秋津列島の姫巫女、鈴華は自室にて読書をしていた。今、秋津で流行っている『桜犬道中絵草紙』という娯楽小説だ。かつて姫巫女候補だった公家出身の友人から「面白いからお勧めだよ」と茶目っ気満載の手紙と共に贈られてきたのだ。当初は所詮架空の物語だと侮っていた鈴華だったが読んでみるとこれがなかなか面白く頁をめくる手が止まらなくなるのだ。その上思ったよりも頁の量もあるため公務の合間を縫って読み進めるために徹夜してしまうこともあるほどだ。だから、背後にある人物が迫ってきているのにも気づけなくても仕方がなかったのだ。
「鈴華様、また寝てなかったのですね」
「は、春……春弥! いきなり声を掛けてくるではない! というより乙女の部屋に勝手に入ってくるな!」
鈴華はあわあわしながら春弥を𠮟りつける。しかし春弥はどこ吹く風といった様子だった。
「そうはおっしゃられてもそろそろいつもの舞の時間です故に。それに最近公務中にあくびをされているのが気になったのでもしやと思いましたが……やはり夜更け、いや夜明けまで起きていらっしゃいましたね」
「え、もうそんな時間!? そして気づかれてた?!」
「え、もうそんな時間!? そして気づかれてた?!」
春弥の指摘に鈴華は気まずさを覚える。確かに最近公務中に眠気に襲われたりあくびをしたりすることが増えたのは事実だからだ。しかし、鈴華からすれば友人から送られてきた娯楽小説が面白いのだから仕方ない。そういう思いでいた。
「こ、これは仕方がない事なのだ。この『桜犬道中絵草紙』を読み進めるためには睡眠時間を削らねばならぬのだ! そ、それに公務中に居眠りはしていないのだから何も問題はないであろう!」
「いえ、問題大ありです」
「いえ、問題大ありです」
春弥はそう言って鈴華に近づき頬に触れる。鈴華は奇妙な悲鳴を上げて赤面する。
「鈴華様の健康と美容に関わります。睡眠不足で命を落とすものもいるんですよ。実際に犬山家ではそれが原因で早死にした人間もおりますので……。何より鈴華様の美しいお顔に隈は似合いませんよ」
春弥は顔を近づけ鈴華の目の下の隈に注目する。しかし鈴華からは春弥の顔を間近まで近づけられたためとても緊張していた。整った顔立ちだと内心逃避気味に考えるほどだ。
「とにかく、鈴華様の健康と美容のためにも護家人としては無駄な徹夜は容認できません。読書に夢中になるのもいいですがしっかり寝てください。いいですね」
「う、うむ……分かった……」
「う、うむ……分かった……」
春弥は自身の顔を鈴華から離しながらお説教をし、鈴華は不満げに了承した。しかし不満げな様子を見逃す春弥ではなかった。
「……そんなに徹夜をされたいようでしたら今日から就寝するまで僕が添い寝をいたしましょうか。それが良いですね。そういうわけで今日から夜はご一緒させていただきますね」
「待て待て待て待て! 未婚の男女がそれをするのは問題があるから! 大分不純だから! 分かった! しっかり寝るから! 徹夜しないから!」
「待て待て待て待て! 未婚の男女がそれをするのは問題があるから! 大分不純だから! 分かった! しっかり寝るから! 徹夜しないから!」
一人自己完結しことを進めようとする春弥を止めつつ鈴華は赤面し言いつけを守ることに同意した。春弥が若干残念そうにしている事には気づかなかった。
おまけ
「しかし鈴華様が娯楽小説を読みふけるとは……。正直に言うと驚きです。てっきりそう言ったことには興味がないかと思っておりました」
「しかし鈴華様が娯楽小説を読みふけるとは……。正直に言うと驚きです。てっきりそう言ったことには興味がないかと思っておりました」
娯楽小説を手に取りながら春弥は思ったことを素直に言葉にする。
「まー良く言われるがわらわとて公家なのだ。こういったことにも手を出さねば他家の子女から陰で笑われかねん。故にこういった流行り物にも手は出しているのじゃ」
ともすれば不敬にもなりかねない春弥の発言を気に留めずに鈴華は答えた。公家の子女は以外にもこういった娯楽に飢えている。またいろいろ知っている自分はいい女であるという拍付にもなるのだ。それ故に姫巫女になる前までは他家の子女との交流のためにも一通りの娯楽に精通する必要があった。そのため家の者にいろいろ頼みつけたものだ。
「最近は姫巫女としての責務故にこういった娯楽から離れていたのだが贈られてきたものを放置するのも悪いと思って読んでたのじゃ。そしたら思ったよりも面白くてな……」
「あぁ、はまってしまったのですね」
「端的に言えばそうなる。しかしこの娯楽小説は中々に良いものじゃ。文章は綺麗だし語彙に遊び心が込められておる。それに話運びに緊張感と面白さを持たせつつ、現実味を帯びた描写も両立しておる。まるで実際に現場を見てきたかのような……」
「あぁ、はまってしまったのですね」
「端的に言えばそうなる。しかしこの娯楽小説は中々に良いものじゃ。文章は綺麗だし語彙に遊び心が込められておる。それに話運びに緊張感と面白さを持たせつつ、現実味を帯びた描写も両立しておる。まるで実際に現場を見てきたかのような……」
笑みを浮かべて『桜犬道中絵草紙』を絶賛していた鈴華だったがなぜか途中で褒めるのを止めた。そして何かに気が付いたかのように顔を青ざめさせる。春弥は首を傾げる。
「どうかされましたか?」
「い、いや……ふと、、気になることができてな……」
「い、いや……ふと、、気になることができてな……」
春弥の疑問に鈴華はぎこちない動きで彼の方に青ざめた顔を向けながら答える。
「この小説の姫巫女と護家人、それら関連の描写がな、実際にわらわらが経験してきたことと比較して怖いくらいに一致してるのじゃ。まるで見てきたか体験してきたかのような……」
鈴華の言葉につられ春弥も顔を青ざめさせるのであった。