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徐隗と徐泰

登録日:2011/05/24 Tue 19:55:25
更新日:2026/08/12 Wed 14:09:53
所要時間:約 3 分で読めます




徐隗(じょかい)徐泰(じょたい)」は中国に伝わる説話集「捜神記(そうじんき)」に収録されている説話の一つ。



~徐隗と徐泰~


昔々、嘉興(かこう)という土地に徐泰という人がおりました。
徐泰は幼い頃に両親を亡くしてしまい、身寄りを失いましたが、叔父である徐隗が「この子は私が育てる」と引き取り、我が子同然に育てることになりました。

徐隗は徐泰を、それはもう実の子供以上に可愛がっていました。
食べる物が少ない時には自分の分を譲り、寒い夜には自分の着物を掛けてやり、勉強や礼儀作法も根気よく教えました。
徐泰もそんな叔父を心から慕い、「いつか必ず恩返しをしたい」と日頃から考えていたのです。近所の人々も「あの叔父と甥ほど仲の良い者はいない」と口をそろえて褒めるほどでした。

ところがある時、その徐隗が重い病気にかかってしまいました。痛風よりおたふくよりゲソニンムルゴボング病より重い病気です。
日ごとに顔色は悪くなり、食事も喉を通らず、医者を呼んでも薬を飲ませても一向によくなる気配がありません。

徐泰は昼も夜も叔父のそばを離れず、汗を拭き、水を飲ませ、薬を煎じ、寝ずの番までしました。それでも病状は悪くなるばかりで、徐泰は「どうか叔父さんだけは助かってください」と神仏に祈る毎日を送っていました。しかし願いもむなしく、徐隗は日に日に衰弱していきます。

そんなある夜中のことです。

看病疲れでうとうとしていた徐泰のの中に、一艘の船がゆらゆらと現れました。船には見知らぬ男が二人乗っており、どこか役人のような、それでいて妙に気の抜けた雰囲気を漂わせています。
そして徐泰の前まで船を寄せると、二人はまるで近所の知り合いに話しかけるような調子で言いました。

「う~す、ち~っす。突然だけどキミの叔父さんね、死んじゃうんだよ~。」

あまりにも軽い口調で重大なことを告げられ、徐泰は頭が真っ白になりました。

「えっ!? そんな……どうしてですか!」

すると二人の男は一冊の簿書を取り出しました。簿書とは人の寿命が記されている地獄の帳簿で、言ってしまえばあらかじめデスノートのようなものです。そこには確かに「徐隗」という名前が書かれていました。

ということは、この二人は死神様なのでしょうか。

「なんで徐隗のおじさん、こんなすぐ死んでしまうん……? 叔父さんは悪いことなんてしていません。お願いです、どうか助けてください!」

徐泰は必死で頭を下げ、何度も何度も頼み込みました。叔父がどれほど自分を大切に育ててくれたか、自分がどれほど恩を感じているかを涙ながらに語り続けます。その真剣な姿に、二人の男も顔を見合わせ、少し困ったような表情を浮かべました。

「そうねぇ……。」

一人が帳簿をめくりながら首をひねります。

「キミの住んでる所に、他に『隗』って人がいたりしない?」

徐泰はしばらく考えたあと、はっと思い出しました。

「アッハイ。張隗という人がいます。」

すると二人は「なるほど」とうなずき、もう一度帳簿を見比べながら何やら相談を始めました。

「うーん、名前が似てるし、こっちでも問題ないんじゃなイカ?」

「まあ現場判断ってことで。」

そして徐泰に向き直ると、こう告げました。

「それならその張隗という者を連れていくとしようじゃなイカ。お主は叔父によく仕えているし、その孝行ぶりを思えば、当然徐隗を生かすべきでゲソ。」

そう言い残すと、二人の男も船も、夜霧に溶けるようにすうっと姿を消してしまいました。

翌朝、徐泰が飛び起きて叔父の寝床へ向かうと、不思議なことに昨夜まで苦しそうにしていた徐隗はすっかり熱が下がり、顔色も見違えるほどよくなっていました。食事も取れるようになり、その後はみるみる回復して、以前と変わらぬ元気な姿を取り戻したのでした。

夢だったのか、それとも本当に冥界の使者が現れたのかは誰にも分かりません。しかし徐泰の叔父を思う心が天に届いたことだけは、きっと間違いなかったのでしょう。

めでたしめでたし。


張隗の行方は、誰も知らない



設立の背景


これは魏晋南北朝…すなわち三国志五胡十六国時代に文化として怪談話が流行った。
それらをまとめた「捜神記」は東晋の干宝(かんぽう)によって書かれたものである。
干宝は呉の出身…すなわち亡命政権である東晋の、地元出身枠として東晋の大重鎮である王導により役人として推挙された。
当時の東晋は北原がゴタゴタゴタゴタしている中でなんとか王導ら西晋出身枠らが主導となってまとまっている状態であったが、その中で「そういや歴史を編纂する史官がいねえなあ」となった。そこで抜擢されたのが干宝である。
未だ地盤が固まっていない東晋にとって地元名士たちの抜擢・融和というのは最重要事項であり、これは英断である。
そして干宝は期待に応えて西晋の国史を上手いこと編纂して評価され、その後も出世を重ねつつ著作活動も行ったという。


その干宝だが、色々身の回りで奇妙な事件が起きていた。

  • 干宝の父である干瑩(かんえい)の寵愛を受けていた侍女が、父の死後に母の嫉妬によって生き埋めにされた。父の死後十年くらい経って母が死んだので気になって父の墓を開いてみたところ、なんとその侍女は生きていた。なんでも「死んだはずの干瑩が侍女の為に食料を持ってきてくれた」という。その侍女はすぐに救い出されたがこの一件によって占いの力を身に着け、別の男の元に嫁ぎ子を生したという。
  • 干宝の兄は病気になって死んだ。…と思ったが、体温が下がることはなかった。どうにもしがたいところであったが、後に兄は目が覚めて「天地の間の鬼の様子を覗いていただけで死んだとは思ってなかった」と話した。どうも仮死状態だったらしい。

こうしたことから怪談話を集めようと発起し「捜神記」を著して同僚である劉淡(劉備と同じ漢皇族の末裔。敵国の皇帝劉琰ではない)に見せたところ、「こりゃあ鬼に対しての董狐の筆(とうこのふで)*1やな・・・でも虚実混じってっからそこは書いとけよ」と最大限の評価を送られつつも助言されたのでそれを序文にしたためた。
この「捜神記」はたちまち大ヒットし、こうして現代にも残る中国的な死神像…「冥府の役人」的な存在というものが出来上がったのである。干宝はヒットメーカーとなり他にもいくつかの著作を世に送り出したが、残念ながらそれらは現代にはあまり残っていない。


ちなみに「捜神記」内での死神の話は他にもあるのだが…それは別のことである。




追記・修正は似たような名前の方が代わりにお願いします。

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最終更新:2026年08月12日 14:09

*1 権勢に屈することなく真実を記したという故事