故郷を追い出された日 - アルカナアリアwiki

　テネブル＝イルニアス軍団国によるシルフィーヌ二世誘拐未遂事件から五日が経とうとしている。その間、シルフィーヌ二世は引きこもっていた。誘拐されかけた際の出来事が彼女の心に傷と恐怖を刻み込ませたからだ。外界を拒むようにシルフィーヌ二世は部屋に籠り続けた。アルヴォス＝シルヴァもエルニア皇族派のエルフ達も、彼女の護衛を担う近衛騎士も彼女を心配する暇もなく、誰も顔を見せに来なかった。シルフィーヌ二世にとっては都合が良かった。誰にも会いたくなかった。しかし――――――。

「シルフィーヌ様ー、ご飯を持ってきたから一緒に食べよー」

　エイダは能天気な様子を見せながら彼女の部屋に入ってくる。許可は出していないが勝手に構ってくるのだ。シグルもそうだった。彼女の様子に構うことなく彼女の部屋に入り込んでは傍に居ようとする。一週間ずっとそうし続けている。

「……どうして、私に構うのですか……？」

　シルフィーヌはエイダに震える声で尋ねる。本音としてはわずわらしいと思っている。いつもと変わらない様子で自分に接してくるエイダとシグルが。二人が何を考えているのか分からない。それが怖くて仕方がなかった。

「……今頃シルヴァも皇族派も私を玉座から降ろすことを検討している頃合いでしょう？　こんな弱い皇帝などエルニア帝国には必要ないと、彼らはそう考えているはずですよ？　私みたいなエルフを担ぎ上げる価値なんてないと……」
「うーん、そういうのはどうでもいいからご飯食べよ？」

　シルフィーヌの弱音に構うことなくエイダはいつも通り振舞い隣に座ってくる。そんなエイダにシルフィーヌは苛立ちを覚えた。

「……もう私に構う価値なんてないって言ってるのですよ！？ どうして……！ どうして私にそんなに優しくするのですか？！ こんな弱くて頭も悪くて……何の価値もない私に……どうしてそんな風に構うんですか貴女は…………貴女達は！」

　沸き立つ感情に流されるがままシルフィーヌはエイダに八つ当たりをする。そしてエイダの驚いた表情を見て我に返る。

「……もう、私に構わないでください……。私に……私なんかに、優しくされる価値なんてないのですから……」

　惨めになったシルフィーヌは膝を抱き俯く。殻にこもるようにただひたすら己を閉じ込めようとする。そんなシルフィーヌをエイダは優しく抱きしめる。

「優しくするかどうかはアタシの勝手。アタシがシルフィーヌちゃんに優しくしたいから優しく接するし、甘やかしたいから甘やかしてる。シルフィーヌちゃんの都合なんて関係ない。アタシの自己満足だよ」

　シルフィーヌを抱き締め頭を優しく撫でながらエイダは言葉を紡ぐ。しかし、シルフィーヌはそんなエイダを拒絶しようと口を開く。

「私に……そんな資格なんか……価値なんか……！」
「アタシがシルフィーヌちゃんにそうする価値を見出してる。資格なんていらない。アタシがそうしたいからしているだけ。だからさ、シルフィーヌちゃんが気に病む必要なんてないし余計なこと考えなくていいんだよ」

　しかしエイダはその拒絶を物ともせず彼女の言葉を遮る。大切な物を扱うように優しく抱き締めたまま。

「アタシはシルフィーヌちゃんに一目惚れしたんだ。だからどれだけ拒絶されても、嫌がられても、アタシはシルフィーヌちゃんの傍にいて甘やかすし優しくする。アタシがそうしたいんだ。文句なんて言わせないから。アタシはシルフィーヌちゃんの味方でいるから」

　エイダの言葉がどうしようもなく優しくて、それがシルフィーヌには耐えられなかった。彼女は抱き締められたまま静かに嗚咽した。エイダは何も言わずにシルフィーヌに寄り添い続けた。

　翌日の早朝、シルフィーヌは一糸纏わぬ姿で水浴びをしていた。引きこもるのを止めたのだ。たとえ玉座から引きずり降ろされるとしても閉じこもるのはやめようと考えたのだ。そうしなければエイダに優しくしてもらう価値が自分からなくなると思ったから。
　そんな時だった。視界の端に人の姿が映った気がした。思わずそちらを向いた。そこには透き通るような金髪を靡かせた不思議な雰囲気を漂わせる幼い少女が立っている。少女はシルフィーヌをじっと見つめ、いたずら気に微笑む。

「……見つかっちゃった」

　そう言って木々の向こうへ姿を消す。シルフィーヌは思わず少女を追いかけた。理由は分からない。ただ、そうしなければならないと考えたのだ。草木を掻き分け息を切らしながら走って開けた場所に出た。しかし、少女は見つからなかった。まるで幻を見たようだった。そしてふと人の気配に気が付いた。そちらに視線を向けると剣を片手に構っているシグルの姿があった。目を見開き赤面したまま自分の方を見つめていた。シルフィーヌはそこで思い出した。自身が先ほどまで水浴びをしていたこと、そして何も身に着けていなかったことを。

「み、見ないでください！」

　シルフィーヌは体を手で隠しシグルに背を向ける。とても恥ずかしかった。

「す、すまん……」

　シグルは赤面したまま顔を背けた。なんといえばいいか分からず、一言謝罪して押し黙る。しばらくの間、二人の間に気まずい空気が広がった。

　その後、シルフィーヌは簡易的な衣類を纏って再びシグルの前に姿を見せた。先ほどの出来事を引きずっていたため顔を赤らめ視線をそらしている。シグルもなんとなく気まずいためシルフィーヌを直視できなかった。

「その……、すみませんでした。先ほどのことといいこの前のことといい、御見苦しいものを見せてしまいまして……」
「み、見苦しい事なんてないぞ、うん……。正直、その……綺麗だというか……」

　シルフィーヌの謝罪にシグルはしどろもどろしながら答える。しかし、シグルの反応にシルフィーヌはさらに恥ずかしくなった。

「……先ほどの事は忘れてくださいね……」
「お、おう……」

　とはいえ、シグルは忘れられそうにないと内心独り言ちるのであった。

　その後、エイダを交えて三人で朝食を取った。とはいえシグルとシルフィーヌは気まずいままであった。シルフィーヌは裸を見られたことを、シグルはシルフィーヌの裸を見てしまったこと、そのことで頭がいっぱいであった。エイダは一人怪訝に思ったが、特に何もつつくことはしなかった。

　そして朝食後、シルフィーヌはトルーヴ姉弟を連れて宮殿まで移動する。この後、皇族派からの皇位剥奪を予想しながら、しかし、それは裏切られることとなった。
　宮殿にはシルフィーヌ護衛を担う近衛騎士団とアルボス＝シルヴァ、そして時期シルヴァとされるエルフと数人のウッドエルフがいるだけであった。三人が疑問に思っているとアルボス＝シルヴァが重々しく口を開いた。

「シルフィーヌ様を玉座から降ろし別の者をエルニア帝国皇帝の座に就かせる、皇族派の者たちとここ数日そのような議論をしていた。しかし、それどころではなくなった。国境付近でテネブル＝イルニアス軍団国の兵士たちが何やら怪しい動きをしているとの情報を掴んだ。恐らく本格的にこの国に侵攻するつもりだろう」

　その報告に三人は息を呑んで驚く。

「エルニア帝国の戦力では奴らの攻勢に耐えられない。奴らとは兵士の練度が違う。悔しいがそれが現実だ。故に、我らウッドエルフ派は一つの決断を下した」

　アルボスが言葉を区切り咳払いをする。そして、シルフィーヌにとって衝撃的な言葉を告げる。

「シルフィーヌ様には儂が、現シルヴァが選出した者たちと共に国外へ脱出していただく。それ以外の者たちはこの森に残り脱出までの時間を稼ぐ。皇族派はあくまで自分たちがエルニア帝国の後継であるつもりだ。最前線で奴らの侵攻に備えている」

　シルフィーヌは思考停止した。シルヴァが何を言っているのか分からなかった。その間にシルヴァはトルーヴ姉弟に何かを手渡した。

「我が森で時折採掘される貴重な樹結晶だ。二人にはシルフィーヌ様脱出の手伝いを依頼したい。その後は自由にしていただいて構わない。この樹結晶は報酬の先払いと捉えて頂きたい。売れば金にはなるし何かしら使い道はあるはずだ。どうか我が陛下を脱出の間だけでも守ってほしい」

　そう言ってシグルとエイダにシルヴァは深く頭を下げる。

「……いやです」

　シルフィーヌの口からぽつりと言葉が零れる。その場にいた者たち全員が彼女の方へ視線を向ける。

「ここは私の国です。生まれ育った故郷です。お姉ちゃんとの思い出が詰まっている場所です。私も戦います。戦いますから、私を逃がそうとしないで……」
「お前を戦力に数えるわけにはいかんよシルフィーヌ。血のつながりのない可愛らしい我が孫よ」

　シルフィーヌの言葉をシルヴァが遮る。そしてシルヴァは優しくシルフィーヌを抱き締めた。

「これが今生の別れとなる。お前には散々負担を懸け続けた。立場を理由にお前の味方でいることはなかった。許さなくていい。恨んでくれていい。だからお前は逃げよ。逃げて生き延びてくれ。自由になっていい。奴らにお前を弄ばれるよりはずっといい」
「いやです。許します。恨むことなんてありません。だからそんなことはもう……」
「お前には厳しく当たり過ぎた。済まない」

　シルヴァはシルフィーヌから身を離しシグルにシルフィーヌの身を預ける。そしてトルーヴ姉弟と脱出に随行する面々に視線を向ける。

「孫を頼む」

　それだけ言い残し彼らから背を向け宮殿を後にしようとする。それをシルフィーヌは止めようとする。

「いやです！ やめて！ 私を逃がそうとしないで！ 置いて行かないでよ！ 私を一人にしないでお爺ちゃん！ お爺ちゃん！」

　シルフィーヌは泣きながらシルヴァを引き留めようとするが近衛騎士に抑えられトルーヴ姉弟共々連れられて行く。

「お爺ちゃん……！ お爺ちゃん！！！」

　シルフィーヌの悲痛な叫びを耳にしながらアルボス＝シルヴァは悲しみと後悔の入り混じった表情を浮かべすぐさま切り替えた。そして、宮殿を後にし最前線へ向かうのであった。その目には戦意とダークエルフに対する敵意が宿っていた。