伊原春樹ファンの有名人・芸能人リスト
| 伊東勤 | 元西武選手・伊原の次の代の監督 | コーチ時代の伊原について「特に3塁ベースコーチの伊原春樹さんはまれに無理だろうというタイミングで突っ込ませることもありましたがそれをやっていい場面かどうか含めてゴーかストップかのジャッジが正確でした。コーチの中では一番、いつも何か狙っているタイプのコーチでした」と述べている。 |
| 佐々木誠 | 元南海/ダイエー→西武→阪神→米独立リーグ・ソノマカウンティ外野手 | 1994年から1998年まで西武に在籍していたが、「尊敬していたのは伊原さん。誰にでもはっきりとモノを言うし、ゴマをすったりしませんから」と語っている。逆に東尾監督とはそりが合わず、98年オフに阪神に金銭トレードで移籍。 |
| 高木大成 | 元西武選手・現西武球団事務所職員(マスメディア担当) | 髙木大成は「走塁の面白さというものを伊原春樹さんに教わりました」と述べている。高木はシュアで勝負強い打撃と複数ポジションをこなす高いユーティリティー性を武器に活躍。 |
| 中島宏之 | 西武→オリックス→巨人→中日選手 | 伊原監督就任後に覚醒した。巨人ヘッドコーチ就任後も、当時守備が上達しなかった西武の中島裕之を「ナカジはどうしてる? あいつはサードが一番向いているんだが…」と案じていた。 |
| 八木沢荘六 | 元東京/ロッテ投手・野球コーチ | 西武コーチ時代からの付き合い。阪神タイガースでもコーチをやり、伊原が西武監督時代、春季キャンプで臨時コーチを務め、オリックス監督時代には一軍投手コーチとして招聘された。だが同年もチーム防御率が5.66を記録。2年連続5点台という結果に終わり、最下位に終わり一緒に退団。 これはオリックス・ブルーウェーブとしては最後の年であり、同年オフに大阪近鉄バファローズと合併、「オリックス・バファローズ」が誕生。しかし近鉄も同年5位だったため「5位と6位が合併、11位になってしまうやないか!」などと揶揄された。 |
| 和田一浩 | 西武→中日内野手 | 伊原監督時代の2001年、和田一浩を捕手から外野手に転向させた。外野手になってから覚醒した。2003年から4年連続で外野手部門でベストナインを受賞。 |
伊原春樹を支持している企業・団体リスト
| アンチオリックス | 野球ファン | 当たり前のように伊原春樹を支持していない者は1人もいない。 |
| タマブラ(悪質な西武ファンのこと) | 野球ファン | 中島裕之・高宮和也の死球騒動や、森祇晶・仰木彬の名将同士のライバル関係もあってアンチオリックスが古くから多いため、伊原支持者(特に悪質なファン)は多い。 |
アンチ伊原春樹の有名人・芸能人リスト
| 尾花高夫 | 元ヤクルト選手 | 両者が巨人コーチ時代、伊原が投手コーチでもないのに投手起用に口出しして尾花を激怒させ、巨人から出ていく原因を作った。 |
| 金子侑司 | 元西武選手 | 伊原監督就任後に左打ちに専念させられ低迷し、二軍落ちを経験した。退任後すぐに両打ちに戻し復調した。 |
| 金村義明 | 元近鉄→中日→西武選手 | 野茂英雄がフォークボールを投げる際に、当時西武コーチだった伊原が手を出さないよう掛け声で合図する行為が許せなかった事から、「盗人」「汚い野球をするな」と罵倒しており伊原とはよく口論になっていた。 伊原はこの事をかなり根に持っていたようで金村が西武に移籍した際は入団直後に呼び出して長時間の正座をさせたり、ミーティングで嫌味を繰り返すなど陰湿な報復を受けたという。 また伊原が三塁コーチボックスに立っていた時、当時近鉄に在籍していた金村が3塁にいた清原和博に対し、ふざけて300万円の要求。これにキレた伊原が金村に膝蹴りを食らわせるなどの出来事もあった。 |
| 鈴木健 | 元西武→ヤクルト選手 | 伊原の二転三転する起用法に両者の溝は深まり、出番を失い、2002年オフヤクルトスワローズへ移籍し、翌2003年、97年以来自身二度目のベストナインに選出され、カムバック賞を受賞する。 オールスターに選出され、前年リーグ優勝チーム監督としてパ・リーグを率いる伊原のもとに挨拶に行ったが理不尽に怒鳴られ退散せざるをえなかったという。 |
| オレステス・デストラーデ | 元NYY→PIT→西武→FLA→西武選手 | 後年のインタビューで「打撃コーチの広野功さんは優しくて、よく英語で話しかけたりしてくれた」とした一方「三塁ベースコーチの伊原さんは厳しくて、いつも怒っていたよ」と述べている。 |
| 根本陸夫 | 元近鉄選手 元西武球団管理部長 |
伊原とは全くウマが合わず、現役時代最晩年、当時監督だった根本に監督室に呼び出されてファーム降格を告げられ、監督室根本と1時間話して引退を決意している。 一方、著書では「根本さんは親分肌で人心掌握において有能な方で、指導者のなんたるかを教えていただきました」と記しており「選手はいいものを持ってプロに入ってきたのだから、最初はむやみに構うな。特に新人に関しては、じっくり観察することから始める」に関しては、後に読んだ様々な書物の中でも同様の指導法が記してあり「なるほど」と思わされた事の一つだったと記している。 |
| 中村剛也 | 西武/埼玉西武選手 | 伊原監督時代にドラフトで指名されているが伊原とは馬が合わず、「あの人としゃべることはありません」と発言したことがある。 |
| 野村克也 | 元南海→ロッテ→西武選手 元阪神・楽天監督 |
伊原の能力を高く評価し、阪神監督を務めていた2000年に伊原を一軍守備・走塁総合コーチとして招聘するが、伊原はあまりにも積極的すぎる走塁を行ったために走塁死を頻発。野村は激怒してシーズン中にもかかわらず伊原の走塁指揮権を剥奪してしまい、伊原はそのまま2000年シーズン限りで退団してコーチとして西武へ復帰。野村との禍根を残すことになる。 さらに、その年のドラフト会議で阪神は赤星憲広を4位指名。赤星はオリンピック代表として阪神のキャンプに招待された際に伊原が目を付けていた選手であり、俊足の選手が欲しかったことに加えて、退団が決まった伊原への意趣返しの思いから野村が獲得を決めたとも言われている。 野村率いる楽天との交流戦(2008年5月29日)で、楽天2点リードの9回二死一塁で矢野謙次が盗塁を失敗しゲームセットになる。試合後、野村は「バッカじゃなかろかルンバ、巨人は面白い野球をするね、野球は意外性のスポーツ」とコメントした(*1)。 翌2009年の交流戦で巨人が楽天に4戦全勝すると、伊原は報道陣の前で「野村監督さま、今年の交流戦は4連勝させていただき、ありがとうございます。これもひとえに『ノムラの考え』のおかげでございます。昨年いただいたお言葉は非常に参考になりました。今日は1年間お預かりしていた、あのお言葉をそっくりそのままお返しさせていただきます。バッカじゃなかろうか〜、ルンバ!」と野村をこき下ろした。 なお、伊原と野村は選手時代の1979年から1980年までともに西武に在籍した同僚同士でもあり、1980年シーズンいっぱいで揃って引退している。 |
| ボビー・バレンタイン | 元LAD→CAL→SD→NYM→SEY選手 元ロッテ監督 |
ロッテ監督復帰1年目の2004年、オリックスとのオープン戦で当時のオリックスの監督だった伊原と試合中に口論。伊原が「じゃかましいわボケェ」と日本語(広島弁)で怒鳴りつけた。 |
| 涌井秀章 | 西武→ロッテ→楽天→中日選手 | 千葉県松戸市出身で熱狂的なロッテファン。ロッテ時代、伊原に「西武を捨てた裏切り者」とされ、伊原はインタビューなどで涌井を批判していた。 |
アンチ伊原春樹の企業・団体リスト
| オリックスファン | 野球ファン | 監督としてオリックスを低迷させたため前任者・前々任者に当たるレオン・リー、石毛宏典、更にはバファローズ時代のテリー・コリンズ共々嫌われている。 |
ファンとアンチがかなり混在
| 西武ファン | 野球ファン | 作戦コーチ時代の的確な走塁判断で「西武の頭脳」と呼ばれ、第一次監督時代のシーズン90勝達成や2002年のリーグ優勝には定評あるも、監督復帰後は振るわず西武を低迷させたため嫌われている。 またオリックス監督時代の低迷ぶりから、第二次政権の際は「次の監督に伊原氏が就任。マジかよ、やめてほしい。伊原正樹(*2)の間違いであってほしい」との声も飛んだ。 |
| 広島ファン | 野球ファン | 彼の故郷が広島のホームタウンで、彼のコーチ就任には賛成の声と反対の声でくっきり分かれていた。ただそれでもアクの強さから来なくてよかったと言う声もチラホラと。 |