まだ、京東鉄道がまだ京東電気鉄道公社だった時に起こった事故である。

1991年7月20日午前9時過ぎ。
海の日で海水浴にいく客でごったがえしてた。
海水浴客がたくさん乗ってた普通御坂行き(80系)は片瀬駅周辺で走っていた。
そこに、片瀬駅で入れ替わるはずの列車が遠くから見えた…(当時、錦野から先は単線だった)。
運転士は急いで非常ブレーキをかけた、そして、列車は止まったが、入れ替わるはずの列車がどんどんと近づいてる。
乗務員はその列車の運転手に連絡はしたが応答はなかった…。
すると前から普通京東行き(キハ30系)と正面衝突。
衝撃で80系は6両編成のうち、1両目は大破して、道路に飛び出していた、2・3両目は損傷し、4両目は脱線した。一方のキハ30系は4両編成のうち1両目が大破、それも炎上した、2両目は大きく損傷し、3・4両目は脱線した。
普通御坂行きのほうは乗客が後方で退避してたため、怪我はなかった。一方の普通京東行きは運転士と乗客5名が死亡、乗客150名と車掌が負傷した。
キハ30系の1・2両目は全焼し、3両目も一部が焼け、80系も2両目が全焼、1・3両目の一部が焼けた。
その事故の影響で電鉄本線は8月の末まで不通になった、そして、道路も同様に通行止になった。
事故調査委員会によると、普通京東行きの運転手が御坂~片瀬間に心臓発作を起こしており、そのまま片瀬駅を通過して、事故が起こったという。
ちなみに事故を起こした列車はキハ30系が編成ごと現地で解体され、80系の1~3両目はキハ30系同様に現地で解体され、4~6両目は京東総合車両所に留置されてたが、2000年にそれも解体された。
最終更新:2012年04月12日 17:08