アットウィキロゴ

小林可夢偉

登録日:2010/12/05 Sun 23:45:14
更新日:2026/06/18 Thu 15:27:30
所要時間:約 6 分で読めます



小林可夢偉(こばやし かむい)はザウバー・モータースポーツ所属のレーシングドライバー

生年月日/1986年9月13日
血液型/AB型
出身地/兵庫県尼崎市


経歴

F1時代

9歳からカートを始め実績を残し、フォーミュラ・トヨタを経てヨーロッパへ渡る。多数のフォーミュラカーレースに参戦し数々のレースで入賞や優勝を飾り、2009年のGP2アジアシリーズチャンピオンに輝きその実力を発揮する。
その結果同年トヨタF1チームのサードドライバー(所謂補欠)として起用される。
が、実戦でF1を走る機会はなく、シーズンも残り3戦というところで転機が訪れる。
当時トヨタのレギュラードライバーであったティモ・グロックが第15戦日本GP予選にてクラッシュしてしまい、脊椎を負傷。怪我自体は大したものではなかったが、大事を取って後のレースを欠場することに。
これにより残り2戦を可夢偉がグロックの代わりに戦うことになった。

次戦ブラジルGPで出走。このレースが世界に衝撃を与えた。
F1初レースながら、その時点でのポイントリーダーであり、このレース結果によっては自身初のワールドチャンピオンがかかったジェンソン・バトンを18周に渡って抑え続けたのである。
ちなみに、この時のバトンは念願のワールドチャンピオンが懸かっている大事なレースに、無名の日本人レーサーによる執拗なブロックを受けたことにイライラしたのか、無線にて怒りをぶちまけていた。
まぁ結果的にバトンは5位入賞を果たし、2009年のワールドチャンピオンを獲得したんですが…。


次戦のアブダビGPでも可夢偉は力を発揮する。
順調なレース運びをし、一時的に3位を走行するなどの活躍を見せる。
さらに上記の通り、2009年のワールドチャンピオンに輝いたバトンをオーバーテイクし、またもや注目を浴びることになる。 
この2戦の活躍によって可夢偉はトヨタチームのレギュラードライバーになることが確実かと思われていたが、シーズン終了後に突然トヨタがF1撤退を表明。これには可夢偉も寝耳に水だったらしい。
他チームのシートを探すことになったが、ザウバー・モータースポーツ代表ペーター・ザウバーにその才能を買われ、2010年はBMWザウバーのレギュラードライバーに決定。
シーズンオフの全チーム合同によるテストではマシンも速く、好タイムを連発。更なる活躍が期待された。






いざ開幕してみればマシンの挙動が安定しない、ドライバーのミス、エンジン(フェラーリ製)がザウバーのマシンと相性が悪かったのか故障が多発し、リタイア連発。当初のマシンの状態に関して可夢偉は、「こりゃ最悪のマシンじゃないか」と思わずにはいられなかったと語っている。
だが、シーズン途中にマシンの改良が行われ、前半の8戦までは1ポイントしか獲得できていなかったが、後半戦では31ポイントを獲得しルーキードライバーでは最も多くのポイントを獲得した。
そのドライビングテクニックは世界でも高く評価されており、アグレッシブに攻めることもできれば、レースにおいて重要な要素となるタイヤを管理する能力も比較的優れている。

特筆すべきレースとはしてはヨーロッパGP。予選18位とかなり出遅れたものの、ハードタイヤで53周を走り、残り数周をソフトタイヤで走り切るという大胆な作戦を敢行。
その作戦が功を奏し、残り2周で2005・2006年のワールドチャンピオンであるフェルナンド・アロンソをパスすると、最終ラップの最終コーナーでセバスチャン・ブエミをパス。見事7位でチェッカーを受けた。

初の母国GPとなる日本GPでは予選14位から追い上げを見せ、オーバーテイクポイントとは言えない鈴鹿サーキットヘアピンで5度もオーバーテイクを見せ、7位入賞。現地の鈴鹿のみならず日本全国のF1ファンを熱狂させた。なお、この時の地上波の実況はほとんど可夢偉の応援状態である。


3回目のオーバーテイクの際、マシンに傷を負いながらも果敢に攻め、パスしていく姿は非常に印象的であり、皮肉で有名なイギリスのテレビ局BBCは可夢偉に独占インタビューを行い、解説者から「その走りを変えないでくれ!」と大絶賛された。
そして、2010年イギリスAUTOSPORT誌及びautosport.comの読者投票によって、各モータースポーツカテゴリーで活躍したルーキードライバーの中から選ばれるAUTOSPORT Awardsルーキー・オブ・ザ・イヤーを受賞した。

2011年はザウバーのエースとして活躍。第2戦から5戦連続入賞の日本人記録を更新した他、6戦目のモナコでは最後の最後で抜かれたとはいえレッドブルのマーク・ウェバーを長周回に渡って抑え続け、モナコでの日本人記録更新となる5位入賞と世界に強烈なインパクトを与えた。

2012年もザウバーから出走。ドイツGPで4位に入った他、日本GPでは04年アメリカGPの佐藤琢磨以来となる3位表彰台を獲得した。
が、契約更新はできずシートを失う。シートを得るための資金集めをしようとファンに募金を募ったが、結局F1のシートを得ることは叶わなかった。
返金もできなかったので、一部では乞食と揶揄されることに。
またその年のモータースポーツ分科会からの表彰にて、オートバイ世界最高峰レースMotoGPにて日本人初の2位&国内レースのJSB1000クラス年間チャンピオンを得た中須賀克行氏を差し置いて最優秀選手賞に選ばれたこと(可夢偉は最高3位)からも非難された。

2014年には2年前のクラウドファンディングで集めたお金を携え、ケータハムより復帰するも思うような結果を出せず、更にチーム解散により事実上F1ドライバーを引退した。*1


プロトタイプスポーツカー時代

2015年からはトヨタに復帰しリザーブドライバーとなり以降はWECを中心に、スーパーフォーミュラ、SUPERGTなどにも参戦している。
2016年のル・マン24時間レースでは『TS050 HYBRID』の6号車を駆り、中嶋の5号車を援護するためにポルシェ2号車とバトルを繰り広げるもスピン。
しかし独走する5号車の勝利が確実となり、トヨタ初のル・マン優勝が確定…する筈だった。
残り5分ほどで実況席も勝利を確信していた最中、中嶋が「 I have no power!! I have no power!!」と無線を入れると徐々にスピードが落ちてゆき
最後はホームストレートで力尽きてしまい、ファイナルラップに入るポルシェが横をすり抜け、喚起するポルシェのピットとは真逆に悲痛なトヨタの姿をファンは目の当たりすることになった。
更に『首位がチェッカーを受けて6分以内にチェッカーを受ける』というポイント付与条件も満たせずノーポイントに終わる最悪の結末を迎えた。
その後WEC富士で小林がアウディとの接戦を制し優勝し総合2位となったが、ル・マンでのスピンがなければ総合優勝もあり得たと苦い経験をしてしまった。

2017年以降はコースレコードを更新するなど見せ場を作るも、『偽マーシャル事件』*2の被害者になる、自身のミスやマシン・ピットトラブルに見舞われ
トヨタチームとしては2018年に優勝、その後連覇を重ねるもチームメイトに1位を取られ優勝を逃すなど災難が続いたが、2021年にようやく1位でチェッカーを受ける栄誉を授かった。
またデイトナでもキャデラックのセミワークスでスポット参戦、2019年に1992年以来の日本人優勝、翌年も制覇して日本人初の連覇を達成している。

2022年からはWECのチーム代表兼ドライバーに就任し初年度はトヨタの5連覇を果たすが、2023年はフェラーリに敗れ6連覇を逃し更にその後もフェラーリに連覇されてしまった。
更にチームとしてもル・マン以外でも1位を獲る機会が減っていき、2025年には1勝止まりとなり総合順位でも2位で終えた。

2026年には2021年から使用していた『GR010 HYBRID』に代わる新型『TR010 HYBRID』を投入し、初戦は小林の7号車は3位に甘んじるも1位が7号車となりダブル表彰台。
スペインでは表彰台を逃したが、3戦のル・マンでは予選は下位に甘んじるも決戦仕様だったことと他チームのトラブルや自身もトラブルが発生するも解決し徐々に順位を上げ
チームが勝負どころと見ていた4時間を切ってからトップに躍り出ると一時期はワンツー体制にあった、だが猛追してきたBMWをピット作戦などで順位を維持・上げるなどチームプレイを展開。

特に8号車は最終的にBMWに抜かれるも、2位争いで決死のブロックで7号車を援護、これが功を奏し、7号車を駆る小林は10秒差に迫られるも逃げ切り2度目のチェッカーを受けた。
トヨタとしては6度目の勝利だが、今まではBMWやポルシェと言った有力ワークス不在での優勝だったため「勝って当然」という風潮があったが
2026年は7つもの有力ワークスがいる中で1、3位の表彰台となり真の意味での初の総合優勝と言える結果となった。
また小林は代表兼ドライバーの優勝は1980年代のジャン・ロンドー以来、デイトナとル・マンの24時間レースを複数回優勝した初めての日本人となった。


余談

名前の由来はアイヌ語でを意味するカムイという言葉に、
大な能にする」という願いも込めて、父親が可夢偉と名付けた。どう見てもDQNネームです。本当にありがとうございました。


実家は寿司屋であり、F1ドライバーになれなかったら寿司屋を継いでいたかもしれないと本人は話している。が、可夢偉自身は海老やカニのアレルギーを持っており、触ることすらできないらしい。
しかし、料理の腕は寿司屋の息子だけあって、なかなかのものらしく、イギリスBBCの企画でサーモンの照り焼きを披露したり、チーム関係者に手料理を振る舞った事がある。


彼個人のスポンサーとしてねんどろいどfigmaで有名なグッドスマイルカンパニーが付いている。2011年も引き続き契約し、彼のヘルメットにグッドスマイルのロゴが描かれる。
2012年にはまさかのねんどろいど&figma化が決定。

ディフォルメされつつも凛々しくカッコいい表情をしており、ねんどろいどでの親しみやすさとF1ドライバーのカッコ良さが両立した出来となっている。

また、CS放送の解説者である今宮純によると、2010年のマクラーレンのドライバー候補者リストに名前が挙がっていたとか。これは日本人初である。

フジテレビが公募でキャッチフレーズを発表。「なにわの白い彗星」と名付けられた。

F1引退以降はGT耐久でフェラーリからオファーを受けるなど海外ワークスからの指名も多く、前述のようにデイトナに参戦したほか
2019年のSUPERGT×DTMの交流戦ではトヨタではなくBMW側で参戦するなど、日本人ドライバーとしては活躍する機会が多い。





追記・修正お願いします。

この項目が面白かったなら……\ポチッと/

最終更新:2026年06月18日 15:27

*1 一応翌年ホンダがF1に復帰した際にドライバーを望む声があったが無縁で終わった

*2 首位を走っていたが勝手に入り込んだアマチュアドライバーがゴーサインを出し、本物のマーシャルと勘違いして発進し結果的にクラッチを壊してリタイアになった事件