キマロキ編成

登録日:2012/09/11(火) 22:18:01
更新日:2024/02/05 Mon 18:47:53
所要時間:約 6 分で読めます






ーー保線課長、越美北線が雪で埋れています!

ーーなに!

ーーどうしましょうか?

ーーラッセル装着!

ーーダメです、雪壁が出来上がっています

ーーでは止むをえん!キマロキ編成出動だ!


キマロキ編成出動ーー!!


雪かき車といえば、やはりラッセル車が思い浮かぶであろう。
だが、かつて我が国鉄道の主役が蒸気機関車であった頃。


なんか、すげえ奴がいた。

ラッセル車最大の弱点は

雪雪雪雪 線路脇
====ラ>雪雪雪雪雪雪
雪雪雪雪 線路脇

こうしていくと、だんだん、

雪壁雪壁雪壁雪壁雪壁
=ラ>「モウユキカケネェヨ!」=
雪壁雪壁雪壁雪壁雪壁

うず高く線路脇に雪が積もり、雪壁ができてしまうことだ。
そうなると、雪を外側へと階段状に積み上げる「段切り」という作業をする。
しかし、繰り返していくうちにそれもままならなくなると、線路脇に雪をどかせなくなってしまう。

そのとき、奴らは現れる。


キマロキ編成

この呪文みたいな名前は、四両編成である彼らの頭文字を取ったものなのだ。
ちなみに、鉄ちゃんの愛称ではなく、国鉄の公式用語である。
それでは説明しよう。

  • キ … 機関車
先陣きって突き進むのは勿論蒸気機関車である。ちなみに、場合によってはこいつにラッセルを取り付けたりもする。

  • マ … マックレー車
二番手はこの聞き覚えの無い車両。
なんとこいつは、雪壁を崩してその雪を線路上に持ってくる。
前方に大手を拡げるように、上からみれば「八」の字になって雪を線路上に掻き集める。(下側が進行方向)
一見暴挙に見えるが、もちろんこれは後ろが文字通り"回収"してくれる。

  • ロ … ロータリー車
三番手はロリー……ではない。MAZDA製でもない。
マックレー車によって線路上に集められた雪は、先頭にドでかい回転羽根を付けたロータリーにより、遥か彼方へ吹き飛ばされる。
こうして再びラッセル車がその役目を果たせるのだ。
しかし当時の記録を見るに、羽根に雪が絡まって、しょっちゅう故障していたようである。
これについては、当時の機械技術の粋を集めて尚、雪が強過ぎたと言うべきだろう。
因みにこいつも自走出来ないものの蒸気機関を載っけている。

  • キ … 機関車
最後尾。ペアで運用していた。
実際に運用するとき、マックレーとロータリーは離して走らされる。(「キマ」と「ロキ」に分離)
そのロータリーを後ろ押しするのがこいつの役目であった。
そのため、一般的には先頭よりも強力な機関車が連結されていた。
また、さらに職員用の車掌車を連結する場合もあったという。


この変態的で重厚長大な彼らにより、大体1960年代ぐらいまでは雪国の平和が守られていた。
しかし、時代の流れで蒸気機関車が廃れるにつれ、彼らも運用の簡単なディーゼル車にとって代わられることになる。
なにしろ四つの馬鹿でかい機械を操るのだ。先述のロータリー車の不具合もある。運用には相当な人員を割く必要があった。
(余談だが、その中には時に大工や電気技師もいたと言う。理由は、投雪により民家や電線が被害を受ける事が度々あったためとか)
さらに、キマロキ編成の役割を一手に担うDD53の登場もあり、キマロキは次第に姿を消していった。
こうして、彼らは役目を終え、現在では旧名寄本線(現宗谷本線)のとある駅にまるまる一編成が保存されている。
準鉄道記念物に指定され、綺麗に整備されて余生を過ごしているのであった。

めでたしめでたし







さて、今は亡き彼らと国鉄の歴史において、一つ記しておくべきことがある。
あるとき、国鉄の前に白い魔王が立ちはだかった。


昭和38年1月豪雪
通称:三八豪雪

この豪雪について詳しくは項目参照であるが、このときは鉄道も当然大被害を受けた。
一例を挙げると、
上越線経由で新潟と上野を結んでいた急行「越路」が106時間31分もの遅延で上野に到着。』など。
こんなのばっかりで、あるところでは客車が完全に雪に埋れ、かと思えば機関車が雪に乗り上げて脱線など、とにかく凄まじかった。
そんな中、当時の非力なディーゼル除雪車(DD14やDD15)では歯が立つ訳がなかった。
だって、キマロキですら三八に対しては無力だったのだから。

だが、国鉄は諦めるわけにはいかなかった。
道路整備が進んでいなかった当時、特に山間部において鉄道の重要性は今と比較にならないほど高かったのだ。
ライフラインを断つ訳にはいかない。


だから、くっつけた。


しかも、たくさん。

  • 飯山線の場合

ロキキマロキ編成
先頭車にロータリー車。つまり、線路上の雪をラッセルするのは端から諦めて吹き飛ばす方策。
掻き集める以前に線路上に積もりに積もっていたのだ。
機関車も増結して、三つ子と化した。
でも、これはまだ序の口である。


ララキマロキラ編成
第三形態。キマロキをラッセル車が挟んでいる。
ラッセルは諦めてないが、前はなんと二両。当然だが国鉄も必死である。
ちなみに、三八豪雪におけるラッセルについては豪快の一言。
線路上に横たわる雪を、城壁をぶち破らんとする破城槌の如く、機関車を引いてはぶつけていた。
後ろのラッセル車については後述。


ロキヤキマロキラ編成
最終形態。わけがわからないよ。
こちらもラッセルは投げ捨てた。
「ヤ」というのは職用車で、除雪作業員を30人程乗っけていた。
機械の力ではどうにもできないこともある。結局最後に頼れるのは人の力なのだ。
そして、最後尾のラッセル車。
これは、いよいよ前進が不可能になった場合の退却用であった。
当時の状況、そしてそれに決死の覚悟で立ち向かう作業員の様がうかがえる。

こうして彼らキラキラネームの除雪車たちと、全国各地から集めまでした国鉄職員、災害派遣された自衛隊、そして被害を受けた地元の人々……。
皆で一致団結し、日本は地獄の豪雪をなんとか乗り切った。もちろん、爪痕はかなり残ったが。
ピークであった昭和38年1月23日から2月1日までの10日間に運行された除雪車両は驚きの8760本であったという。

この雪との戦争については、「豪雪とのたたかい」というそのまんまの記録映画がある。
某笑顔動画などにアップされているので、気になる人は見てみよう。


追記・修正は除雪が済んでからお願いします。

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最終更新:2024年02月05日 18:47