登録日:2009/06/28 Sun 16:29:29
更新日:2025/02/03 Mon 23:59:02
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東京医科大学は、その名の通り東京、新宿に建学されている私立大学。
●目次
【概要】
1916年(大正5年)に創立された。通称、東医また東京医大。
キャンパスは新宿御苑と西新宿にある。
八王子と
茨城県阿見町に分院を持つ。
医科大学という名の通り、学部は医学部のみ。
学科は医学科と看護学科があり、医療に関する人物を育てることに精通している大学とも言えるだろう。
薬学関係の学科は現在無いようだが。
現在は、公共財団法人として癌研究事業団等を設立したり、東京蒲田医療センターや立川綜合病院などとも繋がりが深い学校でもあるという。
【この大学の沿革】
設立されて100年以上の歴史を持つ本大学だが、珍しい経緯で誕生した。
時は1916年(大正5年)、日本医学
専門学校(今の日本医科大学)の学生450名あまりが学校側と対立したことによって同盟退学を行い一斉に学校から去って行った。もし今そんなことがあれば騒ぎになってニュースにも取り上げられる事態だろう。
このことをクーデターなんて面白がっていた人もいたようだが
そして自分達の理想を実現するという熱意に燃えていた彼らは新校設立運動を開始、同年9月には東京物理学校(今の東京理科大学)の教室を借りて講習所を設立、この大学の前身となる場所を作るに至ったのである。
それから約2年後、「高橋琢也」という政治家が同郷の人物から上記の学生たちの活動を知ってその境遇に同情したことから活動を支援、自分の私財を投げうって新校を設立する為に全国を奔走するのだった。
その支援者の中には、森林太郎(鷗外)氏や原敬氏、犬養毅氏、大隈重信氏、渋沢栄一氏等、国語や日本史を勉強していたら聞いたことのあるような著名人の方々がいた。
この支援が功を奏したことで、「東京医学専門学校」として認可されて設立が叶うこととなる。
同時に高橋氏は、学校の理事長に就任するに至った。
それまでは専門学校という体だったが、1946年に現在の東京医科大学に昇格している。
【余談】
卒業生には、ゲームクリエイターの鈴木孝成氏やジャーナリストの岡村昭彦などがいる。
「CAR-T(カーティー)細胞療法」という攻撃性を高めた免疫細胞によって癌を治療する方法がある。高い治療効果こそあるのだが、それには副作用が発生してしまい発熱など、酷い場合は低血圧や呼吸困難にまで陥ることもあるという。この副作用を抑える技術を研究し、治療法の本格的な実用化に向けて動いているのもこの大学の教授たちである。
気になる人は調べてみるといいだろう。
追記、修正お願いします。
- この項目の存在意義は一体…? -- 名無しさん (2014-08-18 14:46:42)
- クーデターわろた -- 名無しさん (2014-08-18 17:50:38)
- 薄くないか? -- 名無しさん (2017-06-11 20:55:34)
- 加筆修正するにあたって、人物一覧はウィキペディアからの丸パクリだったのでごっそり削除させていただきました。悪しからず -- 名無しさん (2025-01-23 15:16:05)
最終更新:2025年02月03日 23:59