AERA記事

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「ニート登山家」の挑戦

「彼女につられて」山岳部に入部

前人未到の7大陸最高峰・無酸素単独登頂を目指す、25歳のアルピニストがとった異名は「ニート登山家」。志は大きいが、山を目指したキッカケからしてなんだか笑える。

「レジのお金が合わないんだけど、君じゃないわよねぇ?」
2001年、アルバイト先の神奈川県川崎市の牛丼屋で、先輩の女性店員にいびられる18歳の青年がいた。前人未到の「世界7大陸最高峰・無酸素単独登頂」に挑むアルピニスト、栗城史多(25)の6年前の姿だ。
北海道函館市の北、人口6400人の今金町生まれ。高校卒業後、脚本家を志し、「東京に行けばなんとか人脈を作れるだろう」と、川崎市に6畳1間のアパートを借りた。しかし「地元に残した彼女の顔を思い出すと切なくなり」、上京1週間で演劇の道を断念。警備員や牛丼屋の店員などのバイトで日銭を稼ぎながら、「病んだ1年」を過ごした。
だが、この1年が登山家の原点となる。栗城が「ニートのアルピニスト」と称される所以だ。

山は小学校の遠足以来

転機は、地元へ戻り、1浪して「名前を書けば入れる大学」に入学した栗城に、すぐ訪れた。
「当時付き合っていた彼女の趣味が登山だったんです」
02年、彼女につられて、大学の山岳部に入部。ちなみに登山は小学校の遠足以来だったという。
「ニートというよりはピーターパン」と言うだけあって、奔放で突飛な発想は登山でも健在だった。
入部から2年後の04年、海外の山に興味を持ち、北米最高峰マッキンリーの無酸素単独登頂を決意する。国内はおろか北海道の山も数えるほどしか登っていなかった栗城に、登山界は「無謀」と言い切った。
はたして、その挑戦は大成功を収める。帰国した栗城に詰め寄った記者に「次の目標は?」と聞かれ、「これをピリオドに」と言うはずだった栗城は、「7大陸最高峰・無酸素単独登頂ですね」と言い放っていた。
栗城は昨年までに、南米のアコンカグア、欧州のエルブルース、アフリカのキリマンジャロ、オセアニアのカルステンツ・ピラミッドに無酸素単独で登頂。残すは南極のビンソンマシフと、世界最高峰のエベレストのみとなった。最近まで競い合っていた米国人は、エベレストで酸素を使って脱落。残ったライバルは、エクアドル人登山家1人しかいない、という。

企業人向け講演が好評

次の挑戦に向け、スポンサー探しに走り回る栗城は、
「登るニートならぬ登る広告塔」
と自嘲するが、じつはそのかたわらで講演会も月5〜6回こなしている。大半は企業人を対象にしたものだ。
「ニートの登山家」が社会人相手に講演するというのも奇妙な話だが、ぶち当たった壁を乗り越えるためのモチベーションや、言葉が全くできないのに外国人と友達になって助け合うエピソードが、営業マンの心を揺すぶるらしい。
そんなこともあってか、北海道に帰ると、
「家ではバランスボールに乗って、起業やマーケティングの本を読むのが日課」
と話す栗城。だが、最高峰の過酷な環境に耐える強靭な肉体をつくるため、肉やアルコールを1年半、断ってきた。
12月中旬から、過去に敗退したビンソンマシフに再挑戦する。

放送作家 今関ちなつ

Weekly AERA 2007.10.1


最終更新:2010年11月17日 16:57