王貞治ファンの有名人・芸能人リスト
| 愛甲猛 | 元ロッテ/千葉ロッテ→中日選手 | まだ球団名がロッテオリオンズだった川崎球場時代と、千葉移転初期のサンライズピンク(ロゴ、番号、ラインの色)のユニフォームだった頃に、一人だけ背番号の1が「下部に横棒の付いた1」であった。 このように変えた理由は、(自分と同じ左投げ左打ち、背番号1で)愛甲にとって憧れの存在である王貞治が在籍していた巨人のユニフォームの1の字体が前述の物だったため変更したと本人が語っている。(「下部に横棒の付いた1」は1973年以降の背番号1着用者独自の書体で、1995年以降は1の付く番号全てがその仕様で標準化。また同学年・プロ同期の秋山幸二も、背番号1だった時期に特例で同様の書体にしていた) |
| 池山隆寛 | 元ヤクルト選手 | 兵庫県尼崎市出身だが、子供の頃は巨人ファンであり、王と長嶋茂雄に憧れていた。 |
| 伊東勤 | 元西武捕手 | 西武監督時代、チームの5位転落や、ひいてはバックにいた堤義明のインサイダー取引が発覚して失脚したことが原因で辞任することになった。その際、当時ソフトバンク監督だった王に頼み込んで花束を渡されるセレモニーを自作自演したという。 |
| 井ノ原快彦 | 元V6 | 同氏が招聘されたのを機にホークスを応援。 |
| 大村直之 | 元ソフトバンク選手 | 王監督の采配に慕ってソフトバンクに移籍した。王貞治退陣後にオリックスへトレードされた。 |
| カンニング竹山 | 芸人 | 熱狂的なホークスファンで、「会長」と呼ばない者は認めないほど。 |
| 斉藤和巳 | 元ダイエー投手 | 王監督就任後に覚醒した。 |
| 達川光男 | 元広島選手 | 1995年に新監督の王の要請で福岡ダイエーホークスの一軍バッテリーコーチに就任。初年度のコーチスタッフに他にも寺岡孝・高橋慶彦といった広島OBや、広島県出身の村田兆治というメンバーで固めた。これは巨人にはもう戻らないと決めた王が、監督時代に機動力を使ったいやらしい野球に苦しめられた経験から、広島OBに目を付け前述のメンバーすべてに王自身が直接電話をかけて誘ったもの。 だが、当時は直前まで古葉竹識(広島に加えホークスOB、そして九州人)が監督に就任する予定で、そのためコーチスタッフも前述のメンバーに決まっていて王はやむなく「現役の時から広島の野球が素晴らしいと思っていた」という説明をしたと噂された。 |
| 大鵬幸喜 | 元力士 | 大相撲の横綱・大鵬幸喜とは同じ1940年の5月生まれ(王のほうが誕生日が早い)であり、巨人軍球団指定接骨師だった吉田増蔵が経営していた吉田接骨院の患者同士で知り合って以来、長年に亘り親交が深く、休日に二人で夜通し酒を飲み明かしたこともある。 大鵬の通夜で、王が弔辞を読んでいる。このほか政治家の二階俊博とも40年以上にわたり親交があり旧知の仲である。 |
| 鷹巣南雄 | プロゴルファー | 鷹巣とは50年以上にわたり親交があり旧知の仲。鷹巣の紹介で青木功とも親交を持つ様になる。 プロゴルファーとして鳴かず飛ばずで何年かを過ごしていた青木は「王さんをスポーツ選手の鑑にする」と王を手本として日々を過ごすと、1971年に関東プロで初勝利、その後は王さんと同じように、「“世界”の青木」というニックネームを頂くまでになったと青木は語る。 2010年には青木とともに、ザ・レジェンド・チャリティプロアマトーナメントの大会実行委員として参画している。 |
| 美空ひばり | 歌手 | 美空ひばりとは「義姉弟」(王の本人談)という程、肝胆相照らす仲であった。ひばりが死去した1989年6月24日、王は台湾に出掛けており、その日の夕方に新東京国際空港へ帰日した際、報道陣からひばりが死去したことを聞くと「それは本当か」と言って絶句した。7月に行われた本葬では、王が弔辞を読んでいる。 |
| 松田宣浩 | ソフトバンク→巨人選手 | 滋賀県出身でありながら幼少期から大の巨人ファン。ソフトバンクに入団したのは当時の監督だった王と一緒にプレイしたかった為であり、将来的に王の古巣・巨人にFA移籍することも視野に入れていた。(*1) |
| 松中信彦 | 元ダイエー/ソフトバンク選手 | 幼少期からの巨人ファンであり、入団当時のダイエー監督だった王と初めて会話した時は、そのオーラに圧倒され、何を話したか全く覚えていないという。 |
| 元木大介 | 巨人元選手・コーチ | 幼少時代は南海ホークスファンで、たびたび大阪スタヂアムに足を運び、ホークス友の会に入会していた他、南海OBによって運営されていた少年野球チーム・ジュニアホークスにも入っていた。だが小6の頃に巨人の王監督(当時)に「プロ野球に入るなら巨人に来いよ」と言われてから巨人ファンになり、ドラフトでは南海の後継球団であるダイエーへの入団を拒否。なお王は元木の巨人在籍中の1995年、ダイエーの監督に就任している。 |
| 孫正義 | 実業家 | ダイエーから親会社が変わった際「当時王さんが監督でなければホークスは買収していないと思う」と言った。 |
| 吉武真太郎 | 元ダイエー投手 | 王監督就任後に覚醒したが、人的補償で巨人に行ってからは低迷。 |
アンチ王貞治の有名人・芸能人
| 石毛宏典 | 元西武→ダイエー内野手 | 王に目をつけられ将来の後継監督としてダイエー二軍監督を任されていたが、球団の管理部長にダイエーの強化策について聞かれた際の発言が球団側にフロント批判と受け取られ、家族旅行中に根本陸夫・球団専務に電話で呼び出され解雇を告げられている。 一方、後年のオリックス監督時代の暗黒ぶりにより監督としての手腕のなさが露呈した今となっては西武ファンからは「森祇晶監督の後任が石毛でなくてよかった」、ダイエー→ソフトバンクファンからは「もし石毛監督になっていたら今の常勝ホークスはなかっただろう」との声も聞かれる。 |
| 江川卓 | 元巨人選手 | 江川の入団時、その経緯から、当時現役だった王は非難し、事あるごとに江川に嫌味・皮肉を放った。 王監督の就任後、エースの江川はここぞと言う節目の試合にはことごとく負けまくり、挙げ句の果てには「ドラフト制が浸透した今、巨人だけが毎年優勝するなんてナンセンス。6球団あるのだから6年に1回の優勝でいい。」と、1982年に藤田元司監督で優勝して、王は1983年から5年契約。暗に「王政権下で優勝する気はない」と発言したようなものである。 そして、当て付けるように毎年オールスターでは 「どうだ! 僕はこんな素晴らしい投球が出来るんだ、これほど凄い能力があるんだ。 けどアンタ(王監督)の為にはこの投球はしないよ。 アンタのもとでは優勝する気なんて全然ないからね。」と言わんばかりに好投。 その為か、永久政権と言われてた王監督は5年間でリーグ優勝1回・日本一なしという結果に。(1987年は当時入団2年目の桑田真澄が15勝する急成長で、江川としては予想外・不本意な優勝だった) |
| 中畑清 | 元巨人選手 | 長嶋茂雄の信奉者である一方、王との関係は良好ではなく、王のことを「ワン公」呼ばわりするという大舌禍事件を起こしている。 もっと言えば、当時の巨人の主力選手は中畑以外にも、原辰徳、篠塚和典、江川、西本聖、松本匡史、山倉和博など、長嶋をオヤジと慕う選手だらけであり「長嶋監督を復帰させる会」(チョーさん会)などと揶揄されており、普段の練習時から王監督の指示を聞き流すことも珍しくなく、面従腹背の状態だったのであろう。 |
| 村松有人 | 元オリックス選手 | 王監督にウマが全く合わず、2003年オフに所有していたFA権を行使してオリックスへ移籍した。王貞治退陣後に大村とのトレードでソフトバンクへ復帰した。 |
| 若田部健一 | 元ダイエー・横浜投手 | 王監督にウマが全く合わず、2002年オフに所有していたFA権を行使して横浜へ移籍した。しかし引退後はソフトバンクにコーチとして戻っている。 |
アンチ王貞治の企業・団体リスト
| アンチ巨人 | 野球ファン | 元巨人の選手故、王個人のアンチも多い。ただし巨人から離れてからはかなりアンチは減った。 |
| 巨人ファン | 野球ファン | 現役時代に凄まじい活躍を見せた伝説的存在だが、巨人から離れたことや、監督として期待外れだったため裏切り者扱いする者がいる。 |
| アンチソフトバンク | 野球ファン | 福岡ソフトバンクホークスの取締役会長・球団特別アドバイザーを務めているため、アンチソフトバンクは王個人のアンチも多いと思われる。 |
| ソフトバンクファン | 野球ファン | 監督として優勝するなど一応実績を残しているが、2006年以降は振るわず、2008年にソフトバンクを最下位にさせたため一部からは嫌われている。 |
| 日ハムファン | 野球ファン | 元々アンチソフトバンクは少なくなかったが、古くは岡島秀樹、最近では長谷川威展や「ヤメハム戦士」3人などの戦力引き抜きによりアンチがさらに増加しているため、当たり前のように王個人のアンチも多いと思われる。 |
| 阪神ファン | 野球ファン | 古くからのライバル球団でありアンチ巨人(根っからの巨人嫌いもネタ半分のアンチも含む)が多いため、当たり前のように王個人のアンチも多いと思われる。 |