第二章 ****
「そこの共和国兵と一般人!捕虜の暴行を止めなさい!」
軍服の男は次なる干渉者に眉をしかめ、ノウヴデリエがパイプを振り下ろそうとしたところを手で止めるよう指した。軍服は、ノウヴデリエの持っていたパイプを取り上げて、苛立たしげにそれで地面を打ち、干渉者を威嚇していた。
干渉者はというと灰色のスーツ姿のLXJ在学中かと思うほどの若い女性だった。銀髪ロング蒼眼の典型的なリパラオネ人だったが、なぜかスカーフで頭を隠していた。しかし、スカートではなくパンツスタイルなのがファルトクノアには合わず状況に似合わずノウヴデリエは笑うところであった。
「ようよう、国民が良くも共和国兵にそんな口きけるしゃねえか。こいつらをどうしようと俺らの勝手だろうが、お嬢ちゃんは失せな。」
軍服がそういうと、干渉者は眉を潜め、信じられないとばかりに軍服を睨みつけた。
「捕虜への暴行は連邦軍事法及びサニス条約機構安全保障議会第1998号声明違反であり、完全なる軍紀命令違反よ。あなたたちは高等法廷で裁かれ、懲役及び多額の罰金を――」
「わぁったよ!」
軍事はパイプで後ろにいる獣人少女を殴りつけ、悪態をつく。少女は反動でまたもや地面に叩きつけられ、起き上がる様子もなかった。干渉者はというと何とも言えない不快そうな顔をしてた。
「そんだけ俺らを侮辱すんだったら、何されるか分かってんだろうな。」
パイプを振り上げ、軍服は干渉者の目の前まで歩いていく。これだけ十分に威圧しても、干渉者は何も動じる様子はなかった。
「何が言い残したことはねえか、例えばごめんなさいとかだ。」
干渉者は考える素振りをして、軽快に答えた。
「そうね、それはこちらのセリフね。」
「そうかよッ――」
軍服は怒りが最高点まで至ったようでパイプを全力で干渉者に叩きつけた。目にもしたくない惨状にノウヴデリエは目を背けようとしたが、瞬間目の前で起こったことで大体の状況を理解した。
「はぁ?」
軍服の振り落としたパイプは空中をかすって地面に落ちた。スーツ姿の女性はというと軍服の背後に一瞬で移動していた。取り巻きの二人も驚愕する。彼女はケートニアーであった。焦った軍服は急いてパイプを捨て、急いて干渉者に向けて殴り込む。そっちのほうがリーチの無駄がなかったから懸命な判断に思えたが、結果はそうではなかった。
「うっあ゛ッ!?」
軍服の拳は宙を舞い、その代わりに干渉者のいつ繰り出したか分からない蹴りが腹に直撃する。軍服が体勢を戻す前にその胸元を掴み、掴んでいない方の片手で素早く手刀で肩を切ると軍服はその打撃で地面に叩きつけられ、切られた面がかまいたちに切られたかのように深く切り刻まれ血が吹き出す。
取り巻きの一人は干渉者の後ろから走り込んできた。パイプを拾って、殴りつけようとするが、見えない壁に阻まれるようにその打撃は止められてしまった。だんだんとパイプは変形し、高温となり溶け出す。堪らず取り巻きはパイプだったものを離した。そんな彼らをみて、スーツ姿の女性は毅然とした態度で立ち向かった。
「あなたたちを軍紀命令違反で連邦法廷へ提訴します。」
軍服たちは流石に怯えたのか、ガキ大将的な男がこれで逃げ出すと他の二人も仲良く逃げ去っていった。ノウヴデリエたちはというと、その場で固まったままで動くことさえままならなかった。
「あら、あなた達は逃げないのね。」
干渉者がそう言うと、カギエがはっと気付いたかのように手を振って否定し始めた。
「いや、俺らは……あいつらに殴ることを強要されたんだ。あいつらとは関係ないぞ。」
「そう。」
カギエの必死の弁解に全く興味を持たず、干渉者はその後ろでうずくまる少女を立たせて路地の先に向かっていった。カギエは通報されるものかと思っていたようで安心したかのように溜め息をつく。
ノウヴデリエはその後ろ姿に何か苛立たしいものを感じていた。
「おい。」
スーツを出血で汚していく干渉者はそれに気づいてない様子であった。ノウヴデリエの呼びかけに対して振り返らずに「なに?」と小声で答えた。先程の覇気はその声にも顔にも無かった。
「そいつをどこに連れて行く気だ?お得意さんに片方のアグリェフでもお裾分けするつもりか?」
「そんなニーシャみたいなことはしないわよ。」
肩を支えてない方の手をひらひらさせ、止まって振り返る様子もなく、そんな態度にノウヴデリエは無性に腹が立っていた。
「ただ、病院に連れて行くだけよ。ついでにアグリェフを私に付けてくれたら満点ね。」
「何?」
とにかく異様であった。獣人を病院に連れて行くというのだ。ファルトクノアのこの情勢でちゃんと診てもらえるとはとてもじゃないが思えない。それに獣人はケートニアーとネートニアーの中間の存在と言われており、その自己治癒能力はよく知られていることから、暴行された獣人が道脇に倒れていてもどうせ治るし、敵を自ら助けることはないと無視するのが慣例になっていた。
そんななか、彼女は獣人を助けたうえに病院に連れて行くというのだ。ノウヴデリエには到底理解できないことであった。
「どうなっても知らないぞ」
小声で言い残し、ノウヴデリエは彼女と方向を異にした。カギエが慌ててノウヴデリエの後ろについて行く。今ここで何があったかは思い出したくもなかった。
――ノウヴデリエ分隊兵、午前6時に分隊兵をヘオサフィア陸軍事務所に出頭を命令する。スキュリオーティエ二等大隊司令に指定時間通り会うこと。遅刻は軍紀命令違反とする。――
「ノウヴデリエ分隊兵、定時出頭命令により見参致しました。」
目の前の上官は頭を抱えていた。ノウヴデリエを一瞥して、溜め息をつく。
ノウヴデリエは緊張していた。出頭命令が来てからずっとあの謎の干渉者に軍紀命令違反の密告を受けたのではないかと不安でならなかった。しかし、もしそうであれば、ノウヴデリエだけでなくカギエも出頭命令を受けるはずである。
そんなことを考えているとスキュリオーティエ二等大隊司令はノウヴデリエを前に一つの紙を見せつけた。
「共和国はお前を昇進させ、小隊司令として辞令を出している。」
ノウヴデリエは紙切れをまじまじと見つめた。確かに『共和国陸軍第二師団隷下分隊兵ゴーシア・ドゥ・ノウヴデリエ・ゴーノウヴシアに対し本日を以て当職を免じ、共和国陸軍第二師団隷下特務小隊司令として着任を命ずる。』と書いてある。日付は一昨日であったし、ちゃんと共和国首相であるラヴィル首相のサインまで直筆てある。
「その、小隊の構成人数は何人でしょうか?」
ノウヴデリエは他にももっと聞くことがあっただろうと思いながらも、もし兵士を下に就けるとして何人なのか無性に気になっていた。
「貴官の隊の隊員は貴官のみだ。」
「えっ……?」
耳を疑った。人数は一人なのに小隊として小隊司令をやらねばならないのだろうか。この戦中には些かよくわからない人事異動であった。連邦陸軍の支援によったものだとしても、今やることではないだろうと思った。
「貴官には特別の任務を遂行するための小隊に配置された。これから話す内容は全て機密情報だ。漏洩した場合、貴官には相応の報いがあるだろう。」
そう言いながら、スキュリオーティエ二等大隊司令はテーブルの棚の中から何かを取りだしてノウヴデリエに差し出した。ノウヴデリエは先に進んで、それを受け取った。
「その女を知っているか。」
渡された写真に映されたのは、女性であった。連邦軍の制式の制服を着てユエスレオネ式敬礼を行っている写真だ。その顔、スカーフを被った頭に見覚えがあると思ったら昨日のスーツ姿の干渉者と顔や格好がよく似ているではないかと思った。
「いえ、存じ上げません。二等大隊司令。」
嘘は答えていない。そう思いながらもノウヴデリエはこの女がどうにも共和国から何らかの疑いを受けているのではないかと思ったから、昨日関わったなとどは言いたくもなかった。まあ、言いたくなっても昨日外出した事実が知れれば軍紀命令違反で処罰を受けることは分かっていたので口が裂けても知ってるなどとは言えなかった。
「だろうな、その女は先日の連邦陸軍による支援部隊と共にやって来たリサ・ミリア特務官だ。事実上その女は連邦本土とのパイプとなっている。」
写真をテーブルに戻してノウヴデリエは、スキュリオーティエ二等大隊司令を真っ直ぐ見る。
「私とこの女に何の関係性があるというのでしょうか。」
二等大隊司令ははぁと溜め息をまたついて、「しらないが」と前置きして答える。
「共和国はこの女を間諜である可能性の高い人間であると考えている。そういうわけで貴官が表向き共和国軍の外交役としてこの女と接しながらもし確証が得られれば報告せよとの事だ。」
ノウヴデリエは頭にいきなり血が昇ってきたのを感じた。流石に酷すぎるのではないかと思った。適材適所という言葉はこの国にはないのか。
「無理です。この任務を遂行することは私には不可能です。」
「そうか。」と二等大隊司令が言う。
「この国の人員は酷い不足状態だ。使えるものならなんだって使うのだ。」
「使えるものと使えないものの区別は最低限のルールではないですか!」
そう怒鳴るとノウヴデリエは執務室から出ようとドアの方を向いた。ドアノブ触りドアを開けようとすると、後方から「待ちたまえ。」と声がかかった。
「何でしょう、もうこんなことには付き合えませんよ。」
「先程、使えるものはなんでも使うといったな?」
ノウヴデリエは意図がよくわからないその発言で更にイライラが募ってきた。
「だからなんですか?」
二等大隊司令は窓のシェードを開け、外の様子を見ていた。決してノウヴデリエの方には向かなかった。
「貴官が昨日何処で何をしていたかというのは既に分かっている。証拠もあるし、私が言えばファルトクノア軍事法に従って軍紀命令違反で裁かれる。」
しまった、とノウヴデリエは思った。
「それはさすがにやり口が卑怯ではないですか。」
冷ややかな返答をもろともせず、スキュリオーティエ二等大隊司令は端麗な顔を歪ませずにこちらに見せ続けていた。
「共和国とはそういうものだ。戦局は現在ここまで来ているのだ。上層部も何をやっているのかよくわからないし、戦略の立てようがないのだ。ただ反逆者として扱われるのが怖くて皆従っている。貴官もそうだろう。」
ノウヴデリエは黙ることしかできなかった。
「私とてこんなことには貴官を巻き込ませたくない。非常に馬鹿馬鹿しい戦いだからだ。だが、この国で生き残る方法は一つしかない。」
二等大隊司令は卓上の共和国社会行動党の党章をノウヴデリエに向けて見せる。
「従うことだ、ノウヴデリエ小隊司令。私をこれ以上困らせないでくれ。」
位置がここであっているか確認した後に、その家の呼び鈴を鳴らす。少しするとドアが開き、少女体型の女性が出て来る。ノウヴデリエは居直って、それに対して用事を淡々と告げる。
「ノウヴデリエ小隊司令です、はじめましてリサ・ミリア特務官。規定によりお迎えに参りました。本日より共和国軍との外交に関しては私が受け持たせていただきます。」
「あなた……本当はここの兵士だったのね……。」
完全に知れていた。それはそうである。昨日今日で暴力沙汰で関わった人間を忘れることなんてあるまい。
「なんのことでしょうか。」
何も知らないかのように聞き返す。あくまでも関係ないふりをしてなければこの本土人から直接法廷に連れて行かれる可能性があった。スキュリオーティエ二等大隊司令の言っていたとおり、特務官というのは連邦本土軍と共和国軍との間を取り持つような任務を与えられている。ユエスレオネ連邦は通例として本土が一番強い影響力を持っているため、さすがのファルトクノアでもその命令には逆らえないのだ。
「あくまでもしらを切るのね。ふん、べつにいいわ、ノウヴデリエ小隊司令。少しばかり待っていただけないかしら。」
ノウヴデリエは肯定の意を表すると、ドアから少しばかり下ってそれを見送った。
それにしてもあのリサという特務官が先ほどガーリーなナイトウェアのままで出てきたのには吹き出しかけた。本土の特務官という立場にありながらこの体裁である。もしくは、共和国が彼女に外交役の派遣を言っていなかったか。共和国なりの本土への抗議の形なのだろうと思えてくる。本土の外交は軟弱な姿勢になったとはファルトクノアではよく言われる。日刊共和国もラヴィリア紙もみんなそんな感じに報道していた。
「お待たせ。」
そんなことを考えているうちに特務官が出て来る。今度はガーリーなナイトウェアではなく、しっかり上から下まで制式の連邦軍制服であった。ノウヴデリエは伝えておく内容を書いておいたメモを取り出した。
「ええと、特務官が要求されていた捕虜収監場三箇所の視察は却下を受けました、それで……」
「却下?」
ノウヴデリエは読み上げを中断し、特務官を見る。彼女は非常に怪訝な目でノウヴデリエを見つめていた。
「却下はおかしいでしょ、理由はどうなっているんですか。」
「えー、軍によると貴特務官の身の安全を保証できないとのことで……」
特務官は指を指して止める。
「それは貴国の刑務所の状況は劣悪とのことで連邦に報告するということになるけどいいのかしら。」
ノウヴデリエは少しばかり顔をしかめた。
「そういう事はないでしょう。国ごとの状況なんてまちまちなんですよ。それを連邦中心に見てもらっても困りますね。」
特務官も顔をしかめる。
「そのようね。怪我した獣人をまったく受け入れてくれないような国だもの。」
両者の沈黙がしばらく続いたが、特務官は手を叩いてノウヴデリエを見た。
「それじゃ、私が個人で行くことにすればいいじゃない!」
「そういう問題では……」
ノウヴデリエはイライラし始めていた。
最終更新:2021年08月29日 01:52