『吾妻鏡』承久三年七月十二日

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『吾妻鏡』承久三年七月十二日


十二日甲午、按察卿〈光親、去月出家、法名西親、〉者、為武田五郎信光之預下向、而鎌倉使相逢于駿河国車返辺、依触可誅之由、於加古坂梟首訖、時年四十六云々、此卿為無双寵臣、又家門貫首、宏才優長也、今度次第、殊成兢々戦々思、頻奉匡君於正慮之処、諫議之趣、頗背叡慮之間、雖進退惟谷、書下追討宣旨、忠臣法、諫而随之謂歟、其諷諫申条数十通、残留仙洞、後日披露之時、武州(泰時)後悔悩丹府云々、