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ジヒラート8世 - (2018/10/29 (月) 21:51:56) の編集履歴(バックアップ)


ジヒラート8世=ルニアス・ジヴェジルス・イサリア・ガウペント・ホーリエン・リオン・ギオン・レギトレインス
Ektool Jihilaat Lunias Jivejils Isalia Gkaupent Hoolien Lion Gion Legitleins
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ルニアス・ジヴェジルス(整形済)
生年月日 シンテーア暦1508年12月11日生まれ
出生地 シンテーア帝国
レーオントレイオン
出身校 シンクトレア国際語言大学
称号 友帝 永帝
怠け者の統率者
古き同志(グロスクロイツ)
悪の根源(ヴァルエルク)
配偶者 ゼッツェ・サンヴァー
サティア・メイナーなど
状態異常 統合失調症、双極性障害
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ジヒラート8世(エミュンス語Ektool Jihilaat Lunias Jivejils Isalia Gkaupent Hoolien Lion Gion Legitleins)はシンテーア(ジエール)の元革命家、元政治家、元思想家、作家、画家、作曲家、映画監督、研究家。シンテーアにて永帝革命(シンテーア管理主義革命)を起こしたシンテーア管理主義共和国の最初で最後の主席。


経歴

生い立ち

 ルニアスはシンテーア帝国第83代皇帝ケルザード2世(Je ool Kelzaad)と第一夫人ヴォイウャナ(Voiw:ana)の間に生まれた。そのころすでにシンテーアの政治は拝金主義貴族により牛耳られ、皇帝は拝金主義貴族の傀儡であった。

幼少期

 ルニアスは幼少期から反骨精神が強く、とにかく大人の言うことを聞かなかった。一方で知的好奇心が強く、わからない単語を見つけると、進んで他人に聞いたり自分で調べるなどしていた。この反骨精神と知的な好奇心は後の革命への足掛かりとなる。

学童時代

 拝金主義貴族はレギトレインスネルクの貴族学校で義務教育を受けさせようとしたが、幼いルニアスは言うことを全く聞かず抵抗し続けたため、貴族どもも仕方なく一般の公立学校に通わせた。一般の公立学校では周りの児童たちに自分を特別扱いすることを禁じ、敬語などは一切使わせなかった。自分をJil(陛下・閣下など目上の人を表す)と呼んだものをいじめ認定するなど徹底的にこれを弾圧した。
 一方で周りの児童との交友関係はよく、当時の教員は身分関係なく、クラスになじんでいたと話している。
 シンテーア人ではむしろ少数派であるガチノンケであった(のちにアマト・アマネンファとの出会いにより覚醒する)。

大学時代

 一方的に貴族を嫌い、首都から飛び出し、レギトレインスネルクにあるシンクトレア国際語言大学に入学、エルトリア語を学ぶ。
 20歳の時に父ケルザード2世が病死。いやいや皇帝に即位するも、精神のイカれていたルニアスはこれは「貴族による暗殺だ、次は自分が殺られる」と信じて疑わなかった。
 また、世界経済史、シンテーア経済史を学ぶにつれ、「生産工程の機械化が進み、労働者は職を失うも、拝金主義貴族は製品を海外に売り出し資本を獲得する」「金のある所に金が集まり、金のないものはますます貧しくなっていく」と、シンテーア経済に疑問を持ち始め、すべての不幸は「拝金主義貴族」が根源であると錯覚。このことをビデオ通話で妹のアルニエアに相談し、「頭大丈夫?」と言われる。一方で一緒にレギトレインスネルクで暮らしていたサンヴァーはこの危惧をしっかりと聞き、考え方を共有した。
 また、後に管理主義三銃士と呼ばれる、同じく管理主義に興味を抱いていたアオン・シオン・ヴェードウーナ・ヴェーデイン・フォスドーレウらと管理主義研究会を非公式サークルとして設立。皇帝としてあるまじき、反社会行為をばれないように行っていた。大学を卒業後も管理主義研究会の地下アジトをメンバーと共に開設。本格的な秘密結社化を推し進めた。

ギャッコーとの出会い

 「貴族に命を狙われている」という妄想に陥っていたルニアスは機械化生産工程を国家とスーパーコンピュータが管理する、新たな社会主義、「管理主義」を提唱し、資本主義国からは危険思想として追放され、社会主義国からは修正主義者として迫害を受けていたギャッコー・セーヴェル・ディオンを秘密裏に管理主義研究会に招いた。人脈を使って偽造身分証の作成や密入国を支援したうえで、直々に管理主義思想を学んだ。迫害に迫害を受けていたギャッコーは「搾取する側である皇帝」のはずであったルニアスにも偏見を抱かずに、親身になって管理主義を説き、むしろ皇帝による革命の歴史のあるシンテーアの皇帝であるルニアスに対し非常に期待感を持っていた。
 ギャッコーの反拝金主義思想にさらに強い感銘を受けたルニアスは妄想が現実であると確信。またもや人脈を使って革命工作を着々と進める。サンヴァーの父である貴族軍人、ゲイス・シレガーの協力もこぎ着け、1528年に蹶起。

永帝革命

 ジヒラート6世ぶりとなる「皇帝による革命」に心を動かされた市民が、レギトレインスネルクに集う。ルニアスはシンテーア管理主義共和国の設立を宣言し、共和国主席を自称した。実質一党独裁体制で国を牛耳っていた、拝金主義貴族による国栄党は「陛下御乱心」「友帝陛下は精神病」といった号外を発行。アウスヌートラルトセンデンクトにとどまっていた妹アルニエアをレギアル3世として即位させ対抗した。
 武力の差で圧倒的優位に立っていた帝国軍であるが、事態の終結を急ぎ、大規模な革命分子のあぶり出しと虐殺を行ったため、次第に人心が離れていった。
 若くして帝国海軍少佐であったサティア・メイナーが帝国海軍の一部を引き連れ共和国側に寝返るなど、次第に状況は有利に傾いていった。

革命の終結と親政

 革命終結後、ルニアスは知識人たちを集め、貴族たちから奪いとった機械化自動工場を稼働させ、管理主義の導入を始めた。知識人による助けも大きく、経済の方は順調に回りだした。
 しかし、富を没収され、一般人民となった貴族が復讐のために自分を殺しに来るのではないかと錯覚したルニアスは、元貴族を積極的に反革命罪により処刑した(実際に旧体制への回帰を目指す反動派は一定数存在していた)。一方で、妹のアルニエアは貴族により傀儡にされていたとして擁護するなど、この時の立ち回りは身勝手さが目立った。
 時を経て、ルニアスは精神を安定させるも、やはり兄妹、同じく反骨精神を持っていたアルニエアが自ら「虐殺は自ら指揮して行った」「私は貴族だから貴様ら平民のような暮らしはできない」などの発言をし、民衆を逆上させると、裁判はルニアスのコントロールできる範疇を超えてしまい、アルニエアに死刑判決が下された。この際、アルニエアはルニアスの手による処刑を望み、民衆もそれを革命の真の終結として期待したため、実際そのように処刑が行われることとなった。
 愛する妹をわが手で殺したルニアスの精神は完全に崩壊。自殺未遂を図ったが、サンヴァーらの救助により一命をとりとめる。これ以上の政治活動は無理だと判断した、革命の同志アオン・シオンらは廃人と化していたルニアスを主席の座からおろした。しかし偉大なるリーダーを失ったと錯覚している民衆をコントロールできず、アオンはシンテーア管理主義共和帝国に国号を変更。ルニアスをジヒラート8世として、革命君主ジヒラート6世を彷彿させるように、君主に再即位させた。また民衆もそれを歓迎した。
 ルニアスは第一代首相となったアオンに対し、「放っておいてくれ、誰の顔も見たくない、名前だけは貸してやるから俺にかまわないでくれ」と告げた。

管理主義共和帝国時代

 ルニアスは精神療養のために、サンヴァーらと共に旅行を楽しんだり、革命によって発生した革命孤児たちの孤児院で子供たちと触れ合う等して過ごした。この際に、ヅィーガーやレィニェ、シュラウスなどののちに家族となる者たちと出会っている。
 天嶺皇国が発見され、調査が始まると、精神療養のため美しい自然を持つ天嶺へ出向き歓迎された。この際、政府はルニアスを外交官として任命したが、ルニアスが完全に天嶺にほれ込んでいたために、天嶺の素晴らしさを自分の視点で勝手に宣伝。シンテーア天嶺ブームが発生した。これの影響により植民地となるはずであった天嶺とシンテーアの友好的で平等な親友関係が現在まで至ることとなる。

第一次宇宙大戦時代

 ジエール管理主義共和国連邦が成立し、続いて第一次宇宙大戦が発生すると、ジエールは窮地に立たされる。国民は救世主ルニアスの復活を望んでいた。ルニアスは隠居生活を楽しんでおり、戦争には全く興味がなかった。戦況が不利になるにつれ、優秀な軍人一家であった皇帝家の復活が期待されるようになり、中には「永帝陛下は国を捨てた」など、ルニアスを刺激するような記事まで出回り始めた。
 これに腹が立ってきたルニアスは隠居生活をやめ、国民の前に姿を現す。「永帝復活」や「第二の革命」などともてはやされ、完全にいい気になっていたルニアスと皇帝家であったが、隠居生活中も高度なシミュレーションゲームを遊ぶなどしていたため、腕は鈍っていなかった。
 国民の士気が急上昇し、ちょうど戦況も傾いてきたため、ルニアスはますます躁状態となり、戦果を挙げた。

シルニエの登場

 戦争が激化し、出産が奨励されていた時期ではあったものの、皇帝家は出産に関心がなかった。その代り、皇帝家は遺伝子改良技術を応用して研究されていた人工強化兵シュッリルムスライト計画に関わり、プロトタイプ4号のシルニエを我が子のように育てていた。シルニエは実際に戦争で成果をあげ、人工強化兵は完成を迎えようとしていた。しかし、戦争終結後、今回だけは味方だと思っていたヴァルエルク共和国が国内で諜報活動をしていたことが判明。人工強化兵計画は人類の倫理を脅かすものとして連合会議に提訴した。エルミア共和国がそれを騒ぎ立て、ジエールの軍事力強化を恐れたヴァルエルクら自由解放連合が人工強化兵計画の破棄を主張。連合会議でも可決された。
 聡明なシルニエは、父、ルニアス自身の手による処分を所望。連合会議監視団の監視のもと実際に処分が行われたが、愛する妹アルニエアを自分の手で殺したトラウマがよみがえり鬱が再発。(精神状態を関見して結局サンヴァーが行っている)それから5年間姿を現すこともなく、死亡説がささやかれるようになった。

リェニュト6の結成

 不死技術使用者の自殺が社会問題となり始めた1730年代あたりから、ルニアスはジエールを中から牛耳る秘密結社リェニュト6の結成に躍起になっていた。
 リェニュト6の結成と、支配体制を完成させると1740年次期皇帝「カルニエート4世」を発表。皇帝を一方的に引退した。民衆は長寿者の精神病と自殺の社会現象から「この人も疲れたのだろう」と理解を示し、それから姿を現さなくなったルニアスと皇帝一家は自殺したものと考えていた。
 しかし、惑星ヴェオン・レギトの核にある「コントロールルーム(Naxtsiulontlont)」にてリェニュト6のメンバーと共に帝連全土を掌握し、牛耳り、帝連総合諜報機関イェーネンイェーを手中に収め世界の情報を私物化しようとするなど世界征服に向けて陰から活動していた。

1900年代

 新たな時代を迎えていた大宇宙に引きこもり生活をしていたルニアスは忽然と姿を現した。民衆も彼がルニアスであるとは信じなかった。彼はヴェオンレギトの核のモニターで見ていた世界と外の世界が全く同じであることを確認し、それから数十年、彼はまた地下深くへと戻って行った。
 そして、2000年。手に入れたすべての情報、すべての手段を使って支配領域をジエールから大宇宙全土に拡大しようと「偉大なる計画(Gion oi verktlia)」を始動。すべてに退屈していたルニアスらリェニュト6は最後の歓楽を始めようとしていた。

名言

 「拝金主義者は自由主義者を自称するが、まったく自由ではない。彼らの心は金銭によって支配されているからだ」―拝金主義者に関して
 「拝金主義者は旧社会への回帰を目指して暗躍する。私たちは共同の利益を守るため、戦おう」―管理主義闘争演説
 「管理主義ではすべての人民が友人だ。目があえば挨拶をしよう、この社会に孤独な人などいない」―全友人社会演説
 「よくも俺様を選んでくれた!大ハズレだ!ゆえに大正解だ!!」―ギャッコー・フォスドーレウと飲酒の際に
 「まて、ジジイ、死ぬな、俺と作るんだろ、管理主義の国を」―ギャッコー・フォスドーレウ危篤の際に
 「助けて、拝金主義者が、にんじんが、キュウリと共謀して、俺は殺されるんだ」―アオン・シオンが精神病院に見舞いに来た際に

関連項目