横須賀市旧日本海軍爆雷爆発事故

登録日:2012/03/30(金) 13:18:26
更新日:2022/10/18 Tue 10:31:31
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横須賀市旧日本海軍爆雷爆発事故

2000年8月、神奈川県横須賀市内川にあるスクラップ工場で発生した事故。

その内容は、工場内で金属の裁断作業を行っていたところ、突然に裁断機が爆発したというもの。
普通は“崩れる”程度で済む筈の工場の建て屋が四方八方に“吹き飛び”、廃車のガソリンが燃え上がった他、
作業員一人が片足を吹き飛ばされる重傷を負うほどの大惨事となった。



その爆発は凄まじく、工場の建て屋に使われていたトタンや工場に保管されていた鉄屑やその他もろもろが、半径一キロに渡って散乱する程だった。
被害はそれだけに留まらず、
  • 付近の他の事業所や民家の窓ガラスはことごとく粉砕
  • 車三十台以上が破壊(その内五台が大破・全損、六台が中破、あとは全て窓ガラスが全て吹き飛ぶ)
  • お隣のウラン燃料濃縮製造施設にて保管中の、低レベル放射性廃棄物を密封したドラム缶が転がる。
  • 建物の工場に面した窓が、サッシごとなくなる
など、大変なこととなった。
現場には横須賀市のほか、三浦市、葉山町、逗子市、横浜市の消防と県警の救助隊員が駆け付け、さながら戦場のような有様となった。


消防や警察は、当初はプロパンガスのボンベか石油系燃料の爆発と考えていた。
しかしそれにしては爆発の規模が尋常ではない……ということで、四方八方に飛び散った鉄屑などの調査が開始される。

その結果、工場から600メートルほど離れた空き地に、見慣れない金属片が発見される。
それを鑑定したところ、金属片の正体が「旧海軍が太平洋戦争中に使っていた、潜水艦を攻撃するための爆雷」だと判明した。

工場の事務所に残っていた資料によれば、横須賀市野比地区に建っていた老人ホームの建て替え工事の際、
バラされた建材に紛れて件の爆雷が搬送されたとのことらしい。
現場作業員の証言からすると、少なくとも二つが工場に運び込まれていたということになる。


老人ホームが建てられる前のここには、「日本海軍対潜及び潜水艦学校」があった。
同時に兵器である爆雷が多数保管されていたが、戦後のどさくさ紛れに信管を抜いた上で、土に埋めていたらしい。
幸いにも信管が抜いてあったため、老人ホームの建物が建っていたときは爆発しなかった……のだが、
工場でそれと知らず裁断された際、その衝撃で爆発してしまったと断定した。
爆発しないまま見つかったもう一つの爆雷も、アスファルトの上に落ちていたら危なかったらしい。



ちなみに、この老人ホームからはさらに五つの爆雷が見つかっている。この事実は付近の住民を恐怖におののかせることとなった。

この件に関しては、後に工場を経営している会社側が、国に損害賠償訴訟を起こす運びとなる。
その結果、2006年に一億二千万円を国が支払うべしとの判決が最高裁から下された。



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最終更新:2022年10月18日 10:31