長嶋茂雄ファンの有名人・芸能人リスト
| 阿部慎之助 | 巨人監督 | 長嶋監督就任後に覚醒した。 |
| 池山隆寛 | 元ヤクルト選手 | 兵庫県尼崎市出身だが、子供の頃は巨人ファンであり、長嶋と王貞治に憧れていた。宝物は引退した時に長島から貰った富士山の絵である。 |
| 石原慎太郎 | 元政治家・作家 | 故人。兵庫県神戸市須磨区出身だが、弟の石原裕次郎氏が熱烈な巨人ファンであったため、その関係で長嶋や渡辺恒雄とも親交があった。 |
| 大和田伸也 | 俳優 | 阪神のホームタウンと近い福井県出身だが巨人ファンであり、長嶋を敬愛している。また野球に対しての情熱も相当強く、東京新聞のコラムではWBCの実現と日本代表の活躍を讃えていた。 |
| 大久保博元(デーブ大久保) | 元西武・巨人捕手 | 西武ライオンズ時代は低迷していたが、巨人に移籍して覚醒した。 |
| 岡島秀樹 | 元ソフトバンク投手 | 長嶋監督就任後に覚醒した。 |
| 清原和博 | 元プロ野球選手 | 長嶋茂雄に憧れ西武時代背番号3を背負う。 |
| 工藤公康 | 元西武→ダイエー→巨人→横浜→西武投手 | 長嶋監督の采配に慕って巨人に移籍した。 |
| 後藤孝志 | 元巨人選手 | 長嶋監督就任後に覚醒したが、堀内監督になってからは低迷。 |
| 鈴木孝政 | 元中日選手・野球評論家 | 長嶋の地元に近い千葉県山武郡蓮沼村(現:山武市)出身。解説でも長嶋信者であることを隠そうともせず生粋の竜党からは快く思われていない。 |
| テリー伊藤 | プロデューサー | 熱狂的な巨人ファンで大の長嶋信者。 |
| 田母神俊雄 | 軍事評論家 | 巨人ファン。長嶋茂雄と、自身と同郷の中畑清に憧れている。 |
| チョー | 声優 | 旧芸名の長島雄一は、本名の長島茂に「雄」を付けると(「島・嶋」の字が違うが)長嶋茂雄、「一」を付けると長嶋一茂になることが由来である。 |
| 徳光和夫 | フリーアナウンサー | 熱狂的な巨人ファンであり、長嶋茂雄をもはや「神」以上の存在として崇めている。 |
| 花澤香菜 | 声優、元子役 | 巨人ファン。長嶋氏のモノマネが若手に理解されないと発言。 |
| 原辰徳 | 元巨人選手・監督 | 長嶋の引退後に4番サードを引き継ぎ、その後は監督としても9度のリーグ優勝。第一次、第三次政権では自身と長嶋の現役時代の番号を隣り合わせた「83」を選択。 原は長嶋監督時には屈辱も味わったが、お互いに大人の対応でヘッドコーチ→監督禅譲と円満に収まった。球場に降臨した時や松井の引退&国民栄誉賞授与セレモニーでも長嶋に丁重に接していた。 |
| 松井秀喜 | 元巨人選手、元メジャーリーガー | 共に国民栄誉賞を受賞した長嶋茂雄の愛弟子。長嶋監督退陣後に自らも退団した。 |
| 松田宣浩 | 元プロ野球選手 | 長嶋茂雄に憧れソフトバンク時代の2017年から背番号3を背負う。 |
| 元木大介 | 元巨人選手 | 長嶋監督就任後に覚醒したが、堀内監督になってからは低迷。 |
| ヨネスケ(桂米助) | 落語家 | 千葉県市原郡姉崎町(現・市原市)出身で、長嶋に憧れている。熱狂的な巨人ファンでもある。 |
アンチ長嶋茂雄の有名人
| 大勢(翁田大勢) | 巨人投手 | 巨人所属だが兵庫県出身であり熱狂的な阪神ファン。長嶋ももちろんアンチ。 長嶋逝去の直後に行われた6月6日のロッテ戦では高部瑛斗に痛恨の押し出し死球を与え、その結果巨人はロッテにサヨナラ負けし、パ・リーグ最下位のロッテ相手に交流戦2連敗を喫した。 |
| 二岡智宏 | 元巨人→日ハム選手・野球指導者 | 長嶋政権時に監督批判を行った。 |
| 務臺光雄(務台光雄) | 元読売新聞名誉会長 | 1974年、10連覇を逃した川上哲治が巨人軍の監督を勇退し、現役引退したばかりの長嶋が新監督に就任。6年間で2度のリーグ優勝を果たしたものの、長嶋時代の後期は3年連続V逸に加え、務臺が病気療養中で不在時に正力亨が引き起こしたいわゆる空白の一日事件などもあり、務臺は亨や長嶋への不信感を募らせていった。 特に病気療養中で不在時に起こった空白の一日事件は、「巨人軍は読売の巨人軍じゃない。大衆の巨人軍だ」と常々言ってきた務臺にとって大きな衝撃だったようであり、亨への怒りは頂点に達した。1980年のシーズン終了後、長嶋を成績不振を理由に解任し、藤田元司を後任監督に据えた。 しかし、この決断は多くの巨人ファンからの反発を招くこととなり、それが原因で読売新聞の販売部数を減らしたといわれる。それでも務臺の長嶋への不信感は終生変わることはなく、長嶋の巨人復帰は務臺が存命中タブーであった(*1)。 |
| 村山実 | 阪神投手 | 1959年に後楽園球場で行われた天覧試合で先頭バッターの長嶋がレフトポールぎりぎりにサヨナラ本塁打を放ち、5 - 4で接戦に終止符を打った。長嶋はこの試合を選手としてもっとも印象的な試合としている。天皇・皇后は試合結果を見届けた上で、球場を後にした。 村山は長年、長嶋の被ホームランについて「あれは絶対にファウルボールや」と訴え続け、自身の1500奪三振を長嶋から奪った際には「これで天覧試合の借りは返せた」とコメントしている。 |
アンチ長嶋茂雄の企業・団体リスト
| アンチ巨人 | 野球ファン | 「巨人が嫌いな人はいても長嶋茂雄が嫌いな人はいない」と言われるが、あくまでもそれは建前であり、実際にはアンチ長嶋茂雄も多い。 |
| 阪神ファン | 野球ファン | 巨人と阪神は古くからのライバル球団であり当然阪神ファンはアンチ巨人(根っからの巨人嫌いもネタ半分のアンチも含む)が多いため、当たり前のように長嶋個人のアンチも多いと思われる。 ただし、長嶋本人は幼少時代に東急フライヤーズの青バットこと大下弘や大阪タイガースの藤村富美男のプレーを見て野球選手を志しており、藤村への憧れから、当時の関東在住者としては珍しく、幼少期は阪神ファンだった。 |
| 中日ファン | 野球ファン | 当たり前のようにアンチ巨人でない者は1人もいないため、当たり前のようにアンチ長嶋茂雄でない者は1人もいない。 |