキャットシーフがこのレースでGⅠ初勝利を飾るなどの歴史があった。

*8 なおキャプテンスティーヴはディキシーユニオンにハスケル招待Hで敗れ、またも叩き直しされる羽目になるのだ。

*9 ペイザバトラーである。

*10 ドバイミレニアムから14 1/2馬身差、JRA無敗牝馬三冠馬デアリングタクトの祖母デアリングハートの半兄

*11 第1回ジャパンCダート2番人気8着

*12 エスピノーザ騎手のリヴァーキーンは21馬身差殿負けだった。

*13 なおこの年のベルモントSは馬に厳しい猛暑だったようで20世紀最遅2位の2:31.19という決着だった。

*14 コメンダブルはこれ以降出走することなく引退し韓国で種牡馬生活を送ることになった。

*15 現GⅠカリフォルニアクラウンS

*16 当時の日本円で9400万円

*17 当時109.8円/ドルだったため日本円でおよそ3900万円

*18 7つの競走のうち米国以外で勝ったのはBCターフを優勝したイギリスのカラニシだけだった。3着以内もBCマイル3着の英国ダンシリ、BCターフ2着の加国クワイエットリゾルのみだった。日本のアグネスワールドはBCスプリント10着に終わっている。

*19 約5億6000万円

*20 房朗一番の意味

*21 日本語の発音に合わせると「ɸɯ̥saꜜitɕi」という記号になるらしい…。「フゥ↑サァ↓イチ」とアナウンサーは苦しみ、競馬ファン「FuPeg・フーペグ」と省略して認識していた。

*22 前年の勝ち馬キャットシーフと同じストームキャット産駒

*23 屈強、不屈などを意味する

*24 この時の欧州競馬は8戦7勝2着1回、英愛ダービーと凱旋門賞を優勝したシンダーが最優秀3歳牡馬となり3歳二大巨頭が席巻したわけだが、2頭揃って引退・種牡馬入りしてしまった。

*25 なおプリークネスS馬レッドビュレット、トラヴァースS馬アンシェイディドはアルバートザグレイトに敗れた・次年に敗れるため、ティズナウは名実ともに世代最強になったといえよう

*26 同期のプリークネスS馬レッドビュレットは更に12.5馬身差殿負けだった。

*27 なお2年後には重賞未勝利の11番人気フリートストリートダンサーがレコード勝ちしますます日本の競馬ファンを悩ませることになる。

*28 9.11事件ではWTCに突入したものも含め4機がハイジャックされ、この他にも1機がバージニア州の国防総省本庁舎に衝突、1機がピッツバーグ郊外に墜落した。ピッツバーグ郊外に墜落したものはハイジャック機の間で唯一目標への突入に失敗しているが、もし計画通りであれば首都ワシントンの議会議事堂かホワイトハウス(大統領官邸)に突入したといわれている。

*29 ただし、テロの影響から安全を考慮し自宅観戦にとどまっている。

*30 余談だがスクワートルスクワートは馬主の息子が好きなポケモン「ゼニガメのみずでっぽう」という意味だったりする。

*31 翌年の欧州最優秀賞古馬グランデラに7馬身差

*32 リボー・シーバードと並ぶ

*33 12月の定量一般競走を棄権し以降出走せずに終わる

*34 名種牡馬アンブライドルド、16連勝の怪物シガー、芦毛の快速馬スキップアウェイでさえ成し遂げられなかった偉業である。そして2024年現在、唯一の達成記録である。以降の最高記録はゼニヤッタのアタマ差2着である。

*35 もっとも、1971年から2010年まで米国競馬実況を彩ったダーキン氏にとって最も印象的なものは「1着マインザットバードの馬名が出てこず呼べなかった09年のケンタッキーダービー」実況だそうだ。

*36 レディーズシークレットS・ラフィアンH

*37 ホイットニーH

*38 サンタアニタダービー・トラヴァーズS

*39 メトロポリタンH・ホイットニーH

*40 カーターH

*41 オグデンフィップスH

*42 ウッドメモリアルS

*43 ヴァニティS

*44 ホープフルS

*45 メーカーズ46マイルS

*46 プリークネスS