問題点を指摘する言説


-登山に関するもの

-登山に関するもの(死後編)

-登山以外について


登山に関するもの


栗城氏の問題点について回答するyahoo知恵袋のベストアンサー

私も以前は栗城君の挑戦は純粋に頑張っているなと思っていましたが、だんだんとちょっと違うなと気付き始めました。

森山編集所(登山ライター&編集者の森山憲一氏のブログ)

『判断はずっと保留してきました。ただしそろそろひとこと言いたい。さすがにひどすぎるんじゃないかと。』
『どうしても看過できない嘘は、彼は本当は登るつもりがないのに、「登頂チャレンジ」を謳っているところです。』

紀行家・鎌倉淳のブログ


登山家 竹内洋岳のブログ

『恐らく、この栗城さん自身は「単独」とか「無酸素」とかの意味をそこまで深くは考えていなかったのかもね。たぶん、彼の周りにいる大人がなにか「美味しい都合」で、いろいろ脚色したんじゃないかな?』

登山専門誌「山と渓谷」2012年3月号

『彼は「単独・無酸素」を強調するが、実際の登山はその言葉に値しないのではないかと思う。一般の人たちにヒマラヤ登山を正しく理解してもらうためには、もう少し厳密な情報発信が必要なのではないか。』

軽井沢森暮らし日記


山田淳の山登り日記 (山田氏は七大陸最高峰の元最年少登頂記録保持者)

『NHKも、おいおいちょっと待てよ、って思わなかったのかなぁ。不思議です。』

近藤謙司(国際山岳ガイド、エベレスト7回登頂)

勉強しないのにお金もらって東大を受け続けているようなもんだ…

かつきはやと(札幌の登山趣味の議員さん)


月山で2時間もたない男とはつきあうな!


Togetter - 「山岳界を憂う呟きたち」※栗城氏についての言及は後半部分


森乃屋龍之介の日常 - 栗城クンまたもや下山


池田常道(元「岩と雪」編集長) - 「頂上とは何を指すのか?」国立登山研修所編 登山研修 Vol.25-2010 (P.40)

マナスル登頂者のなかには、手前のコブを「認定ピーク」と呼んではばからない人物がいる。
頂上ではなく認定ピークに登ったということは、頂上手前のコブで敗退したのと同義なのだが、そういったレベルの登山者が無酸素・単独登頂の成功者としてメディアに登場するご時勢なのだ。』

海彦・山彦 の白秋日記(下山家 栗城劇場)

2015年のエベレストのときから栗城の登山を検証しているサイト


登山に関するもの(死後編)

服部文祥(登山家)

「(単独は)万一の墜落に備えてロープで確保してくれるパートナーもおらず、すべてのリスクを自分で引き受けるところに価値がある」
「冒険は、自分が自然に対し、どこまで何ができるかを自分の体で証明すること。これまで登山者が命懸けで作り上げてきた文化である『単独・無酸素』を安易に標榜するのは納得できない。」
東京新聞(2018/05/29)

野口健(登山家)

「南西壁から成功するイメージを持っていたとは思えない。途中から、彼の登山は山頂を踏むことではなく、厳しい環境に身を置き、それを伝えることが目的になっていたように思う」
「登るぞという高揚感はなく、追い詰められて参っているような雰囲気だった」
「応援する側のスタンスも問われていた。『頑張れ、頑張れ』だけでは…」

角幡唯介(冒険家)

「彼の悲劇は、無力な若者が夢をつかみ取るという道化芝居の舞台をヒマラヤに求めたこと。経験を積んでそのうち道化芝居役者から本物の登山家に脱皮できればよかったのに、それをできなかったところが残念というか、憐れというか、自業自得というか。エベレストで芝居やってりゃ、そりゃいつか死ぬって。」

「彼自身、自分にできるわけがないとわかっていたはずだが、やるつもりもない行為に見せかけだけ挑んだふりをして死んだなら、死に方としては正直みじめだよな」

「本人はやってて虚しさなかったんだろうか。行為が深化せず発展せず成功の見込みもなく、現状維持と予定調和を繰り返し、ただ大衆の消費財に甘んじるだけの境涯に。」

森山憲一(登山ライター)

登山としても、冒険共有事業としても、やっていることがあまりにも支離滅裂で、アンコントロール状態にしか見えなかった

「賛否両論」の裏側にあったもの
2018/05/28 https://www.moriyamakenichi.com/2018/05/blog-post.html


登山以外について(凍傷治療など)


医学生・朽木誠一郎 - 凍傷の登山家と希望的観測

大学の先生が栗城史多さんの思い出を語る

ドクターシミズのひとりごと(札幌市の医師)


2009年前後に北海道放送で栗城を取材していたテレビディレクターのブログ


ディレクターは2008年から2010年初頭まで取材していた(その後は栗城が取材に応じなくなった)。
2018年6月の札幌のお別れ会にも参加している。栗城に関するブログは連載形式で30記事ほどある。
他にはない独自取材の情報も多い。例えば
  • 栗城は高校卒業後に、吉本興業が運営する芸人・タレント養成所「NSC東京校」に入っていた。→来歴
栗城の入学願書には「演劇っぽくもある新しいスタイルのお笑いを追求したいです」と書かれている。
高校で三年間栗城の担任だった先生は取材に対し「お笑い芸人になりたいって言ってましたよ」と話す。
  • 栗城には年上の婚約者がおり、結婚式の場所や日程まで決めて準備していたが、栗城が一方的に婚約を破棄した。
  • 栗城の兄は指を失った弟を殴って登山を止めさせようとしていた。
  • マナスル女性初登頂の森美枝子氏は、栗城に直接「あなたは、マナスルに登頂していません」と指摘していた。→マナスル問題
  • テレビ撮影用に急ごしらえで加圧トレーニングをやったら、倒れて動けなくなった。
ディレクターの河野啓氏は2020年に出版した本にこれらの内容をまとめている(『デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場』(集英社))

婚約者について

栗城には年上の婚約者(Kさん)がおり、結婚式の場所や日程まで決めて準備していた。ディレクターが制作していたドキュメンタリー番組には、栗城のマンションの玄関で二人が口論になるシーンや、「仲直りのオニギリ」を作ってもらって出てくる場面が構成されている。
しかし、最初のエベレストの後(2009年年末)に栗城が一方的に結婚延期を告げた。
延期するだけでなくその後、婚約を破棄したようで、婚約者は当て付けのように北海道事務所の物置にウエディングドレスを置いて去っていった。 
2018/06/09 https://ameblo.jp/chekitara/entry-12382537004.html (→WebArhiveによるキャッシュ)
2018//07/02 https://ameblo.jp/chekitara/entry-12388053095.html (→WebArhiveによるキャッシュ)

ディレクターが担当した番組はブログから分かるもので
「マグロになりたい登山家」 HBC北海道放送 2009年5月
「バース・デイ」 TBS 2010年1月
最終更新:2020年12月13日 20:18