ロナウド・ルイス・ナザリオ・デ・リマ

登録日:2012/09/01(土) 17:33:30
更新日:2023/06/17 Sat 20:15:36
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ロナウド・ルイス・ナザリオ・デ・リマは、1976年9月22日生まれのブラジルの元サッカー選手である。
90~00年代を代表するストライカーで、「フェノメノ(超常現象)」と称された。
一般的にロナウドと呼ばれるが、10年代以降においてはクリスティアーノ・ロナウドの台頭によって混同されやすくなっている。


【経歴】

94年に18歳でオランダのPSVへ渡り、そこでの3シーズンで42ゴールを挙げ、その活躍を認められて翌年にスペインの名門バルセロナに加入。

在籍は1シーズンだけだったが、37試合で34ゴールをマークし、見事得点王を獲得。
翌年に加入したインテルでは最初のシーズンに25ゴールを挙げ、2年連続のFIFA世界最優秀選手に選出された。

しかし、そんなロナウドを悲劇が襲った。
99年のリーグ戦で右膝の靭帯を断裂する大怪我を負い、なんとか復帰したものの00年に再び同じ箇所を断裂し、選手生命の危機に立たされた。

だが、サッカーの神はロナウドを見捨てることはなかった。

2年近くに及んだリハビリの末、02年に復活を遂げ、同年8月にレアル・マドリードへ移籍。
23ゴールを挙げてリーグ優勝に貢献し、5年ぶりにFIFA最優秀選手にも選ばれた。
その後のシーズンでも高い得点力を発揮していたが、運動量の少なさなどから批判を浴びるようになり、07年にACミランへ移籍した。
そこでチャンピオンズリーグ出場権獲得に貢献すると、シーズン終了後にミランを退団してブラジルへ戻り、2011年2月に現役を引退した。

このように復帰後の実績も確かなものだが、時代を代表する選手と評されながらトップレベルの環境で万全のプレーができた時期が極めて短いという点では悲運の天才である。

現役引退後は選手の代理人やTV解説者として活動していたが、2018年にラ・リーガ所属のレアル・バジャドリードの会長に就任、クラブ経営者の顔を持つこととなった。
2021年には自身の古巣であるブラジルのクルゼイロECも買収している。

【ブラジル代表】

94年のアメリカW杯に17歳でメンバー入りし、出場機会は無かったが優勝を経験した。
96年のアトランタ五輪にもリヴァウドやロベルト・カルロスらとともに出場したが、準決勝で敗れた。
98年のフランスW杯では準決勝までに4ゴールを挙げていたが、決勝前日に突然の体調不良に見舞われ、満足なプレーができずにフランスに敗れた。
この体調不良の原因は今もなお謎に包まれている。

前述の大怪我により02年の日韓W杯への出場を危ぶまれていたが、大会直前に代表へ復帰。
迎えた本大会では7試合で8ゴールを挙げて得点王に輝き、ブラジルの2大会ぶりのW杯優勝の原動力となった。

06年のドイツW杯にも出場し、3ゴールを挙げてW杯の大会得点記録を更新した。
(この記録は8年後クローゼによって更新された)

【プレイスタイル】

爆発的なスピードと華麗なテクニックで相手ディフェンスを置き去りにし、左右両足から放つ正確無比なシュートでゴールを量産するストライカー。
故障後はスピードは無くなったものの、卓越した得点力は失われることはなかった。




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最終更新:2023年06月17日 20:15