野村克也ファンの有名人・芸能人リスト
江夏豊 | 元阪神→南海→広島→日ハム→西武選手 | 南海時代に野村とバッテリーを組んでいた。 1977年オフ、野村が公私混同を理由に南海の選手兼任監督を解任され、退団が決定した。野村を慕う江夏は球団に対し「野村さんが辞める以上、南海を出して下さい」とトレードを志願。同年12月22日に金銭トレードで広島東洋カープへ移籍した。この移籍には、野村による広島監督の古葉竹識への推薦もあった。 |
清原和博 | 元オリックス選手 | 西武入団時に野村が残していったヘルメットを着用していた。清原は2008年の現役引退まで、野村のヘルメットを使用していた。現役時代、3つの球団を渡り歩くこととなるが、移籍する度にヘルメットを球団のデザインに塗り替えていた。 |
新庄剛志 | 日ハム監督 | 現日ハム監督。野村監督就任後に覚醒した。 |
高津臣吾 | ヤクルト監督 | 野村監督就任後に覚醒した。 |
鉄平(土谷鉄平) | 元中日→楽天→オリックス選手 | 野村監督就任後に覚醒し、中日に居た頃は通算わずか5安打だったが、移籍後は外野のレギュラーとして定着し2009年には首位打者に輝いた。 |
野村克則(カツノリ) | 阪神コーチ | 野村の実の息子。 |
山崎武司 | 元中日→オリックス→楽天→中日選手 | クビから一転、自身にチャンスをくれた野村に感謝いる。本人曰く「ノムさんが監督じゃなきゃ俺は楽天でホームラン王は獲れなかった。」 |
原辰徳 | 元巨人監督 | 野村のファンである。原が他球団を戦力外になった選手や不祥事を起こした選手などを多数獲得したのはいわゆる「野村再生工場」の模倣である。 |
古田敦也 | 元ヤクルト捕手 | 入団直後は仲が悪かったが野村が起用すると期待に応えて信頼関係が築かれ恩師として尊敬している。 |
吉井理人 | ロッテ監督 | 野村監督就任後に覚醒した。 |
アンチ野村克也の有名人・芸能人リスト
今岡誠 | 元阪神・ロッテ選手 | 阪神時代に野村の方針とソリが合わず二軍に落とされたことを根に持っていた。 |
伊原春樹 | 元西鉄/太平洋→巨人→クラウン/西武選手 | 阪神コーチ時代に野村の方針とソリが合わず1年で退団した(*1)。伊原の阪神退団の理由は家庭の事情によるものとしているが、当時阪神のチーフスコアラーだった三宅博は確執が原因で辞任したと記している。 かの有名な「バッカじゃなかろかルンバ」発言及び「巨人は面白い野球をするね……野球は意外性のスポーツ」「勝手に行ったんじゃないの? 普通はあそこでは走らせないよ」がなされた時の巨人ヘッドコーチは伊原だった(*2)。 なお、伊原と野村は選手時代の1979年から1980年までともに西武に在籍した同僚同士でもあり、1980年シーズンいっぱいで揃って引退している。 |
片岡宏男 | 元中日→国鉄選手・元ヤクルト取締役編成部長 | 故人、ヤクルト監督時代の野村氏とは喧嘩が絶えなかった。 |
工藤健策 | スポーツライター・作家 | 日刊ゲンダイが誇るクソ記事量産ライター。楽天監督退任後「野村克也は本当に名将か」という批判的な内容の本を出している。 |
城島健司 | 元ダイエー選手 | 2009年の第2回WBCの際、野村は「城島のリードでは勝てない」と発言、それに反論する城島との舌戦を繰り広げた。NPBに復帰した城島に対して「あいつは人間失格(*3)、ジャパニーズリンデン(*4)や」と、かつて楽天に在籍した問題児外国人選手に例えたことも。 |
徳光和夫 | フリーアナ | 熱狂的。巨人。ファンで消滅した近鉄を含む国内他球団・海外リーグ(MLB、メキシカンリーグ、KBO、CPBLなど)は全てアンチ。野村ももちろんアンチである。 |
トッド・リンデン | 元楽天選手 | 2009年10月10日の楽天vs日本ハム戦でスタメン落ちし、6点ビハインドの9回表に代打起用された際「6ランホームランを打てということか」と激怒した。 |
長嶋一茂 | 元ヤクルト、巨人選手 | ヤクルト時代に野村監督とそりが合わず父親の茂雄氏が再び監督となった巨人へトレードされた。 |
中村紀洋 | 元楽天・DeNA選手 | 129試合出場で64打点と活躍していたにも関わらず、そのまま2010年オフに戦力外通告を受けた。 |
アンチ野村克也の有名人・企業・芸能人リスト
ファンとアンチがかなり混在
阪神ファン | 野球ファン | 監督として阪神からも離れたため裏切り者吸いする者がいるが、言うまでもなく「ダメ虎」を「猛虎」に戻したのは野村と星野仙一である。 |