ファルトクノアの言語政策(―げんごせいさく、理:lkurftlessen lertasel fon faltknoa)では、ファルトクノア政府の言語に対する姿勢とこれに関連した政治的論争について説明する。
概要
ファルトクノア共和国の言語政策に関しては「
リパライン語と言語行政と文化」の5.4.に詳細が書かれているが書かれているのは概要的な結果だけであり、本項ではファイクレオネ世界を知らない者に分かりやすいこととその結果に至った経緯を書くことを目的としている。
言語政策理論への経緯
失われた世代は何故生まれたか
ユエスレオネ連邦の構成国としてファルトクノア共和国が成立した際、その場に関わった政治家はもちろんユエスレオネ連邦の政治家たちであった。しかしながら、連邦本土の政治的不安定さからファルトクノアは政敵を追いやる絶好の場所と化していた。
連邦政府与党――ユエスレオネ社会党は50%以上の支持率を得る大政党であったが、ユエスレオネ連邦を成立させた革命以後の政変が党内の派閥化を招き、党首
ターフ・ヴィール・ユミリア率いる
主流派、
アレス・デュイネル・エレン率いる
武力闘争派、そして新興勢力である
新イェスカ主義派の分裂状態に至っていた。
首相たるユミリア率いる主流派は革命を率いた姉、そして前党首のターフ・ヴィール・イェスカの遺志を受け継ぎ、武力闘争派の排除を試みようとした。ここには革命前の社会党の前前身組織「ユエスレオネ人民解放戦線」においてイェスカが説得(民主的手法)で無血革命を目指したのに対して
アレス・デュイネル・エレン率いる武力革命論が先行し、社会党の前身組織たるユエスレオネ共産党が成立した経緯があった。革命後に不要になった過激派を排除し、党内の綱紀粛正を目指すユミリアによって武力闘争派のポストはどんどん失われてゆき、アレス・デュイネル・エレンは副首相のポストを得るも実質的に力のない立場に転落した。
以後、エレンはユミリアを恨むようになり、党内の実権を得ようと政治闘争へと足を踏み入れることになる。ユミリアを排除し、党首に自分の傀儡を据え、自分に反対する党内勢力を片っ端から粛清した。その狙いは当然「新イェスカ主義派」にも向いていた。
新イェスカ主義派はユエスレオネ中央大学哲学部のアイン・ミナミラハ・リーツェを中心に発展した新イェスカ学派と呼ばれる理論に基づいている。新イェスカ学派は現在の社会党の思想(ユミリア主義)は本来のイェスカ主義から外れているとし、イェスカ主義を取り返す運動として始まった。革命以後、民主化したユエスレオネの在り方に反対する党内のイェスカの僚友たちはこれに共鳴して党内勢力を拡大させていった。
しかし、エレンはこの勢力を危険視し、ファルトクノアへと飛ばすことにしたのであった。こうして飛ばされた者たちは「失われた世代」と呼ばれるようになり、中には後にファルトクノア共和国首相となる
ラヴィル・ドゥ・エスタイティエ・ラタイハイトも居た。「失われた世代」は後にファルトクノアの言語政策理論に強い影響を与えるようになってゆく。
それまでの言語政策による影響
ユエスレオネ連邦はファルトクノア紛争以前にデュイン戦争というものを別の世界で起こしている。アレークウィ世界で引き起こされたこの戦争は多大なる犠牲を負いながらも連邦の戦勝に終わった(状況に関しては
Kranteerl y io dyinに詳しい)。そこで行われた言語政策はそれまでの言語政策の経緯を引き継いでいる。
リーサ・カクザの「言語権」を基軸にした「言語保護論」、ジュヘーシェ・ユーヅニー・ラインの「政治的言語と比較言語学的言語」を継承した
シャーシュ学派の「言語保障」の考え方を発展させ、ピリフィアー歴2001年にリパラオネ人社会言語学者であるヴィヨック・イヴァネによって提唱された「
多言語社会統合発展言語行政枠組み」(LILC)を元に連邦では「
言語集中政策」(LZEL)が組まれることになった。このLZELは以降の連邦における言語政策の方向性を規定するようになった。
LZELの基準 ・母語教育→アイデンティティ醸成、貧困対策 連邦における少数者集団の母語への自信はアイデンティティを醸成し、文化を保持する。その自信と文化は少数者を貧困から回避する。母語教育は社会保障である。 連邦での母語教育による言語保護はその母語で守れる環境への長年育まれた知識を保護することに繋がる。言語保護は環境保護である。 ・多数派社会・言語教育→社会統合、安全保障 連邦における少数派への多数派統合言語教育は言語権の重要な点であり、社会統合と安全保障に直結する。また少数派や女性が社会と接触する際に重要な場所となりうるため国が率先して整備すべきである。統合言語教育は社会保障であり、安全保障である。 ・母語行政→権利保障 ユエスレオネ国民が母語で行政を受ける権利は憲法で保証されている。母語行政は護憲活動である。 ・多言語教育→外在する者の受容、抽象的言語能力の獲得 ユエスレオネの子供が多言語教育を受けることは言語的少数者だけでなく、多様な価値観を認め、抽象的言語能力を獲得し、連邦国民として不可欠な意識と可能性を開花させる。多言語教育は人間開発である。 |
このように成立したLZELに基づく言語政策はしがらみのあるユエスレオネ連邦本土よりもデュインでまず実験的に導入された。占領地域の先住民に対してその言語を保障しながら、連邦社会で生きることが出来る最低限の言語能力としてリパライン語を教えることは率先して行われた。しかし、紆余曲折あって市民の反対によって先住民語教育は停止することになった(先に述べておくがこの原因はこれに関しては「
民族語の教育言語化とその失敗、欺瞞と解決」に詳しい)。主な証拠として提唱されたのが学力の低下などであり、LZELに基づいた先住民語教育には疑問が呈されていく。
最終更新:2020年05月01日 13:57