中御門為方
- 建長七(1255)~徳治元(1306)年12月11日
父は
中御門経任、母は西園寺氏の一流の権大納言藤原公雅の娘。蔵人・弁官を経て、弘安九(1286)年、父の譲りを得て参議に任ず。文書の発給状況からすると、このときに亀山上皇の伝奏の職務も引きついでいるようである。皇統が後深草上皇の方へ移っても、上皇の院司、伏見上皇の伝奏として働いている。正応元(1288)年に権中納言、永仁五(1297)年、父経任が没すると同官を辞している。経任は毀誉褒貶のあった人物であるから、為方の辞任の事情を臆測したくなるが、確実な史料は残っていない。このあと為方は後宇多上皇の院執権・伝奏を務め、格別な事蹟を残さずに没する。
(本郷和人)
最終更新:2009年05月27日 11:46