「登頂する実力がない」だけでなく、「そもそも登頂する意志がない」とネット上で散々批判され、
栗城を黙殺していた登山界からも「登る気がない」と指摘されるようになった経緯を解説する。
萩原浩司(『ROCK&SNOW』編集長、『山と渓谷』元編集長)
「残念ながら、彼の体力・技術・経験は十分とは言えず、山への甘さを感じて危険だ。(登頂せずに)引き返すことが前提のトライにも見える」
朝日新聞 2015年12月19日朝刊・土曜版「BE」『逆風万帆』より
森山憲一(登山ライター 『山と溪谷』、『岳人』など)
どうしても看過できない嘘は、彼は本当は登るつもりがないのに、「登頂チャレンジ」を謳っているところです。
ここは30年間登山をしてきて、20年間登山雑誌にかかわってきたプロとして断言しますが、いまのやり方で栗城さんが山頂に達することは99.999%ありません。100%と言わないのは、明日エベレストが大崩壊を起こして標高が1000mになってしまうようなことも絶対ないとはいえないから言わないだけで、実質的には100%と同義です。このことを栗城さんがわかっていないはずはない。だから「嘘」だというのです。
高所登山の3つの壁
最初に、高所登山の一般論を紹介する。無酸素登山には3つの壁があると言われる。1つ目が7000m後半~8000mの壁、2つ目が8400mの壁、3つ目が8800mの壁である。
第1の壁
7000m後半から8200mの
チョ・オユーまでの山は、人間が順応できる限界の高度から一気にアタックする形になり、それ以下の山とは生理的難易度が大きく異なる。ただし、この高度は普通の人でもトレーニングを積み、十分な高所順応をすれば到達可能な高度である。
8000m以上の山で標高トップ5を除く、標高第6位の
チョ・オユー(8201m)から第14位の
シシャパンマ(8027m)までの9座のうち、初登頂で酸素ボンベが使われたのは3座のみである。その3座も初登頂争いの中で手段を選ばなかった面がある。当時としても酸素ボンベを使うのは「フェアではない」という議論があり、高所登山家は、この高度までの山には酸素ボンベを使わないことが常識になっている。(ただし顧客のためにガイドとして登る場合は酸素ボンベを使うことが多い)
日本の雪山で体力、技術、経験を身につけ、その上で十分に高所順応を行えば、Dランク(
チョ・オユー以下)の登山は多くの人にとって可能である。
山本正嘉『登山の運動生理学とトレーニング学』より
第2の壁
8000m峰のうち、標高第5位マカルー(8485m)以上の山と、第6位の
チョ・オユー(8201m)以下の山では無酸素での難易度が全く異なると言われる。マカルーは
チョ・オユーよりも300m近く高く、デスゾーンの滞在時間が大きく延びるため、生理的な負担が非常に重くなる。一般に、無酸素登頂が評価されるのはマカルー以上の5座のみである。
第2の壁はすでに1924年にエベレストに挑んだイギリス隊のノートンによって突破されており(無酸素で8570m到達)、1933年にもイギリス隊の3人が無酸素で同じ標高まで達している。
8000m台前半の山と後半の山では、生理的な負担が全く違うことを物語っている。簡単に言うと、人間の生存限界は8500m付近にあり、体力や順応のよしあしに関係なく、誰もが人間としての限界に直面してしまうためである。
山本正嘉『登山の運動生理学とトレーニング学』より
一般的に無酸素登頂として評価されるのはマカルー以上の5山とされている
山と渓谷2012年3月号より
第3の壁
エベレストとそれ以外。エベレストは標高第2位のK2より240m高く、デスゾーンの滞在時間が非常に長くなり、無酸素登頂の試みは大きな危険を伴う。
なお、K2の無酸素登頂成功率が標高の割に高いのは、ネパール・ヒマラヤと違い、カラコルム山脈の登山シーズンが気圧の高い夏季であることも影響している
※他にも4000mの壁や6000mの壁もあるが、こちらは順応に時間をかければほとんどの人がクリアできるので、ここでは触れない。
エベレスト無酸素登頂の難しさ
そもそもエベレスト無酸素登頂は、たとえノーマルルートでシェルパの支援を受けたとしても、極めて難しく危険が伴うものである。7大陸最高峰のうち、エベレスト以外の6峰は、本人に登頂の意志が十分ありノーマルルートならば、登頂は難しくなく「誰でもできる」水準にある。失敗の原因はたいてい高所順応の失敗か、予定していた登山期間中に悪天候が続くことで、登山期間を十分長くとって順応すれば多くの人が達成できる。一方で、エベレストの無酸素登頂には高い高所順応能力、アスリートの素質が必要で、達成できるのは一部の才能に恵まれた人のみである。フルマラソン2時間30分や、100メートル走11秒を切るタイムが、努力しても一部の人にしか達成できないように、エベレスト無酸素登頂はどんなにやる気があってもごく一部の人しか達成できない水準にある。そして失敗すれば死のリスクがある。たとえ緊急用酸素ボンベを用意しておいても、体調が悪化したときには手遅れになっていたり、ボンベやマスクの故障が起きれば、生きては帰れない。1982年に日本人の無酸素初登頂を果たした5人は、8000m以上ではルート工作なしの状態で登り、下山中2人が低酸素の影響で滑落死した。
客観的な実力
栗城は初めてのヒマラヤ遠征でチョ・オユー(8201m)に登頂するなど、人並み以上の高所順応力はあったが、ヒマラヤへの全遠征16回で、一度もチョ・オユーの標高を超えることができなかった。つまり無酸素登山の第1の壁は突破できたが、第2、第3の壁を超えることができず、登山家が酸素ボンベを必要とする8400m以上の高度に一度も達せなかった。
登頂する気がないと見做されるようになる経緯
エベレストに何度も登って一度も8200mを越えられなければ、まともな判断力があれば、登り方を工夫するか、トレーニングにより体を根本的に変えなければ、無酸素登頂は無理と判断するしかない。しかし栗城はトレーニングをろくにせず、登るルートをどんどん難しくしていった。
エベレストの最初の3回の挑戦で8000mまで登れず、しかもそのうち2回はノーマルルートであった。この実績からすると次もノーマルルートしかありえないが、4回目では難ルートの西稜を選択。この時点で、登山の知識がある人からは、登頂の意志がないと判断されるようになった。
2011年のカラス下山や2012年以降の難ルート選択、後述のアリバイアタックのせいで、登山を知っている層、知らない層のどちらに対しても「初めから登る気がなく、言い訳できるように難ルートを選んでいる」との意見がネット上で大勢になっていった(本人のSNSは除く)。
トレーニングをしない
高所順応能力はトレーニングで鍛えることが難しく、生まれつきの才能が大きく影響するが、下界でトレーニングできる部分もある。高所登山は心肺に大きな負担がかかり、最大酸素摂取量(VO2max)が高いと有利になる。VO2maxはランニングで向上させることができるが、栗城はランニングや走り込みをほとんどしていなかった。フルマラソンのタイムは完走できたもので6時間44分(グロスタイム)であり、普段から運動をしていなかったことを示している。→
マラソンの成績
また、登山やクライミングのトレーニングも、凍傷になる前はほぼ全くやっておらず、凍傷で指を切断した後は、年3回ほどガイドを雇って八ヶ岳の初級バリエーションルートや甲斐駒黒戸尾根を登るという、初級者レベルのことしかしていなかった(しかも必ず小屋泊まりである)。
→
登山のトレーニング、
日本の山のまとめを参照
前兆(2010~2011)
最初に登頂する気がない行動が確認されたのは
2度目のエベレストである。このときは順応段階で6100m のC1までしか登れなかった。登山家ならばルート工作をしながら順応するが、ルート工作をシェルパに丸投げして自分はC1で停滞していたため順応が進まなかった。そのため無酸素で登るには順応が不十分であり、後になってこの登山を振り返ったときに、
ベースキャンプを出発したときには登れないことが分かっていたと公言している。
―― 単独行登山と言うのに、アタック時にベースキャンプのスタッフに雪崩の判断、進退の判断をさせるのは何故ですか?生死をともなう判断は御自分でするべきではないでしょうか?登山と言うのは全て自己責任で行なうものだと自分は考えております。栗城さんの考えを返答下さい。
栗城 「判断は全て自分です。ベースキャンプからは基本客観的な情報をもらうだけです。ただ、昨年の秋のエベレストは異常気象で悪天候が続き、帰国の日が迫り必要な高所順応が出来きない中でいきなり無酸素登っていくのは不可能だと出発した時にはベースキャンプも自分もわかっていました。しかし、わかっていても諦められない自分がいる。仲間の声はそれを納得するためのものであり、命令ではありません。全て答えは自分で出いるのです。行けばわかります。」
とはいえ、このときは順応ミスのために登頂できないと認識していただけで、後のように、計画段階で登頂の意志が疑われているわけではない。
突如のバリエーションルート
2011年の春は突然バリエーションルートの
シシャパンマ南西壁に登ると宣言した。バリエーションルートとしては難易度が低く「ノーマルルートよりも安全に主峰頂上に至るルート」と評され何度も登られているイギリスルートとはいえ、これまで国内外でも難ルート制覇の実績はなく、前年にはシェルパに全面依存の「単独」を晒した後としては、唐突の宣言であった。
とはいえこの段階では登る気がどうこう、というより単独に対する詐称が批判の的だった。
※前年のシェルパに全面依存した「単独」登山で炎上したためか、この年からシェルパを全面的に隠すようになったが、結局はシェルパの関与が判明している。
カラス下山
2011年秋の
3度目のエベレストでは、斜面の途中にデポしていた荷物をカラスが漁ったためという、とんでもない理由で撤退宣言をした。荷物を9日間埋めていた斜面は小規模な雪崩が起きやすい場所で、雪崩で荷物が散乱したのか、カラスが漁ったのかの区別をつけることは難しい。実際にヒマラヤではキバシガラスが登山者の荷物や食料を漁ることがあるが、実際に起きうるのかと、このとき本当に起きたかは別で、カラスが関与していたとしても雪崩で荷物が散乱した後にカラスが来たのかもしれない。これだけの金と労力をかけているものをカラスのせいにして断念するのは考えにくく、最初はツイッターでの冗談かとも思われていたが、間を置かずに吉本が公式サイトでカラスのせいで下山したと公式発表した。直後に公開した動画では、これまで一度も映像に出てこなかったカラスが不自然に画面にフレームインしてくるという露骨な演出がされた。遠征直前に吉本と提携し記者会見で大々的に発表していたことや、様々な不自然さやなどから、下山理由のカラスに多くの人が疑念を持ち、このときから
「パフォーマンスのためにおかしな下山理由にしている」「登る前から下山理由を考えている」などと言われるようになった。
しかし登頂する気がないと、登山界にも本気で思われるようになったのは翌年以降である。
突然画面外からフレームインしてくるカラス
アリバイアタックの始まり(2012)
2012年から始まったのが、通常よりかなり低い高度からアタックをかけ、すぐに撤退するという行為である。夜のうちにアタックし、暗いうちか遅くとも朝方には断念するというもので、最初に行われたのは春の
2度目のシシャパンマである。
このときの
シシャパンマでは相変わらずバリエーションルートを選択。しかし序盤で膝をひねって順応に失敗し、6000m以上での宿泊を1度もしないままアタックステージに入った。アタックステージの初日から、C1を予定していた6700mまで登れず6200mにテントを張り、しかも順応不良のためテントで嘔吐している状態だった。予定していたC1C2を無視して、その場所から夜中にいきなり頂上アタックをかけ、6700mのC1予定地付近で断念して、下山中に滑落してシェルパに救助された。
この
無謀なアタックは、順応失敗で登頂が事実上不可能になり、技術・体力的にキャンプをそれより上げることができなくなったので、スポンサーやファンに言い訳できるよう、
アタックの体裁を取り繕い、最高到達高度を稼ぐために軽身で登った可能性が高い。
その後の登山でも同様の行為を繰り返し、
「アリバイ作りのためのアタック」から略してアリバイアタックと呼ばれるようになった。
エベレスト西稜
同年秋のエベレストでは難ルートの西稜を選択。これまでの3回のエベレストではいずれも8000mに達せておらず、しかもそのうち2回はノーマルルートである。かといって他の山でも(ノーマルルート以外の)実績はなく、トレーニングも碌にしてない。上の節で説明したように、ノーマルルートからの無酸素登頂でも極めて難しいというのに、現在の実績・状況でより難しいバリエーションルート選択は
"ありえない"。これは新しいビジネスモデルのような、やってみなければ分からない類のことではなく、かなり研究されている身体的・技術的なことであり、これまでの高所登山の積み重ねと本人の実績・行動からはっきり不可能と言えることである。
この時点で
高所登山の知識がある人からは、登頂の意志がないと判断されるようになった。
森山憲一(登山ライター)
今エベレスト行ってる栗城くん、予定ルートは西稜なんだって? それ聞いて本気で登頂する気はないのだなと確信した。
その西稜では、当初予定していた最終キャンプ地点の8000mに登れず、7500mからアタックをかけて明け方に断念し、凍傷になってシェルパに救助された。
風が比較的弱いウィンドウ期間に停滞して、風が強くなってから最終アタックを開始したこともあり、(最近になって栗城を知った人以外は)「強風を下山理由に使いたいんだな」といった感じで、本気で登頂を狙っているとは思っていなかった(凍傷は予想されていなかったが)。
登頂断念の知らせを聞いた野口健のコメント
野口健(登山家)
そうですか。状況からして8000Mを越えるのはかなり厳しいかなと思っていましたが。
色々あるだろうけれど、まずは無事に下山すること。
RT @sono_RR_KR_MtF: 栗城さんの事ですか?残念だけど…下山を始めたみたいですが…
指切断と難ルート(2015~2018)
凍傷後の
2015年のエベレストでは、通常最終キャンプとするサウスコルに上がれず7550mからアタックをかけ、サウスコル付近で断念した。しかもこのとき栗城自身は登っておらず、シェルパにGPSを持たせて替え玉として登らせており、登る意志がなかったのは明らかである。→
シェルパを使った替え玉登山
翌年の
アンナプルナでは、5日後に日本で講演の予定を入れた状態で、6300m地点から難ルートの南壁を2日で登頂するという、とんでもない計画をぶち上げたが、「膝に氷が当たった」という理由でアタックせず、カトマンズまでヘリコプターで飛んで帰国し予定通り講演をこなした。
同年秋のエベレストでは難ルートの北壁を選択。アタック開始地点はさらに下がり、頂上の2000m下からアタックをかけて頂上の1500m下で断念した。
2017年はまたもや
難ルートの北壁を選ぶが、途中でネパール側に移動するなど滅茶苦茶な行動で、登頂の意志どころか何をやりたいのか不明で、アリバイアタックすらせずに7000mそこそこで体調不良となり下山した。
2018年は
最難ルートの南西壁を選択。またも7000mそこそこで体調不良になり、アタックの体裁を取り繕うこともなくそのまま遭難死した。
野口健(登山家)
「南西壁から成功するイメージを持っていたとは思えない。途中から、彼の登山は山頂を踏むことではなく、厳しい環境に身を置き、それを伝えることが目的になっていたように思う」
野口さんは4月、ベースキャンプに向かう栗城さんと山中ですれ違ったという。「登るぞという高揚感はなく、追い詰められて参っているような雰囲気だった」
登頂の意志はない…では売りにしている登山の生中継に力を入れているのか、というとそうではなく、2012年以降はベースキャンプより上での生中継には一度も成功していない→
インターネット生中継
ブログでの情報発信量や、通常の動画の量も徐々に減っていた。
登頂の意志がないまま登山を続けた理由
本人は当然、登頂する気がないとは一言も言わなかったし、その疑惑について聞かれたときは否定していた。もはや本人の口から本音が出ることはないので正確なところは不明だが、栗城を支持していた自己啓発業界の影響が大きいのは確かである。
栗城は自己啓発業界では一定の支持を得ており、
てんつくマン、
山崎拓巳、
大嶋啓介らと共同で何度も講演会を開催し、徐々に減っていたとはいえ(登山についてよく知らない)
スポンサーも獲得できていた(※)。
特に「周囲の反対を振り切って単独で
マッキンリー登頂に成功した」「不可能は自分が作った幻想」というキャラクターで講演しており、むしろ専門家から否定されているような無茶苦茶な行動の方が、登山を知らない人に「古い価値観を打破する」イメージを印象付け、好都合だったのかもしれない。自らが作り上げた虚像、あるいは周囲に祭り上げられた場所から下りられなくなり、エスカレートし続けたのかもしれない。
(※)ミレーも
スポンサーについていたが、日本法人は登山を知らない人ばかりである(単独表記について本国から注意を受けて単独が削除されたこともある)→
スポンサー
(※)なお、
マッキンリー登頂の難易度は、上述のように十分な訓練をすれば「誰でも可能」な水準であり、エベレスト無酸素登頂のように一部の選ばれた人のみが達成可能なものではない。また栗城の登り方は登山界で単独と評価されるものではなかった→
単独無酸素について→
7大陸最高峰の問題点
その他の可能性
以上は、本人にある程度の判断力があることが前提だが、自覚していなかった精神障害の影響で本気で登れると思い込んでいた可能性がないわけではない。
栗城は2010年頃から凍傷になるまで、眠れないので病院に行ったら鬱だと言われたと毎年繰り返しており、凍傷治療中にも様子がおかしくなり周囲に精神科に連れていかれている。もっとも鬱が理由で追い込まれることはあっても、現実不可能なことを可能だと思い込むことは考えにくい。これまで(生前の時点で)主治医や専門家の見解が(鬱以外で)公になったことはない。
栗城は公の場では必ず生きて帰ってくると語っていた。一方で、死後に刊行された『デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場』(集英社、2020年)では、栗城が指を手術して以降、特に最後の3年間、自身が傾倒していた人物に「いつ死ねるんだろう」「指を失くしたら人生終わり。死に場所を探している」「何か思い切り無茶をして死にたい」などと話していたことが明かされている。
最終更新:2023年03月10日 10:13