野茂英雄ファンの有名人・芸能人リスト
江夏豊 | 元プロ野球選手 | 野茂からは師匠として慕われていた。その一方で、江夏が高校時代の練習試合で初めて対戦して以来、野茂と確執のあった鈴木啓示とも親交が深い。 近鉄監督時代に鈴木とエース野茂の衝突が取り沙汰されていた頃、江夏は「トレーニングに関する野茂の主張もわかるが、自らの経験から考えると鈴木の言うことも全て間違っているわけではなく、この件だけは野茂と同調は出来ない」と自著で語っている。 |
大塚晶文(大塚晶則) | 元プロ野球選手 | 1996年度ドラフト会議にて近鉄バファローズから2位指名を受け入団。背番号は、野茂のメジャー移籍後、空き番号となっていた11を自ら希望し、継承した。(*1) |
アンチ野茂英雄の有名人・芸能人
鈴木啓示 | 元近鉄監督 | 立花健司トレーニングコーチと確執があり、立花を信頼していたエース野茂や吉井理人ら投手陣との対立を招くきっかけとなった。そして制球力の悪い野茂・吉井を二軍落ちさせた結果、1995年初めに野茂がメジャーリーグのドジャースへ、吉井がヤクルトへとそれぞれ移籍した。 特に野茂への批判は苛烈を極め「あいつのメジャー挑戦は人生最大のマスターベーション」とまで言い切った。ただし、野茂が移籍したのは、鈴木との対立だけではなく、球団やフロントへの不信感もある。 なお後年、鈴木は自身の監督時代について「力不足やったな。自分が投げとる気分でやってしまったから。選手をうまく使ってやらなイカンのに、選手を萎えさせとったこともあった。今思えば、反省ばかりやな。ナシ(梨田昌孝)(*2)にも助けてもうたけど、アカンかった」と語るなど、自らの欠点と失敗だったことを認めている。 |
徳光和夫 | フリーアナ | 熱狂的な巨人ファンで消滅した近鉄を含む国内他球団・海外リーグ(MLB、メキシカンリーグ、KBO、CPBLなど)は全てアンチ。野茂ももちろんアンチである。 |
アンチ野茂英雄の団体リスト
アンチMLB | 野球ファン | 当たり前のようにアンチ野茂英雄でない者は1人もいない。 |
近鉄ファン | 野球ファン | 近鉄から離れたため裏切り者扱いする者が未だにいる。 |