| 年月日:1641年12月10日~1660年3月10日 | 
		| 場所:ボルガード、パカパーク、トラドヴァ、レーウス、プローシュ、アクース連邦のいずれかの星系、コンクーナ | 
		| 結果:大宇宙連合会議側の勝利 テロ組織ゴルギアの解体
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		| 交戦勢力 | 
		| レーウス条約機構軍 ゲルデン条約機構軍
 | ゴルギア | 
		| レーウス条約機構軍 ・ジエール帝国連邦
 ・天嶺皇国
 ・サーヴァリア王国連邦
 ・ヴァルエルク共和国
 ・エルトリア王国
 ・ヒューヴル女王国
 ・ニーネン=シャプチ
 ・アクース連邦
 ゲルデン条約機構軍
 ・ドルムント共和国
 ・ダクラーシュ民族評議会
 ・ベリオン共和国
 ・グロスクロイツ社会主義共和国
 ・ヴィッテンクレイル神国
 ・マーカス連邦
 | ゴルギア本部 ・政治組織ゴルギア
 レーウス宙域活動団
 ・レーウス統一戦線
 ・新世界
 ・全国拝金主義連盟
 ゲルデン宙域活動団
 ・血の会
 ・グリッセン・スローム共和主義団
 ・44部隊
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		| 指導者・指揮官 | 
		| レーウス条約機構軍 ゲルデン条約機構軍
 | ゴルギア | 
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		| 戦力 | 
		| レーウス条約機構軍 ゲルデン条約機構軍
 | ゴルギア | 
		|  |  | 
		| 損害 | 
		| レーウス条約機構軍 ゲルデン条約機構軍
 | ゴルギア | 
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		| ゴルギア鎮圧作戦 | 
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 ゴルギア戦争とは、シンテーア暦1641年のボルガード人政治組織ゴルギアが
大宇宙連合会議に対し、ボルガード人国家の建国を国際的に承認されなかったことへの報復行動として開始された一連のテロ事件の鎮圧作戦のことである。
 
背景
祖国解体前
 狭義の政治組織ゴルギアは
大宇宙連合会議国家承認委員会に拒否される前のボルガード人独立勢力であるが、彼らの母体は
ラヴェルト時代で滅亡したボルガード連合の一部の民族主義者たちであり、ボルガード連合がラヴェルト=ボルガード諸国戦争で滅亡した際に解体された後、
エルミア帝国の領域に組み込まれることとなった後もボルガード人民族主義者は抵抗を続けていた。
エルミア帝国の統治
 エルミア帝国は占領地の相次ぐ反乱に恒常的に悩まされていた国家であったために、他の反動派勢力と同じようにボルガード人民族主義者に対しても情け容赦のない反乱鎮圧を行い続けていた。一説には、ボルガード人民族主義者には最も苦痛を味あわせるべく開発された拷問方法を用いて当人の知り合いや同じ出身の町の者、恋人や家族に対しても見せしめのために全員を処刑したと言われている。当時の人口統計によれば、敗戦直後のボルガード人は126億人ほどいたが、反動派の処刑や福祉、人権の適用外に指定したことにより1530年には113億人まで減少した。
 1540年代頃からボルガード人は重労働に耐える強靭さを持ち合わせていることが認められ、反乱を防ぐためにエルミア帝国の各地に強制移住させられた。こうしてボルガード人は重労働や危険な作業を行う奴隷身分として扱われるようになり、反乱による処刑は少なくなったものの、虐待や労働災害などで多くの命が奪われることとなった。
エルミア帝国解体後
 1537年のエルミア革命が起こる頃には、奴隷身分にされたボルガード人の間で深刻な感染症が流行し、更には飢餓のためにボルガード連合解体前には130億人の人口が93億人にまで減少していた。エルミア革命後になると、各地のボルガード人居住区では革命の影響で破壊されたインフラを修復することができずに更に死者は増加。また、エルミア革命でエルミア帝国を打倒した革命連合の諸国はエルミア帝国によって強制移住させられなかったボルガード人が居住する旧ボルガード領を放置し、自国内の復興を優先した。
ゾラック会談
 1550年代に入ってようやく復興の兆しが見えた旧ボルガード領だったが、1556年に
エルミア共和国主導の下、革命連合各国首脳を集めて行われた「
ゾラック会談」にて「旧ボルガード領の保護、発展、経済的充実を各国協同で行う」ことが決定された。しかし、このゾラック会談の内容は事実上の分割統治であり、福祉的人道的「保護」とはかけ離れたものであった。実際、ベリオン共和国やエルミア共和国、グロスクロイツ社会主義共和国はボルガード人を強制労働させ、侮辱や虐待が横行した。ボルガード人蔑視の風潮は更に高まり、革命連合各国にかつて強制移住させられたボルガード人に対してもそのように扱った。
 旧ボルガード領では、自然環境を無視した資源採掘が進められたために、鉱山プラントでの落盤や鉱毒などでボルガード人は更に追い打ちをかけられた。17世紀になるまでに旧ボルガード領の資源はほぼ枯渇状態となっており、しかも自然環境の悪化によって災害による死者が急増した。革命連合は旧ボルガード領が不適な気候になってきたために、少しずつ旧ボルガード領から撤退していった。
17世紀
 17世紀に入ると革命連合諸国はほぼボルガード人地域からいなくなっており、彼らの注目は革命連合内の軋轢へと向かっていった。1606年には
ベリオン共和国がリーエス連邦に宣戦布告し、ベリオン=リーエス戦争が勃発した。この戦争に対する教訓として1623年に
大宇宙連合会議が設立された。
 そして、同年にエルミア共和国首相の働きかけにより「旧ボルガード宙域は中立地域」と規定され、あらゆる国家の干渉を防止するための改正憲章が大宇宙連合総会で採択された。しかし1628年から1635年にかけて断続的に発生した惑星○○○○での全球規模の異常気象で大凶作となり、数千万人規模の餓死者が出る。数回にわたって旧ボルガード宙域の数人の代表者が大宇宙連合会議に国際的支援を呼びかけるも、「憲章違反のため介入することはできない」と拒否し続けた。このことが引き金となって反エルミア、反革命連合感情が一挙の爆発し、各国各地のボルガード人が半年の間に300件以上もの暴行事件を起こした。この頃からボルガード人に
破滅主義思想が爆発的に流行するようになる。
 代表者の一人であった
ウィケーウィシアは「国家として独立することで近隣他国の支援を正式に受けることができるようになる」と考え、政府の樹立を宣言。大宇宙連合会議国家承認委員会に国家の成立を認めるよう請願する。しかし、国家承認委員会はこれを拒否した。その背景には、未だ根強いボルガード人差別と、相次ぐボルガード人暴行事件があったとされる。そのため、国家承認委員会はウィケーウィシアによる政府を一方的に糾弾し、「
反社会的勢力」と認定。更に追い打ちをかけるように同政府を
ダクラーシュ民族評議会が「
特定の反体制派勢力」に認定し、抗議声明を発表した。
鎮圧までの経緯
レーウス同時多発テロ
各国の反応
公式発表による開戦事由
鎮圧作戦の経緯
国際社会への影響
関連項目
最終更新:2019年12月16日 13:06