キタサンブラック(競走馬)

登録日:2022/03/24 Thu 00:51:02
更新日:2025/04/20 Sun 16:07:35
所要時間:約 36 分で読めます


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そして、みんなの愛馬になった。




キタサンブラック(Kitasan Black)は、日本の元競走馬、種牡馬。
2010年代中盤の日本競馬を代表する名馬であり、JRA顕彰馬にも選出された。





【データ】


生誕:2012年3月10日
父:ブラックタイド
母:シュガーハート
母父:サクラバクシンオー
調教師:清水久詞
馬主:大野商事
生産者:ヤナガワ牧場
産地:日高町
セリ取引価格: -
主戦騎手:北村宏司→武豊
獲得賞金:18億7,684万円
通算成績:20戦12勝[12-2-4-2]
主な勝鞍:15'菊花賞、16'-17'天皇賞(春)、16'ジャパンカップ、17'大阪杯・'天皇賞(秋)・有馬記念
受賞歴:JRA顕彰馬、16'-17'JRA年度代表馬・JRA最優秀4歳以上牡馬


【誕生】


2012年3月10日生まれの牡馬。
父ブラックタイド、母シュガーハート、母父サクラバクシンオーという血統である。
多少なりとも競走馬の血統について知識を持った人間であるなら、たぶんこう思うことだろう。
「うーん、ちょっと微妙かもしれん」と。

……さすがにあんまりなので、順番に解説していく。

父のブラックタイドは競走成績22戦3勝。主な勝ち鞍は2004年のスプリングS(G2)である。
皐月賞16着の後に屈腱炎を発症し、そのまま2年間休養。復帰後は勝利を挙げることなく引退した。
まがりなりにもG2ウィナーで、故障に阻まれたがクラシック戦線での活躍にも期待されていたという一握りの成功者側ではあれど、一方で競馬界には掃いて捨てるほどいる「未完の大器」の1頭に過ぎず、本来なら種牡馬になれるような実績ではない。

そんなブラックタイドが種牡馬入りできたのは、ひとえにその血統のおかげであった。
サンデーサイレンス、母ウインドインハーヘア、母父アルザオ。
そう、彼は無敗でクラシック三冠を制した不世出の名馬にして大種牡馬、“英雄”ディープインパクトの全兄*1なのである。
競走馬としてはあまり結果を残せなかったが、なにせ血統はディープインパクトと全く同じ
それが安く種付けできるとなったら、資金繰りの厳しい中小牧場からはきっと引く手あまたになる。
端的に言えば、弟のコネで種牡馬入りできたのが彼なのだった。なんとも散文的な事情だが、これもまた競馬である。
結果、種牡馬としてもキタサンブラック含め5頭のグレードホースを輩出することとなり、未完に終わった自身の可能性をそれなりに証明したとは言えるだろう。

母のシュガーハートは未出走馬。
デビュー前調教でのいい動きもあって少なくともキタサンブラックのデビュー時よりは注目はされていた。
が、デビュー前に屈腱炎を発症してしまったため、レースに出ることすらなく繁殖入りしている。
母父のサクラバクシンオーはスプリント路線で大活躍した歴史的名馬であり、ここに関しては間違いなく評価できるバックグラウンドといえるだろう。

父は名馬の代用品。母は未出走。
母父は超一流のスプリンターであり種牡馬としても一流だったが……当然のように父としても母父としてもスプリンターばかり出すことで有名であった。
ブラックタイドについても、初年度産駒のテイエムイナズマがデイリー杯2歳S(京都芝1600m)を勝つなど
弟よりは短距離向きの産駒を出す傾向を見せていた。
これではさすがに日本競馬の王道路線―――3歳クラシックでの活躍は望みにくい。
こうした血統背景を持つ「シュガーハートの2012」*2は、牧場関係者にこそ「体つきが良い」「素軽い走りをする」と評価されていたものの、
世間的な注目度はゼロに等しく、期待馬とはとても言えない立ち位置であった。

……しかし、そんな「シュガーハートの2012」を見初めたひとりの男がいた。
馬を見るなり「自分と顔が同じ二枚目」「顔と目が男前」とべた褒めし、その場で購入を決めたのである。
2つ目の言い分どっかで聞いたことあるな

男の名は大野穣
その目利きが競馬界を変えることになるなどと、当時誰が思っただろうか。


【馬主:大野穣について】


さて、ここからはちょっと趣を変え、先述した馬主の経歴について記述することとしたい。
いやだって、この人に触れとかんと項目が成り立たんし……

1936年、北海道にて誕生。
「NHKのど自慢」への出場をきっかけにプロの歌手を志し、高校を中退して上京する。
流し*3での仕事ぶりがレコード会社重役の目に留まり、作曲家・船村徹の門下からデビューを果たした。
デビューシングルこそ放送禁止不発に終わったものの、セカンドシングルの「なみだ船」がミリオンセラーの大ヒット。
その後も「函館の女」「与作」「まつり」といったヒット曲を連発し、演歌界の大御所としての地位を見事確立したのである。

その芸名は、北島三郎
そう、あのサブちゃんである。紅白のトリを数多く務め、おじゃる丸のOPも歌ったあのサブちゃんなのである。

サブちゃん馬主なんてやってたんだ、とこの記事を読んで初めて知ったという人もいることだろう。
ええやってたんです、50年以上。

馬主業というのはまあ本当に大変なもので、並大抵の資金力では続かない。
中央競馬の場合、安い馬でもお値段数百万円、それを1年維持するのにまた数百万円である。(地方ならさすがにもっとお安い。)
そのうえ、お金をいっぱい出せばレースで勝てるかというとそんな世界でもない。
10年続けてG1どころか重賞のひとつも勝てない、なんてのはザラにあるのだ。
サブちゃんに馬主としての印象が薄いのは、50年以上続けてなお大きなレースを勝てていないという切ない事情の表れでもあった。
相当気合の入った競馬ファンであっても、この時点ならキタサンチャンネル(2001年ニュージーランドトロフィー1着)とキタサンヒボタン(2001年ファンタジーステークス1着)の2頭を思い浮かべるのがせいぜいだったのではなかろうか。
そんなこんなで積み上がった含み損は実にビル2棟分。……ファンからしても、よくぞ馬主を続けてくださいましたという感じである。*4
ちなみに光栄の競馬シミュレーションゲーム「ウイニングポスト」シリーズ初期の作品では、サブちゃんを捩ったと思われる宮島一郎という馬主の持つ念願の大物G1馬「ミヤワンローズ」なんて馬が登場していたりする*5



そんなサブちゃんと半世紀の付き合いを持ち、名馬を生産すべく頑張ってきたのが、「シュガーハートの2012」を生産したヤナガワ牧場である。
ヤナガワ牧場は1967年、獣医であった梁川正雄氏とその子息の正克氏によって創業。
1989年に中央重賞初勝利を成し遂げ、2007年にはサンライズバッカスでフェブラリーステークスを制し初の中央G1制覇を果たす。
その後は一時低迷したのだが、ダートの王者コパノリッキーを出したことで完全復活。
日高の有力牧場としてファンにもその名を知られる存在となった。

ヤナガワ牧場は馬産の研究・開発にも余念がなく、海外への遠征や外部血統の導入など大変な努力を行っていた。
シュガーハートの母、オトメゴコロもそうした経緯で大手牧場から購入された馬である。
オトメゴコロ自身はシュガーハート1頭を産んだだけで他界してしまったが、シュガーハートが幸い牝馬だったことで血は繋がった。
そうした牧場の努力の結晶ともいえる仔がサブちゃんの手に渡り、レースを走ることになったのである。
お値段350万円*6で。

350万円。
これは正直かなりお安い。中央競馬を走る競走馬としては最安レベルと言える。
安馬の代名詞であるタマモクロスでさえ500万だったと書けば、どれだけ破格のお値段か実感できるのではなかろうか。
即決購入だったとか馴染みの馬主だったとかいう事情を差し引いても、馬に対する期待感の具合が察せられるところである。

……ともかく、「シュガーハートの2012」はサブちゃんの所有馬となり、冠名+父馬の名前で「キタサンブラック」と名付けられた。
ちなみに馬主としての名義である「大野商事」はサブちゃんの個人事務所「北島音楽事務所」の法人名義である。

350万円から這い上がる、男の道の始まりであった。


【大器堂々】


幼駒のうちはわりあい小柄で、走りも軽かったキタサンブラック。
しかし1歳を迎えて以降はぐんぐん成長し、見違えるほどの雄大な馬体に育った。
2歳になると栗東トレセン・清水久詞調教師のもとに預けられ、さらにビシバシ鍛錬を積む。
馬体はいっそうデカくなり、デビュー時の馬体重はなんと510kgに達した。
黒みを帯びた鹿毛の巨体は相当なインパクトがあり、世間では漫画「北斗の拳」に登場するラオウの持ち馬と合わせ、
「リアル黒王号」とも呼ばれていたらしい。
既にナムラコクオーってのがいるんですが……

これだけの大型馬となれば、当然デビューは遅れる。
2歳のうちには仕上がらず、初戦は2015年1月31日東京5Rの3歳新馬戦*7。1月最終週の東京の新馬戦といえばトウショウボーイ、グリーングラス、シービークインのデビュー戦となった新馬戦が1番有名だろう。
唯一の関西馬として出走したこのレースで3番人気に推されると、大外からの差し切りを決めて1馬身1/4差の快勝。デビュー戦を見事勝利で飾る。
次戦は2月22日東京7Rの3歳500万以下条件。9番人気の低評価だったが、大逃げを打ったマイネルポルトゥスを2番手から追走すると、直線半ばからハナを奪い3馬身差の圧勝。
2着は6番人気、3着も11番人気。上位人気馬は総崩れという大荒れの展開となった。

キタサンブラックは勢いそのままに皐月賞トライアル・スプリングSに出走。
番手から直線粘り込みを図り、共同通信杯勝ち馬リアルスティールと朝日杯FS勝ち馬ダノンプラチナを退けて勝利。
父との親子制覇を果たすとともに、皐月賞への優先出走権を獲得した。
年明けデビューからまさかまさかの3連勝、クラシックへの殴り込み決定である。

……だが、ここでひとつの問題が生じる。
キタサンブラックは前述の通りの大型馬、ファンも関係者も「まあ春には間に合わんだろう」と思っていた。
そもそもが母父サクラバクシンオー、競走馬としての本線は当然スプリントである。
ぶっちゃけてしまえば、クラシック登録*8なんてしてなかったのだった。おお、これでは皐月賞に出られない……。

しかし、そこは男サブちゃん。
追加登録の費用200万円を気前よく払い、愛馬のクラシック出走を実現させたのだった。
ありがとう、サブちゃん ありがとう、オグリキャップ

迎えた夢の舞台、春のクラシック。
日の出の勢いで成り上がった安馬は、ここで無情な現実を突きつけられることとなる。


【波乱万丈】


春のクラシック一冠目、皐月賞。
当日の1番人気は弥生賞勝ち馬サトノクラウン、2番人気は前述の共同通信杯勝ち馬リアルスティールとなった。
キタサンブラックは単勝9.7倍の4番人気。直接対決で下した相手より下の評価である。
……実際馬券を買っていた側からすればまあそうなるよな、という感じではあるが、陣営は内心悔しい思いをしていたことだろう。

もっとも、人気で結果が決まるならレースなどする必要はないのである。
ゲートが開くと、キタサンブラックは道中を2番手で軽快に追走。粘るクラリティスカイを直線捉え、同期の優駿14頭を従えての先頭に立つ。
しかし、そこに外からやってきたのがリアルスティール。先行策から直線押し出す堂々の競馬で脚を伸ばし、前を征くキタサンブラックに並びかける。

日高の成り上がりか。
それとも名門牧場のエリートか。
人々が固唾を呑んで見守った勝負の行方は、思いもよらぬ方向に転がった。

「外からドゥラメンテ!!!」

この年にJRAジョッキーとしてデビューしたイタリアの名手を背に乗せたある一頭の馬が4角最内からドリフトの如く外に持ち出し、失速しながら進路を確保。
そこから猛然と加速し、叩き合うキタサンブラックとリアルスティールを並ぶ間もなく抜き去る。
文字通りの桁違い、次元違いの末脚で2頭を引き剥がし、1馬身1/2の差をつけてゴールイン。

皐月賞を勝ったのは3番人気、ドゥラメンテ
キングカメハメハ、母アドマイヤグルーヴ、母父サンデーサイレンス
名門社台グループの歴史そのものとも言える血統から繰り出された、名前の通りの暴力的な末脚。
あまりにも凄まじい勝ちっぷりにファンは驚愕し、実況アナも「これほどまでに強いのか!?」と絶叫した。

キタサンブラックはよく粘ったものの、リアルスティールにもかわされて3着。
人気よりは上にきた、とポジティブに捉えることはできるが、勝ち馬との差は歴然と言っていい結果であった。
それでも馬券内は確保し、ダービー優先出走権も得たので追加登録料さえ払えば出走可能である。キタサンブラックの次走はクラシック二冠目、日本ダービーとなることが決まった。

迎えた競馬の祭典、日本ダービー。
1番人気は皐月賞馬ドゥラメンテ。単勝オッズは1.9倍である。
ダービーで単勝1倍台などそうそうあることではない。ファンの注目は誰が勝つかではなく、ドゥラメンテがどう勝つかという点に集まっていた。
キタサンブラックは皐月賞からさらに評価を落とし、単勝20.7倍の6番人気。脚質も距離適性もダービーには合わないというのが、この時点での冷静なファンの評価だった。

レースが始まると、キタサンブラックはいつものように番手先行。同じく先行すると思われたリアルスティールは後方待機となった。
……まあ後者については今でもぶつくさ言われている騎乗ではあるのだが、実際のところは「万に一つ、ドゥラメンテがかかって*9潰れてくれることを願った」のではないかと思う。
前に行ったところで目標にされてぶっ差されるのはわかりきってるわけだし……。

それでも奇跡は起こらず、坂の途中で早くもドゥラメンテが先頭。
キタサンブラックはいかにも苦しく、直線ずるずると後退。
リアルスティールも追いすがることすら叶わず、ダービーの栄光はドゥラメンテの頭上に輝いた。

ドゥラメンテ、クラシック二冠達成。
9年ぶりとなる春二冠馬の誕生に府中が沸く中、キタサンブラックは14着に沈没。
キタサンブラックの春は、怪物の猛撃に叩き伏せられる形で幕を閉じたのであった。

このダービーでドゥラメンテが得たレースレーティングは121。あのディープインパクトやオルフェーヴルよりも上である。
まだ3歳ではあるが、競馬界の玉座はドゥラメンテのもとに渡ったと皆が認識していた。
この桁違いの怪物にどう抗い、どう勝つか?
キタサンブラックはそういう現実と向き合い、戦っていくことを宿命づけられたのである。
だが……


【男の勝負】


ダービーから1ヶ月後。
社台グループお抱えの愛馬会法人―――サンデーサラブレッドクラブ*10より、衝撃的な発表が成された。

ドゥラメンテ、両前脚を骨折。
致命的な重傷でこそなかったものの、全治は半年以上先とされ、秋以降のローテは白紙となったのである。

王者が不在となったことで、競馬界の勢力図は一気に混沌としたものとなった。
キタサンブラック陣営は最後のクラシック、菊花賞への挑戦を決め、トライアルのセントライト記念に出走。
ここをいつもの番手追走から勝利し、菊花賞本番を迎える。

菊花賞当日。
キタサンブラックは単勝13.4倍の5番人気となった。
なんぼなんでも人気なさすぎだろと言いたくなるが、なにせ母父サクラバクシンオー、馬体重は530kgである。
キングヘイローの項に詳しいが、馬体はどこからどう見ても短いところ向き。
実際に府中2400mのダービーで沈没しているし、淀3000mなんてもつわきゃないと思われてたのだった。
セントライト記念は中山2200m、これを勝ったところでなんの参考にもならんだろという話*11である。
下手すると二桁人気にならなかっただけ御の字まであった。

……もっとも、こうした意見に異を唱える勢力も存在した。
今度はサクラバクシンオーの項を読んでいただきたいのだが、実は彼の血統自体は由緒正しき中長距離馬
距離がもたなかったのは頭バクシン真面目すぎて手抜きができなかったからゆえで、資質自体は中長距離向きだったはず、あるいは隔世遺伝する可能性もあるはずだ、との理屈である。

見た目どおりのスプリンターか、はたまた血統どおりのステイヤーか。
ファンと血統マニアたちの熱い視線を受けつつ、キタサンブラックは菊花賞のゲートに馬体を収めた。

レースが始まると、キタサンブラックは5番手を追走。
道中では一時順位を落とすも、直線猛然と追い込んで先頭に肉薄。
最後はリアルスティールの追撃をクビ差抑えて勝利。クラシック最後の一冠を手にし、オーナーのサブちゃんに初のG1タイトルをもたらした。


「祭りだ!淀は祭りだ!キタサン祭りだ!
キタサンブラックか!?リアルスティールか!?
北島三郎の夢が届いたか!?」
(吉原功兼アナ)


馬体重530kgは歴代菊花賞馬でも最高値。まさしく規格外の勝利である。
サブちゃんはかねてより「ここで勝てれば『まつり』を歌う」と公言しており、そのとおりにウィナーズサークルで同曲を熱唱した。
超有名歌手の粋なパフォーマンスにファンは沸き返り、その様子はニュースでも大きく取り上げられた。
ちなみに、セントライト記念→菊花賞のローテを制したのはあのシンボリルドルフ以来。

3歳の締めは有馬記念を選択。
この有馬記念はGⅠ6勝を挙げた芦毛の暴れん坊・白いのゴールドシップのラストランとなり、例年にも増して多くの注目を集めていた。
キタサンブラックの主戦だった北村宏司騎手が怪我で療養中だったことと、ゴールドシップの鞍上が以前の主戦騎手だった内田博幸騎手に戻ったことが重なり、
キタサンブラックにはこの年ゴールドシップの主戦騎手を務めていた横山典弘騎手が騎乗。
ファン投票3位に選出され、レース当日は4番人気。1番人気はもちろんゴールドシップ。
レースは同期のリアファルと逃げで進めるも、2周目3〜4コーナーでリアファルは故障発症して失速する中粘ってはいたが最後の直線でゴールドアクターとサウンズオブアースに交わされ3着。
ゴールドシップは捲りが及ばなかったのか、はたまた燃え尽きてしまったのか8着。
まずは菊花賞馬としての実力を証明し、年明けからの古馬戦線に臨むこととなった。

なお、レース後にはゴールドシップの引退式が行なわれたのだが、記念撮影を嫌がったのかゴネにゴネる。
観戦していたサブちゃんが急遽「まつり」を披露し、間を持たせるという一幕もあった。ゴルシはホントお前……


【男の未練】


明けて2016年。
キタサンブラック陣営は新たな主戦騎手として言わずと知れたトップジョッキー・武豊を迎え入れ、産経大阪杯から始動。
ここを2着とし、春の大目標、天皇賞(春)に出走する。
当日はゴールドアクターに続く2番人気。打倒ドゥラメンテを狙うキタサンブラックにとっては絶対に落とせないレースであった。

キタサンブラックは有馬記念同様にハナを奪い、最初の1000mを1分1秒というスローペースで逃げてスタミナを温存。
直線粘り込みを図り、池添謙一騎手の駆る単勝13番人気の伏兵・カレンミロティック*12と熾烈な叩き合いを演じる。
一時は交わされるもド根性で差し返し、2頭もつれてのゴールイン。
写真判定の結果、ハナ差4cmでキタサンブラックが勝利。春の盾を掴み取り、打倒ドゥラメンテの1番手として堂々名乗りを上げた。

……そして、ここから遡ること2ヶ月。
ドゥラメンテが待望の復帰を果たし、始動戦の中山記念を勝利。
次走のドバイシーマクラシックではレース前の落鉄*13もあって2着に敗れたが、トラブルの中で2着に突っ込んだことはむしろ順調な回復ぶりをアピールするものであった。

迎えた春のグランプリ、宝塚記念。
キタサンブラックは国内王者の称号を引っ提げ、ドバイ帰りのドゥラメンテに三度挑むこととなった。
当日の1番人気はドゥラメンテ。単勝1.9倍。
キタサンブラックは単勝5.0倍の2番人気に推され、決戦のスタートを切った。

……ここでキタサンブラックに大きな誤算が生じる。
首尾よくハナを切ったはいいものの、ワンアンドオンリーとトーホウジャッカルがしつこく後方を追走。
うまくペースを落とせず、前半1000mを59.1秒というハイペースで逃げることになってしまう。
キタサンブラックの本領はスローに落としての逃げ先行、この展開はいかにも分が悪い。
ファンが天を仰ぐ中、キタサンブラックは先頭で4角を回り、最後の直線へと突入した。

キタサンブラックにとっては最悪とも言える展開。
だがしかし、彼の闘志は萎えていなかった。天才武豊の檄に応え、すべてを絞り出すかのように脚を伸ばす。
荒れた馬場が響いてか、ドゥラメンテの脚にいつもの切れがない。残り100mで未だ先頭はキタサンブラック。
挑戦者の根性か。それとも怪物の末脚か。
人々が固唾を呑んで見守った勝負の行方は、再び思いもよらぬ方向に転がった。

ハイペースを見越し、我慢の後方待機。
4角一気の押し上げから外に出し、豪快な末脚で前を捉える。
やってきたのは単勝8番人気の牝馬、マリアライト。
蛯名正義騎手乾坤一擲の追い込みが炸裂し、キタサンブラックをクビだけ差し切ったところがゴール板だった。

キタサンブラックはドゥラメンテにもハナ差差され、3着入線。怪物の打倒は惜しくも成らなかった。
しかし、その怪物も人気薄の牝馬に不覚を取ったのである。
競馬というのはかくも難しい、そう思わずにはいられないレースであった。

……そしてレース後、まさかの事態が起こる。

ドゥラメンテの鞍上、ミルコ・デムーロ騎手が馬場内で下馬。
馬に異変があった場合を除き、後検量前の下馬は認められていない*14
その場にいた誰もが事態を察し、それが最悪のものでないことを天に願った。

幸いにしてその願いは通じ、ドゥラメンテの命が失われることはなかった。
しかしレース後の検査において、複数の靭帯や腱が損傷していることが判明。
キタサンブラックが追い続け、ついに勝てなかった怪物の身体は、この時点ですでにボロボロになっていたのだった。
6月29日、ドゥラメンテ引退。
競馬界を蹂躙した怪物は、その真価を発揮せぬままターフを去ることになってしまった。

怪物が去ってなお、季節は巡る。
キタサンブラックは秋の緒戦京都大賞典を制し、日本馬の総大将としてジャパンカップに出走。
G1で1番人気に推されたのはこの時が初めてであった。*15
レースでは得意のスロー逃げを決め、サウンズオブアースに2馬身1/2の差をつけて勝利。
府中2400mを逃げて勝つのは並大抵のことではない。*16
キタサンブラックはここにきて完全に本格化し、見事競馬界の頂点へと駆け上がったのである。

年内最後のレースとなった有馬記念。
ファン投票では2位の菊花賞馬サトノダイヤモンドに2万票近く差をつけての1位に選出されたが、
馬券の方は僅差でサトノダイヤモンドに1番人気を譲る。
レースはマルターズアポジーを見ながらの番手で進め、直線粘り込みの態勢に移行。
手ごたえは申し分なし、これは勝てる!……と思った瞬間、サトノダイヤモンド渾身の末脚が炸裂。クビ差差し切られ2着に敗れた。
サブちゃんはレース前に「勝っても負けても歌う」と公言しており、暮れの中山にまつりの熱唱が響いた。

この年のG1を2勝し、1年を通じて出走レース全ての馬券に絡んだ安定感が評価され、キタサンブラックは年度代表馬と最優秀4歳以上牡馬のタイトルを獲得。
……とはいえ、ドゥラメンテには結局先着できなかったわけであるし、サトノダイヤモンドへのリベンジも果たさねばならない。
誰もが認める真の王者となるべく、キタサンブラックは二度目の古馬戦線を戦うことになった。


【俺がやらなきゃ誰がやる】


正念場となった2017年。
キタサンブラックはこの年からG1に昇格した産経大阪杯改め「大阪杯」を緒戦とし、先行策から直線抜け出しての勝利を飾る。

実のところ、この勝利は相当に大きな価値があった。
キタサンブラックの本領が「スロー逃げ」なのは前述したとおりだが、この戦法には大きな弱点がある。
他の逃げ馬に競りかけてこられると、うまくペースを落とせず共倒れになってしまうのである。
実際キタサンブラック自身も前年の宝塚記念でこの負けパターンに嵌り、脚が鈍ったところを差される憂き目に遭っている。
しかしこの大阪杯、キタサンブラックは番手よりさらに後ろでレースを進め、直線差し切るという技巧をやってのけた。
他の馬からすると、これは本当に絶望的としか言いようがない。
逃げるキタサンブラックに競りかけて潰しにいっても、あっさり前を譲られ先行策に切り替えられる。
結局競りかけにいった馬だけがスタミナを浪費する羽目になるわけで、逃げるとわかっていても手出しができない。
他馬の介入すら許さない逃げ。キタサンブラック必勝の競馬は、ここに完成を見たのであった。

次走は天皇賞(春)。
ここには阪神大賞典を快勝したサトノダイヤモンドも出走してきており、早くもリベンジの機会を得ることになった。
キタサンブラックは堂々の1番人気。しかし、1番人気で春天を勝った最後の馬はあのディープインパクト(2006年)である。
秋から春への引っ越しを果たした「天皇賞の魔物」をも相手取り、キタサンブラックは連覇に向けてのスタートを切った。

レースはヤマカツライデンが破滅的ハイペースでかっ飛ばす展開となり、キタサンブラックは2番手を追走。
……もっとも、ヤマカツライデン自身は人気薄のオープン馬に過ぎず、実質的に馬群を引っ張っているのは番手のキタサンブラックであった。
レースラップに注目してみると、残り600mまではハナを切っていたヤマカツライデンのものが残っているのだが、
キタサンブラックはその後ろで1ハロンあたり12.1秒のペースを13回刻み続ける驚異の走りを披露。
まったく緩むことのない2600mという地獄の消耗戦を演出し、バテたヤマカツライデンをかわして直線に突入。
あがり3Fを35.3秒の全体4位タイでまとめ、シュヴァルグランとサトノダイヤモンドの猛追を凌ぎ切って勝利。
掲示板に表示されたのはレコードの赤い文字。そのタイム、3分12秒5
ディープインパクトの神話的レコード3分13秒4を0.9秒も更新し、史上4頭目の天皇賞(春)連覇に自ら花を添えてみせた。*17
殊勲の鞍上、武豊は通算8つ目の春の盾。なにかがおかしい
サトノダイヤモンドへのリベンジを果たし、王者の地位を盤石なものとする。

そこから2ヵ月空けての宝塚記念。
ファン投票は堂々の1位。単勝オッズも1.4倍の1番人気。
サトノダイヤモンドは凱旋門賞挑戦のため不在となり、この年から創設された春古馬三冠*18が早々に達成されるのか!?とファンは沸き立っていた。
しかしレースでは直線まったく伸びがなく、なんと9着大敗
1着は香港ヴァーズ勝ち馬のサトノクラウン。同門サトノダイヤモンドの仇を取る大仕事をやってのけた。
この結果には陣営もファンも困惑。かねてより検討されていた凱旋門賞への出走*19も断念され、秋は国内に専念することが決まった。

秋は天皇賞(秋)から始動。
しかしレース直前に台風22号が接近。重軽傷者22名を出し、各種建造物にも甚大な被害が出たことで、レース中止すら取り沙汰される有様であった。
幸いにして開催は叶ったものの、当日は案の定グチャグチャの不良馬場。
宝塚記念の負け方が不可解だったこともあり、単勝オッズは荒れ馬場の覇者サトノクラウンに迫られるところまで上昇していた。しかし不良馬場をものともせず、サトノクラウンの追撃を振り切り一着でゴールインした

この勝利により獲得賞金がディープインパクトを超え、JRA通算2位にランクイン。
同年の天皇賞連覇は史上5頭目*20であり、春天は最速・秋天は最遅レコードで勝利するという珍記録も達成した。

次走はジェンティルドンナ以来の連覇を狙ってのジャパンカップ。
しかし残り200mからまったく伸びず、シュヴァルグランとレイデオロに交わされての3着。
この秋の大目標にして引退レース―――有馬記念に向けて、着々と準備を進めていった。


【ありがとう キタサンブラック】


3度目の出走となった有馬記念。
キタサンブラック最後の雄姿を見届けるべく多くの観客が詰めかけ、単勝オッズは1.9倍の1番人気。
この頃にはもう競馬界の枠を超えた知名度を獲得しており、「サブちゃんのすごい強い馬が走る」というニュースは
競馬に興味のない人々からも注目を集めることとなっていた。

ゲートが開くと、キタサンブラックはいつも通りにハナを切ってレースの主導権を奪取。
得意のスローペースに持ち込み、直線力強く脚を伸ばす。
追いすがるシュヴァルグランやスワーヴリチャードらを凌ぎきり、引退レースを堂々の勝利で飾った。

実況:大坂敏久(NHK)


G1競走7勝は史上6頭目。鞍上の武豊は有馬記念3勝目*21*22
12R終了後にはお別れのセレモニーが開催され、サブちゃんが「まつり」を熱唱。
もはや社会現象となった「キタサン祭り」は、ここでひとまずの幕を下ろすこととなった。

年を跨いだ1月7日、京都競馬場にて引退式を挙行。
最初は「今日はキタサンブラックが主役ですので、まつりの熱唱はございません」とアナウンスがあったのだが、大勢のファンが集まったことを受けて撤回。
アカペラの「まつり」が響く中、キタサンブラックは第二の馬生へと旅立っていったのだった。

G1競走7勝という記録はシンボリルドルフテイエムオペラオーディープインパクトウオッカジェンティルドンナと並び、
2020年にアーモンドアイに抜かれるまで当時1位タイであった。
獲得賞金は18億7684万3000円となり、テイエムオペラオーを抜いて獲得賞金額1位の座も手に入れた*23
G1競走4勝の活躍が評価され、年度代表馬と最優秀4歳以上牡馬のタイトルを2年連続で獲得。
通算戦績は20戦12勝(12-2-4-2)。ダービー14着と宝塚記念9着を除けばすべてで複勝圏内に入るという、安定感の塊のような馬であった。
現役中も故障することなく3年間を駆け抜けており、過酷な春/秋古馬三冠にも果敢に挑むタフさを見せた。
実績に加え、無事之名馬の言葉をも体現したと言えよう。

そして2020年、JRA史上34頭目となる顕彰馬入りが決定。

【終着駅は始発駅】


引退後は社台スタリオンステーションにて堂々と種牡馬入り。そのネームバリューから当然人気を集めた。
しかしながら、ディープインパクトの全兄という父馬の血統が種付け候補を限定すること、そんなパッとしない出自から調教で強くなったイメージ、
晩成のステイヤー*24という種牡馬としては特大の地雷要素持ち……と難点は山ほどあったため、種牡馬としての活躍は疑問視する層も多く、
ふっかけ気味だった当初の種付け料500万円はみるみる降下し、一時は300万円まで値下がりした。*25

ところがキタサンブラックの産駒は初年度から高い勝ち上がり率を見せ、G1馬も輩出、好パフォーマンスを続けて評価は一転うなぎ上りとなり、社台グループの新たな主力候補と目されるほどに。
種付け料も2022年は元の500万円まで持ち直し、2023年は倍の1000万円に増額、2024年にはなんと2000万円と2年続けて倍増で国内最高額となった。
種付け料の上昇は相手の牝馬の質が上がることにもつながるため、今後どのような産駒が生まれてくるのか注目したいところである。

現状の傾向としては印象に反して仕上がりの早い馬が多い一方、背腰の甘さによって本領を発揮できない産駒も見受けられる。
なお、4世代目まで生誕した中に1頭も栗毛の馬は産まれていないため、父ブラックタイドや叔父のディープインパクト同様ホモ鹿毛なようだ。*26
初年度産駒は2024年現在の時点でまだ5歳なので、古馬になってからも活躍できるのかという点は未だ未知数。
気性の難しさ故に当たり外れも大きく、3歳(それも特に秋以降)に強くなる傾向があるドゥラメンテ産駒とは対になっている感もある。
ただどちらにも共通するのは、初年度産駒から早速G1馬を輩出する好スタートを切ったということ。
残念ながらドゥラメンテは5世代の産駒のみを残して2021年に病で早逝してしまったが、今後しばらくはトップ戦線で凌ぎを削り合う姿が見られることだろう。
ライバル関係は時代を超え、これからもつながっていくのだ。

以下は2024年12月時点で重賞を勝利した産駒。

初年度産駒

イクイノックス

2023年時点の代表産駒。馬名は天文学用語の「分点」*27で、父と母の名*28の中間という意味合いが込められている。
母父は2000年高松宮記念覇者のキングヘイロー。血統表にはその他にもキングヘイローの父にして1980年代ヨーロッパ最強馬として名高いダンシングブレーヴ、90年代の日本でブライアンズタイム・サンデーサイレンスと共に輸入種牡馬御三家を形成したトニービンといった名馬が名を連ねている。
父と同数とはいかなかったがG1を6勝……どころかG1を6連勝し、想像を超え続けるパフォーマンスで2022年秋~2023年秋の競馬界を席巻して駆け抜けた。父の種牡馬価値をとんでもないことにした主犯格功労馬
黒鹿毛の馬体に映える太い流星がトレードマークだがその形状のために付いたあだ名が「エクレア」
詳しくは項目参照。

ガイアフォース

9月に新馬戦でデビューするも、惜しくもクビ差2着。ただ、負けた相手が後に日本ダービーをはじめG1を5勝するドウデュースだったため、次に期待が持てる結果ではあった。
しかし、その後怪我などもあり、次の未勝利戦に出走したのは翌年の3月。ここで勝ち上がったあと、小倉での国東特別をレコード勝ちし、菊花賞の前哨戦セントライト記念(G2)を制し父子制覇を成し遂げる。
前走成績で菊花賞では1番人気に推されたが、出負けから馬群に包まれたことで消耗してしまったのか、はたまた距離の壁に阻まれたのか見せ場を作ることが出来ずアスクビクターモアの8着に敗れ、同G1親子初制覇はイクイノックスに譲ることとなった。
明け4歳初戦はアメリカJCCを選択。単勝1.8倍と抜けた1番人気に支持されるもノースブリッジの5着と人気に応えられず。
これを受けて陣営はマイル路線への転向を選択。4月の読売マイラーズCに出走し、G1馬シュネルマイスターとタイム差なしの2着に大善戦。
確かな手応えを掴んだ陣営はそのまま安田記念へ。結果ここでも初のマイルG1で4着好走。先着された3頭が既にマイルG1での勝利経験があるメンバーだったことを考えれば大健闘だったと言えるだろう。
秋は天皇賞(秋)を目標にオールカマーを前哨戦に出走、一時先頭を走るタイトルホルダーに迫るも2000mを越えると徐々に余力を失い5着。
本命の天皇賞(秋)では先頭を走るジャックドールの番手でレースを進めるもハイペースの流れで最後は苦しくなり後続に交わされ5着に敗れた*29
次走にチャレンジカップを選択するも重賞の常連ボッケリーニやダービー4着馬など暮れのG3にしては結構メンツも揃う中1番人気を背負うも6着に敗れ、まさかの秋シーズン未勝利になってしまった。
2024はフェブラリーステークスから始動。血統的に母父クロフネなのでダートは悪くなさそうだが同父同世代のウィルソンテソーロを筆頭に強敵が揃いで注目が集まる中、初ダートかつGⅠとしては初の2着というダート路線に期待の持てる結果となった。
その後は左第二中手骨骨折で休養となったが安田記念には間に合い、ぶっつけ本番の厳しいローテに流石に不安視されたか8番人気。しかし本番では昨年と同じく4着とまずまずの成績だった。
長い休養を経て秋はチャンピオンズカップで春秋ダートマイルGⅠに挑戦するも中団やや後方からという普段とは異なる位置取りが災いしてしかも中京の4コーナースパイラルカーブで大外に振られる痛恨の不利を受けてブービー負け。
なお、ある理由からファンからは専らシェケナと呼ばれている*30

ウィルソンテソーロ

2023年のドバイWCを制するなどGⅠ級4勝をあげる現国内賞金王ウシュバテソーロと同じ了徳寺健二ホールディングスが所有、高木登調教師が管理する一頭。
先述のイクイノックスの新馬戦で6着。転厩等もあり2戦目は3歳6月の東京、3戦目は7月の福島未勝利戦に出走するもどちらも掲示板外、とここまでは掃いて捨てる程いる未勝利馬の1頭に過ぎなかった。
転機となったのは8月暮れの新潟競馬。ここ2戦で騎乗した戸崎騎手の進言もあり、残り開催3日で未勝利戦がなくなるという瀬戸際でダート路線に転向すると1.8秒もの大差をつける激走を見せつけ才能開花。破竹の4連勝(うち3戦で上がり最速)でわずか4カ月半にして未勝利馬からオープン馬へと成り上がった
その後はオープン競走初戦の名古屋城Sこそ5着に敗れたものの、ハンデ制のダートグレード競走であるかきつばた記念(JpnIII)で全日本2歳優駿の勝ち馬ドライスタウトをハナ差競り落とし、産駒としてのダート重賞初制覇&コースレコードを達成。
次走は帝王賞(JpnI)を予定するも去年の東京大賞典はもっと賞金低くても出れたのに今年の帝王賞の出走ボーダーが異様な事になっていた為除外。*31マーキュリーカップへと向かう事に。
そしてマーキュリーカップではいつもの捲り逃げを仕掛けたテリオスベル*32に惑わされずに先行競馬から残り200mで抜け出すとそのまま4馬身ちぎり捨てて交流重賞連勝となった。
なおボーダー状況から見ると交流G1出走にはまだまだ話にならない程足りない模様*33
白山大賞典でも1番人気に支持され5番手でレースを進め最後は逃げるメイショウフンジンを交わし重賞(JpnIII)3連勝を達成した。
次走はJBCクラシックを予定するも最後の南関東三冠馬・ミックファイア*34が出走予定だったこともあり出走回避が続出、更にそのミックファイアも調子が戻らず出走回避で初のG1級挑戦はゲート割れ。
いつも通り番手でレースを進めたが最後は伸び脚を欠き連勝数は3でストップ。しかし、大井はこの開催からダートの質を変更しており、スプリントを地方馬のイグナイターが勝つなど結構波乱が起きていた、と言い訳はまだできるものであった。
次走にチャンピオンズカップを選択。鞍上はこのレースから原優介に乗り替わり。しかし前走と原?誰だそれ?という状況から単勝92倍の12番人気。
レースは後方待機からの大外ズドンを敢行、レモンポップにこそ届かなかったものの2着に食い込みキタサンブラック産駒初のダートG1連対となった。2着12番人気ウィルソンテソーロに加えて3着に9番人気ドゥラエレーデが突っ込んだことで、1番人気が勝ったのに馬連万馬券、三連単は190万超の大荒れに。
ちなみにグリーンチャンネルの実況では一瞬アーテルアストレアと間違われていた模様
これで本賞金を加算できたので東京大賞典に出走できる...と陣営は安心していたのだが、事前登録の時点でウシュバテソーロとミックファイアが名を連ねていたため、中央、地方を問わず回避馬が続出。結局またゲート割れの9頭立て、とはいえ中央枠の7頭分は埋まっており、地方での出走はミックファイアとマンガンの2頭のみであった。
レースは誰もハナを切ろうとしないのを見るや、前走と打って変わって逃げの手を打ち、馬群を引っ張ることに。これはJBCで最終直線までに前に位置取れなかった反省を活かしたものだったと思われる。そしてそのまま最終直線を先頭で迎え、2番手集団の手応えが怪しくなりあわや2強共倒れの大金星な場面を作るも、最後は後方から差し脚を伸ばしたウシュバテソーロに交わされて2着。結局テソーロ2頭のワンツーという結果で、2023シーズンを終えた。
しかし、これは前残りのレースでしっかり差し脚を伸ばしたウシュバが強すぎたという他なく、逃げ粘ったウィルソンも、パフォーマンスの高さや脚質の自在性など、存分にポテンシャルを見せつけた格好だった。
2024年の始動戦は招待が来ればサウジカップと表明していたものの、招待状が来るのが難しいことから、フェブラリーSに決定。こっちは流石に賞金で突っぱねられるとは考えにくいし
しかし、単勝11番人気のペプチドナイルの激走の前に番手から伸びあぐね、ダート戦で初めて掲示板を外す8着と惨敗を喫してしまう。その後ドバイからは招待状が届いたため挑んだドバイワールドカップでは、ウシュバテソーロ共々後方から追い込むも4着まであがるにとどまる。
帰国後の帝王賞は2着と、このあたりですっかりシルバーコレクターとして定着しつつあった。
しかしコリアカップ2着を経て、川田将雅騎手と組んでの2度目のJBCクラシックで躓きながらも直線で突き抜け、遂に悲願のGⅠ級勝利を果たした*35。これによりキタサンブラック産駒は3年連続でGⅠ勝利となった。
なお了徳寺健二ホールディングスは馬主資格取得からこのウィルソンの勝利までの10年足らずで重賞累計13勝、内海外G1を含むG1級6勝を挙げる大活躍を見せている中央馬主であるにも関わらずJRA主催の所謂中央競馬では未だに重賞すら勝っていないと言う意味不明な状態となっている*36
その後、チャンピオンズカップに再挑戦するもラストランを宣言していたレモンポップには勝てずまたしても2着(尚、ドゥラエレーデも3着だった為、前年と3着までが全く同じになるという珍事が起きた)。次はまたしても転厩を挟みつつも前年2着だった東京大賞典に。ウシュバテソーロ*37へのリベンジとともにフォーエバーヤングやラムジェットといった後輩ダート馬を迎え撃ち、ウシュバテソーロには初めて先着するがフォーエバーヤングに1と3/4馬身差の2着。GⅠでの2着はこれで5回目となり完璧に近い競馬をしてもその前に怪物が居るという運の無さを痛感させられ24年を終えることとなった。
翌6歳、2025年の始動戦はサウジカップ。ただでさえフォーエバーヤングとウシュバテソーロが居るところに、香港最強馬ロマンチックウォリアーまで出走してきた。道中は中団に位置取るものの、直線でのフォーエバーヤングとロマンチックウォリアーのマッチレースに割り込むこと敵わず、結果は4着。フォーエバーヤングとロマンチックウォリアーにちぎられ、最後方から突っ込んできたウシュバテソーロにも先着された。この後はフォーエバーヤング、ウシュバテソーロと共にドバイへ転戦し、同馬主同厩舎の戦友のラストランを見届けることになる。ドバイWC本番では中団内目の位置取りを選択するが、コーナー途中から左右にブレるような動きを見せてしまい、7着と惨敗。加えて川田騎手は進路妨害と見なされ騎乗停止処分になるという後味悪い結果に…

エコロデュエル

19年5月4日、北海道の下河辺牧場で誕生。22年6月に初勝利を挙げるもその後は1勝クラスで壁にぶつかる条件馬であったが、23年5月に草野太郎騎手を背に障害競走へ転向。すると障害2戦目の未勝利戦で2位と2.2秒差の大差で圧勝。その後は9月のJ・GⅢ阪神ジャンプステークスで重賞初挑戦し敗れるものの、11月のJ・GⅢ京都ジャンプステークスで他の重賞馬達を抑え重賞初制覇。そのままの勢いで年末のJ・GⅠ中山大障害に挑むが、ゴールドシップ産駒のマイネルグロンに圧倒的強さを見せつけられながら3着に終わる。翌24年も中山グランドジャンプで4着など勝利まであと一歩届かないレースが続く。年末には再び中山大障害に挑戦。

さぁ、デュエルしようぜ!!( )
実況:ラジオNIKKEI 小林アナ

という本馬場入場で歓声が沸くが、レースは2年前の覇者ニシノデイジーが有終の美を飾るのを見届ける形で2着入線。
そして迎えた25年4月の中山グランドジャンプ。王者復活を目指すマイネルグロンや、初GⅠ制覇を目指すジューンベロシティなどが参戦していた。レースが始まるとピーターサイトとジューンベロシティが熾烈な先行争いをする中、エコロデュエルは4番手につけ様子を見守る。そしてレース後半に入りピーターサイトが下がるのを見るや思い切って仕掛け、ジューンベロシティと競り合う形でレースを引っ張っていく。スタートから4分が経過し9号障害の前でジューンベロシティを引き離していき、最終直線に入る。最後の10号障害の飛越でバランスを崩し落馬しかけるも踏ん張り、後続馬たちに影すら踏ませず8馬身差でゴールし、遂に障害王者(デュエルキング)に輝いた。キタサンブラック産駒として初の障害GⅠ制覇を達成、草野太郎騎手はデビュー19年目で初のGⅠ勝利、管理する岩戸厩舎や馬主の原村正紀氏にとっても初のGⅠ勝利となった。

これによりキタサンブラックは初年度産駒が芝・ダート・障害のGⅠを勝利するという快挙を達成し、種牡馬としての価値を更に高めたのだった。

2年目産駒

ソールオリエンス

2頭目のGⅠ馬。馬名はラテン語で「朝日」の意で、母・スキア(古代ギリシャ語で「影」「日陰」の意)から連想したもの。
2頭目のG1ホースにして皐月賞を制し、イクイノックスが叶わなかったクラシック勝利を父にプレゼントした。
詳しくは項目を参照。

ラヴェル

半姉に23年マイルCSを勝利したナミュール(父ハービンジャー)がいる。
7月の小倉の新馬戦でデビューすると、出遅れで後方からレースを進め差し切って勝利。
成長放牧に出された後はアルテミスステークスに出走、新馬戦で驚異的な末脚を見せたリバティアイランドの圧倒的人気もあり3番手評価。
レースでは再び出遅れ後方からレースを進め最後の直線で後方から差し切り、進路選択に手間取りスパートが遅れたリバティアイランドの猛追も振り切り勝利、キタサン産駒初の重賞牝馬となった。
次走は阪神JFを選択し4番人気に支持されるも3度目、しかも大外枠は全馬盛大に出遅れてしまい11着に敗れた。
3歳ではぶっつけでクラシック本番の桜花賞に臨むがまたも大外枠の17番枠。最終直線での不利もあり、またも11着に敗戦。
しかしオークスでは一転して最内の1番枠を引き当て、強気の先行策から直線で一時は先頭を奪う激走。最後は一杯になったが、10番人気ながら4着と善戦した。
秋は前哨戦のローズSから復帰し2番人気に推されるも14着、秋華賞でも11着と、かつて破ったリバティアイランドが三冠牝馬となった一方でラヴェルはというとオークス4着以外は惨敗と言う他無かった。
その後は凡走を続けるも、エリザベス女王杯で数日前にウィルソンテソーロをG1馬にした川田将雅の好騎乗により単勝12番人気ながら2着に激走。案の定馬券は大荒れとなった*38
なお当初はエリザベス女王杯に参戦する予定はなかったが
出走予定のレースが出走馬多数でラヴェルは賞金不足で除外→逆にエリザベス女王杯はゲート割れで参戦可能→厩舎所属の坂井騎手に騎乗打診するも既にホールネス騎乗*39が決まってて無理→何故かエリザベス女王杯で乗鞍がなかった川田騎手に打診
という一種のミラクルがレース前に起きた。レースでは12番人気ながら2着に好走し、賞金・収得賞金を大きく積むことに成功。陣営としてはかなり大きな収穫を得られた。
その後チャレンジCに出走。前半58.4秒のやや早めのペースであったが、川田騎手のエスコートでコーナーを抜けると先頭を走るセイウンハーデスを中団から差し切って重賞2勝目。

2025年3月の金鯱賞で始動したが、骨っぽい面子に加え道悪実績のなさ、中京2000マイスターの川田騎手が別の馬を選んだことでテン乗りが不安視され案の定9着惨敗。
更に大阪杯に出走するも史上初の連覇を達成したベラジオオペラの13着に敗れている。*40

スキルヴィング

管理調教師はイクイノックスと同じく木村哲也調教師。
2歳10月の東京新馬戦こそタイム差なしの2着と惜敗するも、11月に2戦目の東京未勝利戦は上がり3ハロン33秒2(最速)で難なく勝ち上がる。
放牧の後は明け3歳初戦のゆりかもめ賞に出走し、これまた34秒0の上がり最速でちぎり捨てて0.5秒差の楽勝。
皐月賞戦線には向かわず、休養の後にダービートライアルの青葉賞に出走。4角11番手から直線だけで前方の全馬をゴボウ抜きし、またまた上がり最速(34秒1)で3連勝&重賞初制覇、ダービーへの切符を手にした。
なお、ここまで全レースでクリストフ・ルメールが手綱を執っており、ダービー本番でも継続騎乗が実現する見込み。
「青葉賞組はダービーを勝てない」というジンクスをも打ち破ることができるかが注目された。

迎えたダービーでは同じキタサン産駒のソールオリエンスが実質一強状態だったがそれに次ぐ4.5倍の2番人気に推される。
レースではいつも通り後方からレースを進め最終直線まで脚を貯めた…はずが最終直線でも反応がなく、ルメールも追うのをやめ、結果大差で最下位(17位)入線*41
異変を感じたルメールも入線後に下馬して誘導しようとするも、当のスキルヴィングは不自然な挙動を見せた直後1コーナーの内ラチ沿いで前のめりになり転倒、以後一切動かなくなってしまった。*42
この事態に関係者も集まってくるが、その後も全く反応がなく馬運車が到着した後幕を張る形で馬運車に運ばれた。*43
ファンは無事であることを願ったものの、数時間後にJRAにより急性心不全でこの世を去ったことが発表された。こうして、将来を嘱望されたであろう2023年の青葉賞馬は、僅か3歳という短い生涯を東京競馬場で閉じ、天へと駆けていった*44

ダービーで2番人気に支持された馬のあまりに突然の最期にファンが嘆き悲しみ、また「青葉賞組はダービーを勝てない」というジンクスも非常に後味が悪い形で継続することとなった。
このダービーを制したのはタスティエーラであることは先述したが、その馬主のキャロットファームはスキルヴィングの馬主でもあった。キャロットファームにとっては、所有馬からダービー馬誕生と同時に重賞馬を失うという、幸運と不幸が同時に起きた複雑な結果となっている。
レース後、木村調教師は「馬は一生懸命に走り、頑張ってくれました。おそらく長く苦しまずに天に旅立ったのだと思います。期待の大きな馬で、ダービーだけでなく、この先もと思っていただけにとても残念ですし、胸が苦しいですが、天国で幸せに過ごしてくれることを心から願っています」と述べた他、
ルメールも自身の公式Instagramを更新し「今日、Skilfing*45を失ったことは残念です。素敵な馬で、みんなに惜しまれるでしょう」と投稿し、それぞれ哀悼の意を示している*46
なお、関係者によると所属厩舎が位置している美浦トレーニングセンターにおいて供養が執り行われたという。

3年目産駒

クリスマスパレード

マイルCS覇者のペルシアンナイト、セリフォスと同じGⅠレーシングが所有する牝馬。主戦騎手は22'チャンピオンズカップ覇者のジュンライトボルトで有名な石川裕紀人騎手。
23年12月のデビュー戦、24年2月の1勝クラスを勝ち上がり、4月にフローラステークスに挑戦するもイレ込みが激しく結果は4着でオークス出走は叶わず。その次はまさかの関東オークス(川崎・ダート2100m)に出走。結果はダートが全く合わず9着惨敗。ダートは合わないと判断し、9月には秋華賞出走を掛けて紫宛ステークス(中山・芝2000m)に出走する。

この日の中山競馬場は2勝クラスの芝1200mで1分6秒8が出るなど超高速馬場となっており、紫宛ステークスも高速決着になるのではと予想された。
2着3回のシルコレボンドガール、フラワーC覇者ミアネーロなどが人気を集める中、レースは逃げるイゾラフェリーチェの番手で進む。1000m58秒8と通常であればこの距離としては速いペースとなるが、この日の超高速馬場では前が全く止まらず、最後の直線でクリスマスパレードは抜け出す。差し込んで来るミアネーロやボンドガールを振り切り、重賞初制覇となった。しかしそれ以上に観客達が驚愕したのはそのタイム。

レ コード

1.56.6

なんと、この年の皐月賞でジャスティンミラノが更新した中山2000mのコースレコードを0.5秒も更新してしまった。3ヶ月早いクリスマスプレゼントこれには石川裕紀人騎手も「ビックリですね」と驚きの表情を隠せなかった。内容的にも100点とコメントしていた。

秋華賞出走の権利を無事に得た彼女は、いざ秋華賞へ出走。しかし、レースはセキトバイーストが1000m57秒1でぶっ飛ばす超ハイペース。10馬身近く離れた2番手で進め直線で先頭に抜け出したものの、残り150mを切るあたりで後続馬がなだれ込む差し展開となり、結果は5着に終わった。そしてこのレースでクラシックを終えた。年末に出走してクリスマスプレゼントにはならなかった。
そのまま翌年の中山金杯に出走するも枠の関係で逃げる羽目になり、しかも天皇賞3着馬にマークされる厳しい展開。なんとか最後の直線で振り切ったものの、目の前にあったのは中山名物の心臓破りの坂であった。すでに逃げ馬の競り合いを読んでた後方待機勢が迫っており中山の坂でアルナシームに交わされると余力がなく4着に沈んだ。
巻き返しを図るべく中山牝馬Sに1番人気で出走。今回はややハイペースな中で好位追走になり、4コーナーから直線にかけて先頭に立つ…が外目からシランケド、ホーエリートに既のところで差され3着。立ち回りが良かっただけに惜しい。

4年目産駒

クロワデュノール

仏語で『北十字星』の名を持つ3頭目のGⅠ馬。父キタサンブラックの「北」、及び母ライジングクロスの「クロス」を掛け合わせたネーミングとなっている。騎手、馬主、調教師共に牝馬初のグランプリ3連覇を果たしたクロノジェネシスと同じ、北村友一、サンデーレーシング、斉藤崇史。そのせいでクロノデュノールと間違えられがち。そしてついたあだ名がクロワッサン
2歳6月の新馬戦で先行抜け出しで上がり最速のレコード勝利*47を果たすと、11月の東京スポーツ杯2歳Sで24kgも馬体重を増やしながらも、またしても先行から上がり最速で勝利。
その後、初GⅠを目指しホープフルステークスに出走する。単勝オッズ1.8倍の圧倒的人気を背負った彼は好スタートを決めると中団でレース進める。向正面では後方にいた17番人気ファウストラーゼンが一気にハナまで捲るのを見るやこれに追従するも4番手でぴったり折り合ってみせた。そして4コーナーを回る頃には3番手に進出、直線に入るとスッと抜け出して上がり最速と0.1秒差の34秒9で2馬身差をつけ完勝。キタサンブラック産駒初の2歳GⅠ勝利となった。鞍上の北村友一にとって2020年の有馬記念以来のGⅠ勝利であり、事故による大怪我*48からの復活を果たしたことを証明する勝利でもあった。
この圧倒的素質をもって2024年度の最優秀2歳牡馬に選出。
クラシック戦線のローテーションは皐月賞直行。本番では単勝1.4倍の1番人気、2番人気のサトノシャイニングが11.1倍という1強状態となり、レースは先団外目を追走。途中ファウストラーゼンが前2走同様の捲りを繰り出しながらも直線で先頭に立つ。しかしその外からジョアン・モレイラ騎乗のミュージアムマイルが強襲、1.1/4馬身差の2着と初黒星となる。とはいえこれはミュージアムマイルの末脚の切れ味がモレイラマジックで大幅に引き出された故の瞬間火力で仕留められたといったところだろう。同父先輩のイクイノックス同様持続力のある脚を持つと診られているのもあって、ダービーでも有力馬となり得ると思われる。

なお、同期のキタサンブラック産駒の重賞馬にはこの他、短距離重賞の函館2歳ステークスを制したサトノカルナバル、祖父ブラックタイドからの親子3代でスプリングステークスを制した*49ピコチャンブラックがいる。

……とまあ、キタサンブラック産駒の有力馬はまるでドゥラメンテのように後方から切れ味で差し切るタイプが多い、と思いきや突如逃げや先行を行い好走したりとむしろ脚質自在の気を見せている。そしてコースレコードを出す馬が特に2000mで多い。
これにはファンのみならず日本最大手の競馬関連サイト「netkeiba」も首をかしげている。*50*51
なんにせよ、キタサンブラックの種牡馬生活はまだ始まったばかり。今後はどんな産駒を輩出しターフを盛り上げてくれるのか、ますますの活躍に期待がかかる。

【創作作品での登場】

お祭り大好き、元気で明るい人情家なウマ娘。「まつり」ということで勝負服も法被風のほか、カードイベントではそれらしき演歌を歌う一幕も。
髪飾りは桜をあしらったものとなっているが、これは母父サクラバクシンオーだからか。
アニメ第2期で主人公トウカイテイオーのファンの子供という役どころで登場し、最終回で成長後の姿が登場すると共に正式にキャラクターとして仲間入りした。

諸々の描写から正式登場時のバージョンは中学1年生という設定だと思われるのだが、なにぶん堂々たる体躯で知られるキタサンブラックであるため高身長で発育良好。アニメの幼女バージョンはせいぜい140cm台の小ささだったのが急にこの姿になったため成長しすぎだろと話題に*52
親友はサトノダイヤモンドという、競馬ファン間で「言うほどか?」と意見が分かれがちな設定も特徴である。
これには、実装当時に同期のウマ娘がいなかったという事情もあり、後にドゥラメンテやサトノクラウン、シュヴァルグランら同期が実装され、交友関係も広がったので気にすることでもなくなっている。

そして2023年放映のアニメ第3期では主人公を務める。
放映直前にサプライズとしてサブちゃん本人から手紙が届いているほか、最終話放送直前には再びサブちゃんからビデオレターが届き、大晦日と元日に公開されたCMではまさかのご本人が登場した*53仕事は選んでくれ*54

最初のスプリングSでは「演歌が趣味の地味な無敗馬」、セントライト記念編では「(皐月賞・日本ダービーでの)低迷から脱却したのど自慢の強豪」として登場したが(もちろん十八番は『まつり』)、
菊花賞から引退有馬までほぼ一貫して黒潮組の若頭・黒として任侠編シリーズの主役を張っている。
深衝組の鋼(リアルスティール)とは兄弟の盃を交わした仲である他、金亀組の荒(ドゥラメンテ)や丸十組の冠(サトノクラウン)、心叫組の偉(シュヴァルグラン)達とはライバル関係にある。
また、引退後はかつてのライバルの遺児である録(タイトルホルダー)の元を訪れて発破をかける一幕も。

【余談】


長らく活躍馬に恵まれなかったサブちゃんだったが、キタサンブラックの大活躍を受け、ラストランの有馬記念に併せて
楽曲「ありがとう キタサンブラック」*55をリリース。
50年以上も馬主を続けてようやく名馬に巡り会えた流れはファンからも美談として受け止められ、「競馬の神様から北島三郎への贈り物」なんて言われ方もしている。
ビル2棟分の含み損も半分くらいは取り返したとか。それでも半分だけなのか……

また、キタサンブラックの活躍によってブラックタイド産駒の価格も高騰。
全弟に至っては1億越えの高額で落札されている。サンデーサイレンスの血統が、ディープインパクトではなくブラックタイドから繋がる未来もあるのかもしれない。
今後も要注目である。

2024年時点で12歳となったキタサンブラックであるが、放牧地では自身で決めた箇所からダッシュを繰り返す『自主練』に励むなど自己管理を徹底しており、
今なお現役競走馬にも劣らない馬体を維持している。
そのストイックさたるや、関係者からも「何度か追い切りすれば現役復帰できる」と評されるほどである。
隣になった競走馬が釣られて一緒に走る流れも多いことから、ダイエット目的で近くの放牧地にいかせることもあるとかないとか……。


追記・修正は、「まつり」を歌いながらお願いします。

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最終更新:2025年04月20日 16:07

*1 ある競走馬から見て、母と父を同じくする兄弟・姉妹関係にある競走馬のこと(弟であれば「全弟」、姉であれば「全姉」、妹であれば「全妹」)。競走馬は「母が同じであること」を兄弟(姉妹)である条件としているため、父が同じであれば兄弟として扱わない(もし父が同じ競走馬を兄弟として扱えば、例えば1000頭を優に超えるサンデーサイレンス産駒が全部兄弟という途方もない事態になってしまう)。ちなみに「ある競走馬から見て母のみが同じ競走馬」であれば「半兄(半弟)・半姉(半妹)」と呼ぶ。

*2 「シュガーハートが2012年に産んだ仔」の意。まだ競走馬としての登録名が決まっていない馬は便宜的にこのような呼ばれ方をする。

*3 楽器を持って繁華街の店を回り、客のリクエストに応えて演奏したり歌ったりする仕事。昔の演歌歌手には流し出身の人も多かったそうな。

*4 とはいえ、サブちゃん自身は「愛着ある地元北海道の馬産を応援したい」という志の元に馬主業を続けており、損得は度外視して中小の生産者から送り出された地味血統やセリ値の安い馬を積極的に購入していた。そのおかげで社台・ノーザン旋風が吹き荒れる中を存続できた牧場や血統も少なくなかったはずで、ある意味長きにわたって競馬界そのものを下支えしてくれた功労者とも言える。

*5 現行作品では別馬主の馬に変わり、冠名を改め「ユリノローズ」として登場している。

*6 星海社新書『アイドルホース列伝 1970-2021』より。

*7 鞍上は後藤浩輝。しかしこの約1ヶ月後、彼は他界してしまう

*8 五大クラシック競走に出るために必要となる特別な登録。1レースあたり40万円という他のGIレースより更に高額な費用がかかる上に2歳秋頃・3歳1月頃・当該競走2週前の3回全ての登録を完了しなければならないため、適性外の短距離馬や完成に時間のかかる大型馬の場合は行わないことも多い。先述の伝説の新馬戦の3頭は先述のキタサンブラックのように3戦全勝で行けば桜花賞や皐月賞はギリギリ間に合うため登録はしていた。

*9 馬が騎手の指示に反抗して前に行きたがり、スタミナを無用に消耗すること。ドゥラメンテ自身気性に問題があることは明らかだったので、2400mへの適性を疑う声もそこそこあった。

*10 クラブ法人としての名前は「サンデーレーシング」。

*11 実際セントライト記念勝ち馬の菊花賞実績は悪く、この時点で最後の菊花賞勝ち馬は1984年のシンボリルドルフであった。出走に限ってもなお2001年のマンハッタンカフェまで遡るほど。

*12 ウマ娘にもなっているカレンチャンと同じオーナーの競走馬。G1勝利こそないものの(それでもGⅡ金鯱賞を勝利した重賞ホースでもある)、この天皇賞などG1で度々穴を開けていた

*13 蹄に装着した蹄鉄が外れてしまうトラブル。レース前の発生なら通常打ち直しになるのだが、装蹄をやり直す際にドゥラメンテが暴れたため裸足で発走することになってしまった。

*14 もっとも、デムーロ騎手には「それを承知の上で」エイシンフラッシュのアレをやったという前科があるのだが。

*15 と言うかそもそも京都大賞典まで1番人気で出走した事がなかった

*16 少なくともジャパンカップではカツラギエースタップダンスシチーくらいしか前例がない。

*17 1991年・92年メジロマックイーン、2000年・01年テイエムオペラオー、2013年・14年フェノーメノ。

*18 大阪杯のGⅠ昇格によって創設された、春の古馬中長距離GⅠ3レース(大阪杯・天皇賞(春)・宝塚記念)の総称。これらを同一年内に制覇すれば褒賞金が与えられる。

*19 渡仏に関してはサブちゃん(当時80歳)の体調も懸案事項だったという情報もある。

*20 これ以前はタマモクロス・スペシャルウィーク・テイエムオペラオー・メイショウサムソンが連覇している

*21 1990年オグリキャップ、2006年ディープインパクト。いずれも引退レースなのがなんとも武豊らしい。

*22 なお、この日は有馬記念以外の全レースについて騎乗依頼を断っていた。それだけキタサンブラックで勝つことに専念していたことの証左でもあり、それに理解を示した各陣営にも感謝の意を表していた。

*23 現在は2020年引退のアーモンドアイと2023年引退のイクイノックスに抜かれ3位。なお国内戦に限定すると1位

*24 ファン感情はさておき、ホースマンの間ではクラシック競走が最重要視されており、ある程度の早熟性(早枯れに非ず)が求められる。また、長距離路線は世界規模で需要が低下し続けており、中にはマイルやスプリントといった短距離路線が主流の国すら存在する。

*25 もっとも、初年度産駒デビュー前の値下がりはどの種牡馬でも見られるもので、あのディープインパクトでさえも例外ではなかったのだが。そもそもクロワデュノールはその種付け料300万円世代である。

*26 ホモ鹿毛とはいえ広義での鹿毛以外の産駒が生まれないわけではなく、芦毛の産駒は母親の毛色に依存し、青毛と青鹿毛の産駒はホモ鹿毛とはまた別の遺伝子が問題になる模様。なおキタサンブラックは初年度産駒のブラックブロッサムなど青毛の産駒が生まれるタイプのようで、逆に現役時代にしのぎを削ったサトノダイヤモンドは種牡馬になって数年が経った2023年でもなお青鹿毛の産駒さえ居ないので、彼はほぼ鹿毛の産駒しか生まれないタイプのホモ鹿毛であると思われる。

*27 昼と夜の長さがほぼ等しくなる時(日本で言う所の春分の日・秋分の日)のこと。ちなみにイクイノックスの誕生日は3月23日で、春分の日(3月20日もしくは21日)から少しズレている。

*28 父のキタサン「ブラック(英語で黒)」、母のシャトー「ブランシュ(フランス語で「白」)」。

*29 尚、ガイアフォースの走破タイムは2019年のアーモンドアイと同じ勝ちタイム1分56秒2。むしろあのペースで番手追走してこのタイムで掲示板入りしてるのは充分凄いことなのだが。

*30 東スポ配信「菊花賞ライブ反省会」で元騎手の田原成貴氏が銀髪のカツラを被りながらシェケナベイベーと口走るガイアフォースを演じるというイタコ芸をしたことでガイアフォース=シェケナが定着した…

*31 最上位格が数頭回避していても1億以上稼がないと話にもならないクラスであった

*32 逃げないと話にならない逃げ馬なのに致命的にスタートダッシュが効かない為、道中で強引に押し上げて逃げ込みを図る「捲り逃げ」戦法を得意とするキズナ産駒の牝馬。交流重賞2勝・その他掲示板入り多数としっかり実績も持っており、「穴男」江田照男と共に交流重賞戦線を個性派として盛り上げた。2024年3月のダイオライト記念(JpnⅡ)2着を最後に引退・繁殖入り。

*33 現状で賞金ボーダーに関係する収得賞金が約1億少々だが、最上位格数頭回避している帝王賞ボーダーは1億2000万前後

*34 シニスターミニスター産駒。ダート三冠移行前最終年度の2023年、羽田盃・東京ダービー・ジャパンダートダービー(現ジャパンダートクラシック)の南関東三冠を無敗で制し、旧制度最後の三冠馬となった。

*35 ちなみにこの年のJBCクラシックは佐賀開催、そしてBC開催から帰国して中1日の川田騎手は佐賀出身であり、地元での勝利に川田騎手も相当嬉しかった様子。

*36 勝鞍全てが海外G1、もしくは地方交流重賞、Jpn1の物となっている。もしかしてテソーロ冠名は中央競馬を勝てないジンクスでもあるのでは…?

*37 主戦被りのためこちらはここから菅原明良騎手とコンビを組むことに

*38 このレースで1着になったスタニングローズは半姉ナミュールと同じ高野友和調教師の管理馬であり秋華賞ではチームメイトのナミュールを破ってGⅠ初勝利となっていた。何の因果かスタニングローズのGⅠ2勝はいずれもナミュール・ラヴェル姉妹を2着に退けた勝利となった。

*39 エリザベス女王杯は3着

*40 ベラジオオペラは同世代・チャレンジカップ制覇という共通点があるが彼は阪神に対し彼女は京都開催の違いがある、なお25年からはチャレンジカップは開催時期が2011年以来9月開催が決まっている

*41 この2023年日本ダービーは本来フルゲート18頭立てのレースだったが、スタートで17番ドゥラエレーデ(ドゥラメンテ産駒で2022年ホープフルステークス優勝馬、ダービーでは8番人気)が大きく躓いた結果鞍上の坂井瑠星騎手が落馬してしまい、競走中止となった。なおドゥラエレーデはカラ馬となるもその後レースでは他馬にそれほど迷惑をかけることなく無事2400mを完走し、坂井騎手と共に人馬とも無事であることがアナウンスされている。

*42 この一部始終を収めた動画(https://www.youtube.com/watch?v=K8is2PCx5QAなど)が多数記録されているが、これを見ると倒れた直後は脚を上げるなど僅かに動きがあったが下がった後はピクリとも動かなくなっている。なおこれらの動画を視聴する際は自己責任で視聴すること。

*43 一般的にターフ上で幕を張る場合は予後不良になるケースが殆どのため、察しのいいファンはこの時点でどうなったかを理解していた。関係者も厩務員と思わしきスーツ姿の男性が幕を張られるまでスキルヴィングに寄り添い、ルメール騎手も木村調教師に抱きかかえられながら共にその様子を見守り、次走も騎乗予定があったため項垂れながら係員に誘導されてその場を後にしている。

*44 余談だが、スキルヴィングの由来は北欧神話の主神・オーディンの別称で「高座につくもの」の意味である。

*45 スキルヴィングの英語表記。

*46 他にもキャロットファームによると、ファンからスキルヴィングの追悼の意を示す電話も寄せられたという。

*47 タイムは1分46秒7。これは東京芝1800mの新馬戦としては史上最速のタイム

*48 2021年5月2日に阪神競馬で落馬し背骨8本、右肩甲骨を折る重傷を負った。久々の勝利ジョッキーインタビューでは、涙ながらに怪我以降支えてくれた人たちへの感謝の気持ちを口にしていた。

*49 母父ネオユニヴァースもスプリングS勝ち馬。

*50 https://twitter.com/netkeiba/status/1614522396161241090?ref_src=twsrc%5Etfw%7Ctwcamp%5Etweetembed%7Ctwterm%5E1614522396161241090%7Ctwgr%5E436bc202d8e087d18bdb4c5d887912b9b813a32d%7Ctwcon%5Es1_&ref_url=https%3A%2F%2Fbbs.animanch.com%2Fboard%2F1488284%2F

*51 ただし先述の通りミドルペースの好位追走から直線抜け出し押し切りの横綱相撲で勝利した「大阪杯」、向こう正面中間~3角~4角にかけて劣悪環境のインコースを突いて10頭近くをゴボウ抜きする左回り版ゴルシワープともいうべき荒業を披露した「天皇賞(秋)」等と、キタサンブラック自身はやろうと思えば逃げ以外の戦法もこなせる馬であったことは結果が証明しているし、そもそもマルゼンスキー以来の超強いUMAの伝統芸である、差し馬が自分のペースで走った結果大逃げになってしまったという「僕何かやっちゃいましたか」現象という見方もできる。

*52 「あまりに一気に大きくなりすぎて逆に大成を危ぶまれた」史実のエピソードに準じていると思われる

*53 しかし、運の悪いことにその元日の夕方に能登で大地震が発生。自粛措置のためCMは放送中止となってしまった

*54 近年は高齢により表舞台に立つ頻度が明らかに減っている中のことであるため、むしろ「選んだ結果がこれだよ!」とも言えるか。

*55 上記項目名の元ネタも当然この曲である。