生前、栗城がGPS端末をシェルパに持たせて登らせ、あたかも自分が登ったかのように見せかけたという「替え玉説」が取り沙汰されていたが、決定的な証拠はなく疑惑の域を出なかった。しかし、彼の死後、関係者の証言によってそうした替え玉登山が実際に行われていたことが明らかとなった。
疑惑のおこり
2015年の
5度目のエベレストにおいて、栗城はグローバルスター社のGPS端末"SPOT"を用いて自身の位置情報をネット上で公開した。
しかし、特に2回目のアタックで栗城の行動とGPSログが不自然だったことから、SPOTをシェルパに持たせた替え玉説が生まれた。その理由は
- 栗城に越えられそうにないサウスコル直下の難所を通過している
- そのときに登り下りともSPOT(GPS)がオフにされるという不自然な操作がされている
- サウスコル(7900m)で位置情報のログが明らかに不自然な動きとなっている
- その後、体力を相当消耗しているにもかかわらず24時間以上連続行動でベースキャンプ(BC)に下りている(なお、これは1回目のアタックも同じ)
- そこまで登ったことを証明できる映像や写真がない
他にもSPOTをサウスコルの下からドローンで飛ばしたという説や、SPOT内部に記録されたデータを改ざんしたなどの説もあったが、これらの説は非現実的であったこともあり、替え玉説のみが生き延び続けた。
▼SPOTの記録情報をもとにした説明図。クリックで拡大。ログのギャップの右側がサウスコル、左側が7550mの最終キャンプ。その間は電源がオフにされている。SPOTのログからすると最高到達点はサウスコルから少し登った標高8160m地点とみられる。(画像中のドローンは、GPSをドローンで運搬した説にちなんだネタ)
しかし、替え玉説にも証拠がなく、さすがにそこまではやらないと考える人が多く、時間が経つにつれ鎮静化し、忘れられていった。というのも、到達地点がサウスコルの上だろうが下だろうが、頂上よりはるか下での惨敗には変わらない。また自分のGPSと偽って他人を登らせることは、単独や無酸素を抜きにしても純粋な不正行為なので、まさかそこまで…というような感じであった。
翌年以降の登山でも本人でなくシェルパが登っているんじゃないか、という疑惑はたびたび持ち出されたが、この2015年の登山ほどの不自然さはなかった。(ログが滅茶苦茶な動きをしたのは電源をオンオフしたことで説明できるが、意図的に電源をオンオフして所在地を不明確にしているんじゃないかという説は最後まで残った。というのも他の登山家が使う場合は高所でもこんなことは滅多に起きないので)
替え玉登山の裏取りがされる
しかし栗城の死後に発売された河野啓『デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場』(集英社)により裏取りがされ、2015年のエベレストでシェルパにGPSを持たせた替え玉登山をしていたことがほぼ確定的になった。河野氏の著作から引用する。
この二度目のアタックには、様々な疑惑がある。
(中略)
GPSがまともに表示されないため、視聴者の一人が栗城さんのそれまでの足取りを分析してコメントを上げた。
<<サウスコルまでの高度差150m程をたった1時間で登り切ったw それまで、高度差160mを3時間かけて登ってきたのに>>
(中略)
下山中にも不思議なことが起こった。
<<何事もなくSPOT更新されてますね。驚くことに凄まじいスピードで下山中ですか…>>
登頂アタックからわずか27時間で、SPOT上の栗城さんはBCに到達する。
(中略)
不可解な状況から、栗城ウォッチャーたちは確信したようだ……。
<<影武者シェルパが持ってるんだからそりゃ早いよ>>
<<さすがにもうちょっと辻妻合わせようよ>>
河野啓『デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場』(集英社、2020年)第十幕、p250-
※<<>>の中のコメントは栗城公式ブログに書かれたコメントである。
BC到着の3日後、ブログにアタック時の動画が公開された。(中略)
自身のエベレスト挑戦では過去最高となる8150メートル地点まで登ったと発表されていたが、周囲は暗く、映像は栗城さんのアップばかりで、場所が分かるカットがない。夜間モードで撮ればもう少し周囲の状況も映るはずなのだが、それもしていない。順応登山の段階では夜間モードで撮ったカットもあるのにだ。
BCに到着したときの帽子が、出発時に被っていたものと違う……そんな指摘がネットに上がっていた。(中略)同系統の色だが確かに違う帽子である。「BC到着の映像は、後日撮ったやらせでは?」という疑問の声が広がった。
この登山で栗城隊のサーダー(シェルパのリーダー)をしていた
マン・サーダー氏は、第2キャンプ(C2)まで登り栗城や日本人スタッフのサポートを行い、他のシェルパへ無線で指示を出していた。日本語が堪能なマン氏は河野氏の取材にこう答えている。
GPSが不可解な表示をしてネットが炎上した5回目の挑戦では、マンさんはC2まで一緒に登り、栗城さんの行動を近くで支えた。
「GPSはシェルパが持って登ったときもあったし、日本人(スタッフ)が持っていたときもある」とマンさんは話す。誰がどの区間どう操作したか、詳細には覚えていないそうだ。しかし栗城さん自身の行動は、そばにいたのではっきりと記憶している。
「栗城さんが登ったのは、サウスコル(7906メートル)の下まで」と断言する。
事務所が発表した8150メートル地点には達していない。2回目のアタックでも、のべ8時間程度しか行動しなかった。BCにいったん戻った後、また外に出て、再度帰還する場面を撮影したという。私はティカ社長にも確認した。マンさんから報告を受けて知っている、とのことだった。
同、第十二幕、p314
なお、ここでいう「ティカ社長」とは、マン氏が所属しているネパールの登山ツアー会社、
ボチボチトレックの社長である。
この回の登山に限定したものではないが、マン氏は、栗城の酸素ボンベ使用等にも言及して、こんな証言もしている。
マンさんは番組の完成形がイメージできず、こんな質問をしてしまったこともある。
「こんなにシェルパ雇って、酸素吸っていても、番組になるの?」
栗城さんはそのときマンさんを、ギロリと睨んだそうだ。
「あんたには関係ないって。あんたは自分の仕事をしていればいいの!」
ネット中継では漫才の掛け合いのようなやり取りを見せた二人だが、舞台裏ではかなりシリアスな言葉を交換していたようだ。
これにより、サウスコル直下の難所から8150mまで往復したのは栗城ではなくシェルパであり、BCまで高速下山したのもシェルパ(または日本人スタッフ)であることが確定的になった。
河野氏は、当時の日本人スタッフにも取材を申し込んでいるが、断られている。
替え玉登山をした理由
替え玉登山をした理由は、河野氏の取材でも明らかにされておらず不明である。
理由の一つとして考えられるのは、8000mにも登れないとネットで馬鹿にされていたため、それを見返したかったのかもしれない。今後の
スポンサー獲得のためにも、できるだけ到達高度を稼ぎ、連続行動をしてタフなところを見せたかったのかもしれない。
とはいえ、到達高度がそれほど変わる訳ではないし、不正が発覚するリスクを冒してまでやる事なのか?という微妙なラインである。やりすぎると細かく検証されかねないので、この程度に留めたのかもしれない。あるいは、もっと登らせるつもりだったのにシェルパの体力の限界がきたのか、馬鹿馬鹿しいからとシェルパにサボタージュされたのか…。
サウスコル直下の難所でログが出ないようにしたのは、(シェルパが)どのラインを登ったのか検証されるのが嫌だったのだろうか。
高速下山については「下山だけは速いな、さすがプロ下山家」などと言われ、下山家という通り名の説得力を増してしまった感がある(まさかそれを狙った訳ではないだろうが…)。
そのほかにも、登山の様子をNHKで放送する(後述)にあたり、登頂しなくてもいいからとにかく8000mを超えてほしいとNHK側から求められていたのかもしれない。NHKではなく
スポンサーから同じような条件が出されていたのかもしれない。
NHKで特集
この登山は、2016年1月4日にNHKで「5度目のエベレストへ~栗城史多 どん底からの挑戦~」(午後8:00~8:43 )として放送された。
番組では、替え玉登山を行ったとされる所も栗城が登っていることになっていた。栗城サイドがネット上に公開していない映像も使用されているが、最終キャンプ(7550m)より上では周囲が確認できる映像はなく、栗城の顔や足元のみが映されている。
NHKで放送されたサウスコルでの栗城。実際にはBC(5400m)やC2(6400m)あたりで撮影された映像だろうか?
NHKで放送されたサウスコルに向かう栗城(中央右の鞍部下にあるヘッドランプの点)。実際にはシェルパか?
NHK側に立った見方をすれば、NHKは栗城側を全面的に信用しており、まさか替え玉登山を行っていたとは思っていなかったのかもしれない。
NHKはこの番組を含めて栗城の登山を4回取り上げているが、この4回ともNHKは栗城隊に同行した取材を行っていない。撮影スタッフやシェルパは栗城が雇い、栗城から映像を提供されているだけである。そのため、結果として虚偽を垂れ流してしまったのだろう。
かつてNHKは、1992年放送の番組「
奥ヒマラヤ禁断の王国・ムスタン」におけるやらせなど重大問題に関して郵政省(当時)から厳重注意を受けている。「ムスタン」と同じようなやらせをNHK側が仕組んでやらせたとは考えにくいものの、NHKは河野氏の取材に応じていない。
ちなみに、NHKの栗城番組のディレクターは4回とも滝川一雅氏である。滝川ディレクターと栗城の関係については「
NHKと栗城史多の関係(WebArchiveによるキャッシュ)」を参照されたい。また、このときの
現地カメラマンの1人は、後にNHKでヒマラヤ関連の仕事をしている。
※栗城がエベレストに出発する前の8月4日、ニコニコ生放送において「2016年1月にNHKでドキュメンタリー番組放送予定」と話していることから、出発前からNHKにて特集することは決まっていたようである。
他の遠征における替え玉登山はあったか?
河野氏の著書において、マン氏が替え玉登山の証言をしているのは
5回目のエベレストのみである。その他の山でも替え玉が行われたのかは、同書では明らかにされていない。
ただこの年以外にもGPS端末の電源がOFFになったために現在地不明になることはよくあり、電源をオンオフしたのか、ログが変なところに飛ぶこともよくあった。他の登山家の記録ではこのような現象はみられず、意図的に電源をOFFにしている疑惑がついて回った。
替え玉登山が明らかになった以上、GPS端末の記録は信用にならず、本当に登っていたのかは映像で判断するしかないが、最終アタック中の映像が、栗城の顔や足元のみしか公開されていないのは(GPSを使わなかった)
4回目のエベレストでも同じである。途中でGPSを使うのを止めた
6回目のエベレストでは、最終アタック中の本人撮影映像が一切公開されていない(夜中にヘッドランプの光が登っているのを遠くから撮ったシーンが公開されているが、本人ではなくシェルパという可能性を排除できない)。
7回目のエベレストではGPS端末を使用したが電源がよく切れて途切れ途切れだった。最高到達点付近の映像で周囲が分かるものは公開されている。
8回目のエベレストでは南西壁を登っているときのGPSログにあまり変なところはない(取りつきまでや順応時には変な所がある。また南西壁の下山時にはGPSの電源がオンにされていない)。滑落後に栗城カメラを回収できなかったとして、南西壁で自撮りした映像は残っていない。
最終更新:2024年05月18日 01:20