「……さっきから糸を垂らしちょっが全く釣れんな」
「……そうだねー……」
昼下がり、山を流れる川に釣り糸を垂らしながら川岸に腰を下ろす人族の男とエルフの二人。人族の男は名を西郷利秋と言い極東の伝統的衣装を纏い腰から刀を下げている。エルフの女は名をアリス=ノーレッジと言い全身を覆う服装で杖を抱えている。縁会って行動を共にしており、空腹を覚えたこと、近くに川が流れていたことから所持していた食料の消費を抑えるべく魚を釣り上げて食事をとろうと考えた二人であったが釣果がない様子であった。
「……川上ん方に向かってみるか。そこでなら魚がかかっかもしれん」
釣竿を水面から上げて立ち上がりながら口を開く西郷。アリスも同意の意を示し首を縦に振りながら立ち上がる。二人で川上の方へ向かおうと歩き始めたところ川の方へ視線を寄せていたアリスがあっと声を上げる。西郷もそれにつられて視線を寄せたところ、川の水面に人が浮かんでおり流されている姿を目撃した。
「……人が流されてる?!」
大声を挙げ顔色が青ざめていくアリス。
「桃ん代わりに人が流れちょっとはまっで御伽噺のようだ」
慌てふためく彼女とは正反対に落ち着いた様子で感想を呟く西郷。釣り竿と荷物、下げていた刀を地面に置きふんどし以外の衣類を脱いでいく。それを見たアリスは顔を赤らめながら手で覆う。
「な、何を?!」
「助くっと」
そう言い残して川へ飛び込み泳いでいく。そして流されていた人間を助け難なく川岸まで戻ってきたのだった。
川岸まで戻ってきた西郷は流されていた人間を地面に降ろした。ジャケットを羽織った若い少年のようだ。右手には大剣が固く握られている。アリスと共に生死を確かめるべく手首に指を当て脈を測る。脈拍を指先の感覚でとらえたことから生存を確認したアリスは応急処置をしようとしたところで少年はゴホゴホと咳き込み意識を取り戻したようだ。
ひとまず生きているようで安堵するアリスをよそに西郷は少年に対して声をかける。
「おまんさ、大丈夫か?」
「……ああ、何とか」
西郷に声を掛けられた少年は咽ながらも返事を返す。
「俺は西郷利秋、こっちの女子はアリス=ノーレッジじゃ。おまんさ、名は何という?」
「レクト=ギルノーツ。アンタ極東の人族か」
「そうじゃっど。アリスはエルフじゃ。それよかレクト、なぜ川を流れちょっとじゃ?」
西郷に問われレクトは事情をかいつまんで話した。旅をしている事、山越えの途中で魔物の巣を見つけたこと、巣の中の幼体を殺して後の脅威を潰そうとしたこと、その後で群れに遭遇して追いかけられた挙句足を滑らせ崖から落ちたことを一通り。それを西郷とアリスは黙って聞いていた。
「なぜそんな無茶を?」
「山のふもとに村があるんだ。魔物に襲われて困っていた。だから放っておけなくて……」
それを聞いた西郷は一言言い放つ。
「腹を斬れ、レクト=ギルノーツ」
三人の間で空気が固まる。アリスとレクトは目をむきながら西郷を見て、西郷はレクトを険しい表情でじっと見つめる。
「な、何を言ってるの西郷?!」
最初に沈黙を破ったのはアリスだった。
「何ってこの少年、脅威ん排除に失敗したど。腹を切ってしかっべきじゃろ?当然の常識じゃ」
「それは極東の常識です! 若い子になんてことを言うのですか貴方は!?」
何を当然なことをと言わんばかりな西郷に対して勢いよく反論するアリス。とはいえ西郷はただ失敗したから腹を斬れと言っているわけではない。魔物の巣に手を出した。ここまではいい。
「中途半端に群れを残す。これはいかんぞ。下手すればちょっかいを掛けられたこっでより狂暴化すっ可能性が高か。野生ん獣と同じじゃ。魔物に怒りを収むっちゅう選択肢はなか。怒りが収まらん群れによって山んふもとん村や山越えをすっ旅人に被害が及びかねん」
「確かにその可能性は捨てきれないけど……」
「故に腹を切っべきじゃ。腹を切って詫ぶっとじゃ」
「結論が極端! 極東の責任の取り方は腹切りしかないの?!」
責任の取り方で言い争う二人に対してレクトは静かに言葉を告げる。
「腹は斬れない」
その言葉を耳にした西郷とアリスはレクトの方をじっと見つめる。
「オレはまだ死ねない。まだやらないといけないことがあるんだ。だから死ねない、腹を切ることなんてできない」
瞳に強い決意と暗い影のような負の感情を宿し険しい表情で西郷の言葉を突き返すレクト。——————こんな若い子がなんて目をしているの? アリスは気おされ息をのむ。西郷もアリスと同様に二の句を告げずにいる。三人の間を沈黙が支配するもアリスが口を開きそれを破る。
「だったらこういうのはどうかな?中途半端に魔物の群れを残しているのがいけないのでしょう?」
アリスに注目するレクトと西郷。二人に対して彼女は崖の方を指差す。
「今すぐ私たち三人で残っている群れを討伐するの。これなら腹を斬らなくても責任はとれると思うの」
アリスの提案を受け入れ三人で即席のパーティーを組むことにし、魔物たちと遭遇した場所まで山を登っていく。その間、レクトはアリスと西郷に遭遇した魔物の情報を伝える。事前に情報を共有しておくのは冒険者たちにとっては重要なことなのだ。情報の有無で今後の命運を左右するとも言っていい。即席のパーティーを組むのならなおさら共有すべきなのだ。
アリスの提案を受け入れ三人で即席のパーティーを組むことにし、魔物たちと遭遇した場所まで山を登っていく。その間、レクトはアリスと西郷に遭遇した魔物の情報を伝える。事前に情報を共有しておくのは冒険者たちにとっては重要なことなのだ。情報の有無で今後の命運を左右するとも言っていい。即席のパーティーを組むのならなおさら共有すべきなのだ。
「ひとまずは私の魔法で群れをかく乱してからレクト君と西郷が突っ込む。そこまで複雑な作戦は即席のパーティーでは出来ないから単純に行こう」
アリスの言葉に首肯する二人。簡単な打ち合わせをしながら山を登っていく中、西郷が二人を制止する。
「気配を感ずっ。恐らく魔物じゃろ」
その言葉に各々の武器を構える二人。魔物——————レプタウルフという頭部が異様に肥大化した狼のような魔物——————の群れに見つからないようじりじりと接近していく。
「アリス、頼む」
二人の一歩前に出てアリスは杖を構え呪文を唱え地面に突き刺す。すると群れがいる地面から土の杭が出現、レプタウルフたちを串刺しにしていく。生き残っている個体も突然の事態に動揺しているようであった。その隙を逃さず武器を構えながら突っ込んでいくレクトと西郷。
手始めに西郷が近くにいたレプタウルフ二匹の首を流れるような動作で斬り落とす。レクトは背後から西郷を飛び越え動揺したままの一体を両断、そして襲ってきた個体たちに対し大剣を横薙ぎに大きく振って斬りつけ、または牽制を行い怯ませる。その瞬間をみたアリスはレクトと西郷をよけながら石のつぶてをウルフに向かって放つ。そうして個体間の距離が離され散り散りになったところをレクトと西郷が突撃し次々に斬り倒していく。
そうして魔物たちの群れをどうにか掃討し終えた三人だった。しかし、西郷がアリスの元へ向かおうとしたところ、土の杭によって串刺しにされていた一体のウルフが杭を無理矢理破壊し体に穴を空けたまま西郷に食らいかかる。西郷に注意を促すべく叫ぶアリスだったが間に合わない。その時であった。レクトがウルフに勢い良く近づき肥大化した頭部を斬り落とさずあえて地面に叩きつけ大剣の重量で頭骨を割り絶命させたのだ。振り返り絶命したレプタウルフと大剣を振り下ろした状態のまま警戒するレクトを見て西郷は驚く。
——————こやつ、斬るとじゃなく剣身で叩き潰してしまうとは——————そのような感想を抱く西郷。しかし一連の流れを離れた場所から見ていたアリスは別の事を考えていた。西郷の危機にレクトが間に合うには距離があったのだ。走って間に合う程度ではないはずだった。にもかかわらず間に合いレプタウルフを絶命させた。そのことからアリスは一つの可能性を考えた。身体強化魔法。自身の身体能力を魔力で強化する補助魔法。しかし、それにしては違和感があった。レクトの手足に発光した線が広がっていたのだ。不規則に、通常の身体強化魔法であのような線は出ることはない。
(身体強化魔法って言うには変な感じがする。まるで魔力を身体に流し込んだ時のような——————?)
そのような魔法があっただろうか? 聞いたことがない。
そこまで考えてハッと我に返り西郷の元へ近づく。怪我はないようだがそれでも肝を冷やしたのは間違いなかったため心配の念を込めた表情を浮かべる。しかし……
「おいは情けなか」
沈鬱な表情を浮かべ悔恨を口にする西郷、それを見てけげんな表情を浮かべるレクトとアリス。
「おいは先ほどレクトの小僧に偉そうに説教しちょいて、自分は油断して魔物に食われそうになっとは……恥ずかしい事こん上なか……故に——————」
その場に胡坐をかき、伝統衣装をはだけさせ上半身を晒す。けげんな表情を浮かべたままのレクトと赤面し顔を手で覆うアリス。対する西郷はどこからともなく取り出した短刀を抜き腹に当てる。
「切腹して詫び申す。介錯をたのみあげもす」
その言葉を聞いた瞬間、腹を斬ろうと力を込めはじめた西郷を阻止しようとレクトとアリスは飛び掛かる。そしてすったもんだの末、何とか西郷の切腹を止めることに成功し疲れた様子を見せるアリスとレクトであった。
共同で魔物の群れの討伐を終えた三人はしばらく山を越えるべく行動を共にしていた。また別の群れと遭遇してもおかしくないという判断からである。道中お互いにこれまでの旅の事を話し合い情報の収集と共有を行い、ある時は野宿するため寝ずの番を交代で務めまたある時は協力して食料の確保をしたりしながら山越えを行った。そうして山のふもとの分かれ道に差し掛かる。
「オレは右の方に進むけど二人は?」
右の道を指さし行き先を尋ねるレクト。対して西郷とアリスは左を指差す。
「左の道に行く。こん先にエルフたちん国に道が通じちょっそうでな。ひとまずそこまでアリスを送って行こうかち思うちょい。」
「西郷もエルフの国に向かうって話だから一緒に来てもらおうってね」
西郷とアリスの返答にそうかと一言返す。
「じゃあ、ここでお別れだな。また会えるといいな」
「うむ、そん通りじゃな」
「気を付けてね。そういえばこの先の道って……共和国同盟だったかな?」
その問いに首肯する。
「とりあえずそっちに向かおうかなって。いろいろ入用があるし」
そう返して右の道にレクトは向かおうとする。
「まあ、こうして縁あって会えたのだ。また道が交わっこともあっじゃろ。そん時はよろしゅう頼む」
「また会えることを精霊様に祈るから。死なないでね」
別れの言葉を投げかけ見送る西郷とアリス。それに対してレクトは背を向けたまま片手をあげて道を歩いていった。そしてその背が見えなくなるまで見送り続ける二人だった。
「そろそろ行っか」
「うん、私たちの目的地へ」
左の道へ進みエルフの国を目指す西郷とアリス。山越えを共にした三人が歩む先にどのような出来事が起きるのか誰にも分からない。しかし分からないまま歩みを止めることなく自らが望む道を進んでいくのだろう。
いつか再開の時が来ると信じながら。