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坊城定資

坊城定資


  • 建治元(1275)~元徳二(1330)年7月11日
 父は坊城俊定、母は後宇多天皇に仕えた弁内侍。蔵人・弁官を経、伏見上皇の院司ともなり、嘉元元(1303)年に参議。三年後に権中納言。延慶元(1308)年には伏見上皇の伝奏となり、以後上皇の院政を助けた。後伏見上皇にも近侍して伝奏を務めるが、文保二(1318)年に大覚寺統の後宇多院政が再開されると、今度は後宇多上皇の伝奏に任じられた。ただし実際に伝奏として働いているのを示す史料は少なく、むしろ後伏見上皇の側近くで、たとえば執権として活動しているように思われる。あるいは母方の縁で、名目だけの伝奏になったのだろうか。子息俊実・経顕も持明院統に仕え、室町時代に勧修寺氏が栄える素地を成した。

(本郷和人)
最終更新:2009年05月27日 12:27