登録日:2009/12/04 Fri 23:05:24
更新日:2024/12/09 Mon 19:32:37
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生没年不詳。
戦国時代の剣豪。
吉岡憲法とする書物もある。
容姿端麗にして京で染物屋を商い成功する一方、足利将軍家の剣術師範を務める『吉岡流』道場を拡大した御人。
吉岡流はその高い格式により当時の貴族が好んで学んでいた&将軍家お抱えの流派の為、『王者の剣術』と評判は高かったらしい。
しかし順調だった生活に突然終止符が打たれる。
ある日道場にやって来た新免無二斎なる人物(
宮本武蔵の父)と仕合をして惨敗、死亡したという。
(死に不明な点が数多い為、創作ではないかという説もある)
【吉岡流】
《霞》という戦い方が特徴。
霞とは一種の波状攻撃で、『連続して攻撃する事により相手の攻撃を制する』、つまり攻撃は最大の防御といった剣法。
《猫騙し》など、相撲の技を取り入れたりもしていた。
また突き技が多く、室内での戦いに際して効果的な剣技であった。
幕末の新撰組の剣術にも影響を残す事となる。
追記修正お願い致す
- 新免無二斎との試合結果は引き分けとか三本勝負で二本取られたとか、そもそも戦ってないとか諸説あるらしいですね。将軍の庇護を受けた京八流を伝える吉岡家が、何故宮本武蔵のような浪人者と試合をしたのか、の理由付けの創作なのかも知れません。 -- 名無しさん (2014-05-19 17:47:19)
- 現在の吉岡の子孫によると死んで滅んでたら私らと憲法染めはなんであるんじゃいといっとったね -- 名無しさん (2016-12-06 14:32:01)
- 剣術の先生なのに剣法じゃなくて拳法なのね。 -- 名無しさん (2024-12-09 19:32:37)
最終更新:2024年12月09日 19:32