葉室資頼

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葉室資頼


  • 建久五(1194)~建長七(1255)年10月18日
 父は右衛門権佐葉室宗方、母は参議藤原光長の娘。祖父権大納言葉室宗頼の養子となり、九条道家に仕えた。貞永元(1232)年参議、嘉禎元(1235)年に権中納言。後堀河上皇の院司となって院中の沙汰を管掌し(1)、九条家の政治顧問としても活躍した。暦仁元(1238)年、権中納言を辞し、子息右中弁季頼の宰相への昇進を願ったが、過分であるとして許されなかった(2)。季頼の母は葉室光親の娘であったので、幕府を禅る配慮も作用したのかもしれない。仁治二(1241)年権中納言に還任、寛元二(1244)年には中納言に進む。この時期、資頼は二条良実を輔佐して活発に活動している。昇進はその賞であろう。しかし九条家の信任を集めていたために逆に後嵯峨上皇には全く用いられることがなかった。宝治二(1248)年に中納言を辞して季頼を右大弁に還補、子息に望みを託すが、季頼は結局参議に昇ることができなかった。
  1. 『民経記』貞永元年十月四日
  2. 『玉蘂』暦仁元年閏二月十五日

(本郷和人)